パラレルAL 12話
「ヒットラーのカナリア」読みました。
ナチスに占領されたデンマークで、デンマーク人たちが決死の覚悟で同国のユダヤ系デンマーク人を逃がす物語で、フィクションですが事実が元になっています。
物語が物語なだけに、あらゆる主な登場人物に死亡フラグが立っており、最後までハラハラと気を抜けません。最後ほとんど家族と言ってもいいくらいの主人公の母の友人と、母の行く末には涙せずにはいられませんでした。特に母。他人の命を救うために文字通り命をかけた、そのことがなんでその結末へ行き着くの。事実はもっと惨いものであったとは承知していますが、せめてフィクションなら、命がけで人の命を救った名もなきヒーロー、ヒロインの行く末は明るくあって欲しかった。
以下、パラレル続きです。
単に旅をしているだけで、あんまり逃亡してません。
「パラレル話」で良かったんじゃないかという気がします。
街道を通って隣村に行くのなら馬車を使う方が断然早い。大して運賃もかからない。そこを押してわざわざ歩いているのは、ルークの命を狙う者たちが、何の関係もない人々を巻き込むのを警戒してのことだ。
──というのは、完全にアッシュの言い訳に過ぎなかった。少なくとも玄人の暗殺者が行き交う人の目も多い町中や街道で襲ってくるとは考えられない。アッシュは迷いながら……いや、迷う時間を少しでも稼ぐために、王都への旅路をあざとく遅らせているにすぎないのだった。
そんなアッシュの思惑に気付いた様子もなく、ルークはいい腹ごなしになると笑っている。元々ここまでは自分の足で歩いてきたのだし、大して馬車に未練がないのだ。
道すがら、ルークはアッシュの家族の話を聞かせて欲しいとねだった。以前アッシュの家族のことを聞いたときには、それは本の中の架空の登場人物のように顔のない、曖昧な人々だったが、ジェイドに会った今、彼らは血肉を備えた実在の人物だった。これから会うその人たちに、あのとき以上に興味を持つのは当然のことだ。
「兄上が二人、姉上が一人。妹君が二人……だったかな」
「姉上だの妹君だのいうようなお品のいいやつらじゃねえが、まあそうだ」
「ジェイドが一番上って言ったよな」
「ああ」
「医者になるのは難しいだろ? ジェイドは優秀なんだな」
まあな、とアッシュは頷いた。学校での成績が良かったジェイドのために、家族のみならず、村のみんなが学費や生活費を出して王都の大学に行かせた話をする。彼が大学を卒業するまでは、だから村中みんなが貧しかった。下の兄ガイが王都の音機関の工場へ出稼ぎに行って、乏しい稼ぎの中から仕送りを続けた話。まだ小さかった姉のナタリアが、一番下の学校を卒業するや否や貴族の家に奉公に出かけた話。すぐ下の妹は学校帰りに教会で雑用を手伝い、得ることの出来るわずかな金で学用品を買い、末っ子の小さなアニスが、働き手の欠けた家の家畜の面倒をみた。
「ジェイドが医者になるのはみんなの夢でもあった。うちの村は無医村だったし、さっきの街にも爺さん先生が一人いるだけで、この近辺にはほんとに医者がいねえんだ。みんな貧乏で、治療費取りっぱぐれることも多いしな。優秀な医者は来たがらねえ。だからジェイドは結構遠くまで往診に行かざるを得ないんだ」
だが、今は全員が働けるから、これでも楽になったのだとアッシュは笑った。
「……」
笑うアッシュの顔が眩しくて、真っ直ぐに見られない。自分のこれまでの生活を思い返し、ルークはただ恥じ入るほかなかった。ルークは一度毒殺されかけたせいで、王太子宮にほとんど軟禁されて過ごした。さすがに王宮でのパーティーに参加しないわけにはいかなかったが、連日のようにどこかで開催される舞踏会やティーパーティー、貴族の男たちが腕を競う狩り、王が危険有りと判断したものごとからはことごとく遠ざけられたものだった。それに不満を持ったことはない。そんな生活に満足していたからではなく、病的なほどにルークを心配する父の気持ちを慮ったせいでもあり、諦めきっていたせいでもあるからだ。バルコニーを訪ねる鳥にパン屑を投げてやり、彼らのようにどこか遠くへ飛んで行けたらと思いつつ、一度たりとも実行に移す努力をしたこともない。あの頃の自分は、言うなれば王宮で飼われた血統書付きのペットのようなものだったのだ。
当然生活に困ったことなどない。欲しいものはすぐ届けられたろうし、食べたいものも、願えばきっと用意された──手に届くところにすべて用意されたものを、ルークは何一つ欲しいと思わなかったが。
そんな自分が、アッシュを羨ましいと思うことなど、あっていいはずがない。キムラスカにだって、きっとアッシュたち家族のように貧しい人々は大勢いる。医者に困る地域など山ほどある。軟禁されていたって、きっと出来ることはたくさんあった。でもルークは何もしていない。しようとも、その必要があるとも思わなかったのだ。
一生懸命に、生きてない。
そう言えば、アッシュに初めて会ったときにも、諦めが早いと言われたのだった。あのときのアッシュの呆れた顔を思い出して、ルークはくすりと笑った。弾かれた剣を追い、勝つために足掻く必要を、あのときルークは全く感じなかった。どうでも良かったのだ。
「おれ……アッシュの捕虜になって良かった!」
「はあ? ……何言ってんだお前」
「捕虜になって、下の人たちの生活ぶりを見てさ。おれって、何にも知らないんだなって……思った。何にも見てこなかった、何にも勉強してこなかった、ってさ! それに今気付けてよかったなって思うんだ。これからの人生を、もう少し厚みのあるものに変えていけるから」
ものすごく晴れやかな顔でそんなことを言っている敵国の捕虜の……いまや敵国の王でもある少年の顔をアッシュは苦痛を堪えるような顔でじっと見つめ、一瞬固く目を閉じた。
「ああ、ほら、見えてきた。左手に見える赤煉瓦の家が俺んちだ」
植わっているものが違うだけで代わり映えのしない畑ばかりの景色を抜けると、アッシュの指差す左手に、二階建ての家が見えてくる。とても小さな家だが、山間の集落や街を見てきたルークには、その中では比較的大きい方に入るのではないかと思われた。入り口の扉までの道の左右には小さなハーブ園。合間に洗濯物がたくさん翻っている。ポンプ式の古い井戸の横には小さな洗い場があり、アッシュよりも黒みの強い赤毛をツインテールに結った小さな少女が、鼻歌を歌いながら木の板のようなものを使って何か布をごしごしと擦っていた。問うようにアッシュを見上げると、照れくさいのを堪えているような、妙にムスっとした顔をその少女に向けている。
視線に気付いたように、少女がふと顔を上げた。アッシュとルーク、二人の姿を目にして目と口で三つのOを作る。と、目が三日月のように細くなった。
「……! アニス待て……っ!」
一体何に気付いたのか、アッシュが猛然と駆け出した。だがそれより一拍早く少女が身を翻し、家の中に駆け込んで行く。──甲高い声を周囲に響かせながら。
「みんなーっ!! アッシュ兄ちゃんが美人のお嫁さんかついで帰ってきたよぉーっ!!!」