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パラレルAL 26話

さっき帰宅してすぐにぎゃーっていうほど素晴らしいことが起こって、今もまだ現実に戻れない。
ごはんの支度しなきゃ……どうしよう

 気付くとルークは小舟の中に倒れていた。木漏れ日が眩しくて、一、二度目をしばたたかせたあと目を擦ると、船縁に止まっていた瑠璃色の小さな鳥が、驚いたように飛んで行く。ルークは船縁に手をかけて身を起こし、呆然と周囲を見回した。
 船は川の浅瀬に乗り上げていたが、側を流れる川の流れは相変わらず激しい。清涼な空気の香りでおそらく朝だろうとあたりはついたが、これは夢ではなく現実なのだろうか? 確かルークは夕べ……川に投げ出されて溺れたはずではなかっただろうか。船の中に、折れて失ったはずの櫂がある。着ている服にも荷物にも濡れた形跡はない──川に投げ出されたとき、確かに荷物が落ちたのを見たのに。
 ルークは苦笑して首を振り、荷物を持って小舟を降りた。おとぎ話にしか存在しないと思われていた神の力を使う青年がこの世にいたのだ。どんな不思議があったっておかしなことではないのだろう。一応小舟が流されないように、近くにある大きな木に綱をもやっておいて、ルークは岸辺から森に這い上がった。
 一体どこまで流されたのだろう? 
 至極当然のことだが、周囲に見覚えなどない。これからの旅路は、ルーク一人だ。これまでアッシュに任せていたことも、ルークは一人でやっていかなくてはならない。もしも自分がアッシュならば、こういうときどのように行動するだろう? ──アッシュなら?
「……腹ごしらえ、だよな」
 朝食は夕食時に取り置いておくのが常だったが、昨夜は結局夕食を食いはぐれていた。この急流に魚がいたとしても、警戒心皆無の白ナマズが精一杯のルークに獲れるとは思えない。よしんば獲れたとしても、この流れに踏み込む気にはなれなかった。アッシュのように石の飛礫で鳥を獲るような真似が出来ようはずもなし、罠をかけて獲物がかかるのを待つか……?
「アニスがくれたのが、残ってたっけ」
 酒に漬け込んだドライフルーツをぎっしり入れて焼いた菓子は、とにかく日持ちとエネルギー補給重視で作られている。とても甘く、酒に弱いルークは匂いで酔ってしまいそうなほどなのだが、とてもおいしい。だが、たっぷり使われた砂糖が下の人々にとっては大変貴重なものだと知った今、簡単に手を付ける気にはなれず、少しずつ大切に食べていたのだ。
 荷物袋の中をのぞくと、数はかなり減ってはいたが、まだいくつか入っている。ルークは心の中でアニスに礼を言いながら一つをゆっくりと食べた。食べ終えると身体がぽかぽかしてきて、こういう事態を見越して作られたかのようで少しおかしかった。
 食べ物と笑いは、簡単に元気を取り戻すことのできるエネルギー源だった。ルークは編んで垂らしていた髪をほどき、まとめて頭上できりりと縛り直して気を引き締め、歩き出した。
「まずは、ここがどこだか確かめなくちゃな……」

 正確さを期すならば丸一日かけて方角を見極めるべきなのだが、アッシュとの旅で、自分に出来る影の長さと方角と、おおよその時間と方角とを結ぶことに慣れている。ルークはそれによって今まで目指していた方角と正反対の方角──東へ向かって歩き始めた。多少ずれていたって、人に会うまでの話だ。道なき道を進みながら、時折小枝を拾い、木の実を獲りながら数時間歩いたところで、コーン、コーンという妙な音に気付き、恐る恐る近づいた先で若い樵に出会った。対岸に渡ろうとして流され、現在位置がわからないと説明するルークに、樵はあの川では良くあることだと言って笑い、持参していた弁当を分けてくれた上、仕事が終わるまで待ってくれるのなら、村まで案内すると言ってくれた。

「──この辺りはじゃあ、キムラスカとの国境に近いんだ。戦争、どうなった? この辺、大丈夫だったのか」
 何処から来たのかと詮索される前にルークは男を質問攻めにし、ここがまだダアトで、キムラスカの国境近くだと知る。
「えっ、知らないのかい?」
「おれ、増えた魔物を狩るために山にいたんだ。最後に聞いたのは、二次出兵の兵が帰還してくるって話だったかな……」
「ああ……慌ただしくなった地域から魔物が移動してるって話は聞いてたが。──戦争なら、今は休戦中だ。なんでもキムラスカの王様が死んじまって、息子がキムラスカまで軍を下がらせたって話だ。こないだ王都からの旅人が村に寄ったんだが、その息子が次の王様じゃないってんで、うちの王様たちは話を受けるべきかどうか悩んでいるみたいだな」
「……」

 ふう、と息をついて、ルークは固く目を閉じた。
(フレイルはやっぱり戦争を収めたがってるんだ。だけど亡き父上の後を継ぐのはおれで、フレイルの名前で和平の申し入れをしても、それがフレイル個人の勝手な申し入れでないという判断はつきかねる。だけど、この混乱状態のキムラスカにあえて攻め込んでこないってことは、ダアトも受けたいけど決めかねているってことなのかな……?)

 翌朝、ルークは泊めてくれただけでなく、夕食と朝食まで出してくれた樵に礼を言って旅立った。故郷の村に様子を知らせるため、国境の様子をみたいのだと言ってキムラスカ軍の駐屯地を聞き出し、その方角へ向かって歩き出す。再び山に入り、ひたすら歩き続け、日没前には野営地を決めて罠を仕掛け、焚火を組む。この辺りは獲物には事欠かないとはいえ、アッシュの監督なしで作った罠にウサギがかかってくれるか不安だった。だが、不安は杞憂に終わり、獲物はかかっていた。食べられる野草や茸も集め、時間をおいて罠の確認に行ったルークは、かかっている黒い物体と目が合うや、ため息を付いて額を押さえる。
「……なんでおれが罠を作ると、お前らがかかるわけ……?」
 仔熊だった。アッシュはこの罠に仔熊がかかっているところなど、見たことも聞いたこともないと言って大笑いし、ルークを憤慨させたのだが、偶然にしたってこれはないだろう。
 ──せめて食えるものを引っ掛けようぜ── 「狙ってねーのに! あーあ、今夜は肉無しのスープかな……。ちょっ、助けてやるから暴れんなって──っ?!」
 背中にぞわりとしたものが走った瞬間、ルークは横に転がった。真横を黒く、太い棍棒のようなものが薙いで行く。一回転して立ち上がり、剣を抜いたルークは、目の前にある真っ黒な壁を一瞬きょとんと見つめ、その壁に強そうな毛がびっしりと生えているのに気付いて恐る恐る視線を上に上げた。「……マジかよ」

 ──仔熊を食ったら、親熊が──

「いやっ!! いやいやいや! まだ食ってねーっつの!!!」
 ルークは泡を食って逃げ出した。それが良かったのか悪かったのか、親熊が猛然と追ってくる。
「マジで──っ?! おれを追っかけてないで、子ども助けてやれよ?!」
 走り出してすぐに、大きな身体の熊が恐ろしく敏捷なことに気付いたルークは、長く鋭い大きな爪が、時折猛スピードで薙いで来るのを、右に左に飛び交わしながら必死で走り続けた。熊は巨大な身体が周囲の木々にぶつかり、なぎ倒しているのをものともせず、執拗に追いかけてくる。そして、ルークの体力には限界も。
 どこからか、アッシュの爆笑が聞こえるような気がした。「笑ってる場合じゃねーっての! アッシュ!! 助けろよっ!! ほんとに! こんなところで! 死んだら! 化けて出て! やるから、な……?!」」

 どのくらい走ったのか、唐突に目の前が開けた。鬱蒼とした木々の茂った森。だが、正面だけは灰色の岩肌をむき出しにして切り立った崖になっている。──行き止まりだ。人影が一つあり、無関係な人の所に怒れる巨熊を連れてきてしまったのかと流れる汗を脂汗に変えて背後を振り返った。だが、そこにはなんの気配もない。いつのまにか、熊はルークを諦めて仔熊のところへ戻ってしまったらしい。──いや。そこかしこで感じる、大勢の人間の気配に恐れをなしたのかも。
 胸を撫で下ろし、肩を丸めてほっと息をついたルークの目の前で、岩肌からしみ出す清水を飲んでいたらしい人影が立ち上がって口元を拭いながら向き直った。厚みは全く敵わないまでも、アッシュと同じくらい背の高い男で、思わずどきりと胸が震える。
 目が、合った。
 なぜか懐かしいと感じる、モーヴの瞳が訝しげに細められ、ルークを認めるや驚愕に見開かれる。
 ルークもただでさえ大きな瞳を落としそうなほど見張って、相手を見つめた。
「……なぜ、ここに?」
「……ウサギを獲ろうと思って罠を仕掛けたら、仔熊がかかっちまって。外そうとしたら親熊が来て、殺されそうになったから走って逃げた。──そしたら、ここに……」
「ウサギ? 仔熊……?」
 男は笑っていいのか、それとも呆れた方がいいのかというような曖昧な表情を受かべた。

「下々の者のようななりをして、ウサギ……ですか。一体、何をなさってるんです、兄上」

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