闘犬アッシュ11
Voiceが先とか言っておいて、なぜか闘犬です。
どちらかと言えばVoiceが書きたい気持ちが強いんですが、楽しみと言われちゃうとつい張り切ってしまう(^^;)
すみません、再び一人パリポタ祭りが来てまして(セブリマ、シリハリ、ドラハーとことごとく原作から逸脱しきってますが……)あれこれ漁って読みふけっていたため何にも書いてませんでした。全盛期に比べると激減してて悲しい。ドラハーとか、海外の二次を翻訳してくださってる超長編サイトさまとかあって(未完結でしたが)すごく楽しかったのになあ。
というのも、観てなかった 謎のプリンスと死の秘宝計三作を今頃になって観たからです。原作付きの映画で出来が良かったと思ったのはロードオブザリングくらいですが、ハリポタはずいぶん頑張ってた映画だと思います。ただ、私が好きな台詞だったり、シーンだったりがスルーされてしまっていることが多く、あまり観る気にはなりませんでした。死の秘宝もねー……序盤のダドリーとのやりとりと、クリーチャーとの和解のシーンはかなり好きなシーンなので、無いことにやっぱりな……と思うと同時に結構ショック受けました。それで思わず本を全部読み直したら、うおーシリハリ、うおーセブリマ、ドラハー、うおーうおーってなっちゃったわけです。関係ないけど、ビルとフラーのカップルはかなり好みです。
でもハリポタはここまでにして(自分で書きたいとは思わないんですよね、不思議と)そろそろまじめにアビスに戻ります。
以下、闘犬。
これから登校するルークとは駅で別れ、アッシュは初めて一人で地下鉄に乗った。
真っ暗なドアのガラスに、どこか輪郭のゆらいだ己の顔が映る。こんな風に自分の顔が見られる機会は、今までもきっとたくさんあったのだろう。目にも入っていたはずだが、それはこれまでアッシュの意識の外にあった。
アッシュはじっとその顔と向かい合い、見つめ合った。
ガラスに映る顔では、確かにルークとお揃いだと思った緑の目も黒っぽく写り、本来の色がわからない。アッシュは目を閉じて、ルークの瞳を思い出す。自分のものよりほんの少しだけ明るい、美しい新緑の色を。その瞳がゆらゆらと左右に揺れながらまっすぐにアッシュに合わさった一瞬、震えるほどの歓喜を感じた。ルークの瞳は、たとえその視界に何も映していなかったとしても、何よりも雄弁に彼の内面を映す鏡だった。素直で優しく、感情豊かで、ある種の激しさをも秘める。その瞳を見て、彼に魅かれないでいられる人間がいるとは思えない。ルークを傷つけた子供も、本当は別の言葉を彼に言いたかったのかも知れない。あの透き通った瞳が決して自分を映さないことを、認めたくなかったのかも知れない……。
ルークは家を出る間際に、来られるときには気軽に遊びに来いと、アッシュに鍵をくれた。
さすがに、これが簡単に他人にくれてやれるものでないことくらい、アッシュにもわかる。気持ちはとても嬉しいが、不用心が過ぎるとアッシュが渋い顔で説教を始めると、ルークは取って付けたように、一人では逆に不用心だからと付け加えた。
アッシュはポケットに手を入れて、中でその鍵を握った。これはアッシュにとって三つ目の宝物だ。決して無くしてはならないものだった。こんなふうにポケットにただ突っ込んでいるのは怖い。だが、絵本やブウサギと一緒に、地下牢に置いていくのも不安だ。ヴァンは無くさないようにずっと持っておく良い方法を知っているだろうか? 彼はそういったものを山ほど抱え込んでいるから、何か提案してくれるかもしれない。
目的の駅で降りて歩き出すと、道路脇に止められた大きな車から女が一人降りてきた。
見覚えのありすぎる懐かしい姿に、アッシュは息を飲んで立ち止まった。声をかけ、顔を見たかったが、迷惑になるのではないかと戸惑いながら見つめる先で、女はドアを開けてくれた運転手になにか告げ、車がどこかへ走り去るのを見送ってから踵を返し、アッシュに気付いた。女は一瞬、見たものが信じられないというようにぽかんとし、次いでみるみる喜色を浮かべて駆け寄ってきた。
「アッシュ!」
「マリィベル」アッシュも破顔して自分からも距離を詰め、女がアッシュの両腕を掴むのを許す。「すごく会いたかった。元気そうで嬉しい」
「私も会いたかったわ、アッシュ! すごく見違えたわね! それに、あなたがこんなふうに一人で外を歩いているなんて……それじゃ、あの胸くそ悪い──ああ失礼──地下牢は出たのね?」
「いや」
「え?」マリィベルはふと顔を曇らせ、次いでふと気付いたようにアッシュの胸に手を当てた。「血が少し……。ヴァンはまだ……」
「これは違う。これは多分俺のためだった。でももうやらないから」
アッシュは大慌てで首を振った。大部分がコートで隠れているし、アッシュ自身はほとんど意識していないのに、案外人は目敏く小さな血の染みを見つける。「格闘技の試合に飛び入り参加することになって」の言い訳で、元々そういったものに興味のなさそうなローズたちはひとしきり感心したあとすぐに興味を失ったが、これがリグレットのような好奇心の強いタイプだったら、興味津々であれこれ聞き出そうとしたあげくアッシュにボロを出させただろう。
「でも、」
「ほんとなんだ。『これ』は仕事じゃなかった。ヴァンは知らないやつとの試合が俺の気晴らしになると思ったんだ。俺も多分……少し面白かった気がする」
アッシュはそうマリィベルを宥め、次いで少し気落ちしたように言った。「……マリィベルは、前より綺麗になった。俺はヴァンがなぜマリィベルを取り戻しにいかないのかって思ってたけど、これじゃ仕方ない」
「ま、口が上手くなったわね。けど、ヴァンはもう私のことなど忘れて──」
アッシュははっきりと否定の意思を籠めて首を振り、マリィベルの言葉を遮った。そして話題を変えるように表情も変えた。「……マリィベルは、どうしてここに?」
「……ここよ。予約しておいたバースデーケーキを受け取りに来たの。ここのケーキ、子供たちが大好きなのよね」マリィベルは真横にあるそれほど大きくないパティスリーを示した。「結構通っているのだけれど、これまで一度も会わなかったわね」
「地下鉄に乗るのは、今日でまだ三回だ」
「そうなの? あなたはなぜ?」
「ルークのうちから帰るところ」
「ルークというのは?」
好奇心をあらわにしたマリィベルの問いに、アッシュはなんと説明すべきかわずかばかり首をかしげた。
「一番大好きで、大切な人。ピアノを弾くんだ」
結局、それが一番当てはまるだろう言葉をなんとかひねり出すと、マリィベルは一度目を見張り、次いで楽しそうな笑い声を立てた。
「『士別れて三日なれば、即ちさらに刮目して相待すべし』と言うけれど本当ね。あなたに会えなくなって、もう二年も経っているんだもの、本当に見違えるようだわ。あなたが他人に興味を持つようになるなんて……良かった……」
「マリィベルも、会えばきっとルークが好きになる。元気で、きらきらしていて、とてもかわいいから」
「ふふ、あなたがそんな風にのろけるなんて! ……でも、どうしてそんな男の子みたいな愛称なの?」
「愛称? ルークは男の子だ。グランコクマ高等音楽学院に通ってる」
「男の子?! ファミリーとは無関係の子なの?!」マリィベルはさすがに一瞬驚いた顔をしたが、すぐに納得したような笑みを浮かべた。「……あなたには家も立場も年齢も、関係ないのね。彼もあなたのことを大切に思ってくれている?」
「──多分……好きになってはくれたみたいだ。いつでも来れるように、家の鍵をくれた」
「家の鍵?! まあアッシュ、素晴らしいわ。それは好きになってくれただけじゃなく、信頼もされているということよ。ルークは人を見る目があるわね。だってあなたほど信頼できる人はいないわ。……良かった。私たちのほかにも、あなたを愛する人はちゃんといる。あなたも、人を愛せる。……安心したわ」
少し目を見張ってアッシュはマリィベルを見つめ、柔らかい笑みを浮かべた。
「俺も安心した。マリィベルが好きでもない男と結婚させられると聞いて、俺はひどい目に遭ってないか、泣いてないかずっと心配してた。マリィベルはヴァンのことが好きだっただろう。でも、前より綺麗になったし、幸せそうに見える」
二年前は、もうマリィベルのことは忘れろというヴァンに腹を立てもした。優しいマリィベルが大好きだったから、会えなくなるのも嫌だった。だが、完全に無表情になってしまったヴァンに、結局アッシュは何も言えずじまいだった。マリィベルを失って、アッシュは取り戻しかけていた人間らしさをまた見失ってしまい、ヴァンもまた、それまで持っていた青年らしい快活さを失った。マリィベルがそんなふうに心を動かさない人間になってしまうのを密かに恐れていたが、マリィベルは別れの日から一歩も動けずにいた二人と違い、強制された人生の中から、自分の幸福をきっちりつかみ取っている。後に残したアッシュのことを、今も気にかけてくれる余裕があるほどに。
「もちろんよ。そうね、あのとき逃げてヴァンと一緒になっていたら、なんてことも喧嘩すると考えたりするんだけど。夫は美男ではないけれど、家族を大事にしてくれてるし……今はとても愛しているの。それに、毎日命の心配をしてハラハラすることはないものね」
アッシュはその言葉に胸を突かれた気がした。しばらくマリィベルを凝視し、ややあって居たたまれないように目を伏せる。「……ルークとずっと一緒にいたいと思ったら……俺もルークにそんな思いをさせてしまうということなのか?」
「それは……そうね。あなたたちの立場には命の危険がつきものだもの。心配しないではいられないでしょう」
「……俺も本当はわかってた」二人のほかには誰も聞いていないことはわかっていたが、アッシュは目を伏せたまま、声すら潜めてマリィベルに問いかけた。「ヴァンの仕事は……『先代』のころから俺がやっていることは、良くないことなんだな」
「……少なくとも、一般の人々はマフィアとお近づきになりたいとはあまり思わないでしょうね」マリィベルは『アッシュのやっていること』には触れずにそう言った。
「なら、どうしてマリィベルは、ヴァンと?」
「彼がマフィアの組織の跡取りだなんて、知らずに好きになったんだもの。仕方ないわよ」マリィベルは哀れむような苦笑を浮かべた。「あのね。よく女は港に、男は船に例えられるけど、私は逆だと思うの。女は愛する男ただ一人を頼みにいくらだって国境を越えることができるわ。でも男は違うのよね。生まれ育った『世界』を離れたがらないの。ヴァンもそう。世界の境を越えられず、私の手を離した。──アッシュ、きっと彼、ルークもそうよ。ルークが女の子なら、何もかもを捨ててあなたの世界に飛び込んできてくれるかも知れないわ。けれどルークは男の子なんでしょう? 彼はきっとその境を越えてはくれない。彼とずっと一緒にいたいのなら、あなたが今いる世界を離れて、彼の属する世界に行くしかないの」
ヴァンにそれを聞けないでいたのは、ヴァンもどこかで己の仕事を忌んでいるそぶりがあるからだ。他の誰も気づいていないだろうが、ヴァンはアッシュの前でのみ、多少の隙を見せることがある。アッシュが『人間のように』あれこれ考えたりするなどと、おそらく思っていないだろうからだ。
ふと、己の両手を見つめた。無慈悲に、無感情に、汚らしく、惨たらしく他人の命を刈り取ってきた手。ヴァンの代になってずいぶん減ったとはいえ、今もなお血に染まることが多い。おそらくは、今日も。
ぐ、と固く拳を握ると、胼胝や太い血管が浮かび上がる。ピアノを弾くルークの、白く、華奢な手とは大違いの醜い手だ。その手に、ルークよりもさらに華奢な手がそっと触れた。
「ねえアッシュ。あのとき……私がヴァンとお別れしたとき、あなたにした愚かなお願いを撤回させて。アッシュ、あなたはもうヴァンから離れた方がいい」