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N○Kスペシャル

今日放送の「沢木耕太郎 推理ドキュメント」とても楽しみにしていました。

その昔私は沢田教一さんに憧れて戦場カメラマンをめざし、専門学校で写真を学んだんですが、結局初就職はスタジオで、その後舞台写真のフリーカメラマンのアシスタントを経て広告デザイン事務所……といういかにも怪しい道筋を辿って今ここに至ります。でも人生が全く報道写真とはかけ離れたものになった今でも、やはり沢田教一さんの写真集だけは手放さずにいます。(思えば在学中に野坂浩さんの写真集に初めて触れたとき、道は外れていったのだなあと)

中学生だったかな、高校受験のストレス発散のためにいつも訪れる場所が図書館だったのですが、そこでなにげなく見た「ベイルート1982」というイスラエル軍によるパレスチナ人虐殺の写真集が運命の分かれ目でした。今ある私、という人間を作るのに、要所要所で本が果たした役割は大きいと思いますが、これがそのうちの一冊と言えます。中の一枚はコメント込みで今でもトラウマになってますけど……。(一見、殺害され、倒れた一人の老人が写っているだけのように見えます)

沢田教一さんの運命の一枚(私にとって)はピューリッツァー賞の「安全への逃避」ではありません。名もなき一人の米兵を撮ったものです。『ジャングルの朝 タバコを吸う負傷兵』というもの。かなりのイケメンなんですが、その目つきが。鋭いとも言えるし、どこかうつろとも言える、なんとも深遠な目つきでファインダーを見ています。

コメントにはこのようなことが書いてあります。
ベトナム戦争終了後4年の,79年、N○Kがここに写った兵士のその後を追うという特集を組んだけれど、この写真をみた国防総省の報道担当官は「多分探しても無駄だろう。彼の顔はすでに生きている人間のものではないような気がする」とつぶやいたとあります。実際見つからなかったようです。彼の所属していた部隊の名簿の大半は、死亡者、行方不明者のものだとも。写真というのはそんなことまで写すのかと、あのときはものすごい衝撃を受けたものです。私のバイブルと言えるマンガ『地雷震』も13巻が一番ガツンときました。

私にとって、これが『安全への逃避』よりも戦争というものの現実を突きつけた一枚であるのと同じように、キャパの写真でも印象に残ったのは『崩れ落ちる兵士』ではないんですよね。なので実は恋人のゲルダが撮ったと言われてもふうん……って感じなんですけど、その後のコメントを聞いていて、少し暴かないでいてあげれば良かったのに……という気持ちになりました。ゲルダがあの世で「それは彼が撮ったんじゃない、私が撮ったのよ!」と主張しているかといえばそんなこともないような気もして。

持ってるキャパの写真集のうち一冊は沢木耕太郎さんが訳されたものです。長いことめくってなくて、コメントとか憶えてないんだけど、ちょっと読み返してみようと思います。

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料理、読んだ本、見た映画、日々のあれこれにお礼の言葉。時々パラレルSSを投下したりも。

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