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闘犬アッシュ34

ようやくヒロインが過去に残留するものに出会えました。以前読んだ「時を超えた恋人」の続編の「魔法がくれたハイランダー」です。間に数冊あったようですが、読んでみようかな。「時を超えた〜」は誰彼構わずおすすめしてまわるようなものではなかったにせよ、面白く読みましたが、次作のあらすじがさほど惹かれるものではなかったので読んでないのです。

これまで読んで来たものと違って、現代でも生活が苦痛に満ちたものだったので残留もありか、とは思うけれども、オチを見る限りでは戻っても大丈夫だった気もする。なにより、獣医になりたいという夢はどうするのかな、と思いはするんですが……。

「恋はタイムマシンに乗って」は帰還組。酔っぱらった研究者に体験実験のため過去に送られたヒロインと、渋い傭兵のお話です。とはいえ、少し変則的なH/Hであったので、むしろ帰還のほうが違和感がありませんでした。気軽に行ったり来たりが出来る設定もお約束。けれども上のより好きかも。目新しい設定ではないので、途中でオチ的なものに気付きますが、それでも面白かったです。タイムスリップもの読みたいなあという方には、これも面白かったですよ、と軽く薦められるくらいには。

でも手当たり次第に読みたい、という衝動は薄くなってきたので、そろそろアシュルクに気持ちを入れ替えようと思います。闘犬と同時に「アシュルク超SS ロマンス小説風」も書き始めたんですが、これがエロシーンとか書くよりよっぽどこっ恥ずかしくて死にそうです。

 

 正面玄関前のアプローチまできたところで、破壊された両開きの扉の陰に怪我人を引きずり込んでいるバダックを見つけた。
「あいつだ。死体の回収のために投げ込んできやがった」赤いタールを塗りたくったような顔面からぎらぎらした両目を覗かせて、バダックが顎をしゃくる。
 その方向を向いて、アッシュは眉を寄せた。背の高い男が一人、先刻アッシュが頸骨を折った男を抱き上げて巨大な門扉の脇に止まった車へ歩いて行く。邸内には多くの死体が転がっているが、そのまま放置されているところを見れば、先ほどの男だけは少し特別だったのかも知れない。
 この男を倒しさえすれば、さしあたってヴァンとルークには危険がないはずだ。ヴァンが敵の息の根を止めていたということは、殺さずに帰してやらずとも良いのだろう。
 アッシュは男を目がけてまっすぐに走り、地を蹴ってその後頭部に膝を叩き込んだ。だが直前で男は大切な死体を放り捨て、両腕を交差してその攻撃を阻んだ。その腕を蹴って後ろに飛びすさる。
 浅黒い肌、少し長めの、金色の髪。
 あの日、廃ホテルで声をかけてきた男に間違いはなかった。
 二人の間を隔てるものはなにもなく、しばし二人はそれぞれ構えたまま睨み合う。思った通り、ウパラと呼ばれるこの襲撃の主犯はアッシュと同じくなにがしかの武術を修めている。かなりの使い手だとあの時感じたのは間違いじゃない。相手も同じように悟ったか、アッシュの様子を探ってはいるが仕掛けてはこなかった。
「お前……」
 男はふと整った顔をいぶかしげに曇らせたが、ふいに面白そうに口元を歪めた。
「その紅毛、憶えてるぜ」
「俺も憶えている」
「……なるほど。調律師なんかじゃなかったわけだ。用心棒か。──そのわりには役に立ってなかったようだが」
 ルークはともかく、自分が何ものであるか名乗った憶えはない。ルークの付き添いと勝手に勘違いしたのは男の方だった。
「 “それ” はな、俺の幼なじみだ。ずっと一緒にやってきた」
 男はアッシュから目を逸らさずに言った。アッシュも男を見据えたままでいたが、 “それ” が男が抱えていた死体を指しているのはわかった。
「ヴァンが招待したわけじゃない」
「殺したのはお前か?」
「ヴァンを狙うなら何度でも殺す」
 男の全身から蒼い炎が噴き出すのが見えたような気がした。
「てめえ……」
 腰を落として構え直した次の瞬間、アッシュは真横に飛んだ。車から降りて来た第三の男が銃口をこちらに向けるのが見えたからだった。そのまままっすぐに駆け抜けてアプローチを横切り、植え込みの陰に転がり込む。銃声が止み、はっと顔を上げたときには、車は高いスキール音を上げて門扉から出て行くところだった。
 二、三歩を踏み出したところで立ち止まった。人の脚で追いつけるはずなどないし、アッシュは銃を持っていない。満身創痍のヴァンには、早急に手当を受けさせなければならなかった。
 小さくなって行く車の尻が、完全に視界から消えるまで底光りする目で見つめる。地鳴りのような唸り声が喉から漏れているのにも気付かないまま、アッシュは血と木片を踏みつけながら玄関ホールを抜けてヴァンのオフィスへ戻った。芸術的なまでに細かく彫刻された一枚板の両扉は、もう永遠に手に入らないものだ。ヴァンは嘆くだろうが、アッシュには何の意味も思い入れもないものだった。

「歩けなくなるかも知れない?」
 シャワーを浴びて血を落としたところで、アッシュはヴァンのために呼ばれた医者に捕まった。怪我人を危うく一人見過ごすところだったのに気付いた医者は、強引にアッシュの治療を施したあとで、ヴァンの容態をアッシュに教えた。
「リハビリ次第じゃが。よしんば車椅子を回避できても、杖なしの生活は難しいじゃろ」
「そうか」アッシュは頷いた。「……歩けなくなっても、リグレットはヴァンと結婚してくれるのかな」
「リグレット・オスローか? 前にタブロイド紙で見たが……。そんな話になっとったのか? マリィ嬢ちゃんとは、ずいぶんタイプが違うようじゃが」
 首をひねる老医師に合わせてアッシュも首を捻り、少しだけ考えてから横に振った。「俺はよく似ているような気がする。顔は似てないけど」
「リグレット・オスローのう……。あれは傾城の美貌じゃな。じゃが、あの二人、性格が似とるのか……」
 どこか感心したように頷いている老医師を尻目に、アッシュはヴァンの寝室へ歩き出した。
「本人が思っておるよりずっと重傷なんじゃ。難しいかもしれんが、出来るだけベッドに縛り付けておくんじゃな」
「わかった」
 アッシュは神妙に頷いた。

「そんなふうに不機嫌な顔しないでくれないかしら? 年明けに婚約発表したとき、なぜ恋人の一大事に顔も見せなかったのかって叩かれるのはごめんなのよ」
「顔を出すなと言われたことにすればよかったろうが。危険なのは皆わかっている」
「そういう言いつけをおとなしく聞くような女じゃないってことも、わたしのファンならみんなわかっているのよ」
 ヴァンとリグレットは、爆発物を見るような目でアッシュの手元を凝視しながら言い争っていた。アッシュは届けられたたくさんの見舞い品の中から、エンゲーブ産の一等級である焼き印の押された箱の林檎を取り出して、皮を剥き始めている。ヴァンは甘いものをあまり好まないが、フルーツなら文句を言わずに口にする。これまでのように歩けないかも知れないと言われて、少しばかり食が進まなくなっているので、こういったおやつを与えるように医者に言われたのを、アッシュは忠実に守っているのだ。
「──それでお前は何をしている」
「林檎を剥いてる」
「そんな甘そうな林檎、食わんぞ」
 クリームイエローの肌の中心部に、ひと際色の濃い半透明の蜜が、大きな範囲で溜まっている。そういう林檎は酸味が少なく、甘みの強い林檎だから、料理には向かないと教えてくれたのはローズだった。
「可愛い弟が一生懸命用意してくれているのに、相変わらずあちこちちっちゃい男ね。わたしもいただいていいかしら? 林檎は美容にいいのよ」
 ちらっとアッシュがリグレットをみやり、口の端に笑みを上らせた。それに気付いたヴァンが、不愉快そうに眉を寄せる。「誤解を招く発言は慎むことだ、リグレット・オスロー」
「生意気よ」ベッドの縁に腰掛けて、ほとんど動くことの出来ないヴァンの額をリグレットが弾く。ヴァンは憎々しげにリグレットの手を払い、アッシュに視線を移した。
「お前にそんなスキルがあったとはな」
「夕食はずっと俺が作ってるんだ。ナイフの使い方もわかってきた」
「まあすごいじゃないの! 料理の出来る男はポイント高いわよ」
「ふん。小僧もうまく躾けたものだ」

 憎まれ口を叩くヴァンに、アッシュは内心でほっとすると同時に、やはりヴァンにはリグレットが必要なのだとの思いを新たにした。他の誰が相手でも、ヴァンはこんなに元気にぽんぽん話さない。それがどうだろう。仏頂面は変わらないしほとんどが口喧嘩だが、なんやかんや言いながらどこかで気を抜いているのがアッシュにはわかる。おそらくはリグレットにもわかっているだろう。リグレットはここにやってきてからずっとヴァンに嫌みを言われているが、それでも一向に腰を上げようとしないのだから。
「あなたの可愛い子は一人で大丈夫なの?」
「ルークは一人でなんでも出来る」
「人は一人だと心細いと思うことがあるのよ、なんでも出来てもね」リグレットは丁寧に手入れされ、エナメルを塗った指先で無精髭に覆われたヴァンの顎をくすぐりながら言った。「でも、心細いのももう少しでしょう。今度こそ逃げられっこない。捕まれば、あいつ、もう出られないわよ」
 剥いて八等分した林檎をサイドテーブルに置いて、出たゴミをまとめていたアッシュは、その言葉にふと顔を上げた。「ほんとうに?」
「ええ。今度と言う今度は、あのおばかさんにもわかったでしょうよ、グランコクマの保安局が猟犬みたいにしつこいってことが。生きて掴まった奴は手厳しい取り調べを受けるだろうし、保釈金の額だってあいつが払えるようなケチな金額にはならないわ」
「廃ホテルで会ったのを憶えていて、俺が幼なじみを殺したのを、すごく怒っていた」
「幼なじみ? ああ、あの気取り屋ね」
「廃ホテル? 小僧も一緒にいたはずだな」
 少しだけ低くなった声でヴァンが唸り、リグレットが安心させるように頬をくすぐった。「あの子はマルクト有数の高級住宅地に住んでるのよ? 富裕層のためのアパートメントにね。治安は万全。そんなところでばったり会うことなんてないわよ。それに──あいつはきっとアッシュの兄弟だと思うはず。探すにしたって、どうせ見当違いのところに違いないわ」
「……コンクールの本選は、テレビ中継されるとルークが言ってたが……」
「まずクラシック音楽を楽しむタイプではあるまいよ」ヴァンが嘲笑し、肩から力を抜いた。
「コンクール……。音楽学院の生徒だったわね」リグレットが微かに顔を歪めてアッシュを見やった。「まさかと思うけど、そのとき制服を着ていたわけじゃないわよね?」

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料理、読んだ本、見た映画、日々のあれこれにお礼の言葉。時々パラレルSSを投下したりも。

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