闘犬アッシュ14
引き続き。
展開が早すぎるのが気になるんですけども、ぱきぱきいきますっ。ここから先どんどんR18展開になりますけど、前にもどっかで言ったように、あんまりシリアスな展開にはならないです。ルークはおぼこいし、アッシュはあんななので。
アッシュとキスをしたいとか、こんなふうに触れてほしいと思ったことは、誓って一度もなかったと思う。
けれどルークの身体は、まるでこうなることをずっと前から知っていたようだった。悦びとも恐れともつかない震えが膚の上を這い、身体のうんと深いところで次々と甘い疼きが弾けていく。
アッシュはときおり唇から外したところにまで唇を落とした。鼻の頭や目蓋にクリームが付いているはずなどなく、ルークは遅まきながらクリームがキスの口実でしかなかったことを悟った。そもそも、クリームはほんとうに付いていたのだろうか? ルークは互いの息づかいと、混ざり合う唾液の音でいっぱいになった頭の隅っこでそれをいぶかしんだが、それを指摘する余裕をアッシュは与えてくれなかった。大きな手が、左右の鎖骨をなぞりながらシャツの内側に入り、華奢な首筋を撫で上げる。思わずはっと息を詰めた一瞬だけアッシュの手は動きを止めたが、すぐに不埒な動きを再開した。動悸が早くなり、浅く早い吐息には熱がこもる。
ルークが嫌がっていないのが、そして止める様子がないことがわかったのか、アッシュはルークのシャツの一番上のボタンから、一つ一つゆっくりと外して行った。自分自身を焦らして楽しんでいるようにも、この先へほんとうに進んでも良いのか、まだ決めかねているようにも感じられる、ひどくゆっくりとした触れかただった。あまりに優しい愛撫だったため、その指先には明らかに服を脱がせる意図と欲望があるのに、ルークは恐怖や嫌悪の感情を抱くこともなく、ただ心地よいと感じた。
「おれも触っていい……?」
「ん……」
ルークがアッシュと同じように襟元に両手を差し入れ、手のひらでくっきり浮き出た鎖骨と、少しずつ早くなる脈を感じとる。そこで、アッシュと言う人物を知るため最初に触れた日、枷のようだと思いながらもなにも聞けずにいた、アッシュの首に回る冷たい金属に指が触れた。
その瞬間、アッシュが空気を振動させるほど身体を震わせた。執着していたようにすら感じるルークの唇を振りきるように離し、すでにシャツの第四ボタンにかかっていた両手がルークを押しのける。だが、力を込めたらルークが椅子から落ちてしまうのが理性でわかっているのか、その拒絶にはどこか躊躇と気遣いが見られた。ほんのわずかルークを後ろに反らせ、驚かせただけだ。
アッシュはまるで凍り付いたように動きを止めた。呼吸すら、止めてしまったように思えた。ルークは一瞬だけたじろいだものの、すぐに決然と唇を固く引き結び、再びアッシュへと両手を差し伸べた。アッシュは、決して力任せにルークを突き飛ばしたりしない。それは絶対の信頼だった。
でも、アッシュが嫌がったら、駄目と言われたらやめよう……。
ルークは全身でアッシュの反応を窺いながら、ゆっくりとそれを探った。拒絶が怖いからではなく、アッシュを怯えさせたくなかったのだ。アッシュは、まるでルークの手を避けるようにかすかに上体を反らしたが、なおもルークが手を伸ばし、それに触れると、固く身体を強ばらせ、喘いだ。触れる首筋はわずかな時間に汗でびしょぬれになって、冷えきっている。
それの内側にはなめしたた革が貼られ、金属部分が直接触れないようになってはいた。だがルークは、そこに思いやりではなく、禍々しさを感じた。首輪と──ルークはそれが首輪であることをもう疑ってはいなかった──アッシュの首の間には、ルークの指がやっと通るほどしか隙間がない。忙しなく呼吸するたび、首まわりが膨らんでぴっちりと首輪に食い込んでいるのだ。実際に窒息するほどではないにせよ、これを息苦しく感じない人がいるわけがない。
首輪を一回りして、ルークは留め金を見つけ出した。何度も指で確認するが、鍵のようなものはない。アッシュは身体を強張らせたまま、息を潜めてルークの行動をうかがっていた。ルークの身体などすっぽり包み込んでしまえるアッシュの大きな身体が、怯える小動物のようにぶるぶると震えている。汗で濡れそぼった全身から、恐怖が立ち上っているようだった。なぜ。なにをそんなに恐れているのだろう。まるで外せば爆発すると言わんばかりの反応だ。或いはなにか災いが降り掛かる呪いの封印のような。
ふいに、ルークは強い怒りを感じた。
誰が、何のためにこんなものを人につけた。奴隷の首枷のように。犬のように──。
ダメと言われても外してやる。
義憤と、強い衝動に、ルークは逡巡したのが嘘のような思い切りで枷を外した。しんとした部屋に、首枷の外れる音が大きく響き、ルークの手の中に重い金属の固まりが落ちてくる。それはルークの予想以上に重く、心まで凍り付きそうなほど冷たかった。内側だけは体温でほんのりと温かいが、それが一体なんの救いになるというのだろう。
「……ど、どう……?」
「ど、う……とは……?」
「なんか気分悪いとか……ねえ?」
「なにも」アッシュは呆然としたように呟き、首に触れた。「──なにも起こらない。なにも変わらない、ルーク。なにも……」
やはり首輪を外すことで起こりうる何かを、アッシュは恐れていたのだ。
「これを外したら、何が起こると思ってたんだ……?」
耳を澄ませるルークの耳に、逡巡するように乱れた息づかいが聞こえた。
「傷つけてしまうかもしれないと思った。ルークを……」
「おれを? どうして?」
「……これが外れると、頭が冷たくなって……どう言えば……」
アッシュは言いよどんだ。言いたくないことを濁そうとしているのではなく、単にうまい説明が出来ないようだった。「……これがここに無いと、俺が俺でなくなる。一つの声しか、耳に入ってこなくなる。終わっても、いつもの俺には戻れない。これが填まるまで……」
「……なんて言われんの」
「『殺せ』」
「こ──殺せ? な、なんで」
「仕事だから。俺は、そのために引き取られて、効率よく人を壊す方法を教わった」
「も、もし 断ったら……」
「鞭で打たれる」
毛足の長い絨毯が、重い首輪を受け止める鈍い音がする。ルークは床に首輪を放り捨て、まるで穢れたものを振り払うように手を振った。そして片足を椅子の上に引き上げて伸び上がり、手探りでアッシュの頭をぎゅっと胸に抱き寄せた。アッシュの腕がおずおずと上がり、迷うように触れたり離れたりしたあと、すがるようにしがみついてくる。
「俺を嫌いにならないで」
返事の代わりにルークはますます強くアッシュを抱き寄せて、その髪をそっと撫でた。ゆったりと安心させるように身体を揺らして、あやす。子供のころ、泣いて家に帰ったとき伯父がしてくれたように。
「もう大丈夫だよ。ちゃんとおれの声、聞こえてんじゃん」
「……でも……」
「ちゃんと、いつものアッシュだ。もうそんな命令無視していいよ。……もう、そんなところ、帰んなくていいよ……」
身を屈め、固まったままのアッシュの首すじに両手を伸ばし、触れると、そこに首枷とは違う細い鎖があることに気付く。指先で肌に押し付けるよう辿りながらペンダントヘッドを持ち上げると、元のものだろう、小さな円形のものと、憶えのある鍵が触れた。使おうとしないのに肌身離さず大切に持っていたのだと気付くと、その気持ちに胸が詰まった。
首輪はずいぶん長い間そこに填まっていたのか、指二本分の幅の皮膚、ちょうど首ひとめぐりぶん、ごわごわとした感触がした。摩擦で荒れ、厚くなったのだと気付き、あまりの痛々しさにルークはそこに顔を寄せて、そっとキスを落とした。息を飲むような気配がしたと思うと、止まっていた時間が再び動き出したようにアッシュがルークの鎖骨のくぼみにキスを返す。
両親も兄弟も、おまけに視力まで失っていても、ルークには優しい伯父がいたし、ピアノがあった。たまには嫌なことや辛いことだってあるが、毎日を楽しく、幸せに生きてきた。
──その同じ世界に、人として生きることすらできない人がいるなどと、想像したこともなかったのだ。
初めて会ったときの言葉のたどたどしさ。言葉は知っていても、人と会話することなどなかったのかも知れない。彼の食事の仕方を笑ってしまったことにも、苦い後悔がこみ上げる。あれは、笑っていいことではなかったのだ……。
おそらく、アッシュが送ってきた人生はルークの想像を絶するほど過酷なものだっただろう。にも関わらず、初対面のルークに警戒心を抱かせない、優しくまっすぐな気性のままこれまで生きのびてきたということ、これほど生きてきた環境が違うのに、その人生が交わったことが、信じられないほど奇跡的なことのように思える。
二度目に会ったとき、アッシュはその性質にまったく似合わない血と死臭をまとわせていた。ルークの理性、冷静な部分は、彼とあまり深く関わるなとずっと警告していたが、そうすべきだとは思わなかった。こんな恐ろしいことを聞いた今でさえ。親を失った小さな子を放り出すような罪悪感と、ひとりぼっちの自分を支えてくれる庇護者を失うかもしれない恐怖感。そんな打算的な感情の向こうに、もっと強かで、熱く、それでいて脆く壊れやすい、まだ育ちかけの小さな想いがあることに、もう気付いてしまったのだ……。
ルークはアッシュの髪に何度も指を通し、耳の裏をくすぐり、うなじを撫でて、今度は自分からキスするために身を屈めた。