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闘犬アッシュ 5話

五話目です。
少し先の話が自分で一番楽しく書けてしまっているので、そこに至るまでの道筋がなんかもどかしい……。

リグレットが出てますが、名前と容姿を借りただけで中身別人です。容姿にも実力にも恵まれてなにもしなくても地位は向上していくのに、本人の趣味で地位と力を持った男性諸氏の間を愛人のように渡り歩いているしたたかな女性というイメージ。ヴァンには「あなたが本命よheart04」などと言っているようですが。(本業が女優なので、どこからどこまでが演技なのか……?)

二つ名メーカーにまたお世話になりました! (ちょっと癖になるなあ、あれ)だけど誰の名前だったか忘れましたsweat01 チェインなんとかはナタリアの奥義をくれた英雄のおっちゃんだったかも。

 その闘技場は、大胆不敵にもグランコクマの一番街に古くからある会員制カジノの地下にあった。
 ドレスコードが厳しく定められているため、ヴァンは途中で贔屓にしているテーラーに顔を出し、アッシュにまでディナージャケットを着せた。既製品などあるはずがないので、それほど体格の変わらない部下から借り受けたものの微調整を頼んだのだ。

 午後八時すぎにカジノに到着すると、ヴァンは慣れた様子でクローク係にコートを預け、カジノの中を通り抜けた。顔見知りがやはり多いらしく、あちこちで呼び止められるがすべて如才なく躱していく。後に従うアッシュにも──主に黒いボウタイの上で禍々しい存在感を放つ鋼鉄の首輪に──無遠慮な好奇の視線が絡み付いたが、アッシュがそのどれかにに気を引かれたようすはなかった。案内役に連れられエレベーターに乗り込むと、案内役のボーイはエレベーター内の階数ボタンではなく、小さな携帯型のリモコンで行き先の操作をした。
「挑戦者は本来裏口から入るものだが、着せてみて良かったな。肩幅もあるし、胸板も厚いから礼装が似合う。そうしていると、まるで貴族の子弟のようだぞ」ヴァンは思った以上だった飼い犬の仕上がりに満足して機嫌が良さそうだった。「借り物でなければもっと似合うだろう。今度フロックコートでも仕立てさせてみようか」
 アッシュは呼吸をしているのかすら危ぶまれるほど静かに立ったまま、ぼんやり見つめている場所から視線を動かしもしない。ヴァンの正体を知っているボーイが、巨大マフィアのボスを無視するこの首輪の男はなんだろうというように、ちらりと反応のないアッシュに視線を走らせた。

 エレベーターを降りると、そこには照明を落としたレストランのような巨大な空間が広がる。上にもある真っ当なレストランと違うのは、騒々しく、異様な熱気が漂っているところだろうか。真ん中には真四角に切り抜かれた大きくて深い奈落があり、下から白い光が射している。その周りは頑丈そうな手すりで囲ってあり、着飾った人々が集まって、カクテルグラスを手に下をのぞき込んでは喝采を送ったり、席へ戻って食事の続きをしたりしているようだった。
 ヴァンはちらりとそれを一瞥し、まるで興味を示していないアッシュに苦笑したが、結局なにも言わずにボーイに案内を続けるよう促した。

「ヴァン! ヴァンじゃないの!」
 突然、その手すりに集まった人々の中から金髪の女が声を上げた。
「……リグレットか」
「ねえ、ワンちゃんはどうしちゃったの? 今夜はずいぶん雰囲気が違うわ。まるで貴公子みたいよ。いつもより……」リグレットはそういって綺麗に飾られた長い爪の指先でアッシュのボウタイを引っかけた。「……逞しく見えるみたい」
「気に入ったのなら持ち帰ってもいいぞ。明後日には返してもらわんと困るが」舌なめずりせんばかりの視線を上下に走らせたリグレットにヴァンが苦笑すると、
「あら! 私はあなたに持ち帰って欲しいのに」
 リグレットはしれっとした顔でヴァンの腕に自分の腕を絡めた。
「構わんが、お前のパトロンはどうする?」
「モースのこと? 別にいいわよ。彼は私より『エクリプステンペスト』の快進撃に夢中」
「この世に、お前より興味を引く存在があるとはな」とヴァンは嘲笑し、ちらりとアッシュに視線を流した。「ならば今夜はその快進撃を止めてやろう。──だがまあ、先に食事にするか。食事がまだなら、お前も来るといいリグレット」

「ワンちゃんの出場はずっと断っていたのに、一体どうしちゃったの?」すがりつく連れを振り切って、リグレットはヴァン、アッシュと同じに席に付くなりそう問うた。「死なれたら困るってずいぶん惜しがってたじゃないの。もう飽きちゃった?」
「この犬が私の愛人の一人だという噂は一体どこまで広まっているんだ」ヴァンはおかしそうに笑って言った。
「違うの?」
「あいにく男は趣味じゃなくてな。もう少し可愛らしければ、なんとか相棒をその気にさせてみるが」
 見た目にも美しく整えられた前菜を逆手に持ったスプーンでぐちゃぐちゃに食べているアッシュを眺め、テーブルマナーを仕込んでみるのも面白いかもしれん、と呟いたヴァンは、愛犬を撫でるようにアッシュの頭を撫でた。「それに、これは今、血統書付きの子犬に夢中でな」
「あら」リグレットは興味を引かれたようにアッシュを眺めた。「その幸運なおチビちゃんはどこの誰かしら」
「グランコクマ高等音楽学院、ピアノ科の生徒らしい」
 それを聞いたリグレットは意表を突かれたような顔をして瞬いた。「グランコクマ高等音楽学院? ……お嬢様じゃないの、それも才能のある。ああ、奨学金もあるからお嬢様とは限らないけど、あそこは入るの難しいわよ?」
「いや、それが男の子でね」
「ええ?! いやだ、本当に?」笑い出したリグレットに、ふいにアッシュが顔を上げた。
「男でも、ルークは綺麗でかわいい」
「この通り、意外と面食いだったらしい」
「ふうん。ルークと言うのね?」今や楽しくて仕方ないのを隠そうともしていないヴァンをちらりと見て、リグレットは頬杖を付いてアッシュの方へ身を乗り出した。「私とどちらが綺麗?」
 アッシュは興味なさげな視線をちらりとリグレットに向け、すぐに分厚いステーキに視線を戻した。「……ルーク」
「ま! これだから恋する男と言うのは嫌なのよ」
 つまらなそうに肩をすくめるリグレットのグラスに、ヴァンが宥めるようにワインを注ぎ足し、慰めた。「腐るな。いくら恋する男でも、今一番売れている大女優にそんなことが言えるのはこいつくらいのものだろうよ」

 二人はナプキンやテーブルをどれだけアッシュが汚しても気にすることなく優雅に食事を続け、最後にコーヒーを断ってからシャンパングラスを持って立ち上がった。アッシュは命じなくとも首輪を外す権限を持ったヴァンにはおとなしく従う。汚れたナプキンを首から抜いて立ち上がったアッシュの顔を、リグレットが「ハンサムが台無し」と嘆きながら拭うのを待って、三人は中央の手すりに近寄って行った。ヴァンとリグレットに気付いた人々がさっと場所を開けるのに鷹揚に頷き、下をのぞき込む。

「……つまらん試合だ。『エクリプステンペスト』とやらは出ないのか」
 行われていた試合をしばらく見物し、血まみれの死体が袋に詰め込まれて運び出されたあと、ヴァンはつまらなげに鼻を鳴らした。
「二番人気の『チェインミラージュ』は『エクリプステンペスト』を倒すかもしれないと言われてるの。だから今は当たらないように試合を組まれてるのよね」
 派手なパフォーマンスで飛び入り参加者を要求している『チェインミラージュ』を、ヴァンは呆れたように見下ろした。アッシュもその試合を見ていたが、その試合に心魅かれたようすも闘争心を刺激されたようすも特にない。
 ──このくらいならば敵ではないか。
「ルールは一つだ、アッシュ」ヴァンはぼんやりと下を見下ろしているアッシュの背後に回り、うやうやしく上着を脱がせ、首輪に手をかけた。ガチャリと重い首輪が外されると同時に、どこか幕がかかっていたようなアッシュの瞳が急に鋭いものに変わる。

「『殺せ』」

「やだ、ちょっと!」
 リグレットの悲鳴と同時にアッシュは手すりを掴み、体重を全く感じさせない無造作な動きで六メートル下の空間に身を踊らせた。


※ヴァンの相棒とは、ヴァンのアレのことです。

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