闘犬アッシュ4:::再アップ:::
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「ふうん……それでおじさんは、その人がルークのお兄さんじゃないかって思ってるんだ?」
ランチの紙袋の中から薄いビスケットを取り出したルークからそれを取り上げ、ボリューム満点のチキンカツサンドを握らせながらアニスが言った。ルークが用意してきたランチはまるごとのオレンジ一個と薄めのビスケット数個、紙パックのレモンティーなのだが、どうもアニスのお気には召さなかったようだ。オレンジは香りが漂っているところをみると誰かが剥いてくれているようだが、ビスケットは取り上げられてしまった。たぶん、ランチではなくおやつにされるのだろう。
「……サンキュ。おれの髪の色って珍しいんだって。なのに色も同じ、顔も似てるってなるとさあ」
「髪に触るよ──うん、確かにね。あんまりないかもぉ。少なくともあたしはルークとおじさんの他には見たことないもん。おじさんの真紅も綺麗だけど、特にルークのはすっごく目立つ色なんだよ。暖炉のね、炎みたいな。すっごくあったかい色」
そう言われて、ルークは暖炉の温もりを思い浮かべた。それがどんな色なのかはわからない。だが、あの暖かいものに似ていると言われるのはそれほど悪くない気分だ。
「でもさあーそれとこれとは別。ひと言言わせてもらうよ。ルークってほんと危なっかしいんだから! 特にグランコクマは物騒なとこも危険なヤツも多い大都会だっていうのに、ばったり会っただけの知らない男を自宅に入れるなんて! もしも変なやつだったら、ルークなんてあっというまにレイプされて終わりだよ」
席にしんとした納得の気配が漂うのを察し、ルークは慌てて言った。「アッシュは男だぜ? おれだって男で、アッシュはちゃんとわかってると思うけど」
「甘いですわ、ルーク。世の中には同性を好きな男性もいて、その中に危険な人がいる割合は、女性を好きな男性の中に危険人物がいる割合と変わらないと思いますわよ。女性が性暴力の脅威にさらされているのと同じくらい、ルークは同じ脅威にさらされていると思うべきです」
なんでだよ、という反論は、次いでティアにも封じられることになった。「美少年、というにはあなたの顔は可愛らしすぎると思うのだけど、私もあなたはもっと用心すべきだと思うわ」
そうは言われても、ルークは自分の顔すら知らないのだ。みんなが可愛い顔だと言ってくれるので、変な顔ではないのだろうと思っている程度だ。可愛い顔、というのがどういうものかもわからなかったが、こんなふうに言われるとなるとあまり良い褒め言葉とは思えなかった。ルークにだって、男としての矜持があるのだ。
「……わかった。次回から気をつける。けど、おれだって誰彼かまわずうちに連れて行ったりはしねえよ。今は病院だけど、うちには伯父さんだっているんだし。けど、アッシュは……絶対そんな変な奴じゃない」
ルークはあのとき、少しでも一緒にいたいと思った気持ちをどう説明すればいいのかわからなかった。アッシュは無口で、秘密主義で、とうてい話していて楽しい相手とは言えない。ほとんどはルークが一方的に話し、うちにだってほとんど強引に連れてきたようなものだ。アッシュはきっと優しい人だから、目の不自由なルークのことを心配して送ってくれたのだと思う。
戸惑いながら地下鉄に乗り、買い物に付き合ってローズさんから新鮮な野菜や果物の 見分け方を指導され、一度もやったことがないという料理の手伝いをさせて強引に食事を共にしたが、その間アッシュの方からルークに願ったことといえば、廃ホテルで弾いた曲をもう一度聞かせて欲しいと、ただそれだけだったのだ。
ルークのうちのピアノは、ピアニストであった母が弾いていたものだ。古いがものは一級品で、インゴベルトが大切に手入れを続けているおかげで倍音はとても豊かで、現在の一級品にだって劣らないとルークは思っている。
アッシュは少ない語彙を駆使して真摯に褒めてくれた。それはたどたどしく稚拙な表現であるからこそ、通り一遍の褒め言葉でない感動をルークにもたらした。嬉しくて乞われるままに様々な曲を弾いた。うまく弾けないと悩んでいたコンクールの課題曲も、目指すところに近い音が出せた。アッシュはあまり音楽に馴染んで来なかっただけで、感覚は鋭敏なのだろう。それに、自分の感動に非常に素直だった。とつとつと語られる感想は、これまでにルークが気付くことができなかったことに気付かせ、暴いて抉り、更に豊かな音の表現を生み出したのだ。
「俺たちがそのアッシュ、ってやつに会えばどの程度似ているのかわかるのにな。伯父さんのためにも、そいつが死んだと思われてた兄さんだったらいいと俺も思うけど、世の中には似たヤツが三人はいるっていうし……」
ルークの気持ちを汲んだのか、ガイが話の軌道を元に戻してくれる。
「そうね、私も会ってみたいわ。ルークの兄さんで顔も似てるってなるとかなりの美青年のはずだもの」ティアが切りわけたオレンジの器へルークの手を導きながら言った。「ルークが少し歳を取ったところを想像したら……」
「まああ! それはかなり素敵なのではありませんこと?!」
ナタリアの声にどこかうっとりしたような響きが混じる。ルークはコメントのしようがなく、黙って食事を続けた。
ほとんど生まれたときから見えないのだから、見えたらいいなと思うことは多かれど、不自由を感じたことはない。
だが、昨日伯父と話したときほど自分の目が見えれば良かったのに、と思ったことはなかった。もしもルークの目が見えていたら、アッシュと自分に血の繋がりがあるのかどうかすぐにわかったのに。そうしたら、倒れて消沈している伯父をどれだけ元気づけることができただろう。
だが同時に、わからなくて良かったかも知れないと思う自分がいることも否めなかった。インゴベルトはもしも自分になにかあったら、目の見えないルークが一人残されることを非常に恐れている。もちろん、実妹と親友のもう一人の子を想う気持ちもあるだろうが、それ以上にルークの側にもう一人誰かいればと、ルークを助け、守ってくれる誰かがいてくれれば安心出来るのにと思っているのだ。
兄が生きて見つかり、しかも彼がルークとともに暮らして面倒をみていくことになりでもしたら、安心してぽっくりと逝ってしまうのではないか。ルークはそれがとても怖かった。
「今日、また続きをやりに行くんだ。また会えればいいんだけど……」
だが、またあのホテルに彼がいることなどないということも、ルークはわかっていた。