【27】
「ちょっと待ってくれ」ルークは軽く目を見開き、思わずアッシュを押しのけた。アッシュは特に抵抗するでもなく身を離す。
「思うんだけどさ……いや、お前もさっき言ってたじゃん、ここで生まれてくるのはお前の知ってるおれじゃないかもって。おれ、お前が知ってるおれじゃねーんじゃねえ? なんか……お前がおれの知ってるアッシュだとすると、言っていることがすげーおかしいぞ。さっきも不思議に思ったけどお前の言うこと聞いているとまるで……まるで、前からおれに好意を抱いているようにすら思える。それだけじゃない。なんか……おれも同じ、お、想いでいると決めつけてるような……。ガイ、ティア、ナタリア……それに多分イオンとアニスも、おれの知ってるやつらとは違う。だからお前が違っていても、おれは不思議には思わない。確かにお前にはあいつらにはない『以前』の記憶があるようだけど、お前の言う『以前』の世界は、おれの『以前』と同じ世界じゃないんじゃねえか。お前は『以前』、おれ……お前の世界のルークとは友好的な関係を築いていたのかもしれないけど、おれたちは、アッシュはそういう感じじゃ……」
「いや」だがそう言ったとたん、アッシュは即座にそれを否定した。「その可能性があることを否定はしないが……。俺はお前の知る『アッシュ』で間違いないと思う。『あの頃』、確かにお前は俺に憎まれて──嫌われていると思い込んでいたからな」
「思い込んでって……」
困惑も露に首を捻るルークを、アッシュはどこか寂しさの絡んだ笑みを浮かべて見つめた。
「俺は、お前が俺を想っていたことを、お前が自覚する前から気付いていた。その頃から、俺もお前に魅かれていたんだと思う。憎しみは、長くは続かなかったんだ、お前を知れば知るほど……」
ルークはぱちぱちと瞬きしてアッシュを見つめた。あまりにも思いがけないアッシュの告白に、何か言うべき──いや、何か問うべきのように思ったが、それらは一つも口から零れ落ちてこなかった。
「お前は気持ちを俺に伝える気なんかまるでなかったよな。俺の方から動かねえとどうにもならないのは明白だった。お前はお前の仲間たちにとても愛されていたし……どうにか早く俺一人のものに出来ないかとぐるぐる考えたもんだ。そのせいかな、お前も俺の気持ちを──俺がお前を想っていることをもう知っているんだと、どっかで勘違いしたのかな……それが俺の勝手な思い込みだったのだと、お前の記憶を見て初めて気付いたんだ」
「おれの……きおく」
「そうだ。俺は、お前の記憶を持っている。……いや。今はもう、持っていたと言うべきだが」
記憶。
ああ、そっか……。
だからか、と頷いた。どうしてルークがアッシュに特別な感情を抱いていると決めつけるような話し方をするのか、ここに来てからずっと引っかかっていた。
このアッシュの前では、ルークはとうに丸裸だった。何の虚勢も、虚飾も、もう通用しない。
「お前の記憶は音譜盤に記録された情報のように、俺の──元はお前のものだった身体に残してあった。俺は、お前が見聞きしても気に留めなかったようなことも、すでに忘れてしまったことも、お前以上に思い出すことが出来た。その記憶そのものは当然もう無いが、それを見た記憶は残っている。──と言っても、細かいことはもう忘れてしまったが……」
「……」
ルークは目を閉じて軽く頭を振り、長く、大きく息を吐いた。
大爆発が起ることを知っていた。覚悟もしていた。経過が違っても結果が同じだっただけのこと、今更大袈裟にショックは受けない。
だが、大爆発でアッシュに記憶を見られるときはルークはすでに死んでいるはずで、それを見たアッシュに軽蔑されようが嘲笑されようが何のダメージもないと思っていた。だが、己という人格そのものが丸裸になっている今の状態でアッシュに直接対峙するのは、羞恥心を越えて苦痛ですらある。
何をどのようにごまかしても──否定しても。アッシュはルークの気持ちをもう知っている。
「しばらくの間、選択肢を迫られるたび、俺はお前の記憶を掘り起こし、お前が選びそうな方を選択していた。楽しそうな方、賑やかな方、幸せになれそうな方……。お前ならどちらが美味そうだと思うだろう、どっちが好みだと思うだろう、この誘いお前なら乗るだろうか、俺なら放っておくが優しいお前ならきっとこうする──お前なら、お前なら、お前なら……。幸せになれと言われても幸せ、というものが俺にはよくわからず、『幸せになる』という目標のためにとる行動はすべてお前が基準だった。──と言ってもお前の過去の行動や思考から俺が勝手に推測しただけで、実のところ本当にお前がそういう選択をしたかどうかはわからない。だが、今改めてお前を見ていると、そう違わなかったんじゃないかと思う」
ルークは羞恥を押し込めて、目の前の『アッシュ』を名乗る男を見つめた。
人となりなどはまだよく分からない。だが穏やかで朗らかな様子で、アニスや──シンク、部下には慕われていそうだった。イオンだってこのアッシュに好意を持っているようだ。アッシュの前ではどうしても萎縮してしまいがちだったルークでさえ、『アッシュ』であることを疑いならも傍にいることに心地よさを感じる。それは番いと称される関係にあるからというより、このアッシュ自身が男として──人として、『以前』より成熟しているせいもあるのかも知れない。
「……一つだけ言い訳させてくれ」
躊躇いがちにルークを窺うように切り出された声に、ルークはぼんやりと揺蕩っていた思考の淵から意識をアッシュへと向けた。
「な、なに……?」
「『あの時』、相手はお前だと明かしはしなかったものの、この先は気持ちを受け入れることが出来ないと、ナタリアとは話をしていたんだ。時間はかかったが、納得して貰えた──のだと思う。まず、そのことをきちんとお前に話すべきだったのに……時間があまり残されてないと勝手に焦った上、もしかしたらお前はナタリアが可哀想だと俺を責めるかも知れないと……俺を受け入れてくれないかも知れないと、理解してもらえるように話し合う時間と言葉を惜しんだことを許してくれ。だが、嫌がる人間を無理矢理抱くような男だと……如何なる理由があれ好きな奴がいるのに他に手を出すようなけじめのない奴だと、他ならぬお前に思われているのは、少し、辛い」
「──え」
「いや……いや。どう思い返してもお前がそう思うのは当然なんだ。言い訳のしようもない、が」
アッシュは改めてルークに向き直り、感情を量りかねる複雑な表情をして深いため息をついた。「信じられないかも知れないが、あの頃の俺は、馬鹿みたいにお前ばかりを意識していた。切っ掛けはレプリカと被験者のひと番いだったからかも知れんが、それはどうでもいい。ありとあらゆる色に溢れた雑踏で、俺はいつもお前の髪の色を真っ先に目に見つけ出した。町中で誰かと話しているときにお前の姿に気付いたら、早くお前に気付いて欲しくて思わず声が大きくなった。そのくせお前が俺に気付いてぱっと表情を変えれば……嬉しくて──照れくさくて、どうしていいかわからなくなって顔を反らしたり……逃げたりな。
一度だけそれを人に話したことがあるんだが、その人には、まるで小さな男の子の初恋のようだと笑われた。さすがに初恋……ではなかったと思うんだが……そうだ、俺はもうどうしようもないほど、お前に恋をしていたんだ」
じわりと、ルークの内側を燃えるように熱い何かが満たしたような気がした。それは一瞬でルークの頭を灼き尽くして、言葉と思考を失わせた。
アッシュはただ立ち尽くすルークの背を促して歩き出した。もう手は繋がないのかなとぼんやり思った瞬間、まるでその声を聞き取ったかのように、アッシュが再びルークの手を握った。
「遅いよ」
「遅いですよ」
「待ってた……です」
シンク、アリエッタ、白衣の男の三者三様の文句が二人を迎え、ルークは階段を下りきってフロアに足を踏み入れたところで、思わず足を止めた。
「シンクにはタルタロスで会ったな」アッシュは確認するように一人ごちたあと、白衣の男を示した。「今回は『狂医者ディスト』と前と二つ名が違うし、少々人相も変わっているように思うが、同一人物だ。今日はお前の身体を調べるのに力を貸してくれる」
「……洟垂れディストが?」
ぼやっとしたまま反射的に応え、あっけに取られたような三名と、愕然とした一名の顔に気付いてから、ルークはうわっと青くなって両手で口を覆った。
ついぽろりと口から零れてしまったが、このディストの狂気など感じない理知的な表情を見れば、以前のようにからかったり弄ったりしてはいけない人物だとすぐにわかる。
「すまんな、ディスト。ジェイド・カーティスが、これの前ではお前をそう呼んでいたんだ」
かちこちに凍ってしまったルークの背後で、笑いを含んだアッシュの声がルークの代わりに詫びた。
「ディスト、洟、垂れてたですか?」
アリエッタが不思議そうにディストに問いかけるのに、シンクがとうとう吹き出した。
「泣き虫の隠喩ですよ! 鼻なんか垂らしていません!」
「泣き虫だったんだ」
「子供の頃の話です!」
「ご、ごめん! おれ、つい」
「……いえ、いいんですよ」
苦笑するディストに、ルークは慌てて言った。「や、前、あんたはおれたちとそう気安い関係じゃなかったしさ、だからって敵! って感じでもなかったような気もすんだけど……! なんと言うか、なんて言うか……ジェイドはあんたのこと、いつもそんなふうに呼んでたけど、それは悪口ではなくって一種の──一種の、なんていうか、愛情表現? つーの? だからおれたち──」
シンクの笑い声とそれを嗜めるアリエッタの声が、しどろもどろで言い訳に似た何かを必死で言い募るルークの声に被さり、ふと我に返ると、ルークは勢い良くアッシュを振り返った。
「そういえばおれ、まだ今回ジェイドに会ってない。ピオニー陛下も今は皇弟殿下だし、ジェイドはあまり優遇されてないのか?」
「そうだな……。俺にはある意味、以前よりも適材適所で落ち着いたようにも思えるが。物事は一カ所変えるとさまざまなところに影響を及ぼすものだが、それは俺が直接関与したところではないことの一つだ。その辺りのことは、父上ならなにかご存知かも知れん。帰ったら、尋ねてみるといい」
アッシュの言葉に、ルークは虚を突かれた。「父上……?」
何を言われているのかわからない、という顔をするルークに、アッシュは苦笑いを浮かべた。
「俺の人生が二度目だというところから、お二人には何もかも話して、理解していただいている。バチカルで俺とお前のことを知っているのは、俺の知る限りでは父上と母上、それに伯父上とアンヌだけだ。誰にどこまで話すかは、彼らに任せてあるから、今はどれだけの者が知っているかは俺も知らんのだが。ガイやマリィはどうなんだ?」
「ガイとペールは知らない。姉上は……どうだろう。でも多分知らないんじゃないかな」ルークはふるふると首を振って苦笑した。「アンヌ……。やっぱり父上と母上は知ってたんだ、俺がレプリカだってこと……」
「ティアに連れられて屋敷を飛び出すことも、その日付もご存知だ。預言の日までは、俺にもお前にも大禍がないこともな」
ああ、とルークはこれまで不審に思ってきた数々のことがすとん、と胸に落ちるような気がした。下町に行くのに高額なボタンを縫い付けられた服、出されていないティアの指名手配、突然姿を消した息子に慌てた様子もなく侍女を送る両親。ルークの師ではないヴァン──。
ルークの表情を見てアッシュが微笑み、軽く手を引くのに合わせて三人のところに向かう。
「よろしく、ルーク。ボクは神託の盾騎士団第五師団師団長、兼参謀総長のシンク。タルタロスで会ったよね? 話も出来なかったけど」シンクが腰にぶら下げていた仮面を一度顔の前に翳してみせ、手を差し出した。「ボクの顔に全然驚いてない。──本当にボクらのこと、知ってるんだね」
こくこくと頷くルークにシンクはへえ、と年相応に素直な感嘆の声を上げ、アッシュをちらりと見てからルークに視線を戻し、笑った。
「代理の話、信じてなかったわけじゃないんだけど、ね。でも仮面を付けなくていいのは嬉しいな。これ、結構暑いし、邪魔なんだよね」
「……皆おれのことを知ってるんだ」
「なりゆきだが、とても助けられている」
ここに居る者はルークがレプリカであることをもう知っているのだ。そう思うと、常に気を張り巡らせていた身体から強張りが抜けていくような気がして、ルークはふにゃりと頷いた。
「良かったら今度、『以前』の僕がどんな奴だったのか教えてくれない? 代理はそういうの笑ってごまかしてばっかで、教えてくれないんだよねー」
「アリエッタも知りたい、です」
「あ、ああ。でも……」
「たいして変わってやせんといつも言っているのに、お前たちは疑り深いな。なぜそんなに変わっていて欲しいんだ?」アッシュが呆れたようにため息をつく。
「だって同じじゃつまんないじゃない。もっと劇的な人生だったかもってちょっとくらい期待したいだろ」
「……です、です」
「お前たちは『以前』も六神将だったし、出自も二つ名も、ついでに容姿も何一つ変わっておらん。同じ人間が同じ道を通っているのに、そうそう違いがあるものか。大体、お前が知りたいのはそんなことじゃないんだろう、シンク。正直に告白すれば教えてやらんこともないぞ」
「……!」
アッシュがきらっと目を光らせてからかうように言うと、シンクは絶句し、みるみるうちに赤くなってそっぽを向いた。