【18】


《あなたは……もしかして、おれのことを知ってる?》
 老人の様子を見て、ルークはおずおずと問いかけた。夢の中の登場人物が夢を見ている本人のことを知っているかどうかなんて、普通ならまともに考えることさえ馬鹿馬鹿しいが、夢と言うものがルークの深層意識から表れるものならば、そこから生じた登場人物がルークのことを知っていたとして何の不思議もないのかも知れない。
《……いや。ああ、すまない。とても良く似た人のことを思い出してしまってね》
 だがこの夢が本当にそのようなものならば、当然ルークの深層意識は答えを知っているはず。こんな風に曖昧な答えが返ってくるものだろうか。
《その人は……》
《もう何十年も前に、失ってしまった》
 老人は、加齢で黄ばんだ白目の部分を少し充血させていて、たくさん涙を流したのがあからさまな様子ではあったものの、意外にもすっきりした表情で微笑んだ。ルークにはわからないが、ルークとの会話を通して何か老人が抱えていた重苦しいものを解消することが出来たのなら、多分良いことなのだろう。
 ルークはそっか、と呟いて、改めて老人の様子を見つめた。《──ずっと聞きそびれてたけど、あなたの名前を聞いてもいいかな?》
《ああ、これは失礼。……私の名か。私はアレトゼー、あー……ハンス・フォン・アレトゼー、と》
 アレトゼー……。聞き覚えがある名だった。ルークはその名を何度か唇のうえで転がし、すぐに思い出した。それは、ファブレ一門に連なる古い家名の一つだったのだ。
《ファブレの一族の人だったの?》
 すると老人は意表を突かれたように目をしばたたかせ、少し決まりが悪そうに顔をほんの少し反らして頷いた。《──知っていたのか。そうだ、代々王に仕えた騎士の家らしいな。二百年近く前に途絶えていたが、家名を貰って、私が継いだ》
《なにか大きなお手柄があったんだな》
《──そうだな。まあ、子がおらんからまだ途絶えることになろうが》
 苦笑する老人の顔からは、その手柄がどれほどのものかはわからなかったが、その家名にはささやかながら領地も付いているはずだ。少なくともキムラスカという国においては、簡単に下賜されるものではなかった。
《なんて呼べばいいかな?》老人ははるかに年上で、どう呼ぶのが失礼にならないのか呼び名に困って問いかける。
《ならばアレトゼー、と。弟子たちが、いつごろからか自ら『アレトゼー派』と名乗り始めてな、剣を持つものは私を姓で呼ぶようになった。君も剣士なのだろう?》
《う、うん》
 ルークが頷いた時、アレトゼーがふと何かに気を取られたように顔を反らせた。
《声が。……やれやれ、目覚めのときが来たか》
《起きるの?》
《そのようだ。──君がいるなら、このままここの住人になっても良いと思ったが、思うようにいかぬな。だがまあ、やり残した仕事の始末はつけねばならんだろうし……。戻ったらみなが言うよう、少しはおとなしく屋敷にこもっているとしようか》
《アレトゼー家の領地はベルケンド近くの湖水地方だったっけ》
《──地方の小さな土地のことまで良く勉強している》アレトゼーが感心したように頷き、目を細めた。《そう、田舎だが、美しいところだ。いつか、訪ねてみるといい》
《うん……》老人の身体が、まるで音素乖離をおこしてでもいるかのように末端から少しずつ光に変わり、透けていく。これが夢から覚めるということなのか、さすがに二度目なので悲鳴を上げたりはしないが、見ているのが酷く辛い光景であることには変わりがなかった。にじり寄って膝立ちになり、まだかろうじて実体を残しているアレトゼーの身体を抱きしめ、頬に別れのキスをする。
 アレトゼーの目が和んだように細められ、口元が綻ぶ。半分透けた手が、ルークの身体になかば食い込むように回され、お返しのキスが頬に触れた。
《……次に逢ったら、君と剣を合わせてみたい、》

 ──ルーク。

 最後は声になることなく、アレトゼーはぱっと四方に散っていった。抱きしめていた手が対象を失ってぱたりと落ちた。
 両目から涙が溢れ出す。
 アレトゼーは目を覚ましただけだ。きっとそうだ。乖離したんじゃない。そう己に言い聞かせても、イオンの最後の様子がどうしても脳裏に蘇り、例えようのない喪失感は濃くその手に残った。

「ルークさま」

 おれ……?
 アッシュがおれの名前呼んだ……?!

 ルークはカッと目を開けると同時に飛び起きた。起こそうとしていたアスランが驚いて仰け反っている。
「……あっすみません、フリングス少将。……おれ?」
「当て身を喰らわせられたようです。大丈夫ですか?」
「あー……ええ。上手く当てられたようだ」ルークは軽く頭を振って、安心させるよう笑ってみせた。アスランの表情が、ほっとしたように緩む。正体を知っているだけに焦らせてしまったのだろう、呼び名が本名になってしまっている。
 頬を伝う涙の理由には触れず、「そうですか……?」と呟いてアスランはルークから離れたが、いつも優しく笑んだようにも見える顔に、ほんの少し気遣うような色が浮かんでいた。
「ドゥシャンは……」
「つい先ほど起き出して、大使の護衛に向かわせました」
 周囲を見回し、医務室らしきところにアスランと二人なのに気付き、ルークは眉を曇らせたが、どうやら無事なようで安心する。ここは『以前』とあまりにも違う世界、知っている人間の人格などむやみに決めつけられないとはわかっているが、それでもアッシュが人質を取られて無抵抗になったものを害するはずがないと心のどこかで信じていた。
「面目ない。我々も譜術で一撃です。防御の余地もなかった」アスランは自嘲の笑みを洩らし、遠慮がちにルークに問いかけた。「何か……会話があったように見えましたが、『烈風のシンク』から──導師守護役からも『代理』と呼ばれていた男を、ご存知でしたか?」
「──そうかも知れないと思っています、おれの知った人に、声がよく似ていた。だけど顔を確かめる前に、当て身食らっちまったから……。フリングス将軍は? あいつの顔、見ましたか? おれと……いや、どんな奴でした?」
 ルークの答えに嘘はないと判断したのか、アスランも笑みを消して首を振った。
「残念ですが、フードで顔は見えませんでした。体型は……身長は百八十強、細身。……というには少々厚みがある方だったかも知れません」
「え?」
「え?」
「ひゃ……百八十強?」ルークは愕然とアスランを見つめた。アスランはルークのその驚愕に驚いた感じで、見つめ合ったまま何度か瞬きを繰り返した。
「な、何か」
「い、いえ。おれが思ってる奴ならおれぐらい、っていうか……身長、そんなにあるわけなくて」
 被験者ルーク──アッシュとルークに、そんな外見の差があるはずがない。いくら『以前』とこの世界に違いがあったとしても……内面や服装はともかく外見に違いがあった例はなかった。
 ではアッシュだと思った男はアッシュではなかったのか? 少なくとも、声はアッシュのものだったが……。

『さぞ混乱しただろう。すまない』

 あれは、この世界を生きるのに『以前』の記憶に振り回されているルークの現状を知っている、ということか。ならやはりルークが思った通り『以前』のアッシュで間違いないはずじゃないか──。
 ルークは困惑して首を振ってしまう。何故かと言って、ルークを人質に取った男は二度もルークを「ルーク」と呼んだ。いや、ルークがルークと呼ばれるのは当たり前のことなのだが、何がどうあってもその名を呼ばない唯一の人物が、誰あろう被験者ルーク、その人なのである。
 一度くらいはあったかも知れないが……。
 いや……。
 あ……った。
 一度じゃ、なかった?

『ルーク』
(……気付かれる)

『ルーク……』
(……ガイに聞こえてしまう)

『ルーク……ルーク』
(やだ、やだ、や、めろ……)

 ──アッシュ!

「ルーク様?!」
 突然様子の変わったルークに、アスランが慌てたように声をかける。
(フリングス少将の前で……いやだ!)
 迫り上がってきたものを必死に飲み下しながら、苦しさに喘ぎ、涙を零していると「過呼吸のようですね」とアスランが言い、大きな両手でルークの背をゆっくりと撫でた。
「ゆっくり呼吸して下さい。……もっと……そう、上手ですよ、ゆっくり……ゆっくり……」
 背を撫でられながら、アスランの穏やかな声に従って呼吸を整えていると、少しずつ楽になってきた。「あ、ありがとう、フリングス少将……」
「いえ……」
 色々と問いただしたいことがあるだろうに、何も聞かずに微笑むアスランにルークは生理的な涙を拭いながら言った。
「……今どこにいて、何をしているのか、知りたい人がいるんです。さっきの男がそうだって、おれには確信があったんだ。けど、わからなくなった……」
「……そうですか」

 これまで、アッシュのことを気にしながらも、ルークはあえて深く考えずに来た。ルークの被験者がどこにいるか、一番に探すべきところなどわかりきっている。だが、その気になれば調べていることを屋敷の誰にも気付かれないように出来るにも関わらず、ルークは故意に目を逸らし続けた。その気配だけを探りながら。
 けれどここから先、ルークはアッシュのことを考えずに過ごすわけにはいかなくなった。彼が『前回』のアッシュである可能性があるから……。
(アッシュが『あの』アッシュなら、おれはどうしたらいいんだろう……)

 医務室を出て、居住区へ向かう。居住区の通路は相変わらず深閑としている。神託の盾兵もここまでは来なかったのかも知れない。最初にここを出るときに感じた騒々しい気配は、確かに収まりつつあった。それはすなわち、この事態そのものが収束に向かっているという証拠のようにルークには思えた。
 アスランがドアの外に付いている小さなパネルを操作すると、ややあって中からアットリーの護衛の一人ハントの、警戒心あらわな返答が返った。両者の間でおそらくなんらかの隠語であるのだろう不思議な会話が交わされたのち、厚い扉が自動で開き、中から相当にやきもきしていたらしいティアが飛び出してくる。
「おかえりなさい、ルーク! 無事で良かった!」
「お、わっ」飛びつかんばかりの勢いのティアを、間一髪で押しとどめる。
 泣くのを堪えてぐしゃりと歪んだ顔に気付き、苦笑してほむほむと頭を叩きながら室内を見回すと、艦橋から連絡が来たのかちょうどドゥシャンが伝声管を取ったところで、長椅子にちんまり座ってほっと安堵の息をついたアットリーと目が合った。
「ご無事でようございました。大事ないと聞いてはおりましたが……」
「ご心配をおかけ致しました」
 ラムダス・シュミットとして扱うと言ったところで正体はモロバレしているのだから、心配するなというのも無理な話だ。護衛のエドウズに座るよう促され、マルクト軍人をを除く全員がセンターテーブルを囲んで座った。
 エドウズはそのまま簡易キッチンへ立ってお茶の準備をしてくれたようだ。キッチンというより湯沸かし場とでも言うべきか、やっと一人が立てる程度の小さなものだが、お茶のために湯を用意したり、お茶受けの果物やお菓子を切り分けたりするのには十分だ。
 エドウズは全員に熱いお茶のカップを配り、アットリーのもてなしのために軍側が用意したのか、あるいはアットリーが持ち込んだものなのか、小さなチョコレート菓子も二つづつ添えてくれた。疲れきった上にこれから憂鬱な話をしようというときに、甘いチョコレートと熱いお茶の心遣いはありがたい。

「開戦の預言……?」
 アットリーがさすがに驚いた声を上げた。二人の護衛やティアは言葉を失い、目を剥いてルークを凝視している。
「世界を預言通り導くことを是とせず、回避しようと動く導師イオンを、大詠師モースは背教者として拘禁することに決めた、そういうことのようです」
「マルクトとキムラスカは、和平を結んではならない、と?」
「──そういう考えのようですね」
 どうします? と問いかけるルークの目に、アットリーは苦笑して首を振った。「もしもそうなら、何をどう努力しても無駄なのかもしれませんが……。私が和平への望みを捨てることは決してないでしょう」
「ありがとうございます」ルークは詰めていた息をそっと吐き、心からの礼を言った。「そうなると、今後の妨害をどうクリアして行くかということですね。預言遵守派と回避派、ダアトの派閥はこれだけなのか、それぞれ何を目的としてどう動くのか、見極める必要があります」
「私からも良いでしょうか」ルークを補足してくれるつもりなのか、アスランが背で手を組んでルークの背後に起立する。「どうも、今回の襲撃に関しては、ヴァン・グランツ謡将の私兵とされる六神将が何名か──判明しているところでは『烈風のシンク』『妖獣のアリエッタ』が妨害行動に入っています。そのおかげと言っては何ですが、動力部が破壊されるという被害はあったものの乗員から死者は出ませんでした。ただし同じ六神将の一人『黒獅子ラルゴ』はどうやら彼らと真っ向から対立していたらしいという報告が上がっています。ルークさん、そうですね?」
「間違いありません」ルークが倒さなければ自分たちで倒すと言っていたのだから。
「ヴァン・グランツ謡将は教団においてかなり発言力の強い人です。六神将が一枚岩ではないのなら、彼本人の思惑を早いところ知りたいですね」

「閣下」ドゥシャンが伝声管を戻してから、アスランに向き直った。「艦橋からです。導師イオンと導師守護役殿が無事お戻りになったと、搭乗口から連絡が入ったそうなのですが……」
「ご無事か! ならばちょうどいい、導師からもお話を──」
「それが……」口ごもるドゥシャンの話の続きをアスランが促そうとしたとき、小さなノックの音が部屋に響いた。


2019.05.02(2012.12.13)