【15】


「敵が神託の盾の連中ってことは、グリフィンはまず間違いなく『妖獣のアリエッタ』の仕業ですね。そうでなければいいと思っていましたが……。強敵です」
「遭遇しないよう祈りたいですね」
 使い手が来ていないはずはないが、ルークは半ば本気で呟いた。もちろんこの世界でルークがアリエッタの恨みを買っているはずも無いのだが、思い出せる面影が怒りと憎しみと哀しみに彩られたものだけとあっては、この世界での遭遇に期待が持てるはずも無い。彼女の養母であるライガクイーンがチーグルの森で倒されたような、そのような痕跡を森の入り口から感じ取ることは出来なかったが、ことによると別の場所でもっと救いの無い結末を迎えた可能性だってある。
 今も背筋からうなじにかけて這い上がるひやひやとした「嫌な感じ」。もしもこれが『妖獣のアリエッタ』の気配であるならば、本気で遭いたくなかった。
「……他の六神将が来てる可能性、ありますか」
「そうですね……。これまでの例ですと、一つの作戦に複数の将が派遣されたことはないと記憶してますが……」
「それだけの実力あっての六神将だもんな……そういえば」ルークは頷いてから、ずっと気になっていたことを思い出し、ドゥシャンを見やった。「『黒獅子ラルゴ』、しに、『狂医者ディスト』、『妖獣のアリエッタ』、『魔弾のリグレット』、『烈風のシンク』……あと一人、おれは知らないんですが。マルクトの軍部には情報がありますか?」
 残る一人が被験者なのではとルークは思っていたのだが、外部の人間でも手に入れられる情報の中にそれらしい人物の名はない。神託の盾には特務師団という情報機関があるらしい……という噂はあれど、所属する兵の名は完全に最高機密扱いで、しょせん一般人のルークが個人で手に入れることのできるものではなかった。
「第一師団師団長から第五師団師団長までの面々ですね」ルークの問いに、ドゥシャンは頷いた。「ル、ラムダスさんは他に特務師団という諜報や工作メインの師団があるのはご存知で?」
 跳ねる心臓を押さえつけるようにルークは一瞬だけぐっと胸元を掴み、頷いた。「──聞いたことはあります。噂にすぎないのですが……事実ですか?」
「事実です。グランツ謡将の周囲にはあまり人がいないんですよ……。第六師団の師団長カンタビレとは反りが合わず、グランツ謡将の私兵とも揶揄される六神将の中にその名はありません。六神将と判明している五人以外には、副官……というか秘書のような役割の兵と、身の回りの世話をする従兵が一名ずついるのですが、両名とも事務方の兵のようですし、五人の六神将が全員師団長であるのもあって、もしかしたらその師団長がそうではないかと言われています」
「そうなんですね」
「まあ、あまりに正体が掴めないもので、グランツ謡将を数に入れて六神将ではないかと予想するものもいるようですよ、少数派ですけどね」
 なるほどと頷きながら、ルークは正体不明の特務師団師団長に思いを馳せる。師団の性質を思えば、他国の者に名や面が割れるようなことを良しとするはずがない。『以前』だって、アッシュ以外の者は徹底的に秘されていた。六神将として名を広めたアッシュの方がむしろ特殊であったのだ。
 だが、ルークはそこに、アッシュの「本物のルークに気付いて欲しい」という悲しい慟哭を見た。危険は増えるが、名を売れば、その容姿が広まれば、バチカルの誰かが気付いて迎えに来てくれるかも……。
 ローレライの完全同位体がすでにバチカルに戻った以上、例え不審に思う者があったとしても、アッシュの正体に言及するものなどいるはずがないのに。

「……ここまで来て行き会わないってことは、やはり別の場所に非難したかな?」
 ドゥシャンの独り言に、ルークも頷いた。二人が部屋に戻ろうとしているのなら、もう出会っていなくてはおかしい。
 アリエッタはイオンのことは慕っていたはずだから、襲撃がアリエッタならばそれほど心配はいらないのではないか? そもそもダアト式封咒の解咒が期待されているイオンの身にそれほどの危険があるとも思えない……。

(くそっ、だから『前』のことは考えないって! 考えない、考えない!)

 楽観視は決してしない。イオンを見つけ、無事を確認する。マルクト兵の命も、救えるなら救えるだけ救う。
 決意を新たに、ルークはドゥシャンに問いかけた。「艦内を見学してもいいって言われたら、普通どんなとこを見ます?」
「そりゃもちろん、まずは艦橋ですよね。そうくれば次は露天指揮所かな? あとは機関部……武器庫は……立ち入り禁止か、砲台も見ておきたいな。それから……」
「結構あるんだな」思いつくまま次々とあげていくドゥシャンに、ルークは苦笑して首を振った。「おれ、大きな譜業が少し苦手なんです……日常生活で使うような小さい音機関とかなら平気なんだけど。だから普通の人がどんなものに興味を持つのかわからないんです」
「おや。それは残念です」
 これがガイだったら、喜んで艦内を駆け回っただろうが、例え好きに見て回っていいと言われても、ルークには見たい場所など思い当たらない。「男の子」は音機関が好きなやつが多いとガイは言うが、『以前』の記憶のせいかルークは日常で使う小さな音機関はともかく、大きな譜業にはむしろ警戒心を感じることの方が多いのだ。
「導師守護役どのは烹炊所──艦の厨房に興味津々、という感じでしたが」
「ああ、それならわかる」ルークは頷いた。『以前』のアニスはパーティー随一の料理の腕の持ち主だった。よその厨房の道具や食材、スパイス類などが気になったはずだ。
「……? ラムダスさんも料理をされるので?」
「まあまあ。それほどたいしたものは作れないけど。そこへ行ってみましょうか。導師が勇んで機関部や砲台に見学に行ったと思うより、導師守護役に引っぱり回されているってほうがしっくりくる」
 ドゥシャンにもなにか思い当たることがあったのか、片眉を上げてちょっとにやりとしたあと頷いた。

 下層部にある烹炊所では、戦闘配備もなんのそので烹炊員たちがせっせとおにぎりを握っていた。導師のことを聞くと、やはり二人は現れており、夕食に何が出るのかと献立を熱心に聞いたあと、次は上部甲板に行ってみようと話していたという。不確かな話ではあるが、あてもなく走りまわるより数段ましだと、二人は降りてきたばかりの階段を駆け上がった。
「上部甲板へ行ったってことは、もしかして艦橋に避難した可能性もありますか」
 ルークが問うのに、ドゥシャンが首を振った。「いや、それならば艦橋から導師を待たずに防護扉を閉めるよう連絡してくるはずです」
 通路を駆け抜け、また階段を上がり、艦橋は安全面では防護扉のある貴賓室には適わないというドゥシャンの説明を聞いていると、長い廊下の突き当たり、上部甲板への階段を俯き加減に下りて来る男の姿が目に入った。
「あの制服は……マルクト帝国軍のじゃありませんね?」
「ち、違──ラムダスさん、ヤベえっ! あの団服──あの異相、巨大戦斧、間違いない、神託の盾騎士団六神将の一人、黒獅子だ! 妖獣使いだけじゃなかったのか!」
「黒獅子? 『黒獅子ラルゴ』? あれが?」

 急停止した二人が武器に手をかけるのを、男はまっすぐに見つめていた。血塗れた戦斧はだらりと下げたままだ。ゆったりしたタバードの下の服は、ルークの知る『ラルゴ』よりも──いっそグロテスクなほどの筋肉で盛り上がって猪首に繋がっている。その上に憂いを帯びた妙に秀麗な顔が乗っているのが、まるで別の人間の首と胴をくっつけたかのようにちぐはぐで、ぞっとするほど薄気味が悪い。
 ルークも普通に公表されている六神将の名と性別くらいは知っていたが、さすがに容姿までは確認が取れていない。だが『黒獅子ラルゴ』が知った人物でないのは最初からわかっていた。
「似てんのは身長くらいじゃねえか……!」
 実際に相見えて、さきほどからひやひやと感じていた「嫌な感じ」の源がこの男だとはっきりとわかった。

 二人と一人は、一定の距離を空けて立ち止まった。真横でドゥシャンがぶるっと身体を震わせる。恐怖のためか、武者震いかはわからない。
「……この艦に、ローレライ教団最高指導者、導師イオンが乗艦されていると知っていての狼藉か」
導師イオンヤツは背教者だ。大詠師モース様より、捕縛拘禁の命が下された」
「導師が背教者? それは一体、」
 困惑する二人の前で、ラルゴが血の付いた戦斧を軽く振った。つい、今しがた何かを叩き切ってきたといわんばかりの、まだそれほど粘り気の無い血脂が細かい飛沫を上げる。
「キムラスカとマルクトの和平は、預言に詠まれていない」
「……!」
 ドゥシャンが怯み、ルークはきっと睨み返した。「それの何が問題だ。世の中、いちいち預言に詠まれていないことなど山ほどある」
「詠まれていることもある。キムラスカはマルクトに宣戦布告することになるだろう」
「……ちっ!!」
「な、ならば導師は……? 導師は預言に逆らうつもりでおられるのか……?」
「その通りだ。預言は守られねばならん。従ってヤツは背教者だ」
 ドゥシャンの問いに、ラルゴの顔がよりいっそう憂鬱そうに沈んだ。まるでイオンを断罪することを憂いてでもいるかのように。にも関わらず、なぜかルークはこの男からまるで黒いもやのように立ちのぼる悪意を感じる。
 怯むドゥシャンを尻目に、ルークは静かに抜剣した。ここのクリムゾンは預言をあまり重視していない。むしろ避けているようにすら見えることがあった。だからファブレ家では父母やルークの誕生日に預言を詠んでもらったりはしない。使用人たちにまで強制しているわけではないが、主の気質は使用人にも影響するのか、ランドリーメイドは自分で空模様を読み、ルークと当てっこすることでそれを鍛えているし、毎日の献立も料理長のニーナ夫人が様々なことに気を配って考える。預言などに頼らずとも、ファブレ家は日々つつがなくまわっていた。何より『以前』を経験したルークは、預言遵守にこだわることの愚かしさを知っていた。
「人の手が介入しないと預言とは成就しないものなのか? そうでないなら、おれたちがいくら足掻こうが何らかの要因によって戦端は開かれるだろう。それを黙って静観出来ないのは、人の手で預言を覆せる可能性をお前たちも認めているということか? 預言は絶対ではないということを」
「──詭弁だな」
「何が詭弁だと? 戦争が起これば、多くの力なき人々が犠牲になるだろう。今我々が行動すれば、それを阻止することが出来るかもしれない。その可能性を感じているからこその妨害なのだろう? にも関わらず、預言は必ず成就されるものと民衆に思い込ませたいのは、いかなる理由でだ? 多くの血が流れるのがそれほど見たいか? それとも、戦争が起こるとなにか教団に利があるのか? ──ならば、導師を背教者と断じるお前の言こそが詭弁だろう!」
「ラムダスさん!」
 ラルゴの斧がルークをまっぷたつにする勢いで降ろされた。ルークは横に飛んでそれを避け、そのままラルゴのふところに突っ込んで行った。防御姿勢を取られる前に、思い切り踏み込んで剣を横に振り抜き、真横をすり抜けて背後へまわる。
「浅いかっ?!」
 鎧のような筋肉が致命傷を阻んだのに気付き、二度目の斬撃を与えた。ラルゴに一撃目のような油断はなく、それは戦斧でやすやすと受け止められる。と同時に傷ついた腹に蹴りを放った。鉛が埋められた頑丈なかかとが深くめり込んだが、ラルゴは前のめりになりながらも片手でルークの脚を掴む。その瞬間、ドゥシャンの剣がその腕にめり込んだ。ラルゴの凄まじい怒号が、通路に殷々と轟く。
「ちっ、固え! 衝撃が半端じゃない!」筋肉の繊維と骨を断ち切るのは、ドゥシャンの腕をしびれさせるほどの衝撃だったらしい。ルークを離して背後に飛んだラルゴに剣ごと持って行かれてしまっている。
「ドゥシャン、下がってくれ」しびれて震える右腕を左腕で押さえこんでいるドゥシャンを、ラルゴに視線を向けたまま視界の端で確認して、ルークは剣を構えなおした。
 人間同士で、命をかけて戦うのはむろん初めてじゃない。むろんここでは「初陣」だが、ルークは自分でも驚くほど上擦ることなく冷静に戦っていた。神託の盾騎士団主席総長ヴァンの旗下にある六人の将、その一人であるラルゴは、やはり強い。だが、命がかかっているからこそそう感じるのであって、実力は父に及ばないとルークは感じた。そしてルークはその父に勝ち越しているのだ。
 胴はいくら狙っても筋肉がそれを阻むと、ルークは片腕を封じられたことで大きな弱点が出来たラルゴの身体の左へ左へと回り込むように翻弄し続けた。だがラルゴの巨躯は見た目以上に素早く、互いに決定的な一撃が出せない。
「この、出来損ないのレプリカめ……!」
「?!」
「ラムダスっ!」
 先に隙を作ったのは、ルークの方だった。秀麗な顔が嘲りに歪み、軋るような声で罵られた瞬間、ルークは一瞬動きを止めた。巨大な戦斧が頬をかすめていく。
「お前、オリジ」「気を抜くな! ぼんやりしてるんじゃない!」
 まっぷたつにされずにすんだのは、しびれた腕が回復したらしいドゥシャンがラルゴの左腕に食い込んだままの剣に飛びついたからだ。濁音だらけのラルゴの吠え声とドゥシャンの叱咤に我にかえり、ドゥシャンを振り落とそうと腕を振りかぶったラルゴの足下に滑り込み、無防備な喉を思い切り突き上げた。
 とたんひやりとするものが背を走り、ルークは剣を捨て、バランスを欠いたまま後ろへ飛び退る。直後に巨大な戦斧が一瞬前までルークが立っていた場所を薙いでいった。
 勢い良く後ろへすべるルークの身体を、一拍早く剣を取り戻し離脱していたドゥシャンが受け止める。そのまま二人が見守る前で、ラルゴの巨大な身体が斜めに傾ぎ、ゆっくりと沈んでいった。
「た……倒した?」
 ルークの肩を掴んだまま信じられないといったように呻くドゥシャンの手をぽんと叩いた。「ああ、倒したな。……ありがとう、ドゥシャン。……で、ごめんなさい」
 振り向いて見上げると、ドゥシャンはなぜ謝られるのかというように目をまたたかせる。
「隙を作ってしまった」
「ああ!」ドゥシャンがこくこくと頷く。「もう勘弁して下さいよ、ひやっとしたんですから、ほんとに!」
 ルークはラルゴの身体をまっすぐに仰向けにし、見開かれた目を閉じてやってから喉に食い込む己の剣を引き抜いた。

 被験者オリジナルを知ってたのか……。

「ほんとごめんなさい。おかげで助かりました」
「……いえ。初陣、って言ってましたけど、さすがファブレ元帥のご子息ですね。その若さでまさかラルゴを倒すなんて……」
「手が震えてるのに?」
 今ごろになって微かに震え出した右手を見せた。左手も震えている。人を殺めたのが久しぶりだからか。それとも興奮からか。或いは何もかもが不明の被験者の影を踏むことが出来たからか。剣を取り落とさないですんでいるのは、握ったままのかたちで強張ってしまっているからだ。
「俺は吐きまくりましたよ。あそこはおっ勃ったまんまでなかなか元に戻らなかったし」
「はは……。おれは逆に縮む派みたいだ。情けないですね」
 気の抜けた笑いを漏らすと、ほんの少し震えが収まった。
「少し休みますか」
「……いや。あいつの斧に血が付いてました。導師の身が心配です。急ぎましょう」
 剣を鞘に戻しながらルークが言うのに、ドゥシャンも頷く。「嫌な予感がします。『黒獅子ラルゴ』の性は極めて残忍と伝わっていますが……まさか、導師に手を出すようなことは……」
「ダアトが一枚岩でないのなら、あり得るかも知れないですね」
 ルークは半分上の空で答えた。どこか覇気を失ったようなルークをちらりとみて、ドゥシャンが話題を変える。
「……それより、珍しいですね。キムラスカ人がアルバート流を使うなんて。元帥はキムラスカ・ランバルディアの古流剣術を修めておられると言われてますが?」
「……ああ、いろいろ縁があって。師匠がマルクト人なんです」
 ペールは本来はそのアルバート流の弱点を補うために派生したシグムント派の使い手だ。だがそれは、これと見込んだただ一人にしか伝えられないものだから、ペールは綺麗なアルバート流で稽古をつけてくれる。二人と稽古を積んでいるから、もしかしたらシグムント派の影響も少しは受けているかもしれないが。
「もしかして、大切なマルクト人っていうのは、」
「ええ。マルクト人なら知ってると思うけど、ホドの」

 答えながら上部甲板への扉を開いた二人の目に、何かを引きずったような血の跡が映る。血の詰まった重い肉の袋を引きずったような……。
 二人は無言のまま、視線だけでそのあとを追った。その先に、元の色がわからないほど血を吸った小さなぼろきれの塊が落ちている。それが何か悟ったとたん、ルークは絶叫し、安全も確認しないまま上部甲板に飛び出した。

「アニス────ッ!!!」


TRPG支援用の二つ名作成サイトまで頼ったのに、改稿する段になってラルゴの名を他に使わないなら流用すりゃいいじゃんと気付きました。2019.4.30 (初出2012.11.24)