【14】


 飛び上がるように驚く一同の中、素早く立ち上がったアスランが壁の伝声管を取った。「艦橋ブリッジ、なにがありました?」
『前方二十キロ地点上空にグリフィンの集団が現れました。その数およそ五百。約十分後に本艦と接触、密集しているうちに砲撃を開始します。衝撃に備えて下さい』
「了解。私もすぐに戻ります」
『お気をつけて』

《前方二十キロ地点上空にグリフィンの集団を確認。総員、第一種戦闘配備につけ! 繰り返す、総員第一種戦闘配備につけ!》

 艦内に有事とは思えないほど落ち着いてきびきびした声が響く。同時に、砲撃の衝撃か微かな揺れを感じるようになった。陸上装甲艦──通称陸艦タルタロスは、その巨大さゆえに時に走行していることすら忘れてしまうほどだったから、その揺れは室内の民間人たちに、確かにいま戦闘に突入したのだと言う事実を何より如実に知らしめた。
「そういうわけですので、私は艦橋に戻ります。大使も急ぎお部屋にお戻りを。あの部屋はシェルターにもなっていますから。詳細はエドウズ、ハント両氏がご存知です。ル、ラムダスさんとティアさんは、部屋を別に用意しますので、そちらへ。──ワッツ大尉、」
「は、導師にご用意した部屋の隣が一番近いでしょうか。すぐにご用意できます」
「そうか、では導師の安全を確保したあと、案内して差し上げてください。──いや、そうですね、ばらばらでいない方がいいでしょう。導師と合流したら、導師か、大使の部屋に全員で避難して下さい。ワッツ大尉はそのまま待機。戦闘配備が解除されるまで、ゲストをお守りして下さい」
「はっ、了解しました」

 もちろんマルクト軍の邪魔にならないよう、指示に従うつもりでいたルークだったが、それを聞いて目を見はった。導師? 導師イオンがこの艦に?
(そうか、尊い方というのは。森で会えなかったけど、ここで会える……イオンに……)
 込み上げてくるものを堪え、固く目を閉じる。
 最初から最後まで、ルークを不審な目で見ることも、蔑むことも憐れむこともなかった大切な友人だった。もう永遠に会えるはずもなかったのに、この世界ではまだ生きている。また会うことが出来る──
 今度は──守ることが出来るだろうか。

「おれ、グリフィンって、単独行動の魔物だとどっかで聞いたような気がする」
 何か物音が聞こえるわけでもないのに、どこかざわついた雰囲気の通路を歩きながらなんとはなしにティアに話しかけると、ティアは厳しく顔を引き締めたまま頷いた。
「その通りです。生態に外れた魔物の行動は、人の意思が絡んでいる場合が多々あって……。統制がとれているぶん質が悪く、危険なんです」
 ロッドを握り直したティアの手が軽く震えているのに気付き、ルークは顔を曇らせた。ティアはおそらく神託の盾ではそれなりに優秀だったはずだし、肝も座っている。それはタタル渓谷からここまでの道のりで証明されていた。にも関わらずかすかな怯えを見せると言うことは、それだけ集団化したグリフィンが危険だということなのか。
「人の意思? 人が操っているということなら……有名どころが一人、いるな」
神託の盾オラクルの六神将『妖獣のアリエッタ』ですね。長く魔物を人が操ることなど出来ないと言われてきましたが」先をいくドゥシャンがわずかに振り返って答えた。
「……世界中探せば他にもいるのかも知れないけど、おれも知ってんのはそれくらいですね」
 結局小さな命を散らすことになった薄幸の少女の面影が脳裏を過り、ルークは苦く唇を噛み締めた。彼女の養母であるライガクイーンのことは、当時ルークがもう少ししっかりしてさえいればなんとか避けられたのではないかと思うだけにいつまでも後悔が澱となって胸に沈む。
「でも神託の盾がまさか……。考えられないわ」
「いや、そのまさかのようですよ!」
 口ごもるティアの語尾に、アットリーの厳しい声が被さった。視線が窓の外に向かっているのに気付いたティアが身を翻す。「うそ! 神託の盾兵! 神託の盾兵が騎乗してる!」
「やはり敵は神託の盾か!」
 ドゥシャンが丸い小さな窓に駆け寄るのを視界の端に収めながら、アットリー老人とルークは互いに立ち止まり、見つめ合った。
「導師が乗艦しておられる今、神託の盾が襲撃してくる理由とは」
「ダアトは我が国と貴国の和平を歓迎しないということでしょうか。導師の意思は無視か──」
 ルークははっとドゥシャンを振り返った。ここは『以前』と同じ流れのようだ。ならば目的はイオンに封咒を解かせることのはず。
「導師は?! むしろ狙いは導師じゃないか?! もう部屋に戻っておられるのか?!」
「急ぎましょう!」

 タルタロスは上空からの攻撃に備えるような作りをしていない。そんなことが出来る『敵』が通常存在しないからだ。だが今度の敵は空を飛ぶ魔物に騎乗してやってきた。甲板は無防備で、侵入するは容易い。『以前』と同じ流れなら、すでに侵入を果たしたものもいるはずだ。二個中隊の敵を砲撃によってどれほど減らすことができるのかわからないが、少なくともこの艦に乗るマルクト兵を殲滅出来るほどの戦力は残してしまっている。この世界ではどうだ? マルクト兵の命はどうなる?
 くそ、とルークは唇を噛み締めた。『以前』のことは考慮に入れないと何度も決意したのに、何度もそれを破ってこうして思い悩む。いっそ記憶などない方が、素早く的確な判断を下せるような気すらした。

 ドゥシャンが呼び鈴を押したりドアを叩いたりするよりも前に、ルークには室内が無人であることがわかった。導師のために用意された部屋には、人気が感じられない。イオンと守護役はまだ戻っていないようだった。
「……戻られていないようです」飄々としていたドゥシャンがここにきて初めてかすかな焦りを浮かべた。「導師守護役どのには部屋がシェルターになることはお話してあるので、きっとここに戻られると思うんですが……」
「ここから一番離れたところにいらしたとして、ここまでどのくらいかかるのかね?」
 焦りを隠せないアットリーが聞くのに、ドゥシャンは一度十五分、と言いかけ、首を振って七~八分と言い直した。「タルタロスは軍事機密の塊ですから。導師といえど、民間人が立ち入れる場所は知れています」
「なら、もう少しありますね?」
 懐中時計を確認しているアットリーにルークは頷いた。「すぐ合流できるように、少しここで待たせてもらいましょう」
「それなら中でお待ち下さい、危険ですから」
 アットリーの部屋では、導師が戻ってもわからない。ドゥシャンがカードキーを取り出し、導師の部屋のスライダーに差し込むのをルークが見ていると、ドゥシャンが肩をすくめた。「マスターキーです。たまに、カードキーを中に置いたまま外出されるゲストがいらっしゃるので」

 エンゲーブから乗ったのだろうか、イオンは乗り込んでからさして部屋に落ち着かずに飛び出したに違いない。小さくまとめられた荷物が、解かれないままにソファに取り残されている。調度はここが軍艦内の一室であることを忘れてしまうほど豪華であったが、人の居住の気配のないそっけない部屋だった。

 全員が落ち着かない気分で待った。誰もがむっつりと押し黙ったまま五分がすぎたころ、とうとうドゥシャンがしびれを切らして動き出した。
「導師がこの艦のどこにいらしたとしても、もうとっくに戻って来られていないとおかしい。ちょっと様子を見てきます。自分が出たら、一度防護扉をおろして下さい」
 心配は頂点に達していて、全員が首振り人形のようにこくこくと頷く。
 ルークは室内を一瞥し、戦力を計る。敵の戦力がわからない今、安心してアットリーを託すには少々心許ないかもしれない。
 自分は残るべきと判断し、ルークもドゥシャンに気を付けてと声をかけようとした。だがそのとき、鼻先をふと不穏なニオイがかすめていった。鼻孔で感じる物理的な「におい」とは違う、感覚的なもの、勘に触る不快なニオイだ。
「……? ワッツ大尉、ちょっと待ってください」
「ルーク様?」
「待ってくれ、ちょっと……。なんか嫌なニオイがする、得体の知れない……。はっきりは言えませんが、単独行動は良くない気がする。おれも行きます。民間人がしゃしゃり出て申し訳ないですが、手伝わせてください。導師を見つけたら、おとなしくシェルターに入りますから」
「いえ……ありがたい。ご助力、感謝します」
「防護扉はどれくらい信用出来ます? 大使の護衛とティア、三人で大使を守ることは可能ですか? ティアは結構強力な譜術を使えますが、詠唱が妨害されたらそれほどの戦力にはなれない」
「エドウズ、ハント両氏ともに後衛を守りながら戦う力は十分あると。防護扉はドラゴンでもすぐには破れないはずです」
「ちょ、ちょっとルーク! 私はあなたの盾になるためここにいるのよ?!」置いて行かれる気配を察して、ティアが慌てて言った。
「お前を連れてくわけには……アットリー卿の、えっとエドウズさん、ハントさんでしたね、どちらか回復術は──」
「十分にグミは用意しておりますが……」
 アットリーの二人の護衛が両名共に首を振るのを見、ルークは頷いた。第七音素の素養のあるものなどおいそれといるはずがない。「──だよな。やっぱ譜歌も歌えるお前と三人でないと不安だ」
「でも!」
「ティア、いいか、大使と導師は和平のため、キムラスカのため、絶対に失えないんだ。多分、折衝の相手がアットリー卿でなければ、こうも早く和平など実現しなかったはずだ。アットリー卿は現在マルクトでもっとも長く外務官を勤めた方で、キムラスカの上層部にも顔が広い。前帝に煙たがられ、時に拘禁されながら十五年間和平の実現のために尽力されてこられた。導師はその証人になってくださろうという、おれの命などで替えられない方々なんだ。知っての通りおれも少しは剣を使える。こんなときだから、おれは自分に出来ることをしたいんだよ」
 言い争っている時間も惜しい。これ以上なにか言うようならマルクトに置いて帰ってやろうとルークがいらいらしているのを隠さず言うと、ティアは一瞬うっと怯み、次いで自棄を起こしたように怒鳴り返した。
「わ、──かったわよ! ここにいればいいんでしょ! わかったわよ守るわよ! 死ぬ気でやるわよ! そのかわり無事に帰って来なかったら許さないから!!」
「任せたぞ。何かあったらおれの名を大声で呼べ。多分、どこにいてもおれには聞こえる」無事に帰って来られなかったら許すも許さないもないだろうにとルークはくすりと笑い、ほむほむとティアの頭を叩いた。ほんの少し驚きを露にしているドゥシャンに向き直る。
「導師の居場所に心当たりは?」
「いっ……いや、ありません。導師はこの艦に興味津々といった様子だったから、きっとあちこち歩かれているだろうと思います。状況によっては、導師守護役どのの判断で別の場所に避難している可能性もありますが……」
「あてもなく探すしかないということか……」
「なりません!」あまりのことに成り行きが理解出来ないでいたアットリーから抗議の声が上がった。「それはなりません、ラムダスさん。私はお約束通りあなたをラムダス・シュミット氏として扱うつもりでいますが、だからといって敵兵のうろつく場所へ黙って行かせるわけには参りません」
 ルークは断固とした態度のアットリーを見つめ、小さく頷き、笑みを浮かべた。
「うん、そうだな。ならばキムラスカ・ランバルディア王国駐箚マルクト帝国特命全権大使アットリー・エルハンスト卿。ラムダス・シュミットではなく、ファブレ一門の次期当主ルーク・フォン・ファブレとして申し上げる。我がファブレ家はキムラスカ屈指の武門の一族。我が父はキムラスカに不破の盾ありと言われるクリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレ元帥、その人だ。その総領たるこの私が、一朝事ありしとき、我が国のためにダアトを出、和平に尽力くださろうという導師を、危険に晒したままただ守られていただけとあっては父に向ける顔があろうはずもない。私に何か変事があるならば、貴使と導師イオンの盾となり、お命をお守りした結果でなければならぬ」
 名を都合良く使い分けている自覚はあったけれど、貴族とはしばしばそのようなものだとルークはしれっと言い放った。その威圧に、アットリーが打たれたようにたじろぐ。
「おお……なんという誇り高さとお覚悟……さすがはファブレ元帥のご子息、お見事です……。ですがルーク様……それならば、エドウズかハントをワッツ大尉と一緒に、」
「エドウズさんとハントさんは仕事で大使の護衛を務めているのでしょう。それであなたの身に何かあれば、あなたから目を離した彼らは信用と職を同時に失うことになる。……わかって下さい、私が一番自由に動けるのです」
「大使」小さい身体が更に一回り縮んだようにすら見えるアットリーに、ワッツが慰めるような視線を向けた。「おそらく、この場にいる者の中で最も腕が立つ人がこの方です。軍人である自分よりも、大使の護衛よりも。──フリングス少将よりもです、残念ですが。自分は若輩者でそういうことはまだよくわからないのですが、将軍はそう申しておりました。でなければ、自分もファブレ元帥のご子息と言えど『民間人』に安易に力を借りようとは思いません」
 ドゥシャンが驚いているルークに気まずそうに肩をすくめてみせた。「そこが不審すぎるところでして。最近では商人の多くが武装していますが、その若さで腕利きの傭兵級ときては疑うなというほうが無茶でしょう? そのうえ疑似超振動を起こすことが出来る二人組だ。実はカイツールまでの間にあなたのおっしゃったことの裏付けを取り、容姿と実力の見合う傭兵や間諜をすべて洗うつもりでこの艦に乗ってもらったんです」
「結局、あなたがたのほうが上手だったんだな」ルークも苦笑して同じように肩をすくめる。「大使もお分かりだろう。今やキムラスカにとっては、あなたと導師のお命の方が、この私の命などより優先されるべきものだ。だが今、導師の安全が危ぶまれている。──ことによると私は、導師を助け、お守りするためにここへ飛ばされたのかも知れないな。戦争などという意味のない殺し合いではなく、このような名誉ある初陣の機会を与えられたことに、むしろ感謝している。約束しよう、大使。私も命は惜しい。決して取り落としたりしない」

 時に一触即発という危機を迎えながらなんとか小康を保ってきたこの十五年間。その冷戦時代がついに終わろうとしている今、和平と言う大事が一貴族の命に換えられるはずもない。
 死ぬかも、とは思わなかった。『以前』のことがあるからではない。この世界で、強い意思を持って研鑽に励んだ確かな年月の積み重ねと自信が、静かにルークを支えてくれている。例え万が一のことがあったとしても、この世界の父はよくやったとルークを褒めてくれるだろう。
 ──いや、己の命も同時に確保できてこそ、と叱られるかもしれないが……。

 孫と祖父ほども年齢の違う二人の視線が絡み、やがて大使の視線が悄然と落とされた。老人がしょんぼりと肩を落とす姿ほど、ルークの心を痛めるものはなかった。胸がきりきりと痛み、改めて大使の前では擦り傷一つ作らないようにしなければと決意する。
「くれぐれも……くれぐれも、ご無事で……。あなたは国の大義の前では、とご自分の身を軽んじられるが、人の……親の感情というものは決して完全に割り切れるものではありません。私にも子があり、孫があります。あなたよりも、ご両親の気持がわかるのです」

「……ええ、そうかも知れません。心得ておきます」
 ルークがちらりとドゥシャンを見ると、彼も小さく頷いて二人は部屋を飛び出した。


ほんとうは「使節団」でなければならないのですが、どうせすぐに出て来なくなるのだし、書き分けたり名前付けたりが面倒なので、アットリー老人一人の使節です。不自然さはご寛恕を。2019.04.28改稿(初出2012.11.21)