【13】


「ルーク様、お下がり下さい!!」
 目の前に黒いレースが翻り、一瞬ルークの視界を閉ざした。それがティアのスカートだと思い当たったときには、ティアはすでにルークを庇うように体を入れ替えていた。その動きは確かに訓練を受けた軍人のそれで、一瞬驚きで固まってしまっていたルークには制止の間もなかった。
 ティアは両手にダガーを握り、腰を低く落として完全に臨戦態勢に入っている。そのティアとルークにアスランとドゥシャンが剣を突きつけるのを見て、老人が慌てて間に身体を割り入れた。
「──その方に手を出してはならぬ!!」
「大使っ」
「大丈夫、剣を引きなさい──どうかご無礼をお許し下さい」前半はマルクト軍人二人に、後半はルークに向けて、老人は言った。「お色味が少し淡くていらっしゃるので、もしやと思いましたが……そのご様子ではやはりキムラスカ王族の方で間違いないようですね」
 アスランよりも高い地位にあるらしい老人がすいと優雅な仕草で腰を落として礼を取っているのを見て、わけがわからないなりに慌てて倣っているアスランやドゥシャンを見下ろしながら、どれほど不審でもあの場で艦を降りるのだったとルークは唇を噛んだが、むろんもう遅い。

 先ほど簡単な尋問を受けたのとは似ても似つかない豪華な応接室で、ルークは老人と向かい合って座っていた。アスランとドゥシャンは老人の背後に、ティアはルークの背後に警戒心もあらわに立っていた。貴人を乗せることがあるのなら、こういった部屋も当然あるのかも知れないが、ルークは軍艦には相応しくない、ふかふかのソファに居心地悪く腰掛けていた。

 恐れ入りますがご説明願えますか、というアスランの恐縮しきったような問いかけに、ルークは苦い気持ちで正面に座る老人を見つめた。
「ご老人は、私の素性をすでに特定しておられるようですが」
「失礼ながらお年ごろとお顔立ちを拝見させていただきましたところでは、キムラスカ・ランバルディア王国軍ファブレ元帥の長子、ルーク様でいらっしゃるかと……」
 当然ファブレの名に心当たりがあるだろう、アスランがそっと身じろぎし、ドゥシャンが目を剥くのが視界の端に入る。それは十五年前最もマルクトに損害を与えた敵将の名だった。

「父にお会いになったことが?」
「二十年近く前の話になりますが。あなたのお顔を見て、お会いした日のことを思い出しました。とてもよく似ておられる」
「それは嬉しいな。私はいつも母似だと言われますから」
 ルークはふっと詰めていた息を吐いた。キムラスカ王族の血を引くものはそれほど数多くはない。おそらく今では二十人にも満たないだろうが、それらすべての年齢まで頭に入れているとしたら……。二十年も前に会ったクリムゾンの顔をこの顔と瞬時に結びつけることができる記憶力を鑑みても、『大使』と呼ばれる老人の名が、ルークの方でも特定出来たように思う。
「ならばご存知のはず。我が母は確かに王族ですが、父と私は厳密には王族ではない。準王族、王家との婚姻の繰り返しの末にもったいなくも王家の一員としての礼遇の権利を得た、一貴族にすぎません」
「ですが、第三位という高い王位継承権を持っておいでです」
「第三位……」ドゥシャンが天井を見上げて目を閉じた。
「それも王女殿下がご成婚なされてお世継ぎがお生まれになるまでの話。気にとどめていただく必要はない」
 ルークはおそらく先ほど剣を向けたことを思い返しているのだろう苦悩顔のドゥシャンに宥めるような視線を向け、背もたれに深くもたれて疲れたように息を吐いた。
「人の口に戸は立てられぬと承知の上で、他言無用をお願いしたい。キムラスカの王族は、紅毛碧眼。……そんな者は別に珍しくもないとあなた方は思うでしょうが、キムラスカ王族の『紅い髪』は一般的に赤毛と聞いて思い浮かべるような色じゃない。少し特殊な色味です。それはキムラスカ王室の血族にのみ現れる色で、他には決して出ない」
 ルークはそこで自分の髪の毛先を掴んで、ひらひらと振って見せた。
「私の髪は見ての通り少し朱がかっていて、毛先に至ってはもう赤と言える色じゃない。典型的ともいえる「キムラスカのあか」を持つ父母とは全然違います。まあ、王女殿下の御髪も金でいらっしゃるし、私と同じに薄いもの、逆に黒っぽく見えるほど濃い者もいるというから血族全員がその色をしているというわけではないようですが……。バチカルの民ならば、むろん「キムラスカの紅」である陛下の髪を目にしたことがあるはずですが、実はそれがキムラスカ王室に連なる血にのみ現れる色なのだとは知らないはずです。現に私はバチカル市内を歩いていても、もしや、などと指摘されたことはない。髪の色ごときで簡単に身分が割れては危険極まりないし、王家は意図的にそれを隠しています。……だからこそ、マルクトでそれを指摘されることなどないと思っていましたが」

 さすがは元軍人というべきか、ティアの反応があれほど素早く、激烈でなければ、言い逃れるすべはいくらでもあった。老人自身、「もしかしたら」と言っていたのだから、半分は無意識の発言だったのだろう。ちらりと老人に目をやると、老人は一礼して、
「改めて御意を得ます、ルーク様。私はマルクト帝国特命全権大使、アットリー・エルハンストと申します。私はインゴベルト六世陛下が王位をお継ぎになられたばかりのころ、何度か謁見を許されたことがございます。その折に、王族の方々にお目にかかっているのです。お父上にもその時お会い致しました。しかしそのような事情とは存じませず、安易に口に出してしまい、大変申し訳ありません。ですが、ご安心を。私はむろんのこと、このものたちも、このことは決して口外致しませぬ」
 大使の言葉に、二人の軍人が重々しく頷く。ティアまでもがこくこくと首を縦に振った。ルークはそのようすに苦笑して、目の前の老人に視線を戻し、初めて表情を緩めた。予想した通りの人物で間違いなかった。
「……特命全権大使。やはりあなたがアットリー・エルハンスト卿でいらしたか。お名前だけは存じ上げていました。なぜあなたほどの方がこんな時期に軍艦などに?」
「おお、我が名を知っていて下さったとは、光栄なことでございます。ルーク様はこたびのこと、クリムゾン卿や陛下からお聞き及びではないのですか?」
「いや。陛下は政治に参画しているわけでもない若輩者に大事は話されません。父は──武官が国政に関わることを厭いますから。それに、長年の友人として陛下から何か聞いたところで、家人に漏らすような方ではありません」
 アットリー老人はそれを聞いて好ましげに大きく頷いた。
「私はこれから貴国に参るところなのです」
「我が国に? あなたが……? ということは……。和平? 和平か!」
 ルークは思わずアットリー老人のほうへと身を乗り出した。
 マルクトはガイやマリィベル、ペールの祖国である。彼らはマルクトに守るべきものがあり、どんなに惜しんでもいずれ帰国する日がやって来る。だからこそ、両国の微妙な関係はルークを悩ませた。
 前帝の目を逃れてキムラスカに亡命した三人は、現皇帝によってとっくに帰国を許されている。なのに三人が未だキムラスカにいるのは、ベルケンドでマリィベルが医術を修めていたからだ。だが医師として彼女が独り立ちした今、ルークの十八の誕生日を──成人を目処にガイとペールは帰国することになっていた。
 今、両国の関係は『以前』ほど悪くはない。だが今後はわからない。『以前』は結局、何度目かの戦端が開かれ、多くの命が失われることになった。
 帰国とともに二度と逢えない──などということにはさすがにならないだろうと思うものの、それもやはりわからない。この世界は『以前』と同じ流れを辿っていないからだ。
 マルクトとの和平が成るかもしれないという可能性はルークを大いに安堵させ、また弾ませた。
 喜びに溢れた素直な声にアットリー老人が目を丸くすると、ルークははっと表情を引き締めて子供のような振る舞いを詫びた。「みっともなくはしゃいで申し訳ありません。戦争が起これば民が大勢巻き込まれるし……。なにより、マルクト人に大切な人たちがいるのです。争いたくない」
「私にもキムラスカ人の友がいます。平和条約締結の証人として、尊い方も同席下さいますし、すでにインゴベルト六世陛下より駐箚の合意を頂いてございます。私も、一命に賭けてもこの和平を成立させる所存」
 民を案じる優しさ、大切な人を想う気持ちの素直な表れを好ましく思わないものはいないだろう。ましてや『大切な人』が自国のものとなれば。
 老人も、二人の軍人も柔らかな笑みを浮かべてルークを見つめた。その視線に気付いたルーク本人は、ぶっきらぼうに紅潮した顔を背けてしまったが。
「しかしルーク様、ルーク様こそなぜ今マルクトに? お忍びで? あ、まさか……?」
 老人が不思議そうにルークとティアを見比べているので、
「駆け落「違います!!! そ、そ、そんなおおおお恐れ多い勘違いしないで下さい!!」」
 駆け落ちだよと言おうと開かれた口を、もの凄い剣幕でティアに切られた。この場にいる者たちを適当にケムに巻くつもりだったのに、ここまできっぱり否定され、ルークは地味に傷ついた。

「わ、私はティア・グランツと申します。第七音譜術士です。私は先日、バチカルのファブレ公爵家を単独で襲撃し、ルーク様が第七音譜術士と存じ上げないまま第七音素同士の共鳴を招き、結果ルーク様を誘拐する形でタタル渓谷へと飛ばされました。もしかしたら今頃はマルクトにも私の指名手配書が回っているのではと存じますが……」
「ちょ、ティア、」
「昨日申し上げた通りです、ルーク様。この場で拘束され、キムラスカに引き渡されても私の目的は達せられる。これから和平交渉が為されるなら、ルーク様の身の安全はマルクト軍にて保証されましょう。私などが一人でお守りするよりも、ずっとずっと安全です」
「かも知れないけど……おれはマルクトに保護してもらうわけにはいかないよ」

 言い争う二人に、マルクト側の三人は顔を見合わせた。
「何か事情がおありのようですね……お二人ともに」
 アスランが問うような視線をドゥシャンに向けたが、彼が困惑もあらわに顔を横に振ったのを見て、改めて二人に向き直った。
「我が国にあなたの指名手配要請は来ていません、ティアさん。ファブレ邸襲撃の報も来ていません」
 ルークは当然と頷いて、背後のティアへと聞かせる態で、正面のマルクト人たちを見据えた。
「マルクトからキムラスカへルーク・フォン・ファブレ保護と襲撃犯逮捕の連絡を入れたって、我が父はおれが不在であることを決して認めはしない。平和条約が結ばれようとしているこの時期に、少しでもマルクトに借りは作りたくないはずだからな。つまり今現在、おれはルーク・フォン・ファブレを騙る不逞の輩にすぎない、ということだ」
「そ、そんな──」
「ふむ、大事の前には息子の命も二の次だと。──ファブレ元帥は剛胆で音に聞こえたかたですからね。ですがそれは、ご子息が万難を排して自力で帰国するという信頼の現れかもしれませんよ」
「父は、息子の前では全き父親であらねばならぬと常に精進しておられるのです」ルークは少しいたずらっ子のような笑みをアットリー老人に向けて言った。「……というわけだ。私はラムダス・シュミット。こっちは妹のティア。見習い商人で、旅行者だ。公の場で私の身分を問うのなら、私は絶対にこれを撤回しない」

 アスランが慌てて彼ら二人が名乗った名と、乗艦に至る経緯をアットリーに説明する。『疑似超振動』のくだりで少し顔を曇らせたものの、アットリーはうん、うん、と静かに聞き、しばしの間ルークを絶句して見つめた。
「疑似超振動とは……。身体が分解されてもおかしくなかったのですぞ! よくご無事で……。よくぞご無事でいてくださった……!」アットリーが両手を伸ばしてルークの手を握った。「ルーク様はキムラスカでナタリア王女、母君ファブレ公爵夫人に次いで第三位の王位継承権を持っておられる、キムラスカにとって極めて重要なお一人です。──そのことをあなたは分かっておられますかな?」
 アットリー・エルハンスト大使はティアに向かって穏やかに問うた。それを受けて、ティアも背筋を伸ばし、しっかりと大使の目を見つめて答える。
「分かっています。だからこそ、必ずお守りしてキムラスカにお返しすると約束したのです」
「ならば、これまで通りキムラスカまでは護衛の任に就かれることですな。牢に繋がれては、いざというとき盾になることさえ出来ませんぞ」
「!!」
 聞きようによっては厳しいことを言っているのだが、それを聞いたティアは逆にほっとしたような顔になって首肯した。
「では、我々マルクト勢は何も聞いていなかったということに致しましょう。少なくとも人相書き付きの手配書が我が国に回ってくるまではね。ここにいるのは不審な超振動の発生源として任意同行を求められた善意の商人、ラムダス・シュミット氏と妹のティアどの。それでよろしいですね?」
 大使の言葉に、アスランもワッツも共に了解の意を示した。
 ルークが詰めていた息をほっと吐いたときである。

 艦内が赤く明滅し、警報音が鳴り響いた。


2019.04.21改稿 (初出2012.11.15)