【12】
(銀獅子、アスラン・フリングス……)
ルークは目の前に座る若い軍人をじっと見つめた。
二つ名は、きっと鈍い光を弾く銀色の髪からきたものなのだろう。その容貌は非常に端正で、二つ名を聞いて誰もが想像するような雄々しさなどあまり感じさせない。背は高く、服の上からも鍛えられているのがわかるのに、どちらかと言えば軍人というより若き政治家といった静謐な雰囲気を纏っている。
彼の前に引き出され、顔を見た瞬間に、ルークの胸は懐かしさと安堵でいっぱいになったが、やはりアスランの方にはルークを見知っている様子はなかった。
(っていうか、やっぱりジェイドじゃないんだな……)
現在のマルクト皇帝は、ジェイドを重用していたピオニーではない。前皇帝の直系ではなく、養子に入った傍系の男性皇族が選ばれて皇帝になった。現皇帝の方がピオニーよりも年上だったからピオニーは皇弟と呼ばれるが、現皇帝にはすでに息子が二人あるため、ピオニーに野心がなければ皇帝位とはこのまま無縁になるだろう。その片腕と呼ばれるジェイドもまた、「ネクロマンサー」という二つ名は健在であるものの、以前ほど軍部に影響力がないように思える。
この世界で何がどうなってそのようになったのかはわからないが、ルークの見たところキムラスカとマルクトの関係は『以前』よりもかなり良かった。
「えーと……もしかして、十日前のタタル渓谷の……超振動発生の、件」
ごく僅かに目を細めたアスランを見て、『以前』ほど関係が悪くないとしても超振動の問題はまた別なのだと気付いて姿勢を正す。『以前』のこの時分とは違い、ルークは超振動の恐ろしさを散々思い知らされていた。
「これは私たちが迂闊でした……。旅券もないことだし、早くどこかに申し出ておけば良かったですね」
「話が早くてありがたい。私はマルクト軍第三師団師団長、アスラン・フリングス少将です。やはり我々が探していたのはあなたがたで間違いないようだ」アスランが一つ頷き、すっと笑みを消した。「昨日零時すぎに、タタル渓谷付近で正体不明の大量の第七音素が感知されました。発生源はキムラスカ・ランバルディア王国王都バチカル、収束はマルクト帝国領タタル渓谷。聞き込み調査の結果、駅馬車の馭者であるボー・ハンセン氏が同時刻にタタル渓谷付近で男女の二人組を乗せたと証言しました。今、この艦は理由あって任務外の案件を抱えるわけにはいかないのですが……。ことが大量の第七音素──超振動とあってはそうも言っていられません。──おわかりでしょう、超振動は広い範囲を焦土に変える恐ろしい力です」
「もちろんわかっています。ただ……すみません、今度のことは私たちにとって不本意な出来事だっただけに、軽く考えすぎていたようです」
アスランは見る者の気持ちを和ませる柔らかい笑みを浮かべて、半ば連行されるように引き出された二人に椅子に座るよう示した。
「ご協力、感謝致します。任意同行をお願いするよう命じましたが、どうやら行き届いていなかったようで……。大変不快な思いをさせてしまって申し訳ありません」
とりあえずこちらに協力する気があることは信じてもらえたようだ。
「まずお名前、住所、お仕事などを詳しくお聞かせ願えますか」にこにこと微笑んでいるが、むろん見た目通りの優男ではない。
ルークは出来るだけ自然な表情を作るよう心がけながら、気を引き締めてアスランを見つめ返した。『以前』より、秘密を隠すことにかけては実績のあるルークだ。
「おれはラムダス・シュミット、こっちは妹のティアです」
ルークはバチカルの中層当たりの名称を思い浮かべながらでたらめな住所を延べ、自分をケセドニアからの輸入食品を扱う家業の見習い、ティアを学生と説明した。
背後でペンを紙に走らせる音が聞こえ、わずかに視線をずらすと、肌の色の濃い黒髪の男がそれを書き留めているのが見えた。
「おれたちは二人とも第七音譜術士なのですが、ひょんな事故で二人の間に疑似超振動が起こり、バチカルから飛ばされてしまったのです。事故は昼間ですが、気付いたら深夜のタタル渓谷にいました」
「失礼ですが、事故とは?」
「襲撃を受けたのです。心当たりは他に無いので、おそらく父の商売敵だろうと思うのですが……」
嘘を言う時は、本当のこともちょっぴり混ぜること。とは『以前』のアニスから教わったことだ。呆れたのか驚いたのかしれしれと嘘を吐くルークに、ティアが兄さん、と小さい声を洩らしたのも実にタイミングが良い。憶測でものを言うなと咎めるように聞こえたことだろう。
「よろけた妹を受けとめたとき、二人とも第七音素全開で反撃していたせいで共鳴が起こり、それで」
「疑似超振動が起きた、と」
「ええ」
なるほど、と頷いたアスランは穏やかだが内心の読めない表情でこちらを窺っている。
「──しかしなぜエンゲーブに? 帰国されるならまずはケセドニアを目指すのが定石だと思いますが」
「そうですけど、もう来てしまったのに真っすぐ帰国するのももったいないじゃありませんか。キムラスカは素晴らしい国ですが、昔から農畜産物に関しては一歩マルクトに及びません。だからこの貴重な機会に世界有数の穀倉地帯を見学して行こうと思ったんです。なにか新たな商売のチャンスが見つかるかもしれませんし」
「しかし……それならば今日はどちらへ? ぐるりと北をまわればグランコクマへ着きますが……まさか徒歩で旅を?」
危険な力を疑われている今、それを起こせる二人で皇帝の座する首都に向かっていると思われたのではたまらない。世界地図を頭に巡らせて取り調べの物々しさの訳に気付いたルークは「いえ、」とすぐに否定したが、説明に入る前にティアの暗い声が割って入った。
「こんな機会もうないかもしれないから……一目聖獣チーグルが見たいと、思ったんです。たくさんのチーグルたちに囲まれてみたいなって……」
ものすごく楽しみにしていただけにティアの落ち込みは激しく、その答えには誰が聞いてもあからさまにすぎるほどのがっかり感と怨みがましさがたっぷり含まれていたので、顔を見合わせた二人の軍人からは思わず、といった感じの苦笑が漏れた。
「妹は以前ダアトでチーグルに会ったことがあり、すっかりチーグルの大ファンになったんです。聖獣の森に入るのに特に資格や制限はないと宿で聞きましたし、ついでにチーグルを見せてやりたいと思って。妹には退屈な寄り道に付き合わせてしまいましたしね」
話に入るタイミングは良かったが、きっと楽しみを奪われた文句をひと言でも言わなければ気が済まない心境だったのだろう。ほむほむと軽く頭を叩いて慰めると固く唇を噛み締め、視線を落とした先を睨み据えていた横顔にじわっと涙が浮かんだ。その素直な可愛さに思わず笑みがこぼれ、咎めるようにちらりと視線を向けたティアにそれを苦笑に変える。
本当にこのティアは可愛い。本物の妹がいたら、こんな感じなのだろうか。この世界のヴァンは、こんな妹がいても『以前』と同じ道を目指しているのだろうか……。
「ああ……なるほど。事情はわかりました」アスランはおっとりと頷いたが、何か気にかかることがあるのか、ほんの少し首を傾げてルークを見つめた。「少々不審なところがないでもないですが……とりあえずはいいでしょう。チーグルの件は申し訳ないと言っておきます。お詫びにカイツールまでこのタルタロスでお送りさせて下さい」
「……ありがたいですが、おれたちはケセドニアの両親のところへ向かいますので。エンゲーブ近くの橋で下ろしていただけたら助かります」
一体何をもって「少々不審」だというのか問いつめたい衝動と戦いながら、ルークはやんわりと拒絶した。彼らに危険人物二人の出国を見届けたいという気持ちがあることは理解するが、これ以上マルクト軍に関わるのは立場上よろしくない。むろん疑似超振動の件についてはなんらやましいことはない。ほとんど真実だ。だがルークの身分がまずかった。『以前』のこともあって、アスラン本人にルークは一方的な好意を感じているが、今現在は敵国の将なのである。「とりあえずはいい」のであれば、とっととおさらばしてしまいたい。
「……? ご存知なかったのですか? 」アスランが微かに驚いたような顔をした。
「なにをです?」
「ローテルロー橋はもうありません。昨日完膚無きまでに破壊されたのです」
「あ!」「破壊?!」
ルークとティアは同時に叫び、顔を見合わせた。ルークがはっとアスランに視線を戻す。「昨日のあの爆発音……騎馬隊が盗賊を追っていたときですね?」
「馬車ですれ違ったそうですね。そうです、彼らは追跡を逃れるために橋を破壊して行きまして」
「あー……」「ひどいことを」
そうだった、とルークは頷いた。『以前』はルークたちが多大な寄付を寄せて架け替えられた橋だったが、今回はどうだろう。ローテルロー橋は他国との行き来のためにもかなり重要な場所だが、『以前』はなかなか架け替えられず、何度も遠回りを強いられ難儀したものだった。
まあ、今度の皇帝と政府はかなりしっかりしているようだし『以前』とは違う可能性もあるか。
「縁がないわけでなし、窓口が出来たら、我が商会からも寄付をしておきますよ」
「は、重ね重ねご協力ありがとうございます。艦内を自由に歩いていただく訳にはいきませんが、お部屋を用意しますので、到着までそちらでおくつろぎ下さい。……ワッツ大尉、誰か案内につけてあげてくれますか」
「はっ、これから艦橋に戻るところですので、自分がご案内します」
アスラン・フリングス少将が調書を取っていた軍人に声をかけると、ワッツ大尉と呼ばれたその軍人が二人に笑いかけた。「ドゥシャン・ワッツ大尉です。よろしく」
机と椅子しかない、おそらく尋問のための部屋から出され、四人が歩き出してしばらくすると、通路の向こうから、護衛らしき者を二人従えた身分の高そうな小さい老人が、好奇心丸出しにあちこちの部屋や物陰に顔を突っ込みながらやってくるのが見えた。
その子どものような仕草が音素学の教師と重なり、ルークは思わず顔を綻ばせる。音素学のカール・ブラッハー教師は身長百六十に満たない痩せて貧そうな壮年の男なのだが、知的好奇心が非常に強く、いつでも子どものように目を輝かせている、ルークの大好きな教師たちの一人だ。
気付かれないよう観察していると、アスランとドゥシャンがその人の前で立ち止まって敬礼をした。老人は「おお、フリングス少将、ワッツ大尉。お言葉に甘えて見学させてもらっておるよ」とそれに鷹揚に手を挙げて答えると、ルークに視線を転じた。
「……?」
不思議そうな顔でルークとティアとアスランとを見比べているので、アスランが苦笑して答えた。
「キムラスカからの客人です。ちょっと話を聞かせてもらう必要があり乗艦してもらいました。お礼代わりにカイツールまで一緒に乗せて行きますので、見知りおきください」
「うん、そうか。これは最新型陸艦タルタロスだよ、君たち運が良かったなあー」
孫たちを見るように皺だらけの顔をくしゃりとさせて老人は笑い、四人を通り過ぎて数歩歩いたところで、ふっと振り返った。同じように振り返ったルークと視線が交差した。
「……キムラスカ?」
「大使?」
立ち止まってしまった老人に、再び一行も足を止める。大使と呼ばれた老人はとてとてと歩いてルークの前に立ち、じいっとルークを見上げた。
(な、なんだよこのおじいさん……)
「紅毛碧眼は王族の証……」
老人がぼそりと呟いた。