【11】
ルークは宿で鳩を出せるところを尋ね、郵便局へ向かった。小さな村では宿屋や村長が兼任することもあるというが、ここは世界の食料庫とも呼ばれるエンゲーブ。マルクト国内だけでなく、ケセドニアを通してキムラスカにも輸出を行っているはずで、各国の商人との様々なやりとりのための重要な拠点として、大きくて立派な郵便局があった。ここでは普通郵便だけでなく、伝書鳩も扱う。
伝書鳩はその優れた帰巣本能を利用して遠隔地と通信する手段だ。世界中を網羅しており、手紙と比べて格段の早さでやりとりができるため非常に便利だが、欠点もいくつかある。
まず、どこで放してもいいが、宛先は固定でなければならない。ファブレ家もそうだが、貴族や商人を初め、富裕層などは自分の家でそういった鳩を世話しているから、郵便局を通さなくてもいい場合があるが、宛先は決まった場所だけだ。
次に運ぶものの重さ、大きさには限界がある。小さな鳥の足や背中に括り付けられ、なおかつ飛行の邪魔をしないとなるとメモ程度の手紙や、小さくて軽い荷物がせいぜいだ。
最後に、速度を重視される通信手段であるがゆえに、手紙を送るよりも高額であるということだ。そのくせ途中で猛禽類などに襲われれば手紙が届かないこともある。軍事、商売上のやりとりではそのため同じ通信文を持った複数の鳩を飛ばすが、一般人にはその余裕がない。なのでよほど急を要する件でない限り、人々は郵便を選択するのが常だった。
「宛先はバチカル。そうなりますと……一羽では無理ですね。宿継ぎになると割り増し料金になりますが──かしこまりました。通信筒は足用でよろしいですか? はい、では普通郵便と合わせて四千二百ガルドでございます」
ルークはこのようなことになった原因、無事であること、追って手紙を出したのでそれを待つようにと書いた短い手紙を鳩に持たせ、詳しいことを書いた長い手紙を普通郵便で出した。この村には当然ファブレ邸へ直接飛ぶ鳩などいないから、目的地はバチカルの郵便局になる。通常そこからは人の手で配達されるわけだが、ファブレ家は所有の鳩を郵便局にも何羽か預けている。数度の宿継ぎを経て、通信筒はファブレ家へ届くはずだ。
虹色の鳩を受け取ると、両手の下で小さな心臓がことことと鼓動を刻んでいるのを感じる。
「襲われないように気を付けて行くんだぞ。無事な旅を祈ってる」
小さな頭にキスをして囁くと、鳩はクー、と小さく鳴いてルークの指を甘噛みした。任せなさい、という意思が伝わってきてルークは笑い、「頼む」と再度キスを落とした。
「そら!」
青空に向かって鳩を放り投げるように離すと、鳩はバタバタとおかしな動きで小さく頭上を旋回したあと元気よく飛び立って行き、ルークはしばらく眩しげに遠ざかる鳥影を見守った。
この世界に来てから、もしかしたら自分は動物と意思の疎通が出来ているのかも知れない、などというおかしな考えがふっと頭を過ることがある。むろんルークの気のせいなのだが、この鳩の親しみに満ちた行動が、ふと『以前』一番長い間ルークの傍にいてくれた小さな友の姿を思い出させた。
宿に戻るとティアが目を覚ましていて、不安そうに部屋をうろうろしていた。
「ルーク様、どちらにいらっしゃったんです? 私、探しに行こうかと……!」
「いつ誰に聞かれるとも知れないし、部屋でも敬語はなしな、ティア。使ってたらぽろっと出ちまうぞ。郵便局に行ってきただけだし、危険なことは何もなかった」
「う、そうだったんで……そうだったの。私すっかり寝てしまって、ごめんなさい」
「疲れていたんだろう。もっと寝ててもよかったんだけど、腹も減ったろ。夕飯の時間まではまだあるってことだから、おやつだけ買ってきた」
出かけるまえに夕食がいるかどうか聞かれ、時間も聞いていたので、そこら中で売っている果物と、特産品のミルクやバター、卵をふんだんに使った焼き菓子などをルークは買って来ていた。恐縮しながらティアがお茶を淹れている間、ルークはナイフで果物の皮を剥く。
「ティアは神託の盾にいたんだよな。ここの北にチーグルの森があるんだけど、知ってるか? ローレライ教団のシンボルっていうか、聖獣とされてたと思うが」
「えっ、あっチーグル?! そういえば聞いたことあるわ! 教団で世話されてる子を何匹か見たけど、もうすっごく! かわいくて!」
警護対象を放っておいて寝てしまったという失態にどこかしょぼくれていたティアの顔がとたんに紅潮し、目が輝いた。何度言っても直らなかった敬語もいい感じに飛んでいる。
「ここまで来たんだ、ついでにちょっと見に行ってみないか? 屋敷に戻ったらもうマルクトなんていつ来られるかわかんないしさ」
「え! チーグル……。う、あ、いや、でもっ」
顔が赤くなったり青くなったりと複雑に明滅するティアは、口では否定しようと努力しながらもルークに向かってしっかり身を乗り出している。
「でもル、兄さん。気持ちは分かるけど、今お屋敷では行方不明ってことになってるはずだし……ご両、お母さんたちを早く安心させてあげなくては……」
「それはわかってる。でも一日くらいいいだろう。鳩を飛ばしたし……明日一日森を探索してみて、会えなかったらあきらめる。──どうかな」
ティアが反対するなら諦めるつもりだった。どうしても行かなければという気にならないのは、他の者たち同様、あの小さなチーグルもルークの友であったミュウと同じ存在ではないと諦めているからだ。だがまあ、この様子ならさして強引に誘わずとも大丈夫かもしれない。
案の定、わきわきと手を握ったり開いたりしてしばらく葛藤していたようだが、結局ティアはこくんと頷いた。服装からして想像はついていたが、きっとかわいいものに目がないのだろう。
時にどうみてもそうとは思えないものに、少女たちが黄色い声を張り上げることがあるのをルークも知っていたので、ティアの「すっごくかわいくて」を信用する気にはとうていなれなかったけれども。
宿を後にした二人は、相談しながら食材をいくらか買い込み、グミや薬、ティアの靴やルークの髪を縛る革ひもを見つくろったりした。
「そのヒール、おれには今のとあんまり変わらないように見えるけどな」
「ううん、重さが全然違うの。少しはヒールがあったほうが、私はかえって歩きやすいみたいで」
ティアは古着屋で着ていた服や靴を下取りに出し、その代わりの服を手に入れた。こんな田舎町では需要のあてがないのだろう、あまり良い値にはならなかったが、売っているものもそれほど高額ではない。ティアはルークがボタンと引き換えたガルドを断固として拒んだ。限られた金額の中でいかに良いものを手に入れるかが買い物の醍醐味だと力説したが、遠慮はあきらかだった。だが、いざと言うときは援助を申し出るつもりで見守るルークの前で、ティアは満足のいく買い物ができたようで、タタル渓谷で目を覚ましてから、一番晴れやかな顔を見せた。
汚れるのを見越して買った黒っぽい衣装はやはりひらひらが多い。丈の長いスカートを選んだのは、肌の保護という点では上出来だったが、レースの裾が足首まで来ていてはその利点も帳消しである。
「……コテで髪を巻けたらもっと良かったのに」
ティアの髪は、昨夜湯を使ったせいで今はまっすぐになっていた。ティアはそれが気に入らないらしく、ルークの視線に気付くと恥ずかしそうに俯いた。
「まっすぐで綺麗なのに。わざわざ熱で傷めることないだろ」
見かけのみだがほんの少しだけ『以前』に近づいた顔を見つめて、ルークはティアを慰めた。ルークはむろんそんなものを髪に使われたことはないけれども、髪の手入れをしながら陽に焼けて少し傷んだと嘆くアンヌのお説教を何度も受けてきたのだ。熱を発する音機関など髪に当てて良いとはとても思えなかった。
「え……そ、そうかしら……」ぼっと音がするほどティアが赤くなる。「でも、こんなありふれた色。まっすぐでも、ル、兄さんみたいだったら良かったのに。私、そんな綺麗な髪、今まで見たことない。特にここ……金色に変わっていくところ……」
熱に浮かされたようにルークの髪に触れるティアを驚いて見やると、視線に気付いたティアがひゃあ、というような奇声をあげ、
「すみません、私ったら! なんてずうずうしいことを?!」
「い、いや。別に触ればいいよ、髪なんか。っていうか、敬語……」
──どうもこの設定には無理があったかもしれない。時折上手に敬称も敬語も消えていることもあるが、狼狽えるととたんに元に戻る。早晩ボロをだすだろう、これでは。
だが、ルークの危惧もそう長くは続かなかった。
エンゲーブの街を出ても、しばらくは繰り返す失態にティアも落ち込んだ様子を見せていたが、すぐに心がローレライ教団のマスコットに飛んでしまったからだ。
そのことに気付いたのは、森の入り口に立ってからだった。
ティアはチーグルの毛並みの色について熱心に話していた。それを半分聞き流しながら様々なことに思考を巡らせていたせいで、そこに至るまで気付かなかったのだ。
「……どうしたの? 入らないの?」
そわそわしているティアの横でルークは首を捻った。目を閉じて、森の香りを吸い込んでみる。聞こえるのは安穏とした木々の呼吸と、虫や小鳥たちの小さな日常の諍いの気配だけだ。
「何も感じねえ」
「えっ?」
町では食料泥棒の話などとんと聞かなかった。この世界では、ライガクイーンとチーグルの諍いなど無かったのかも知れない。この森で、大きな獣が血に染まるような、そんな異変があったとは到底思えなかった。
代わりに、ルークの耳に別の音が飛び込んでくる。それはまっすぐに二人の方へ向かってきていた。「……馬が来る」
「えっ……あ」
来た道を振り返ると、砂煙を上げて近づいて来る二組の騎兵が見えた。