【09】


 おかしな夢を見たものだ。

 レプリカホドに突入する前辺りから、記憶はなんだかふわっとしている。すでに激しく乖離が進んでいたせいだろうか、欠けているわけでもないし、思い出せないわけでもないのだが、まるで夢の中の出来事だったような……自分自身が、酷く曖昧な存在になっていたような、そんな気がしていた。
 それで彷徨い歩いた夢の街がホドだとすぐに気付かなかったのか。夢の中に出てくるものは内面にまつわる何かの象徴とかなんとか聞いたことがあるが、最後のレプリカだと言う老人は、何を表していたのだろう。

「ルーク様? ……ルーク様は、ホドをご存知なのですか」
「……うちに、ホドの現領主がいる。領地はもうないけどな。知ってるだろ、ガルディオス家だ。ティアのうちの、元主家だ」
 怖々と声をかけられて、慌てて目頭に浮いた涙を拭い、ルークはガイの顔を思い浮かべながら言った。ガイがここに立つことがあったら、故郷の影すら望めない穏やかな海を見て、一体何を思うだろう。
 今朝会ったばかりだというのに、ガイの面影がひどく懐かしかった。
「私の……うち」
「元のな。フェンデ家は『ガルディオス家の剣・右の騎士』と呼ばれたマルクトの名家だ。崩落で離ればなれになり、互いに死んだと思っていたようで、うちの屋敷で再会したときには仰天したらしいな。でもグランツ謡将はすでにその名の通り他家の養子に入られていたから、新しい家に仕える触りにならないようにというガイの──ガルディオス家当主の配慮もあって、主従関係はそこで絶つことになったんだ」
「そういえば、うんと小さなころそんな話を聞いた気がします。その家のお嬢様に、強くなったら弟に剣を捧げてくれと言われたんだって……。私、ホドの崩落のあとに生まれたので、ホドでのことはなにも知らないんです……」
 さもあらんと頷いて、ルークはスカートを握りしめて固い表情で呟くティアを見やった。もしもホドが崩落せずにあったなら、フェンデ家の娘などはガルディオス家の良い女主人候補だったのではないだろうか。ティアは性格だって真っすぐで真面目だし、かわいいし。
 このティアは『以前』と比べてちょっとばかり変わっているかも知れないが……。

「あそこに、ホドがあった」
 ルークは海に腕を伸ばして方角を示し、目を閉じた。隣で、ティアが息を飲んで海を見つめているのを感じる。

 レプリカホド。
 レプリカ。
《レプリカは、みな召されて久しい》
《私が最後の一人のはずだ》
 夢の中の老人の声が甦る。
(おれには『以前』の……こことは別の世界の記憶がある。あの老人は──『以前』ともこの世界とも違う世界の人なのかも知れないな……。乖離したはずのおれがぴんしゃんして同じようで違う世界を生きてるんだ、どんな不思議なことだって普通に起こり得る)
 老人もこことよく似た、また異なる世界で、ルークと出逢った人なのかも知れない。だから、懐かしく思い、とても慕わしく……別れの瞬間暗闇に飲まれるような孤独と絶望感を感じたのかも……。

「ルーク様?」

 気づかうように温かい手がそっと肩に触れた。たったそれだけのことで、ルークは孤独の淵から少しだけ救い上げられたような気がした。一人じゃない。ルークはその小さな手を気持ちをこめてぽんぽんと叩き、微笑んだ。
「ありがとう、ティア」
 ルークは海に顔を向けたまま呟くように言った。
「あの……ありがとうございます」
 なぜティアから礼など言われるのだろうと一瞬不思議に思い、すぐに今の自分はまるで失われてしまったホドを悼んでいるように見えるだろうと気付いた。ガイの故郷だ、むろんその気持ちがないわけではないが、ルークが意識を持ったときすでに無かったものに、それほどの思い入れはない。少し申し訳ない気持ちにもなって、ルークは己の両頬をぴしゃりと打って、気持ちを入れ替えた。

「ティア、人に出会うまえに、ちょっとここら辺で話を合わせておこう」
 向かい合って、怪訝そうなティアと顔を合わせる。
「まず、名前な。『ルーク』という名でキムラスカの準王族ファブレ家の総領息子と直結出来る民はまずいないだろうが、やっぱり用心のためには偽名を名乗っていたい。えー……そうだな、ハンス・シュミットでいいか」
「……ちょっと偽名があからさますぎやしませんか」
「世の中のハンス・シュミット氏に失礼だぞ、ティア」一応は抗議したが、ティアの言い分ももっともである。万が一にも「偽名ではないか」と疑われる危険を避けるためにも多少の変更を加えることにした。「誰かの名前……いいや、ラムダスで。ラムダス・シュミット。これならいいだろ」
「わかりました、ラムダス様」
 今度は納得したらしく、ティアは素直に頷いた。
「いや、おれの歳で敬語を使われるべき身分の者が、同じくらいの歳の女の子一人を付き人に旅っていうのも不審だろ。しかも白ゴ? ……その格好だし。夫婦、もしくは兄妹、そういう設定でいこう。……いや、待てよ? 立場を逆にしたらどうかな。ティアがお嬢様役、おれが護衛。──ん、いいな! その服が多少生きてくる! ……かもしれない。それでいこう」
「……きょ、きょ、兄妹では駄目でしょうか……? 年頃の近い異性の護衛というのもそれはそれで不自然です……っ」 
 飛び上がって涙目になったティアが両手をもみ搾っている。良い案だと思ったのに。小さなため息を一つ落として、ルークは諦めた。
「じゃあ兄妹で。敬語はなしでな」

 近いところにいるのにこちらを窺うばかりで何もして来ない魔物の横を通りながら、ティアはものすごく不思議そうな顔で首を傾げた。
「まったく襲ってきませんね」
「人と違って、獣はみんな実力主義だからな。自分より強いものは襲わない。おれもこう見えて結構鍛えてるし、だから襲って来るものがいたら、結構厄介な魔物だと思っていい。この辺りにはそう手強いものはいないはずだけど……。魔物分布図はわりと頻繁に新しいものに替えられるけど、しょせん今現在より過去のものだ。油断せずに行こう」
「は、はい」

 舗装されていない砂利や木の根だらけの山道を、高いヒールの靴でまったく危なげなくティアが下りていくのは驚異的なことだった。『以前』の経験からか、こんな道でもルークはそれなりにうまく歩いている。とはいえ『この身体』では初めてと言っていいほどの悪路で、時折つまづきそうになってふらふらとバランスを取っていた。
「いえ、厚底なのでやっぱりこんな道は歩きづらいです。ヒールは……神託の盾の制服にもヒールありましたし……。女の子にとってこのくらいのヒール標準装備だと思います」
 感心するルークに、ティアは恥ずかしそうに頬を染めて首を振った。
「そんなもんなのかな……。だけど、山道を歩くことになったのは想定外としても、普通人のうち襲撃しようなんてときはもう少し動きやすい格好とかしないか? 薄くてぴったりした黒尽くめとか、柔らかくて平たくて、歩くのに音がしない靴とか、いろいろあるだろ?」
 首をひねって小説に出て来る怪盗や暗殺者を思い出しながら言うと、
「あ……記事が新聞に載るかもしれませんし……」
「…………あーそっか。かわいく描いて欲しいよな……」
 一瞬言葉に詰まってから、ルークは曖昧に頷いた。新聞にはもちろん記事に関わる木版画が載せられる。著名人の顔や、大きな事件や事故に関わる関係者、聞き取り調査による想像の現場などが恐ろしいほど精緻に生き生きと描かれるのだ。文字が読めずとも木版画でなんとなく世の中で起きた大きな事件のことを知ることが出来るので、定期購読者だけでなく、図書館や大きな食堂においてある紙面にざっと目を通すものも入れると膨大な人の目に触れることになる。
「はいっ! 私の手持ちで、一番可愛い服です! 髪も四時起きで巻きました!」
「……」
 このティアはやっぱり変わっているとルークは苦笑いした。
 だがティアは勘違いをしている。人物の木版画の元絵は画家が想像で描くのではなく、モデルを前に描くものだ。犯罪者の場合、当然その絵は牢の中で描かれる。
 多分、ティアの絵が紙面を飾ることがあったとしても、それはスッピンの囚人服であろうし、おそらくちょっぴりは補正が──公爵子息の誘拐犯らしく凶悪な顔にだ──かけられているだろうとは、ルークはとても言えなかった。


『ハンス・シュミット』とは日本でいうならば『山田太郎』的な名にあたります。多分、本物のハンス・シュミット氏も一度や二度は「えー? 本名?」とか言われてるのではないかと思います。ジョン・スミスでも良かったんですが、(むしろ私的イメージではこちらの方が『名無しの権兵衛』と名乗るのと同等な感じで、意図するイメージに近かった)いまのところキムラスカ人勢をドイツ名で統一してるので、何となくドイツ名にしておきました。2019.03.28改稿 (初出2012.10.31)