【06】


 用意された服を見てルークは首をかしげ、両手で広げて目の前にかざし、目をぱちぱちさせてしばらく無言でながめてから、おもむろにアンヌを振りかえった。
 その日のルークの衣装は、毎朝アンヌが用意することになっている。それは時に伝統的な長衣であったり、少しずつモードの変わるシャツやズボン、上着に、様々な種類のネッククロスと、その日の予定やアンヌの気分で決められる。
 上級使用人は、実家へ戻れば本人が使用人を使うような良家の出であるものが多いが、アンヌもその例に漏れず、嫁いで家を出るまでは王族、貴族御用達の帽子を扱う大店の娘であった。そのせいか流行には非常に敏感で、色彩のセンスも優れ、ルークは用意された衣装に不満を感じたことが一度もない。この世界に来てからずっとアンヌに見立ててもらっているのだから、単に好みが似てきているだけかも知れないが……。
 だが、今朝用意されたものは、いつもと全く様相が違っていた。
 金糸の縁取りの入った純白のコートは厚手の上質な生地で、軽いが暖かそうだ。裏地のシルクは手触りからしてマルクト産の一級品だろう。しかも細かな地紋が織り込んである手間のかかるもので、下手をすれば表の生地より値が張るかもしれない。一見地味なボタンは、袖口やポケットの飾りボタンに至るまですべてが純金製。
 けれども腰を覆う程度、あるいは膝丈程度の長さの上着が主流の中で、足首にまで届きそうな長い丈の上着はそれだけで異質だというのに、後ろ身頃には大きくスリットの入ったスワローテイルとくればもはや奇抜というほかはない。前から見たときの丈はかなり短めだったが、わざと内側に着るものを見せるようなデザインになっているのだろう。
 ズボンも今は比較的細めのものが流行りであるのに、時代に逆行したかのような太めのものをだぶだぶで着るデザインになっている。そしていつもの足先の華奢な靴ではなく、鉄板を蹴っても足を痛めそうにない頑丈なブーツ。鉱夫や傭兵の持ち物ならそれほど奇怪ではないかもしれないが、貴族の子弟の履物と言われれば、色もかたちもかなり不審だ。
 ルークは思わず、それらをぎゅっと抱きしめてしまった。細部は異なるが、それは不満や反抗心の固まりだった『以前』のルークがとても気に入っていたもの。貴族らしからぬそれに、アンヌを含めて使用人たちが眉を顰めるのを心地よく感じていた。そして──消滅の時も、この服を着ていたはずだ。
「アンヌ? ……なにこれ」
「お気に召しませんか?」
「う、ううん、いや。カッコいいと思うよ。……けど……」
「最近バチカルで大人気のデザイナーの新作ですよ。もちろんオリジナルのものとは違って、生地もボタンも特注品ですけどね。先日奥様が外出されたとき、歩いている平民の少年たちをご覧になって、ルーク様にこういうものを着せたらどうかとおっしゃったんだそうです。ほら、ガイラルディア様とたまに隠行されますでしょ? 昨夜は別のものをご用意して休んだんですけど、今朝になって奥様があれを出して、とおっしゃったので」
 口うるさいアンヌが特に文句を言わないのだから、彼女もお忍び用の服としては悪くないものと判断しているのだろう。案の定、
「新しい流行はいつでも頭の固い方々に眉をひそめられるものですが、衣装の流行に停滞はありませんからね。特に下々ではドレスコードがあまり意識されることもないですし。ですが、最近では貴族の若様たちも下々の流行りを無視できなくなっているようですよ。ガイラルディア様など最たるものですが、皆様最近ではお気軽に下町を歩かれますものね」
「今日、街へ出かける予定なんかないけど……」
「さ、それはどうなるかわかりませんよ」
「……?」
「すぐにわかります」くすりと笑って、アンヌは着替えているルークの横で脱いだものをテキパキまとめていく。「朝食の準備もさせましょうか。卵はどうされます?」
「白身固めて黄身とろとろのゆで卵がいいな」
「かしこまりました。ああそれから、十時になったらグランツ謡将がお見えになるそうですよ」
「グランツ謡将? 予定ないのになんだろう? ……分かった、ありがとう。下がっていいよ」

 アンヌが夜着や洗面に使ったタオル、シーツなどをまとめて退室すると、直後にノックの音が聞こえた。返事をしようと口を開ける前に、せっかちな客人がさっさとドアを開ける。そんなことをする人間を、ルークは一人しか知らない。
「ガイ!! いつ帰ってきたんだ?!」
 顔を見たとたん、困惑と小さな疑問が吹き飛んだ。
 飛びかかる勢いで抱きついても、ガイは小揺るぎもせずにルークを抱き返し、「ただいま。そしておはよう」とキスを二回してからルークの頭をわしゃわしゃとかき回した。「一体どうしたんだその格好?! 見違えたよルーク! 部屋を間違えたかと思ったぜ。──戻ったのはついさっきだ。だから眠いんだが、ベッドに飛び込む前にお前に言付かった土産を渡そうと思ってな」
 ガイが差し出した綺麗に包装された包みを受け取り、嬉しそうにリボンをつついて、ルークはさっそく包装を開けはじめた。
「姉上、忙しそうだった?」
「まあな。半月見てたけど、夜勤も多くて結構大変そうだった。けど、好きでやってることだからな。職場見学もしたんだが、すごいぞ。めちゃくちゃ患者に恐れられていた」
「はははっ!」ルークは思わず吹き出した。「姉上らしすぎだ、それ! おお、指無しのグローブだ、カッコいいな!」
「いい年してお揃いだぜ、ほら」
 ルークと同じ黒い手袋をはめた手を、ガイが嬉しそうにひらひら振ってみせる。「剣の稽古の時は必ず付けろってさ。──もうそんなこともないのに、血肉刺だらけだったころの記憶が余程強烈らしい」
 あはは、とルークは笑顔を苦笑いに変えた。
「姉上には色々心配かけたからなあ……仕方ないよ。会いたいなあ、もうどのくらい顔見てないんだろ……? 新年にも帰れないっていうし、ガイも師匠もいなくて、おれ、寂しくて仕方なかった」
 グローブを付けた手で結んで開いてしているルークを、ガイは思慮深げな青い瞳を細めて見つめ、もう一度頭をくしゃりと撫でた。
「なあルーク。昼前には起きるから、街に出ないか? ラムダスからお前が鞍の修理をしたがってるって聞いたんだけど、七番街に腕のいい馬具職人がいるそうなんだ。下町だけど──その格好ならあまり浮かなくてすむよな」
「う、うん。行く。ガイ、ありがとな」
 寂しいなんて言ってしまったから、疲れているガイに気を使わせてしまったのかもしれなかったが、申し訳ないと思いながらも一緒に出かけられるのが嬉しくて、ルークは素直に頷いた。
「それはそうと、その服お前に凄く似合ってる。白ってとこが特にいい。男っぷりが上がって見えるぞ──美少年度は何割か落ちちまうけど」ガイは少し眩しそうな顔で笑い、「でも残念ながら、まだまだ下町っ子には見えないな……ん。どう見たっていいとこの坊ちゃんのお忍びスタイルだ」
「ちぇっ」ルークは悔しそうにガイの胸を叩いた。「お前がなりきるのが上手すぎなんだよ」
「伯爵になるのを止めて、俳優に転向するかどうか検討中なんだ」
「……どっちも向いてないんじゃないの。あ、十時にグランツ謡将がいらっしゃるそうなんだ。ガイはどうする? やっぱり寝てる? 予定外だけど、稽古つけてもらえるかもしれないぞ」
「うーん、心の揺れる誘惑だこと……。でも、ほんとに眠くてな。ペールは化け物だよ、留守にしてた間に丹精してた花壇がどうなってるか気になって仕方ないんだとさ。着替えもそこそこに中庭へ飛んでったぜ。だが人間の俺はまたの機会にするよ。万全の体調でなくちゃ、あいつとまともな勝負なんか出来やしない。よろしく伝えてくれ」
「そっか。わかった。じゃ、昼にな」
 ガイを促して部屋を出ると、部屋を一巡りだけ眺め、ドアを閉めた。

「ルッ、ルーク・フォン・ファッ、ファブレ! ──さま、おかっ、おか、か、かかか覚悟おおぉおおお!」
「やはりお前か、ティア!! 一体、何を──」
「──へ、お、おれっ?!」

 その場にいた者の誰かが命を狙われるとしたら、もっとも可能性があるのは、公爵家の無名の子息などではなく、キムラスカ・ランバルディア王国軍元帥クリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレか、内外に敵の多い著名人、ヴァン・グランツ謡将のはずだった。
 個人的理由だったとはいえ、現に『以前』はヴァンが襲撃されたはずだが……。

「これは譜歌かっ?! 出会え、出会え!! お屋敷に第七音譜術師セブンスフォニマーが侵入しておる!!」

「なに、え、あっ、きょう?! まさか、え、いや、今日?!!」
 非番のため趣味の園芸に勤しんでいたペールが警告の声を上げたのを聞き、ルークはとんでもないことを忘れていたことに気付いた。
『以前』は自堕落な無為の日々を過ごし、何も知らぬまま尋常ではない現象で異国へ飛ばされ、日々を生きる──というか連れの者たちに付いて行くので精一杯だったわけで、正直いつのことだったのか細かい日付は憶えていない。だが、月くらいは憶えていて当然だった。
 こんな大事な日をころりと失念していたのは、この世界に来てからの日々があまりに『以前』とかけ離れていたからだ。流れも結果も違うことが多いとはいえ、『以前』と同じ事象も時には起こることだってあったのに……。

 完全に虚を突かれるかたちになったルークが、ものすごい形相の侵入者が振りかざしたロッドを、とっさに引き抜いたナイフでかろうじて受け止めた瞬間、周囲の第七音素が恐ろしい勢いで相対する二人の間に押し寄せてきて、共鳴音──それは第七音素の素養があるものの耳には和音の洪水ともいえる凄まじい轟音だった──を響かせた。
 ルークは情けないことに、その時初めて『以前』の旅立ちの瞬間と同じ形になっていることに気付いたのだった。慌ててナイフを引こうにも、すでに共鳴反応を起こし収束する力が強すぎて、磁石で張り付いたようにナイフは微動だにしない。
「は?! おま、ティっ? え、え、誰?!」
「こ、これっ、セセセ第七音素セブンスフォニム?! うそ──っ?!」
 吃りまくり、完全にひっくり返った甲高い声の語尾に、低い男の声が重なった。

 ──響け……ローレライの意思よ届け……開くのだ!

「ちょ、待っ……!!」


2019.03.16改稿(2012.10.25初出)