キィンと、剣と剣のぶつかる高い音が響き渡った。
「戯れ言を。──消えろ!」
受け止めた刃をヴァンが力で押し返す。ルークはその力に逆らわず真後ろに飛んだ。間髪入れずそこにナタリアの矢が矢継ぎ早に襲いかかるが、ヴァンは一振りですべてを切り払い、剣を返すと走り込んで来たトクナガに斬りつけた。
「あ痛! こんのぉ〜!! 爪竜烈濤打!!」
アニスの乗ったトクナガは軽いダメージを負いながらも振り回した腕を当てることで、僅かにヴァンを後退させた。ガイがアニスに入れ替わってその空間に飛び込み、アルバート流の弱点を突くシグムント派の技を連続して叩き込む。だがそのほとんどは弾かれ、最後に放った奥義のみが、ヴァンの顔にかろうじて小さな切り傷を作った。
「他にやりようはなかったのかヴァンデスデルカ!? お前のやっていることは無茶苦茶だ!」
「愚か者め! この星はユリアの預言の支配下にある。預言から解放された新しい世界を作らねば、人類は死滅するのだ!」
「お前の計画通りにことを運んでも! 人類が死滅することに変わりはあるまい!」
ガイの連撃は、アッシュやルークならすべて防げたかどうかわからないほど凄まじいものだった。それゆえ応戦するヴァンとガイの隙を縫って攻撃するのは難しく、ルークは守護方陣でガイを援護しつつヴァンの隙を窺う方針に切り替えた。守護方陣による攻撃も、運良く一、二度はヴァンに当たったようだが、ガイの攻撃と同時にほとんどが防御される。
「ガイの言う通りですよ。あなたのやろうとしていることは、『はしを渡るな』と言われて橋の真ん中を通るようなもの、所詮揚げ足取りです。預言のすげ替えを行っても、結局あなたの手で人類が死滅させられるだけ。結果に変更はない」
後方から譜術を飛ばしても、動きの素早いヴァンにことごとく避けられる。それどころか譜術をぶつけて相殺さえしてくる。ヴァンほどの使い手になると、譜術に集中していても身体が無意識に防御反応を取るのだろう。
八人掛かりの攻撃が、効果的なダメージをほとんど与えられていない。
「眼鏡、チビ、ディスト、一旦下がれ! ガイは攻撃! レプリカはそのまま守護方陣、ガイを護れ! ヴァンに当たらなくていい、ガイと自分の体力だけ見ていろ! メロン、ウィッチクラフト! 回復は気にしなくていい、連続で攻撃譜術をぶっ放せ! ナタリア! ヴァンに回復させるな! 仲間の体力に気を配って、状況次第でメロンにトリビュートの指示を出せ!」
素早く状況を見極めたアッシュが、四人交替でヴァンに息を入れさせないよう指示を出す。的が一つでは、数が多くとも攻撃に無駄が出ると判断したのだ。
メロンと呼ばれたティアが一瞬、ぎらりと殺意の籠った視線をアッシュに向けたが、口に出して体力を減らすような真似はせず、黙って指示に従った。
一人を八人が攻撃する。
他者の目にはまるで嬲っているかのように見えたかも知れないが、相手がヴァンとなると、人数の利にはなんの優位性もなかった。ヴァンはそれほど圧倒的な強者だったのだ。
戦闘の指揮を総括して取るのに慣れているのはジェイドも同様だっただろうが、こと少人数での白兵戦となると、それはアッシュの独壇場だった。ひっきりなしに出される指示に従い、交替で入れ替わり、残りは己と戦闘中の仲間の体力回復に務める。そうすることでヴァンから回復の隙を奪い、味方はこまめに休みながら再交替までの短い時間、最も効果的な攻撃を続けざまに叩き込むことが出来た。
「ディスト、交替だ! 一旦下がれ!」
「私のカイザーディストRZ(改)があああぁぁぁぁ!」
「ああ、そのオモチャは壊れるまで下げないでくださいね」
「あれ? 大佐ってそれなりにアレを認めてるんですかぁ?」
「本当ですか!? ジェイドぉぉ!!」
空気の読めない約一名のせいで、どこか緊張感に欠ける瞬間もあったけれど、もしかしたら肩に力の入りすぎていた者たちから適度に力みを抜く効果があったかもしれない。アッシュが指示を飛ばすたび、ぎこちなく指示に従っていたはずが、全員数手先まで読んでうまく連携を取るようになっている。
「強えな。予想以上だ。これだけの人数がいて、スタミナ切れを狙うしか手がねえとは」
一人ヴァンの奥義の的となって仲間のためにヴァンの隙を作り、ヴァンの攻勢に押されたような形で大きく飛び退ったアッシュが、息を入れていた仲間に交替の合図を出して感嘆の声を上げた。
「なんだかあなたは楽しそうに見えますね」
代わりに攻撃を開始したルーク、ガイ、ティア、ナタリアの動きを目で追っていたアッシュは、すでに指示を出すまでもなく危なげのない連携が取れていることを確認して、ふっと息をついた。口の中を切ったのか、ぺっと真っ赤に染まった唾を吐き捨て、口元を拭って苦笑する。
「あれでも一応俺の師だからな。簡単にやられるようじゃ困る」
「楽に倒せたほうがいいでしょうに。脳みその代わりに筋肉が詰まっている人の考えはわかりかねますね」
「ふん」やれやれと肩を竦めたジェイドを鼻で笑い、アッシュはルークを顎で示した。「レプリカも無心になってきたようだな。この短い間に、一段二段腕を上げている」
ジェイドはナタリアやティアにグミを使いながらルークの様子を見つめた。ヴァンの体力が落ちて多少鈍くなって来たのもあるだろうが、ガイを攻撃の主力として回復に専念していた最初と違い、時折ガイに息を入れさせながら交替で攻撃する余力を得ている。
その表情は確かにアッシュの言うよう、限りなく無心で、ひたむきで、かつ透明に見えた。剣を合わせることで何かを問いかけ、また答えを得ているような……そんな求道者のような風情がある。
「兄さん、わからないの!? 預言は絶対の未来じゃないわ!」
「違うな。メシュティアリカ、さっきお前も言っていたではないか、レプリカの中で預言に振り回されながら生きる被験者が一人、と。預言は詠まれずとも存在しているのだ。預言に頼らず己で選択したと思い込んだ道、それこそが預言に詠まれた未来だ。人類がどう足掻こうと人は預言通りに行動し、定められた滅亡へと導くのだ!」
「それなら預言を持つ人類である師匠の行動も、預言通り人類を滅亡へと導くものと言えるのではないんですか!?」
「ふん、レプリカごときが小賢しいことを! この世から預言を滅するのが我が道、人類が滅亡するのはその過程に過ぎぬ! 同じではないわ!」
「ルーク無駄! 総長はめちゃくちゃだよ! もうぶっ潰すしかないんだって!!」
「潰れるのはお前たちだ! 滅せよ、預言に支配された人類よ!」
随分長く戦っていたようにも思ったが、実のところそれほどでもないはずだ。せいぜい小半時程度だっただろう。ヴァンは八人を相手に驚異的なほどよく戦ったが、永遠にいなせるほどルークたちも弱くはない。
息を入れる間もない波状攻撃に細かなダメージが積み重なっていき、グミを掴む手には矢が、ダガーが飛んで手からそれをたたき落とす。守護方陣で僅かな体力を回復しても、八人がかりでの容赦のない攻撃によって、ヴァンの体力はじりじりと失われて行った。
剣を構えるヴァンの手を下げさせたのはルークの最後の斬撃だったが、肩から脇にかけてぱっくり斬り下ろされ、血を噴き出しているその傷が致命傷になったとは到底言えないありさまだった。詠師であり、また主席総長の証である白いタバードは、すでに元の色がわからないほど血を吸って、嵐に巻き込まれたかのように細かく切り刻まれていた。
「あな……どった……か……」
けふけふと咳き込むヴァンの唇の端から、血飛沫が飛び散る。
ルーク、アッシュ、ガイは小揺るぎもせず剣先を向けていた。ジェイドは槍を構え、トクナガはいつでも飛びかかれるよう腰を低くしている。ディストはほぼ仲間の回復に専念していたため、代わりに攻撃に参加していたカイザーディストRZ(改)なる自動攻撃人形は主の指示の無いまま戦い、半壊していたが、いつでもレーザーを撃てるよう、砲はヴァンに向いたままだった。
ナタリアはヴァンが医薬品やグミに手を出そうものなら即座に射抜いてやるという気迫を籠めて、僅かな動きに備え矢を番えていたが、ティアは精も根も尽き果てたようにダガーと杖とを握った両手をだらりと垂らし、顔中を涙でぐちゃぐちゃに歪めていた。
「失敗作に、倒されるとは、な……」
不快な音を立てて、ヴァンの剣先が地に突き立てられる。その刃はすでにぼろぼろに欠けていた。がしゃんという音は床に剣が突き立った音ではなく、あちこちが緩んで使い物にならなくなった剣の断末魔だったのだろう。
ヴァンはその剣を杖代わりに背を伸ばし、ルークたちを睥睨したが、すぐに身体を折って咳き込み、血を吐いた。声も無く泣きじゃくるティアが思わず、というように一歩を踏み出すが、ヴァンはその情を拒むように剣を離して後退する。後ろに倒れ込みそうになるのを、数歩たたらを踏み、上半身でバランスを取ることで堪えたが、思い通りに動かない身体に、ヴァンは不思議そうに胸に開いた傷に触れた。
「ふ、ふ……ふははは……」
べったりと指先を濡らした深紅をまじまじと眺め、ヴァンはさもおかしいというように哄笑した。
「面白いではないか……」平衡感覚を失ったように、ヴァンはふらふらと後退していく。力尽きたように、ゆっくりと目が閉じられていった。「まったく……面白い……」
世界から、音が消えたように感じた。
ルークの目には、時間すら急に遅くなったように見えた。よろけながら後ずさりするヴァンの足下から床が消え、ゆっくりと後ろ向きに奈落へ落ちて行く。ティアが手を伸ばす。何か叫んでいるようだが、聞こえなかった。その視界に、真紅が流れ、奈落に消えた。
音が唐突に戻ったのは、かろうじて床の端に指を掛けて落下を免れたアッシュの左手を掴んでからだった。誰かが耳障りな悲鳴を上げているのに、アッシュの声が被さる。
「落ち着け、レプリカ、落ち着け……」
アッシュは、底なしの奈落に身を晒しながらもなんとかルークを宥めようと落ち着いた声をかけていたが、ルークには障気渦巻く地獄へと続く、真っ暗な穴しか目に入らなかった。
体中に恐怖の嵐が吹き荒れ、ルークは叫び続けた。横から次々に手が伸びて来て、ルークの手の先にかろうじて繋がっていたアッシュと、彼が右手で掴んでいるヴァンを引きずり上げても、悲鳴は収まらなかった。
「あなたは馬鹿ですか!? 自殺行為ですよ、自殺行為!!」
「無茶をする……!」
「ったく、肝が冷えたぜ、この馬鹿っ!」
恩人である男たちにも、半分腰を抜かしている少女たちにも目もくれず、アッシュは未だ壊れた音機関のように悲鳴を上げ続けるルークを抱きしめた。
「すまん、思い出させたんだな……。俺は大丈夫だ、落ち着けレプリカ、大丈夫だ、大丈夫……」
「あああぁぁぁあ! うあっ……あああぁぁぁぁぁ!!」
「レプリカ……レプリカ……大丈夫だから……」
「うわぁぁぁぁぁん、うううっ、わああぁぁぁん!!」
「──っち、いい加減泣き止めって、ほら……」
袖口で乱暴に涙を拭ってやりながら、アッシュは耳元で大丈夫だと囁き続ける。恐怖をすべて吐き出したのか、少しずつ悲鳴が号泣に変わり、更に嗚咽に変わったころ、アッシュはルークを抱いたまま引き上げられたヴァンの方を向いた。ルークがひくっとしゃくり上げ、再び溢れ出した涙を拳を当てて必死に拭った。
アッシュはルークをゆっくりと立ち上がらせ、泣きながらヴァンの頭を撫で続けるティアの元へ促した。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたティアが、のろのろと二人を見上げる。
「アッシュ……ありがとう……ありがとう……」
泣いているティアに頷いたあと、アッシュはルークの肩を抱いたままヴァンの傍に跪いた。
「……」
虚ろな目を天井に向けたまま、ヴァンが薄らと口を開く。何か言ったようだが、その色を失ってわななく唇からは、声ではなく鮮血が零れた。
「お前はそれでいいかもしれないが、お前の死を悼む者には弔いと拠り所が必要だ。ここにはお前の死を悲しむ者が、少なくとも、三人……いる」
ヴァンが言わんとしたことが聞き取れたのか、あるいはただの予測であったのか、アッシュが穏やかに答える。
(ティアと、おれと……)
ルークは表情のないアッシュの横顔をちらりと見つめ、ヴァンに視線を戻した。ヴァンに裏切られたと思ったアッシュは、ルークと違ってヴァンを敵だと断定し、反旗を翻したが、その苛烈さのぶん、本当はヴァンを深く恃み、慕っていたのだろう。
急速に生気を失って行くヴァンの視線が少しだけ動き、妹のティアでもなく、偏重していた被験者でもなく、ルークに向けられた。
「……」
「ヴァン師匠?」
「……だ……、……呼……」
「師匠? 今、なんて? ……なんて言ったんですか? 師匠、師匠……っ」
(……おろかな……リカ……)
涙のせいか鼻が詰まり、うまく呼吸が出来ない。ルークはハ、と口で息を吸った。かすかに上下していた胸の動きが止まり、ヴァンの唇の端からコプ、コプと血泡が溢れ出す。アイスブルーの瞳の瞳孔が、見る見るうちに染みが広がるように大きくなった。
『愚かなレプリカ』
ヴァンの唇の動きは微かで、呻き声一つ出なかったが、そう呼ばれるのを恐れていたせいもあるのだろう、声がなくともヴァンがそう呟いたことが、ルークにははっきりとわかった。
その言葉には、もう蔑みも嘲りも混じっていなかった。今更、ルークを操ろうとしたとも思えない。一体、ヴァンは最後に何を思ったのだろう。ただ目の前に見えたものを口にしただけなのだろうか……。
──だがその答えは、もう永久にわからないのだった。
血で汚れた顔を拭い、優しく呼びかけながら顔中にキスを落としているティアの背にさまざまな想いの籠った手のひらを押し当ててその悲しみに共感を表し、ルークはよろよろと立ち上がった。気付いたアッシュが肩を抱いたまま一緒に立ち上がる。
ルークはゆっくりと操作盤の前に立った。ちらりとティアの背を振り返り、続いて隣に立ったジェイドに頷く。
「師匠が封咒を解いてくれてる」
「ありがたいですね。ティアの身体はかなり蝕まれていますから。ルーク、もうラジエイトゲートへ向かう猶予はありません。ここから操作します」
「うん」
「まず、記憶粒子の逆流を止めて──そうです。それから外殻大地すべてをゆっくりと降下させます」
ジェイドの指示に従い、ルークが力を注ぎ込むと、操作盤上の、セフィロトを示す円を囲む赤い光が消えて、円同士が繋がれて行く。
「一緒にやろう」
「アッシュ。……うん」
ルークが寄り添うアッシュの顔を窺うと、アッシュもルークを見やり、口元を綻ばせた。ぴったり同じだけの力が、アッシュから注がれているのがわかる。これまでにないほどの力が操作盤に吸い込まれたが、足りない、と思うと傍らから同じだけ増した力が注がれた。
「く……」
「──大丈夫か、もう少し頑張れ……!」
「う、ん。でもキツ……」
全部のセフィロトをここから動かそうとしているためだろう、コントロールもまた、これまでで一番難しかった。集中しているためか、ヴァンとの戦いで消耗したままの体力が、恐ろしい勢いで尽きて行く。ルーク一人だったら、到底成し得たかどうか。
だが、今ルークの隣には、足りない所を補いあえる伴侶がいて、彼をしっかりと支えてくれていた。
「想定通り、障気がディバイディングラインに吸着していますね」
ほとんど感情の動きを見せないジェイドの声に隠しようのない安堵と喜びが滲んでいるのに気付き、ルークはアッシュと顔を見合わせて微笑んだ。
「──ぅあっ!」
突然、脳裏に共鳴音が鳴り響き、ルークは足下からくずおれそうになった。支えるアッシュ共々、その身体が光に包まれる。
《ルーク。今、鍵を送る。その鍵で私を解放して欲しい》
「レプリカ?! どうした、大丈夫か?!」
「だ、だいじょう、ぶ。この声、ローレライ……痛っ……」
何が起こったのかわからず、あたふたと見守る人々の前で、少しずつ二人を包む光が凝縮されていき、完全にそれが無くなったとき、二人の前には変わった形をした一振りの剣と、内部に何かを内包した、水晶のように透明で完全な球体をしている美しい珠があった。
「な、なんだこれ……」受け止めるようにさし出したルークの手の中に、珠は赤く透き通った光を纏ってゆっくりと降下し、納まった。「……冷たい。これが鍵? それとも、」
珠をしっかり持ったまま、ルークは剣を見つめた。アッシュが柄を握ると、淡く発光していた光が消える。途端に重量が手首にかかったようで、アッシュは微かに息を飲んで取り落としそうになった剣を握り直した。
「刃があるけど……それは剣、だよな? そっちが鍵? 変な形だ」ルークがおっかなびっくりでアッシュの掴んだ剣を覗き込むと、アッシュがいや、と首を振った。
「鍵……? ルーク、それはもしかしてローレライの鍵のことですの?」
「知ってんのか?」
覗き込むナタリアにルークが驚いたような顔を向けると、ティアも涙を拭いながらルークの向かいに立ち、珠と剣とを交互に見つめた。
「……ローレライの剣ね。かつてユリアが契約の際にローレライから受け取ったものよ。ユリアはこの剣にローレライを宿し、その力を自由自在に扱ったと言うわ。この剣には第七音素を一点に集める力がある」ティアは次にルークが大切そうに捧げ持っている珠を差した。「そっちは多分ローレライの宝珠ね。剣とは逆に、第七音素を拡散させる力があるの。二つが合わさるとローレライの鍵となって、ローレライを具現化することが出来るって言われているわ」
「剣が収束……宝珠が拡散……合わさるとローレライを具現化……」
ルークは剣と宝珠とを指を指して確認し、数秒の間何かを考えていた。「ローレライ……そこにいるのか?」
《何か》
「あのさ、少しだけ待ってくれねえかな? そんなに長い間じゃない、一週間……いや、四、五日でもいいから。必ず解放してやるからさ」
《……我は長い時を待った。あと少し待つことなど、なにほどのこともない》
「あ、ありがと……」
礼を言うと、少しだけローレライが笑んだ気がして、ルークは頬を染めた。アッシュの身体を乗っ取ったときのように姿が見えるわけではないのだが──あれだって厳密には「ローレライの姿』とは言えないのだが──あのときの印象が強かったせいか、頭の中の声だけで、なんとなく肉体を持たないはずのローレライの姿が脳裏に浮かぶのだ。
完全同位体であるアッシュ同様に、髪は長く、真紅だろう。瞳はルークよりも深みを帯びて、神、と呼べる者の英知と、慈悲を秘めている。アッシュが少しだけ大人になったような顔には、皺ではなく久遠の年月が刻み込まれているだろう。
もしかしたら数年後のアッシュは今よりもっとずっとカッコ良かったりするのかも、と思うと、訳も無くルークは照れくさくなった。
「なんで顔赤らめてんだよ。それは何だ? 奴は何だって?」
アッシュが不快げに眉を寄せてルークの腕を掴み、軽く引いた。
「あ、えっと……。鍵を送るから解放してくれって」
「……なるほど」ジェイドが眼鏡を押し上げながら言った。「ローレライの解放も、ティアの治療も、あなたがたのことも……一体どれだけの力を使うことになるのかわからない。それが少しは助けになるかも知れませんね。あなたにしては冴えている」
「ムカッ……。確かにそう思ったけど、ヤな感じ!」ルークは口を尖らせ、それ、とアッシュの握った剣を差した。「しばらく鍵にしないでバラにしとこうぜ」
「それがいいでしょう。剣はあなたが持っていなさい。力を使うと第七音素の結束が緩み、少しずつ乖離します。それを少しでも防ぐために。宝珠はアッシュ、あなたが。被験者の身体を構成する音素に、第七音素はありませんからね」
ディストの指示に従い、アッシュとルークは手にしたものを入れ替えた。
ティアの治療のため、また大爆発の回避のため、ローレライからもたらされた二つのものが、何らかの助けになってくれることを期待して。
半壊したカイザーディストRZ(改)がヴァンの遺体を運び、一同はアブソープゲートを後にした。大きなことを成し遂げた達成感や、世界を救えた喜びはそれほどなく、ただ重苦しい喪失感がだけが一同の間を押し包んでいる。倒したのは敵だったが、喪ったのは家族であり、師だ。これは葬送の列だった。
いつも通りの笑顔で「お帰りなさい、お疲れさまでした」と迎えてくれるノエルに、ようやく家に帰り着いたような安堵感に包まれ、笑顔が戻る。ギンジが操縦席に戻り、アルビオールが飛び立つと、ノエルが足音を弾ませながらコーヒーを配って回った。
その目が潤んでいるのに、誰も気付かないふりをした。
ノエルも、ティアが隣に座らせ、手を握っているヴァンのことを聞こうとはせず、ただ反対隣に座ってティアの頭を引き寄せ、自分の肩にもたれさせた。
やがて、機内に小さな小さなすすり泣きの声が流れた。