バニシング・ツイン 34

 メジオラ高原は、緯度だけを見るとオアシスの町やバチカルとさして変わらない。だが、バチカルと同じく標高があるため、ベルケンドなどよりよほど過ごしやすい気候の土地だ。風は適度に湿気を含んでいるが涼やかで、もっとも体調が心配されるティアの足取りも軽い。

 入り口を探しながら、全員が息を潜めるようにアニスとイオンの様子をうかがっていた。二日間という猶予期間に、おそらくなんらかの話し合いを持ったのだろう。イオンの態度は相変わらずで、なんら変化はなかったが、アニスの方には若干ぎくしゃくした様子がうかがえる。だが表情は非常にすっきりとしていて、いずれ再び屈託のない関係に戻るだろうと思わせた。
「あったわ! ここじゃないかしら」
「……間違いありませんね」
 込められた力を確認するように扉に触れているイオンの隣で、同じように扉に触れていたアッシュがため息をついた。
「俺が破壊出来れば良かったんだが……。この扉は正しく開かなければならないようだ。力の余波がどこへ波及するのかわからない。すまないが導師、頼む」
「わかってますよ」
 イオンはにこやかに請け負い、扉を解咒した。よろめいたところをすかさずアニスが支える。「ありがとう、アニス。すみません、能力は被験者と変わらないのですが、僕は体力が劣化していて……」
 アニスが自分の秘密と一緒にシンクのことも話したのだろう。全員が事実を知っているという前提でサラリと明かされた事実に、アッシュとアニス以外のものは一瞬硬直したが、当のイオンは正体がばれて、気持ち的には楽になったのか、とても晴れ晴れとした顔をしている。
「ただ病気というだけではありませんでしたのね」
「ええ。でも体力があまりないというだけのことです。無茶をしなければ命に関わるというほどのことでもありませんから」
「食事の改善や運動をして、少しずつ体力作りしましょう! 体力はある程度努力で付けられます! あたし、お手伝いします!」
 後ろ暗いところのなくなったアニスは今まで以上に全力でイオンを守るつもりでいるらしい。力強く宣言する少女を見下ろして、「頼みます」とイオンが笑った。
 きっと、この二人は大丈夫だろう。
 そんな感じがして、全員がほっと肩に入っていた力を抜いた。
 消滅した扉から少し内側に入った安全地帯で、イオンとアニスは身体を休ませながらその場で待機することになったのだが、冷たい石の床に毛布を敷いたり、持ってきた保温ポットから温かいお茶を注いだりと甲斐甲斐しく世話を焼いているアニスは、誰の目にも以前よりはるかに生き生きとして見えた。

 創世歴時代からパッセージリングの整備のため働き続けてきた機械人形に、ひどく興奮しているガイと、そこはかとなく興奮しているアッシュ。過去の遺恨は晴れつつあるのか、肩をくっつけるようになにやら話し込んでいる男二人をナタリアとティアは少し離れたところから胡乱な目で眺め、時に苦労して現実に引き戻しながら奥へ奥へと進んで行った。
 ティアの障気中毒が本当にパッセージリングが原因で起こっているのか調べるための計測器を腕に巻き、ティアがユリア式封咒を解く。よろめくティアをナタリアが支え、その場にゆっくりと座らせる。ティアは素直にうずくまって、てきぱきと用意された薬と水を受け取った。
 ティアが休んでいる間に、ガイがジェイドの指示を読み上げ、アッシュが操作盤に新たな指示を上書きしていく。三対の目が見守る中、その作業はルーク以上になめらかな動きで行われた。
「お疲れさん」ガイがアッシュの肩を強く叩いて労う。「お前は細かい制御が難しいと言っていたが、普通に出来てるじゃないか」
「あ、ああ……そのようだな」
 アッシュは両手の指先をじっと見つめ、もう一度第七音素を軽く手のひらに収束させてから、拡散させた。
「アッシュ? どうした?」
 ガイが見ているとは思わなかったアッシュは、ぎくりと肩を振るわせて振り返った。「なんでもない。それより、計測器のほうはどうなんだ?」
「アッシュさんや。お前たちは否定するだろうが……。お前とルークは隠し事をするときの後ろめたそうな表情がそっくりだよ。俺に隠せるとは思わないほうがいい」
 アッシュは唖然としてガイの顔を見つめ、バツが悪そうに顔を背けた。「──わかった。だが、後でな」
 無言で肩を叩き、去り際に強く掴んでいったガイの後ろ姿を見つめ、アッシュは重いため息をついた。

「やっぱり旦那の見立ては正しかったな。異常な数値の障気──汚染された第七音素が取り込まれてる。本当のことかどうかわからないと言っていたけど、ユリアの子孫だとかいうヴァンデスデルカの話は嘘じゃないようだぜ」
 ガイが苦笑していうのに、
「話半分で聞いていたのだけれど」ティアが苦笑して首を振った。「誇らしいような迷惑なような、変な気分よ」
「第七音素が汚染されてさえいなければ、こんなことにはならなかったはずですけれど……第七音素はどうして障気に汚染されることになったのでしょう?」
「地核そのものが汚染されてるんじゃねえのか? ──だとしたら、中和なんてしきれるのかどうか……」計測器を荷物に放り込みながらアッシュが言った。
「ロニール雪山の書き換えもてきぱきやって、早くべルケンドに戻ろうぜ」
 ナタリアの手を借りてなんとか立ち上がったティアの前に、アッシュが背を向けてしゃがみ込んだ。「……アルビオールまで背負ってやる」
 驚愕に固まったままのティアに、ふて腐れたような声がかかる。「……レプリカの代わりにだ」
「あ、え、……っと。ありがとう……?」
 いいのかなというようにティアはナタリアとガイに視線を走らせ、赤くなっておずおずとその背中に負ぶさった。
 顔を見られたくないのか、早足で出口へ向かうその後ろ姿を見つめ、ガイが首を傾げた。
「少し、ルークに似てきたような気がしないか?」
「ええ?」ナタリアは一瞬目を丸くしたが、すぐに大きく頷いて吹き出した。ガイにとってはやはりレプリカであるルークのほうこそが基準になっているようなのと、レプリカに引きずられて変化してゆく被験者の妙がおかしかったのだ。
「言われてみれば……。アッシュは、ルークの真似をしてらっしゃるんですのね」
「恐るべしルークの影響力、だな」とガイが笑うと、
「わたくしたちはみんな、多かれ少なかれルークの影響を受けて成長しましたけど、中でもアッシュが一番変わられたのだと思いますわ。ルークがいなければ……叔母様たちのことだって……」
 ナタリアは程よい距離をとってガイの隣を歩きながら、人一人を背負って小揺るぎもしないアッシュの背中を見つめた。まだ成長期だし今後どうなるかはわからないが、いまのところ大柄な少年とはとても言えない。だが、どれほど大きく、頼もしく見えることだろう。以前はどこかもろく、神経質で、不安定なものを感じさせたのに。
「……ルークは、それぞれ自分勝手でまとまりを欠いていたパーティの要なのです。決して失うようなことがあってはなりませんわ」
「心配いらないさ。ルークはあれで本番に強い」
「ええ」褒めるところではないのだが、結局のところアクゼリュスでは超振動のなんたるかも知らぬまま、見事にヴァンの期待に応えたといえなくもないのである。「もちろん存じておりますわ。わたくし、ルークが失敗してアッシュを失うことなど、想像もつかないんですもの」

 アルビオールの傍でノエルを加えた小休止をしているとき、イオンとアニスが顔を見合わせて頷き合い、アニスが口を開いた。
「遠回りになるけど、べルケンドに戻る前に、ダアトに行ってもらえないかな? 多分……多分だけど、ダアトにもパッセージリングがあるんじゃないかと思うんだ」
「僕は聞いたことなかったんですけど」イオンが苦笑すると、
「俺もねえな。どこで聞いた?」アッシュも首を傾げる。
「聞いたっていうかぁ……」アニスは眉を寄せた難しい顔を傾け、腕組みして唸った。「モースの使いっ走りなんかやってると、いろいろ怪しい情報も耳にするんだよね。で、今のあたしたちに有益なのがなんかないかなあって、さっきイオン様と話してるうちにふっと思い出したことがあって。それを推理してった結果の話だから、確かなことじゃないんだ。無駄足の可能性もあるんだけど……」
「ティア、お薬は足りていますこと?」ナタリアがティアを振り向くと、
「多めに貰ったから。行きましょう」とティアも頷いた。「アッシュ、ルークに連絡をとってもらえるかしら?」
「わかった。ダアトに戻るなら、俺もカンタビレのところに顔を出しておきてえ。ヴァンが失脚したおかげで、もう呼び戻されてるはずだしな。自由裁量で動く権限を豪快によこしてくれたが、甘えっぱなしというわけにはいかねえだろう」
「では、次はシェリダンに向かいますね」
 シェリダンに寄れることになって、ノエルも少し嬉しそうに頷いた。
「待って。ほんとにいいの? だって……あたしの考え違いかも……イオン様だって知らないって言うんだし……」
 何の疑問も差し挟まれずにあれよあれよという間に次の目的地に定められ、かえってアニスは狼狽えている。
「図書館で調べものもしたいのよ。なんと言っても、ダアトの図書館が世界で一番大きいし」
「他に手がかりもないしな。アッシュもティアも寄るならやっていきたいこともあるみたいだし、いいんじゃないか?」
「アニス」イオンが、無条件の信頼に戦くアニスの名を優しく呼んで、良かったですねと頭を撫でた。

 ガイが湯を使いに立ってから、アッシュはそっと、伺うように回線を繋げてみた。とたんにそわそわと浮き立つような気配が感じられて、アッシュは少し苦笑する。

《アッシュ》
《痛むか?》
《……ん……少しだけ。平気だ、前ほどじゃねえし……》

 嘘ではないようで、ルークの都合など考えもせず強引にフォンスロットをこじ開けていたころに比べると声にそれほどの苦痛が混じらなかった。
《ちょうど良かった、アッシュ。障気の処理について、作戦が出来たんだ》

 大爆発の研究と障気の対処を同時にやっている研究者たちに内心舌を巻きながらルークの説明を聞いて、頷いた。
《わかった。みんなにも俺から話しておく。こっちにも話があるんだ、ルーク》
 先にダアトへ寄ることになった経緯を手早く伝えると、回線の先で頷く気配があった。
《わかった。アニスがそう思うなら、きっとあるんだとおれは思う。こっちのことは心配しなくていいから、気を付けて行ってきてくれよな》
《本当にあるかどうかはまだわからねえんだが。ま、気楽にやるさ》
《おれも気楽にやってる。ジェイドが……練習は必ずしも人間でやる必要はないって、要はコツを憶えることだって言ってさ。煉瓦で始めて、電球とか、時計とか再構成したんだ。今日、食材の鶏は失敗した……。動揺してジャガイモも失敗しちまって、今日はシチューだったのに、タマネギとブロッコリーと……にんじんだけになったんだぜ》

 ミルクが飲めないというくせに、ミルクたっぷりのシチューは大好きだというルークが力なく今日の成果を告白する。
 アッシュは己の杞憂に苦笑して首を振った。隠しているつもりのようだがルークを可愛く思っているらしいジェイドが、まさか自分が受けたような惨い訓練などやるはずもなかったのだ。

《野菜だけのシチューも俺は嫌いじゃない。白菜とか。……ベーコンくらいは少しあったほうがいいかも知れねえが》
《……白菜のシチュー? そんなのあるのか? ちょっと想像つかねーけど》
《冬になったら作ってやるよ》
《ほんと? うーん、でもあんまり楽しみな気分になんねーなー?》
《お前と俺は味覚が近いからな。好きだろう……多分》

 断言しかけて、アッシュは夢に見るほどタコが嫌いだけれども、時折タコヤキなる世にもおぞましいものを買い食いしているルークを思い出して、自信がなくなった。
 ちょっと息を飲んだあと、ルークがふわっと笑う気配がした。その気配一つで心を覆う暗雲が流れ去り、代わりに温かいもので満たされるのを感じる。

 今日、久しぶりに超振動を扱って気付いた。譜術の威力が落ちていっているのと同じように、力が落ちていることに。アッシュの音素はすでにルークに流れ込んでいる。そのために、強すぎるがゆえに制御が難しかったアッシュと、力劣るがゆえに制御が難しかったルーク、二人の間に力の平均化が起きているのだ。
 検査の時点ではまだ気にするような値ではなかったのかも知れないが、大爆発はもう取り返しのつかない段階へ進行してしまったのだと思う。だとすればもうルークがアッシュを再構成することは出来ない。アッシュを分解すれば、大爆発の完了をよりすみやかにするだけだ。こうなってしまっては、アッシュがルークを再構成するよりほかの手はないだろう。
 過去にアッシュは一度も人体の再構成に成功したことがない。子どもだったからか、それが強制されたもので自分の意思ではなかったからか、あるいは単に超振動を制御するための力に欠けているからか。いずれにせよ本来ヒトが持つべきでない強大な力は、アッシュに一度も支配権を譲ることなく苦しめ続けてきた。多少制御力が上がったからといって、第七音素のみで構成されたレプリカに、他の音素を混合しながら再構成するなど、できる気がまったくしない。
 だが、ルークが笑えている限り、恐れるものは何もないとなぜか思えるのだった。

《俺の方も何とか書き換えが出来ている。降下作業のことは安心して任せておけ》
《おれはそんなこと心配してなかったぞ。ティアは?》
《薬で落ち着いている。今のところ問題ない》
《わかった。頑張んなきゃな》
《無理すんじゃねえぞ》

 回線を切るときに、少し引き止められるような気配を感じた。後ろ髪を引かれるが、これ以上はルークの負担になるばかりだと強引に断ち切ると、えも言われぬ寂しさが押し寄せた。部屋にガイの気配を感じていなければ、それはよりいっそう強く胸に迫っただろう。
「ルーク、なんだって?」髪をわしわしと拭いながらガイが戻って来る。
「苦労しているらしい。……なんであいつと話したのがわかるんだ」
 ルークのように声に出して話しているわけではないのに。
「表情が優しくなるからさ。──さて、アッシュ、」
「先に風呂!」アッシュはガイに表情が見えないよう立ち上がり、逃げるように浴室へ向かった。背後で、ガイが笑ったのがわかった。それは腹立たしくもあり……ひどく照れくさくもあった。 

「……あったわ」
「ありましたわね」
「すごいじゃないか、アニス!」
「お前の正しい使い方を見抜いた一点に関してはモースを評価しよう。チビ、今日中にモースと話をつけてこい。導師、こいつはすぐにでも馘にして特務師団へ回していただきたい」
「ええっ! せめて全部の封咒を解くまでは待って下さいよ! というか僕はアニスを馘にする気なんか」

 モースのこぼす断片的な情報を拾い上げ、アニスが推理したとおりの図書室で『秘密の隠し通路』を見つけ出した。「なんかわくわくしますね」とまるでルークのようなことを言うイオンを中心にしてどんどん先へ進んで行ったところ、今彼らの目の前にはダアト式封咒の扉がある。
 最大の殊勲者のくせに一番信じられないといった様子で戸惑っているアニスの背や肩を全員がよろけるほどに遠慮会釈なく叩いて労った。
 背中を支えるアニスに一つ頷いてみせ、イオンが封咒を解いた。「うーん、やっぱりふらつきますねえ……。すみません、あとは頼みます」
「あたしはイオン様とここに残るよ。少し休んだら、先に戻るから」
「それぞれの用が済んでも済まなくても、夕食の時簡には一度僕の部屋に集まって下さい。ご一緒しましょう」
「了解」

 メジオラ高原と同じく二人をあとに残して進み、ユリア式封咒を解いたティアにすかさずナタリアが薬を飲ませる横でアッシュとガイが書き換えを行う。
「ふう。お疲れさん。明日は予定通りロニール雪山へ出発だな」
「予定外の寄り道にはなりましたけれど、後でここを探すのに比べたらずいぶん時間の短縮になったと思いますわ」
「そうだな。……イオンとの約束にはまだ間がある。解散して、各自用を済ませてくれ。ナタリアと俺で買い出しをしておくからさ」

 現在の上司であるカンタビレのところで今後のことも含めて報告や話をしたあと、突発的に飛び出してきたままの宿舎の自室を整理した。読みかけの本や衣類のいくつかを荷物に詰め、酸化してしまったコーヒー豆や湿気ったビスケットなどを処分していく。あまりものを溜め込むほうではないとはいえ、それでも七年生活していた部屋にはそれなりにものが増え、雑然とした印象が拭えない。徹底的に整理したい衝動に駆られたが、あえてそのままにしておくことにする。なにもかもが終わったら、きっとここに戻ることもあるはずだ。
 次にごみごみした路地を通り抜けて、ヴァンに気付かれないように用意した隠れ家へ向かった。
 狭い階段を上がってドアを開けると、古いアパートメントからはどこか饐えたようなむうっとするにおいがこもっている。目の前に隣の建物があるため、あまり風通しが良いとはいえないが、少しでも空気を入れ替えるために窓を開けた。わずかばかりに入ってくる温んだ風は、じきに夏がくるのだと予感させる。夏までにすべてが終わるなら、もっと過ごしやすいところに部屋を探そうかと、ここがベルケンドの狩猟小屋より隠れ家っぽいとはしゃいでいたルークの姿を思い出して考えた。過ごしやすくて、より『隠れ家っぽいところ』を。それを探すのは、どんな仕事よりも楽しいだろう。
 ざっとの整理をしたが、宿舎の部屋と同じくあくまで掃除の範疇に収めたのは、あまりやりすぎるのも縁起が悪いような気がしたからだ。

 少しソファでうとうとしてしまったらしい。ふと気づくと、部屋は真っ暗になっていた。集合時間のことを思い出して慌てて飛び出したが、日はちょうど西の空に沈むところだった。ほっとして歩調を緩め、再び路地を抜けて大通りに戻ろうとしたアッシュは、その一歩を踏み出すことなく暗がりに身を潜めたまま剣に手をかけ、全身に緊張を漲らせて背後を伺った。
 よく見知ったものの気配。もう長い付き合いなのだ、今更間違えることなどあり得ない。

「全世界で指名手配されてるってのに。怖いもの知らずだな、ヴァン」
 彼の師であり、国際指名手配犯であるヴァン・グランツが、暗がりに身を沈めるように立っていた。


完結していない物語に、価値も意味もない。相棒がそのようなことを自嘲気味に言いますが、本当にそのとおり><。アッシュの口調はこちらがデフォルトに近いはずですが、現在進行中のもの二作品ともにアッシュの口調が崩れているため、とても新鮮に感じました。(2013.01.23)