バニシング・ツイン 33

「アッシュ」
「あ、ああ」差し出された安物のカップからは、そぐわない良質の茶葉の香りがした。「……いい香りだな」
「蚤の市で買えるやつでは、結構いいお茶っ葉だよな」
 市場では二手にわかれて必要なものを買い出したのだが、自分の買い物が済んでルークを見つけたとき、実に楽しそうに値切っているのを見て、へたり込みそうなほど身体から力が抜けたものだ。
「アッシュはいつも引くけどさー、あの爺さんも結構楽しんでたんだぜ」
 得意そうに笑うルークにつられて、アッシュも思わず口元を綻ばせた。研究所ではかなりショックを受けていたはずなのに、ルークはもういつもの調子に戻っている。その強さが今はありがたい。

 深刻な障気中毒に冒されているティアは、残された封呪を解くためにも今出来る治療をしておこうと、入院することになった。衝撃を受けているアッシュとルークを落ち着かせる必要もあると、時間が押しているにも関わらず二日間の休息が与えられたため、今やルークの持ち物になった狩猟小屋に戻ってきている。この鬱屈した気分が晴れることなど到底ありえないと思っていたのに、気付くとルークに釣られて紅茶の香りを楽しむ余裕が出ているのが不思議だった。
 レプリカは被験者より劣化するというけれど、ルークの精神的な靭さは被験者をはるかに凌駕する。開き直ると思いもよらない強さを見せる己の半身に、アッシュは何度救い上げられてきただろう。

「アッシュ」自分の分のカップを持って隣に座り、ルークがアッシュの顔をのぞき込んできた。「おれがやるからな」
 アッシュは言葉もなくルークの瞳を見つめ返した。澄みきった明るい翡翠。悲壮感など欠片もなく、まっすぐにアッシュを見つめ返す。探る視線に何を誤解したのか、ふと目を見ひらいて、心外だというように首を振った。
「……お前のこと、信用してないからじゃねーし!」
「疑ってねえってのに。かえって怪しいぞ」予想外の言い分に、思わずアッシュも吹き出した。「ほんとに悲壮感がねえな、お前は」
「暗くなってたら結果が変わるんならそうするけどさ。──さっき、病室でティアといろいろ話したんだ。作戦を成功させるためにはユリア式封呪の解呪が絶対必要だし、そうしたらティアはもう、長く生きられない。シュウ先生は薬でなんとかしたいって思ってるみたいだけど、それほど時間がないってこともわかってるみたいだったよな。本当は、ジェイドの方法しかないってわかってて、力のない自分に腹を立ててる。ティアもそう言ってて、どのみち助からないなら、おれに賭けるって言ってくれたんだ。おれがやるならって。おれがやるなら、もし失敗したってかまわねえって……。おれ、ティアの信頼には応えたいよ」
 アッシュは両手でカップを包んだまま、目を閉じて薄く笑った。
 ティアがルークに抱いている感情に、ルークは気付いていないがアッシュは気付いている。アッシュはこういうことにそれほど鋭い方ではないのだが、自分の想い人を横から見つめる視線の意味くらいわかる。
 ティアがアッシュよりずっと一緒に旅をしてきたルークの方を信頼するのは当然だろうが、「ルークがやるなら」という言葉の裏にあるものは決してそれだけではないはずだ。
 自分で淹れた紅茶の香りを楽しんで、自画自賛の言葉を呟いているルークを、アッシュは笑みを浮かべたまま見つめた。
 ティアは……ルークが成功することを望んでいるだろうか。失敗すればいいとまでは思っていなかったとしても、失敗することによって得られるもののことを決して意識せずにはいられまい。ルークはアッシュのものだ。ティアにルークを得る機会を与えることなどない。
 だが、ルークが再構築に失敗したときのみ、ティアはルークの心の一部を永久に手に入れることが出来るのだ。
「一発勝負、ってわけにはいかねえんだぞ」
 悩む余裕もなく、どのみち選べる道もないのなら、ルークのように前向きに行くべきなのかも知れないが、命を左右するのが運ではなく、自分の力だと言われれば、これまでに成功したことがないだけにどうしてもアッシュは怖じ気づかずにはいられない。
「わかってる。おれとお前は心中で済むけど、ティアはそういうわけにはいかねえもんな。でも、ジェイドは出来るだけおれの負担にならないように練習するっていうし。どうせやるなら一人も二人も同じだしさ。おれよりもお前の再構築のほうが難度は下だって言うなら、やっぱおれがやったほうがいいだろ? ってことでメジオラ高原とロニール雪山、おれ外れるから。お前、書き換え頼むな」
「は?」なにを言うのかととっさに言葉に詰まるアッシュの手からルークはカップを取り、ベッドサイドのテーブルに乗せておもむろにアッシュの上体を倒すと、上におおい被さってきた。
「おれはその間、研究所で猛特訓するんだ。ってわけでまたしばらく離ればなれになっちまうから、いっぱいしとく」
「自棄になるな」
「したいだけなんだけど……。アッシュっていつも素直に取らないよな。なんで?」
 困ったように笑って、ルークの唇が軽く触れた。アッシュのシャツのボタンを外しながら、そんなキスを何度も繰り返す。
 アッシュはのどの奥まで浸食するような深いキスを好んだが、ルークは体中に触れてもらいながら舌先を触れ合わせるだけの軽く短いキスを何度も繰り返すのが好きなようだった。互いに服を脱がせ合い、手のひらで肌を探り、少しずつアッシュの息が興奮に荒くなってくると、ルークの唇は首すじや鎖骨にも流れて行く。胸に、腹に唇は下りていき、その間手の方は何度も繰り返して慣れた手順でブーツを脱がせ、アッシュの協力を乞いながらタイツと下着を取り払っていく。

 この期に及んで二年間のことを深く尋ねてこない優しさがありがたく、また腹立たしい。いつまでも他者を傷つけることに慣れないルークに、八歳のころからそれを繰り返し、いつしか慣れてしまった自分のことでより深く傷つけたくなかった。だが、何も言わない、何も聞かない心の底で、自分だけは守られてきたなどとくだらないことを考えて自分を責めているだろうとアッシュにはわかるのだ。

 唇はさらに降りて、ゆっくりとアッシュの雄に被さっていく。熱く、柔らかな口腔の粘膜が自分のかたちに吸い付いてくるのを感じ、アッシュは目を閉じてその快感に小さく唸り、長い息を吐いた。
 ルークの胎内という強い快楽に慣れた今では、心地良いとは思うけれども口淫で達することがとうとうできなくなった。毎度意地になって、なんとか達かせようとあの手この手を使ってくるのがいじらしく、今日こそはルークが根を上げるまで任せてやろうと最初は決意するし努力もするのだが、どうしても昇りつめることのできないもどかしさに結局じれてしまって早々に打ち切らせてしまうので、余計にルークもあきらめがつかないのだろう。ルークはアッシュのそれを口で愛撫するのがかなり好きらしいのだ。そうしながら自分も感じているそぶりがあるのは、つまるところルークも攻める性であるということなのだろう。
「もういい、レプリカ」
 深く飲み込みすぎ、何度か嘔吐いたせいで涙目になった瞳が、抗議するように見上げてくる。腹筋だけで起き上がり、どこかふてくされたように濡れた口元を拭っているルークを身体の上に引き上げ、労うようにその唇をついばんで、ゆっくりと上下を入れ替えた。
「……おれ、なんか下手になってる?」
「……なんで」
「だって、あっ、頑張ってる、のに、最近透明なの、出……っ、出てこなくなった、しっ」
 誘うように赤く染まった胸の尖りを舌と指で転がしてやると、ルークの素直な身体はすぐにアッシュに身も心も委ね、愉悦の声をもらす。この行為に羞恥心など感じないよう育てられた身体は、快楽に弱い。
 あまり好きではないと言っていた行為を、今は好きだと言ってもらえるのは、もちろんルークが屋敷に連れてこられていた女たちと違ってアッシュを好いてくれているということが一番の理由であるにしろ、技法の限りを尽くして努力した甲斐もあるはずだ。
 アッシュは可愛らしくも馬鹿なことを心配しているルークに低く笑い、とろりとした薬を手のひらで温め、小さくひくついている最奥を指で撫でた。喘ぎが一際大きく、早くなる。ここがイイんだよ、と耳元で甘く囁くと、のどの奥で泣き声のような声を立てた。
 もう何度も何度も押し開いているのに、そこに入るときはいつも強い抵抗感があった。だがほんの少し指先がもぐったところで、内襞は中へ、中へと引きずり込むように蠕動した。胎内はすでに熱くとろけている。三本の指をたやすく咥えるようになるまでゆっくりと開かせて、内に埋まった可愛らしい栗の実を強く押さえ、ルークの身体が跳ね上がったところで優しく擦るような愛撫に変えてやる。
「あぁ、あっ……や、あああ……っ」
 内部がカッと熱くなったと思うと、肩にぐっとルークの指が食い込んでくる。次いで挿入した指がへし折れるかと思うほど内襞が強く食い締められた。身体も、内側も細く痙攣を繰り返し、射精とは違う絶頂を感じているのがわかる。
「……どんどん達きやすくなってくるな」
「──あっ……いぁ、あ、あっ」
 最初は二、三度極まるとほとんどぐったりしていたものだが、後ろに触れるだけで射精せずに達するようになると、体力に優れたアッシュにより長く付き合えるようになった。どのみち途中で意識が飛んでしまうので、後半はほとんど憶えていないだろうが。
 両脚を抱え上げて、自分のかたちをより意識させるようにゆっくり隘路を擦り上げていくと、ルークは溺れる人のようにがむしゃらにしがみついてきて、感極まった鳴き声を上げた。

 小さくノックをして、返答を待たずに部屋の中に身体を滑り込ませると、四人の研究者の視線が一斉にナタリアを射抜いた。
「ナタリア殿下……。こんな夜中に、お一人でいらしたのですか?」
 戸惑ったように腰をあげるシュウを軽く会釈で制して、ナタリアはジェイドに視線を向けた。「映像を見せて下さいな。──あるのでしょう? 音譜盤が」
「……まあ、そう言い出すとは思っていましたよ」ジェイドが眼鏡を押し上げる。「……私も、あなたは見るべきだと思う」
 昼間はジェイドに反駁したシュウだったが、これに対して異論はないらしい。王家の血を引かない偽王女だが、将来は国を背負って立つものだと認めてくれているのか、シュウがくどくどと苦言を呈したのは『王女』という身分の者が真夜中に一人で出歩いていることにのみであった。
「賊などに遅れをとるわたくしではありませんわ」
「そういう問題ではありませんよ」
 叱られたから反射的に言い返しただけで、むろんナタリアもシュウの言うことの正しさを認めていたので、それには黙って肩をすくめた。

 怯えるか泣くかするだろうと思っていた研究者たちをよそに、ナタリアは超振動実験という名目の拷問によって肉体と精神を痛めつけられる少年の姿を、目を反らすことなく、無表情に淡々と見つめた。実際になんとも思っていないわけではないことは、膝の上に行儀よく置かれた手が真っ白になるほど強くスカートを握りしめていることでわかる。

 小さなアッシュは、キムラスカに対する献身からか、あるいは貴族としての矜持からか、苦痛のあまりおそらく生理的なものであろう涙を浮かべることはあっても、一言の文句も言わず、うめき声一つ立てなかった。
 何度見ても胸の悪くなる映像が数枚分続き、意外にもディストが早々に別のことをやるフリをして音譜盤から目を逸らした。もっと非道なこともしてきたはずだが、相手が子どもだったからか、元同僚であったからなのだろうか。ナタリアは耳栓までして意識を逸らそうとしているディストにちらりと意外そうな視線を走らせ、次の音譜盤を再生するようジェイドに合図を送った。

 少年──アッシュの前に、戸惑う男が一人引き出された。実験室を不安そうに見渡し、醜怪で威圧感のある巨大な椅子に座らされた小さな少年と、白衣の研究者たちに忙しなく視線を泳がせている。研究者が何かアッシュに耳打ちし、これまでに見た音譜盤の中で、はじめてアッシュが首を振って拒否の意を示した。ナタリアの見つめる先で、そのやりとりは幾度か繰り返される。目の前で何を聞いたのか、男が急にわめきはじめ、研究者が長い棒で男を打った。なにか言ったようだが、よく聞き取れない。
 嫌がるアッシュを研究者たちは椅子に縛り付け、なおも身を捩って暴れる子どもにあれこれとコード状のものを取り付けていく。これまでの実験から、強制的に超振動を起こさせようとしているのがわかった。

 ナタリアはとうとう震える拳を口にあてた。声を漏らさないよう、それを噛みしめる。もう、見なくてもいい。これから何が起こるのか、アッシュが何をさせられ、何を恐れているのか、見なくてもわかる。
 だが、ナタリアは制止の声をかけなかった。目を閉じることも、逸らすことも自分に許さなかった。

 アッシュは来るはずのない父母に助けを求めて悲鳴をあげた。「助けて」という言葉を知っていたことが不思議なくらいアッシュは弱音を吐かない子どもだったので、ナタリアの目に、それはますます現実味のない、異常性に満ちた光景として映った。
 嫌だと泣き叫ぶアッシュの前で、アッシュの意思に反して巨大で禍々しい光が増大していく。喚いていた男の姿が、一瞬で音素に変わった。研究者がまたアッシュに耳打ちする。
 アッシュが身を乗り出すように前のめりになり、叫んだ。「元に戻れ! 戻ってよ! 戻れ! 戻れ! 戻れってば……!」
 血を吐くような叫びに、しかし応えるものはない。泣いているアッシュをよそに、研究者が肩を竦めて次の実験体を引き出す。今度は女だった。力は完全に暴走状態に入っており、逃げろと叫ぶアッシュのまえで、なぜこんなところに連れて来られたのかわからないと言う顔のまま、女は音素となり四散する。研究者が慌ててコンソールに近寄り、何かが弾けるような音とともに、アッシュがぐったりと前のめりにくずおれた。力が行き場をなくして澱み、気を失った少年の小さな身体をがくがくと揺さぶっている。反動で唇か舌を噛んでしまったのか、口元に血があふれて、白い上着をどす黒く染めていく。
 完全にわだかまっていた力が消えてから、研究者がようやくアッシュの口の中に指を入れて傷を確かめ、肩をすくめて猿轡をはめた。
 次の音譜盤でも、その次のものでも、これまでの忍耐が切れてしまったようにアッシュは拘束された椅子の上で逃れようと身をよじり、泣き叫んでいた。次々に分解されていく人々から怯えられ、化け物と罵られ、それでも再構築にまで至ることは出来ず、最後には酷い苦痛を与えられ強制的に気絶させられる……。

 残されていたすべての音譜盤を見終わっても、ナタリアは真っ黒なモニターから目を離すことができず、仇を睨みつけるようにして座っていた。
「……お父さまや叔父さまは……アッシュがこのような目に合っているとご存知だったのでしょうか……」
「ことによると、ときに冷徹な判断を下すためにも、為政者はあまり細かいことまで知らない方がいいのかも知れません。知る必要があるとは思われなかった陛下と、知る必要があると感じたあなたでは、目指す国のありようが違うのかも知れませんね」
 シュウがやさしくナタリアの手に熱い紅茶の入ったカップを持たせた。そしてふと眉をしかめた。「……血が出ています」
 あまりに強く噛みしめていたため、親指の付け根を食い破ってしまったらしい。
「傷のうちに入りませんわ」
 ナタリアはなおも暗い画面を睨み据えたまま上の空で答え、震える手をカップで暖め、一口だけ喉を湿してから決然と立ち上がった。
「お茶をありがとう。それに、真夜中に突然押し掛けたのに、我が侭を聞いて下さって」
「宿まで送りましょう」
 立ち上がるジェイドにナタリアは何か言おうと口を開いたが、シュウにも言われた立場と言うものを思い出したか黙って口を閉じた。

 無言のままで研究所を出ると、植え込みの花壇に座って船を漕いでいるガイの姿が目に入った。
「まあ、ガイ!」
「お」ナタリアの声にガイがびくりと身を震わせる。ほんの少し白んできている東の空を見つめ、大きく伸びをして寝不足を感じさせない仕草で立ち上がった。「終わったのか? なら帰ろう。──護衛はいいぜ、旦那」
「……いつから、」
「いやー、真夜中に女の子の一人歩きなんてさせられないだろ?」屈託なく笑うガイの目は少し赤くなっていて、宿を抜け出すナタリアを陰ながら護衛したあげく、中に入らず出て来るのを待っていたものらしい。「……アッシュは嫌がっていたし。君はともかく、俺は見るべきじゃないんじゃないかって思ってさ」
「……そう」
 ジェイドに別れを告げ、ナタリアとガイはゆっくりと歩き出した。
「酷いものでした……思っていたより、もっと」
 呟くようなナタリアの声に、ガイはちらりと目を向けたが、黙っていた方がいいと判断したのか、返事はなかった。
「ルークのことがなかったとしても、わたくしとアッシュが結婚することなど、絶対になかった。そんなことはないと、お父さまも大臣たちも、みんな知っていた。アッシュがいずれ王位を継ぐ子どもだとは、誰も思っていなかったのですわ。わたくし一人だけが、そんな嘘を馬鹿みたいに……信じて……」
 少しずつ声が小さくなってきて、泣いているのかと隣をうかがえば、ナタリアは目元は赤くなっていたものの、涙一滴こぼすことなく、唇を引き結んでいた。
「……ガイ。わたくしは確かに王家の血を引いてはいないでしょうが、夫を王に就けるのではなく、わたくし自身が王になる道を探るつもりです」
「……ナタリア」
「お父さまは優しいかた。身体の弱い叔母様がアッシュをお生みになったとき、真夜中にお忍びでお祝いに向かわれたという話を叔母様から聞きました。お父さまは甥の誕生を心から言祝がれたし、愛おしくも思っていらした。でもアッシュの持つ力は兵器になるし、それがどれほどのものか把握しておく必要がある。国のためです──そう言われたら、お父さまはその意見をはねつけることは出来ませんわ。お父さまは王ですけれど、独裁者ではないのですから。……それが甥であったからこそ、余計に」
 ナタリアは立ち止まり、ぐっと目を閉じた。
「今のわたくし、小娘にすぎないわたくしならば、なんと言われてもその意見を聞き入れることはないでしょう。でもわたくしが王ならば……やはりお父さまと同じ選択をするはずです」
 アッシュは意思も心もある『ひと』だ。だからこそ、その恐るべき力を己の意思で行使することができるのがまだ幼い少年であるということは、他国のみならずキムラスカにとっても脅威だった。その少年が幼い敵愾心や自尊心から自由に力を使うことはないか、その力でどれほどのことができるのか、国としては絶対に把握しておく必要があると考える。
 幼くともアッシュはそれを理解できるほど聡い少年であったから、黙って苦痛に耐え続けたのだ。
「アッシュを失う前に、単独で超振動を起こすメカニズムは解明しておきたい。それはわかります。でもその兵器が『ひと』である以上、その心が苦痛にすり減ってしまわないよう、細心の注意で気を配らなければならなかった。こちらはあくまで協力していただいていたのですもの。……でも彼らはアッシュの苦痛になんの配慮もしていなかった。どれだけ傷を負っても……それが命に関わらないものなら、適当な手当で放置されていました。おそらく預言の年に命さえあるならば、アッシュの心が壊れてしまっても構わなかったんでしょう。あんな、むごい……。それでもまだその被験体がファブレ公爵家の子息であるということに遠慮があったのだとしたら、ガイ。これが市井の出の、なんの力も持たない国民の子どもだったらどんなことが行われていたと思いまして?」
 ガイはナタリアがそれほど憤るほどのことを耐えながら何一つ感づかせなかった当時のアッシュを思い出そうとした。「坊ちゃんの身体は普通とは違うから」だから定期的にべルケンドに検査に行かれるのだ──そう聞いていた。何も不審に思わなかった。復讐が成ったあとのことを想像し、薄暗い愉悦に浸りながら毎日毎日じっと彼を見つめていたにも関わらず。
「『いつか俺たちが大人になったら、この国を変えよう。貴族以外の人間も貧しい思いをしないように。戦争が起こらないように』アッシュと約束したんですの。わたくしは、それを守るために……大切な国民の一人が絶望して国や家族を捨てることのない国を作るために、王になろうと思います」
「君なら出来るだろう。すまないな、本当なら肩か胸くらい貸してやるところなんだろうけど」ガイは大きく息を吐いて、胸にわき起こったものを振り切るように首を振った。自分一人の苦痛を減らすための後悔など意味がない。「だけど、アッシュが追いつめられてヴァンと行ったからこそ、誕生した命もあった、ナタリア」
 ナタリアがはっとしたように目を見ひらいた。


40話になる前には終わりそうな見通し。(2012.08.04)