ルークは呆然としたまま底の見えない冥い穴をのぞき込んだ。今の今まで目の前にいたのに。しびれて感覚を失った指の先に、確かな重みがあったのに……。ルークには、まるでシンクが一瞬で目の前から掻き消えたように見えた。まるで、この手の先に彼をとどめていたこと自体が、幻であったかのように。
「……戻るぞ」
「あ、待って、アッシュ。シンクが」
今シンクが奈落に落ちたのを見たばかりなのに、まるで何ごともなかったかのように踵を返すアッシュの袖を、ルークは慌てて掴んだ。振り向いたアッシュがルークを見下ろし、ぐっと眉を寄せる。
腕を掴んだアッシュに引きずられるように起こされると、両脚の膝裏に腕がまわり、荷物のように肩に担ぎ上げられた。
「待ってくれよ、シンクを助けなきゃ」
「……アッシュ」
「なあ……アッシュ……シンクを……」
背中をたたいて遠ざかっていく船縁に注意を促しても、アッシュからは一言も返ってこない。
喉の奥から小さく嗚咽がもれた。アッシュの背中をかき寄せるように服を握りしめ歯を食いしばる。認識が進むにつれこわばっていく身体を宥めるように、アッシュの手がぽんぽんとルークの尻をたたいた。
「アッシュ、ルーク! 無事で良かった……!」
船内に入るなり駆け寄ってきたティアの視線が、担ぎ上げられているルークと、アッシュの間でせわしなく行き交う。一目でシンクがいないことに気付いただろうが、ティアは何も言わず、小さな声で譜歌を口ずさんだ。
「……すまん」
「いいの」
疲れのにじむ声でなにか低くやりとりをしているアッシュとティアの声が、幕がかかったように遠ざかる。アッシュの長く、重いため息が、最後に耳に残った。
「ルークさん!」「ルーク、無事か!」
ブリッジでやきもきしていたらしいノエルとガイが、最後にブリッジに戻って来た三人を迎え、ほっとしたように笑んだ。
「よし、譜術障壁発動、っと」
「譜陣発生確認、タルタロス降下開始します!」
「地核まで少しかかりますけど、時間には余裕があります。皆さんお疲れでしょう、コーヒー、入れ直しますね! ルークさんほどおいしく淹れられませんが」
「あ、ありがとう……」
明らかに何かあったと言う重い空気に顔をこわばらせたまま、それでも明るい声で帰って来たものを労おうとしてくれているノエルの後ろ姿に、ティアが感謝の声をかける。
「あの……ありがとう、アッシュ。あなたが来て下さらなかったら、わたくしたち三人ともどうなっていたか……」
抱えていたルークを椅子に座らせ、顔にかかった前髪を払ってやりながら何ごとか考えているアッシュに、ナタリアがおずおずと声をかけてくる。気づかいにあふれた視線はアッシュではなくルークに向けられていて、アッシュはきつくなっていた視線をゆるめて首を振った。心配顔で主人の顔をのぞき込もうとしているミュウを、柔らかい表情でつまみ上げ、ルークの膝に乗せてやる。
「アッシュ……今のは超振動だよな?」
やはりルークが気になるらしいガイがコンソール前から回り込んで来て、心配そうにルークの頭をなでてからアッシュに問いかけると、全員の目がアッシュに集中した。
「──だな。レプリカの声が聞こえたような気がして、行ってやらねえと、と思ったら甲板にいたんだ」
はたからどのように見えたかは知らないが、急にブリッジからかき消えたことの説明は超振動でしかつかないし、アッシュ自身、あの一瞬身の内に力がふくれあがったことの自覚もある。
「自分で細かい制御が出来たためしはねえんだが……」
力を意識すると、いつだってそれはアッシュの意思を無視するように急激にふくれあがる。長じてからは、制御出来なくなるところまでいってしまうまでに引くことをおぼえたが、幼いころは無理だった。研究者の手を借りた外部からの刺激で、強制的に気絶させられないかぎりは。
「好きなところに飛んだり、戦闘に使ったりは出来ないってことか?」
「そうだ。力ってものは使えなければ意味がねえし、そういう意味では劣化はしていてもレプリカの力のほうが使い勝手はいいと言えるのかも知れん」
幼いころから、その力のためにどれだけ苦しめられてきたことか。なければ良かったのにと思いはしても、あてにしたことなどない。むしろ人の身で制御出来てしまう半端な力のほうが使い道は多く、そのせいで余計な苦しみを負わなければならないこともあるかも知れない──これからも。
苦悶のいろ濃い寝顔に手を伸ばし、なめらかな頬を指の甲でくすぐるようになでると、髪と同じ色の長い睫毛がふるえた。
「ですけど、ルークが言うように、二人でいれば多少の制御がきくということなのかも知れませんわね」
瞬きながら、ゆっくりと開いて行く翠の双眸を、ナタリアが目を細めて見つめる。
「シンクは……」
肘掛けにすがるように身を乗り出し、ルークが周囲を見回した。
「逝った」
傍に寄り、途方に暮れたような頭を抱き寄せると、ルークは無言のままアッシュの腹に腕をまわした。指先だけでは、人に掴まることも支えることも難しい。揺れる陸艦に振り回されながらも、互いに良く頑張った方だとアッシュは思う。だが、陳腐ななぐさめの言葉が必要だとは思わなかった。少なくとも自分なら欲しくない。
「お待たせしました!」
ノエルの声と、馥郁たるコーヒーの香りが、重々しく沈んだ空気を明るく一掃した。アルビオールの操縦をしてくれているだけでもありがたいことなのに、ノエルはそれしかできないから、とよく人を気づかう。
ガイとノエルはシンクが地核に落ちて行ってしまったことに沈鬱な顔をしたが、一言の発言もしなかった。しんと降りる沈黙に、アニスが初めに口火を切る。
「シンクは、イオン様のレプリカなんだって……」
驚きに目を見はるノエルの横で、ガイが「ああ……」と呻いて前髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
「知ってたの?!」
ティアの問いに、ガイはいや、と首を振る。「コーラル城で仮面が外れた一瞬があって、な。──見間違いかと思ってたから、誰にもなにも言わなかったんだが……」
「そのイオン様もレプリカなんだって」両膝の上で固く拳をにぎり、アニスが呻いた。さすがにそれは想定外だったらしく、ガイとノエルが息を呑む。
「もしかして、お前は知ってた?」
そのことを初めて聞いたはずのアッシュが平然としているのを見て、ルークが赤く充血した瞳で見上げてくる。腕組みしてルークの座る椅子にもたれたまま、アッシュは小さく頷いた。「当初、ヴァンは俺に隠そうとしていたが……。扱いが違うからすぐに気付いた。被験者の導師は厳重に守られるべき存在で、レプリカイオンほどの自由は与えられていなかった。被験者なら、どんなことがあろうとあれほど簡単にダアトを抜け出ることは不可能だったろう」
そっかぁ、とひとりごとのような呟きが聞こえ、全員が一斉にアニスをみやる。疲れ切った顔に自嘲の笑みを浮かべ、前髪をきつく握りしめた顔は、年齢のわりに妙に老け込んで見えた。
「……何人も生み出してやっとイオン様を得たのに、どっかで取り替えがきくって思ってたんだ。そだね、おっかしいな、と思うことも多かったんだぁ。導師には常時複数の導師守護役がつくことになってるのにあたし一人しかいなかったし。あたしを動きやすくするために手を回したのかって思ってたけど、違ったんだね。モース様は軽んじてたんだ、イオン様のこと」
「モース、様……? 動きやすく?」ティアが初めて、不審そうな顔をアニスに向けた。「あなた、『大詠師派』を嫌っていたのではなかった……?」
アッシュが小さく舌打ちをしたのに気付き、ルークがアッシュを見上げ、眉間に皺を寄せた苦々しい顔を目にして驚いた顔をする。アッシュ、と声をかけようとするルークをどこか投げやりなアニスの声が遮った。
「そんなわけないじゃん。モース様はパパとママの借金、帳消しにしてくれたし。大恩人」ちらりともそんな風に思っていないような顔でアニスが吐き捨てた。「間諜なんだよ、あたし。モース様の命令でずっとあたしたちの行き先や目的、会話なんかもね、密告してきた。タルタロスが襲われて大佐の部下が皆殺しになったのも、六神将が待ち伏せしていたのも、あたしが情報を流したから」
ルークとティアが弾かれたようにアニスに視線を向けた。そういえば、あのときこの二人はタルタロスに乗っていたんだったなと思いだす。襲ったのが神託の盾騎士団だと知られぬように皆殺しの命令が出ていたが、結局彼らを逃がしてしまい真相を隠すことは出来なかった。この咎は指名手配中のヴァンの罪状にすでに加算されている。
「イオンを裏切っていたのか?」
「……そうだよ」
「い、今も?」
恐る恐る問いかけるガイに、アニスは素直に頷き、アッシュに顔を向けた。「あんた、聞いてた?」
アッシュは表情もなく首を横に振った。ヴァンはとかくアッシュには秘密主義を通したので、直接知らされたことはそれほど多くはないのだ。だが、モースのやることをヴァンが知らぬはずがないことはもちろん、レプリカイオンの傍に間諜を放っていることなど想定内だし、タルタロスの襲撃はその間諜のもたらした情報によって行なわれたのだ。もちろんその間諜がマルクト軍人になりきっている可能性もあった。あのどさくさに命を落としたのかも知れない。だが、可能性が高いのは、味方のふりをして導師の傍に侍っている二人の神託の盾兵だった。
アッシュは当初ヴァンの妹であるティアがそうではないかと思っていたが、それほど真剣に観察せずともすぐにアニスの方と知れた。ティアは潔癖すぎて間諜に使うには不安が残るし、アニス本人が心のどこかで誰かに欺瞞を暴かれることを期待していたからなのかもしれない。
「聞いてねえ。けど、わかった。……俺は襲撃したほうだからな」
「そだったね」
「お前は結構骨のあるやつだと思っていたが」
それはアッシュの本音でもあった。明らかに好意を抱いている相手を見張り、探り、命じられるままに冷徹に情報を流す。モースの間諜をアニスの方と断定してからは、情に流されやすい女、しかも子どもにしてはよくやると感心していたものだった。
「あんたに失望されたって、あたし別に気にしない。……イオン様に知られることのほうがずっと痛いし」
「ちょ、ちょっとお待ちになって……」
ナタリアが、俯いてみんなと顔を合わせようとしないアニス、厳しい顔でアニスを見つめるアッシュをおどおどと見比べて声をかけた。
「アニス、なぜそのようなことになったんですの? あなたはイオン様の一番の味方のはず。その、……借金、というのは」
「……パパとママ、人がいいから。あたしがまだ小さいころ、騙されてものすごい借金作っちゃったの。パパたちは騙されたなんて思ってないけどね。それをモースが肩代わりしてくれたの。でも、それで、パパたちはずっとただ働き同然で暮らすことになった」
深く俯いて、顔を隠す長い前髪のせいで表情は見えない。だが、奇妙な弧を描いた口元ははっきりと見えた。
「……それだって、二人はなんとも思ってない。あたしがどんな苦労したって、あたしのことには気付かない。あたし、これまで服の一枚も買ってもらったことないんだ。全部教団に寄付されたお古。親が寄付したのを知らない子どもに、泥棒呼ばわりされて道ばたで脱がされたこともあったんだよね。『ほら、あの物乞いの子』ずっとそう呼ばれてたの、あたし。パパたち、教会の仕事を手伝ったりしてたけど、ただ働き同然なら物乞いや奴隷と変わんないって、世間の人はそう思ってる。パパたちがなけなしのもちものを誰かに恵んでやるたび、みんなパパたちを軽蔑して嗤うの。パパたちだけがそれに気付かず、今もあたしの足枷になってる。そんなことも知らないで、あたし以外の人にだけ慈悲をたれてるの。ママに小銭を握らされたやつが、あたしを見下ろして嗤ったの、忘れない。パパもママもだいっきらい! いっそ、……んでくれれば、いいのに……っ」
椅子の肘掛けをつかんでいるルークの手が血の気を失い小刻みに震えているのを見て、アッシュは腕を解いてルークの背にあてた。
「借金の額はいくらだ?」
ほとんど好奇心に近い問いかけに、アニスはぶっきらぼうに答えを返す。アッシュが口笛をならし、全員が目を剥いた。
「教会にいれば食べるものには困らなかったよ。だけどあたしは嫌だった。だから借金を肩代わりするかわりに間諜を務めるっていう話を飲んだの。裏切ったら、それを取り消して、パパたちを無一文で放り出すって言うのも飲んだ。……初めてもらったお給金であたし、初めて新しい下着と服を買ったんだ。信じられないかもしれないけど、それまであたし、お古の下着しかつけたことなかったんだよ。嬉しかったあ……! もう、あたしの報告で、誰が、どうなろうと知ったことじゃない。……ずっと、そう思ってた……っ。けど、今はあたし……イオン様をこれ以上裏切るくらいなら、パパたちがどうなったっていいって……!」
きれいに洗濯がしてあったとしたって、他人の下着はなかなか身につけられない。ましてやアニスは子どもでも女の子だった。そんなものを寄付しようというものがいることも、きっとここにいるものたちは信じられないことだろう。だが、アッシュも七年間教団に属していて、普通では考えられないものを教会に持ち込む人間が多いことも、それをあてにしなければ暮らして行けないものがいることも知っていた。
「話してくださったら……」
アニスが話してくれたら。助けを求めてくれたら。なんだというのだろう。
口を開いてすぐにそれに気付いたらしいナタリアが、尻すぼみに口を閉じた。
「だが、借金の肩代わりの条件が神託の盾に入って間諜を務めることなら、こんなところでそういう話を暴露するのは、あんまり感心しねえな」
「アッシュ!」
信じられない、という顔をナタリアがアッシュに向ける。ノエル、ガイの顔にも非難の表情が浮いているのを見て、アッシュはため息をついた。ルークの表情はうかがう気にもなれない。
「人質をとられようがなんだろうが条件をのんで神託の盾に入ったなら、モース様は上官にあたる。従って、アニスには命令に従う義務が生ずる。大詠師が教団の最高指導者である導師の近辺に密偵を放つなんて、たしかに信じがたい不敬だわ。例えばアニスが証拠を集めて告発すれば、モース様といえどもそれなりの処罰は免れなかったはずよ。だけど……そのあとアニスは職を失うことになるかもしれない」
思わぬところからの援護射撃に、アッシュは苦笑して今なお視線で非難するものたちに目を向けた。
「為政者にとって『是』としか言えねえ臣下は害悪だが、これが軍部になると逆になる。『是』以外の言葉を返す部下は必要ねえ。自分に下された命令の是非を自分で考えたあげく、外部に命令の内容を漏らしたり、逆らうような部下、誰が欲しがる。黙って命令に従うか、すべてを導師にバラして、導師に告発してもらうか。選択肢は二つあったが、お前はどちらも選べなかった半端者だ──お前は自分が間諜であることをこの場で明かしちゃいけなかったんだ。軍と言うのはそういうもんだ。わかってなかったなら甘いとしか言いようがねえ」
「だ、だが、上官が間違ってることもあるだろう? そのせいで人死が出るとか……。それでも意見を言ったり告発しちゃいけないのか?」
納得がいかないガイがアッシュに食ってかかるうしろで、ノエルやナタリアが同意見だというようにこくこくと首を振る。
「意見を求められたら言えばいいさ。だが命令には『是』。これ以外の返答は許されない。俺もヴァンの指揮下から出るまでは、それ以外の返答をしたことはないし、今はカンタビレの命令以外聞く義務はない。それに納得がいかないのなら、神託の盾なんかに入るべきじゃなかったんだ。……モースの申し出を受けない選択肢もあったろ。チビだが女だし、顔立ちも悪くねえ」
アッシュ、と横合いから袖を引かれたが、アッシュは目を向けなかった。アニスがうつむけていた顔を上げ、ナタリアに向かって首を振る。
「いいんだ、ナタリア。ありがと。でもティアとアッシュの言うことは本当。なにをおいたって上官命令が最優先。わかってたんだけどな……。アッシュの言う通り娼婦になって、堅実に借金返すって道もあったんだよね。少なくともそうすれば、今よりは胸を張って生きて行けた……」
「だって、アニスの借金でもありませんのに……」
ナタリアの声も力ない。まだモースに借金の肩代わりをしてもらう前ならば助けようがあったが、今となってはどうしようもない、すでに終わってしまったものごとなのだった。
アニスの両親なる人物がどのような人となりなのかは知らないが、ろくなものではないことだけはたしかなようだった。どんなに人が良くても、ろくでなしはろくでなしに違いあるまい。
おまけにアニスが両親のさまざまな尻拭いをしてまわっていることで、ダメな親をよりダメにしてしまったのかもしれない。こういう場合、ほんとうは、親は子がいなくても生きていけることが多い。おそらくは、アニスのほうが両親に依存してしまっているのだ。こういう親は、自分を甘やかす理由を絶えず提供してくれるものだし。
ふいに袖をつかんだままのルークの手に力が入った。見下ろすと、ルークが顔をあげてじっとアッシュを見上げてくる。どうにかできねえのかな? という声なき声が聞こえて来るような、悲しげな視線。アッシュはふっと表情をゆるめた。その頬を手の甲で軽くはたき、アッシュはもう何度目になるのかわからない、深いため息をついた。
「……導師にも正直に話して、モースのほうは黙って切っちまえ。そのうちあいつも失脚する」
「だめだよ、だってパパたち……」
力なく首を振るアニスを片眉を上げて見つめ、「ああ……そうだったな。仕方ねえ、モースに立て替えさせた金は俺たちが貸してやる。耳を揃えて突っ返してこい」
「……さっき、金額聞いたよね?」
「聞いた。──ヤツが素直に受け取るかどうかはお前の器量次第だろうがな。間諜としてのお前は優秀そうだ、簡単には手放しゃしねえぞ。だが、利息をつけさせず元本だけでうまく手を切れたら、その力量を認めてお前の身柄は特務師団が引き取ってやる。お前の性格には導師守護役なんかよりずっと合うはずだ」
「そんなに貯めてたんだ、アッシュ」アニスがそれに答える前に、なぜかルークが呟いた。「お嫁さんをもらうのに……」
その台詞に、アニスまでもが驚天動地の面持ちで弾かれたようにアッシュを見つめる。
「なんかおかしいのかよ?! あたりまえのことだろうが!」
「……おかしくはない。結婚となると家財道具を整えたり住むところを確保したり、男はいろいろ物入りになるし。だがそんなに給料いいのか六神将って?」
ガイは平民として過ごした年月が長いため、同意してうなずいたが、そんな堅実なことを元公爵令息がしていたという事実に馴染めないらしく、なんとも微妙な笑みを浮かべた。
「悪かねえが……。鍛錬で魔物倒したり遺留品売ったりしてればそれくらい貯まるだろ。女の出身地によっては結納金が必要なこともあったかもしれねえし」
「ルークをお嫁さんにするのに、お金が残らないんじゃありませんの? ここはわたくしが」
戸惑ったようなナタリアの問いかけに、アッシュはちらりとルークを見やってから答えた。
「レプリカがそうしたいというんだから、こいつが金を出すべきだ。それから、俺はレプリカを伴侶にするが、嫁にしたいわけじゃねえ。俺もこいつも男だし、カッコつける必要もねえだろ。それに貸すだけだ。全額きっちり取り立てるからな」
そんな安上がりなと抗議しているナタリアを尻目に、ルークは赤く染まった頬を背けて一人照れている。
ルークの言うこと、やることは故意なのか無意識なのかわかり辛い。どういう意図であれ、仲間たちはそれに乗ってアニスの告白を深刻になりすぎることから救った。質を取られて間諜を務めた下っ端のアニスには、どのみち命令を下したモース、ヴァン、実行犯である六神将以上の罪などありはしない。そのうえ、アニスの辛い生活を思えば責める気にはなれなかった。アニスを責めることが出来るのは、彼女が任務を達成することによって命を落としたものとその遺族だけだろう。
──わかっていたのに。あのときは大それたことをしでかしたのが己のレプリカであることで、頭に血がのぼりすぎていた……。
少し放心しているようにも見えるルークの頭を引き寄せると、愛情と信頼を一杯に詰めた視線が見上げて来て、嬉しそうにアッシュに擦り寄ってくる。
「ありがとう、ルーク、アッシュ。あたし……」
「礼は終わったあとで言ってくれ」
ひっそりと礼を述べたアニスにアッシュは淡々と告げた。
「俺はお前と違って親を捨てたくちだから偉そうなことは言えねえが……。本当に大切ならときには突き放すことも必要だと思うぞ」
アッシュが行動をともにしはじめてからほとんど初めて見るといえるほど、アニスは本当の子どものような素直な仕草で、こくんと小さく頷いた。