バニシング・ツイン 21

「え? や、そんなはずないだろ? だって」
「ガイ、お願いしますよ〜」
 ジェイドは苦渋に満ちた顔を眼鏡を押し上げるフリをしてさりげなくルークから隠した。口調はいつも通り飄々とガイに説明役を押し付けているのと変わらないので、ルークが何か気にした様子はない。自分が淡々と話す方が良いかとも思ったが、一瞬の迷いの末、よりルークに近しいガイに軍配を上げたのだ。
 いや、逃げたのだ、過去の行いから目を背けて。見た目と実年齢の差は、これまでも、これからも、似たような悲劇を生むだろう。ルークは現存する最年長のレプリカ体だ。彼の行く先は誰にとっても未知の領域になる。

「え、お、俺……」
「父親がわりなのでしょう?」

 むろん、一回り以上も年下のガイにいつまでも寄りかかる気はない。だがほんの少し目を閉じて、動揺から立ち直る時間が欲しかった。

 この期に及んで言葉を濁すことに何の意味もないので、ところどころで誰かの補足を入れながら、ガイは必死でにわか性教育を行った。




「それ、みんな普通に知ってる話?」
 すべてを聞き終わったあと、戸惑ったようになされたルークの質問に、全員が首を縦に振る。
「『子どもを生むのはお母さん』つまり女性だってことは、こんな風にいちいち教わらなくても普通に知ってるものなんだ」
「ミュウたちも、雌のチーグルしか子どもを生まないですの」
「……多分、本当の七歳児でも当たり前に知っていることだと思いますわ」
「つまり、むしろ神経質にそういった知識から遠ざけられていないと、こんなことは起こらないわ」
「──最初の一年くらいはルークもほんとの赤ちゃん同然だったとして……六年かぁ……その間あのお屋敷から一歩も外に出てないんでしょ? そんなに難しいことじゃなかったかもね。だけどルークもさぁ。家を出てからお腹の大きい女の人は大勢見かけたけど、お腹の大きい男の人っていないじゃん。おかしいなって思わなかったの?」
「え? いや、普通にいるじゃん。──ほら、あの人だって」
「……ルーク、いえ……。あれの中身はおそらく違うものだと思いますよ……」

 ルークはビヤ樽のような腹を揺らして楊枝のような細い足でひょこひょこ歩いて行く市場の買い物客とジェイドの間に何度か視線を走らせた。まだ納得が行かないような顔をしている。全員の顔を一通り問うような眼差しで見つめ、その全員が俯いたり目を逸らすのを確認するとようやく悄然と肩を落とした。
「……おれ、アッシュの子ども、生めねーの?」
「残念ですが……」
「ほんとに? 絶対?」
「……」

「いない……?」

 ルークは困ったようにも、泣き出す寸前のようにも見える顔をして、そっと両の手のひらを腹に当てた。
「で、でも……アッシュは全部終わったら、って言ったぜ? 全部済んだあとで子どものことを考えようって……。アッシュ……アッシュも知らないってこと……?」
 全員がそんなはずないだろうと思ったが、蒼白になっているルークに何を言ってやればよいのかすら分からず、顔を見合わせて口を噤む。そんな顔ぶれを見回して、ナタリアが大きく息を吐いて呼吸を整え、自分からさりげなく目を逸らしているルークに問いかけた。
「──子どもが出来たかも知れないとアッシュに話した時の反応はどうでしたの?」
「あ、え、と。びっくりしてた。……そういえば、あんまり嬉しそうじゃなかったかも知れない。そんなに簡単に子どもは出来ないって……出来てなくてもがっかりするな、って言った。おれは別に、子どもが欲しいとは思わねー……って」
「逃げやがったな!」
 拳をパキパキと鳴らしながらアニスが唸り、逃げましたね、と残りの面々は呟き、溜め息を付いた。だがルークのことだから、実に無邪気に、嬉しそうに話したのではないか。ルークの表情が曇るのを見たくなくて逃げてしまったのなら、その気持ちは分からないでもない。
「……アッシュにも教えてやらなきゃ……」
「ルーク、アッシュは知ってると思うぜ? アッシュがなんのつもりでお前を女の子の代わりにしてるんだかわからないけど、子どものためじゃないことだけは確」




「女の代わりになんざしてねえよ。人聞きの悪いこと言ってんな、ガイ」




 ガイの台詞を、ルークが聞きたくてたまらなかった声が遮った。それほど長く離れていたわけでもないのに、もう随分逢ってないように感じられる。アッシュは一番離れたところに立っていたジェイドの背後から、目深に被っていたフードを跳ね上げながらゆっくりとルークの前に姿を現した。
「アッシュ……」
「待たせた」
 いつも通りの、不機嫌に見えるほど鋭い視線が、ルークと合わさった途端ほっとしたように和らぐ。
「うん……」
 わかってはいたけれど、無事だ。それを視認したとたん、ルークの目に安堵の涙がにじんだ。
「おかえり、アッシュ」
「ああ」
「アッシュッ!! てんめえぇ──!!!」
 噛み付くような勢いで飛びかかろうとしたアニスを、アッシュはルークから視線を逸らさないまま制した。「後でな」
 手をほんの少し動かしただけのアッシュにアニスは気圧され、中途半端に拳を振り上げたまま動きを止めた。黙ったまま立ちすくんでいる二人を、仲間たちもそれぞれ拳を固く握ったまま見守る。口から溢れそうなほどの罵詈雑言が胸の内を荒れ狂っていても、アッシュとルーク、二人の間に張りつめた何かが、その言葉を押しとどめる。アニスが動かないと確信したのち、アッシュはその手をアニスの背後にいるルークに向かって差し伸べた。その手をルークはじっと見つめ、泣き笑いのような表情を浮かべて首を振った。
「アッシュ。──今の話、聞いてた……?」
「ああ」
「おれはお前の子どもを生めないんだって……」
「ああ」
「……っ、知ってたのか……?」
「──ああ」
「何で言ってくれなかったんだよ?」
「レプリカ」
「……」
「レプリカ」
「──っ」
「来い、レプリカ。……それとも、お前に子どもをやれねえ俺なんかには、用がねえか?」
「……?!」
 ルークは驚いてアッシュの顔を見つめた。固く強張り、ルークの反応を窺って少し緊張しているような。或は何かを懇願しているような、そんな顔に見える。──なぜ? 用無しなのは、ルークの方のはずなのに……。

 ぐす、とルークは鼻を啜った。やっぱり、アッシュは優しい。こんな時だって、わざわざルークの負担にならない言葉を選ぶ。そんな風に言われれば、ルークはアッシュの手を取らざるを得ないではないか……。

 ルークはとても子どもが欲しかった。今はそれが義務だなんて思ってない。それがアッシュの子どもならば。相手がアッシュだから、生みたいと思った。喜ばせたいと思った。──切望した。
 だが、それは、到底アッシュ本人に及ぶべくもない。

 ゆっくりと近づくと、後一歩のところでアッシュが焦れたように腕を掴み、ルークを胸にぶつかるほど強く引き寄せて、固く抱き締めた。
「くそっ、この屑が……! なんですぐに飛びついて来ねえんだよ……!」
「アッシュ。アッシュ、アッシュ、アッシュー……」

 女の身体のように柔らかくはない、だがしなやかな身体を腕の中に絡めとると、アッシュはようやく安堵の息をつき、強張っていた身体から力を抜いた。どうやら自分で思っていた以上に恐れ、緊張していたものらしい。
 ルークの淡い、だが甘い香りが鼻腔をくすぐる。体臭の違いは完全同位体でありながら多々ある差異の一つだ。赤ん坊のように乳臭いわけでもないのに、不思議とその香りは守るべきものだという庇護欲を抱かせる。




 初めはただ、あまりの驚きに言葉が出なかった。
 毎日、いつ腹が大きくなるのだろうと撫で擦っている姿を見ると、胸が詰まって何も言えなくなった。
 アッシュ相手では子どもが望めないと知れば、己の前から去るのではないかと怖くなった。

 ──いや。
 真っ向からそのことに向き合ってみると、どれも正しく真実でありながら決定的な理由ではなかったことが、アッシュにははっきりとわかった。自嘲に歪む口元を隠すように、俯いているルークの銀朱の髪に唇を寄せる。

 ──ほんの少しだけ、夢を見たのだ。あるはずのないことと知りながら、小さな小さな、ルークそっくりの赤ん坊は、どれほど可愛いことだろうと。

 だが、夢はいつか覚めるもの。
 アッシュの見た夢は、ルークを喜ばせもするが、それ以上に深く傷付けもする。だから、永久に口に出すことは許されない。

 同じようでありながら自分よりほんのちょっぴり線の細い背中を、そっと叩いてあやしながら、アッシュは改めてルークの仲間たちに視線を向け、口を開いた。
「──済まなかった」
 謝るだけでなく、微かに頭まで下げたアッシュに、ガイ、アニスとティアは目を見張り、ジェイドは眼鏡を押し上げ、ナタリアは目を細めた。最後に会ったときと比べると、アッシュはルーク以上にその面影を変えていた。一月と少し前までは、蔑みと憎しみに濁った目をして、ルークに対する威丈高な態度ばかりが鼻についた。熾き火のように怒りを燻らせ、いつも何かに苛立って周りの空気まで刺々しくさせていた、アッシュが。今や別人のように穏やかな顔でルークに微笑みかけ、静かに頭を下げ謝罪して見せる。一足飛びで大人になったような顔は、すでに少年とは言い難い男の貌をしていた。

 真っ向から見えたアッシュのあまりの変貌に、一同は言葉を失ったが、ガイは一人、きつい目で睨むようにアッシュを見据え、詰問してきた。
「俺たちに嘘を言ったことを謝ってるのか。それとも、お前がルークにしたことを、傷をつけたことを謝ってるのか?」
「お前たちに嘘を付いたのは、俺より先にレプリカを抱いたかも知れないガイ、お前に対する当てつけだった。すぐに否定するべきだったのに、そのまま忘れてしまっていたことを謝っている。──傷、というのがレプリカを抱いたことなら、謝るつもりはない」
「こ、こ、このおっ──」
「愛しているから」
 拳を振り上げて駆け寄ろうとしたアニスの足を、アッシュの一言が止めた。
「なん、」
「──愛してるんだ」
 驚いて目を見張るルークに、心配するなというようにアッシュは淡く微笑みかけて繰り返した。強くルークを拘束していた腕を解いて隣に立ち、いっそうやうやしいほどの仕草でその手を取ると、視線を真っ直ぐナタリアに据えた。
「ナタリア殿下」
 その呼びかけに、ナタリアだけでなく、その場にいた全員が息を飲み、凍り付いた。
「あなたには、大変申し訳ない。そういうわけで、あなたの婚約者を頂戴する」

 ここにいるものは皆知っていた。ナタリアの婚約者が『ルーク・フォン・ファブレ』であることを。それを真に指し示すのはレプリカルークではなく被験者ルーク、つまりアッシュであることを、ナタリアが胸の内ではアッシュを婚約者と恃み、慕っていたことを。
 だがその一言で、アッシュは自分から捨てたと言いながらも居場所を奪われたとルークを憎み、立ち位置をごまかし続けた過去の自分と、現在の立場との間に、明確な区切り線を引いてみせたのだった。

 そこにいるのはキムラスカ・ランバルディアの王女であり。
 同国の重鎮、ファブレ公爵の子息であり。
 ──身分差も甚だしい神託の盾騎士団の一兵士、その三者であると。

 それはあまりに残酷な言いように聞こえ、ルークは顔色を変えてアッシュの腕を引こうとし……出来ずに唇を噛み締めた。ルークは誰にもアッシュを渡す気などない。どのような言い方をしたところで、ナタリアを傷つけてしまうのに変わりはないのだ。
 そんなルークに気付き、ナタリアはいいのよ、というように首を振った。そしてアッシュに向き直り、まるで臣下に対するように、鷹揚に頷いてみせた。
「わたくしの許しを得る必要などありません。わたくしは、彼の婚約者などではありませんもの」
「ナタリア、」
 ナタリアがどれだけアッシュを想っていたかは全員の知るところだ。ガイが驚いて声をかけたが、ナタリアはアッシュから視線を逸らさなかった。
「わたくしは……わたくしは、『ルーク・フォン・ファブレ』の子を生むようにと、一度も言われていないのです。彼の持つ、紅い髪の血が王家にとって真に必要なものならば、ほかの誰でもない、わたくしこそがその役目を負うべきですのに。彼の言う期間、わたくしは一度もファブレ家に招かれていない。それがどういう意味なのかはおわかりでしょう」
「……」
 しん、とした空気がそこに降りた。
 済まない、というように、アッシュは万感の思いを込めて、頭を下げた。
 彼女は大切な従姉弟であり、幼なじみでもあり、婚約者でもあった。かつては幼い恋心に胸をときめかせたこともあったような気がする。傷つけたくないし、悲しませたくもなかった。
 だが、そんな不敬な思いを彼女に抱くのも、ここまでだ。

 身分、才能、恵まれた容姿、大いなる力──。
 人が望み、羨む多くのものをアッシュは与えられていたが、自分にとって本当に必要なものはたった一つしかなかった。その一つを守るために多くは必要ない。必要なのは己自身の力、それのみ。

「俺に色々と言いたいこともあるだろうし、殴りたいやつもいるだろうが、とりあえず明日に持ち越して貰えないか」
 ちらりと傍らのルークに向けたアッシュの表情に気遣うような色を見て、ガイもルークの表情を窺う。アッシュの腕に両腕ですがりつき、倒れそうなほど血の気を失った顔は深く俯いて、ガイたちと顔を合わせるのを恐れているようだった。手の甲が真っ白になるほど強く縋ったものが自分たちではなくアッシュであることを、ガイは寂しく思いながら頷いた。
「俺に依存はないよ。──いいよな?」
 ジェイドに問いかけると彼もええ、と頷いた。ティアがそっとナタリアの側へいき、声をかけるでもなく慰めるように身をすり寄せる。主人のところへ帰りたくて仕方ないような顔をして、それでも何かを感じ取ったのかミュウもおとなしく一行に付いて行くようだ。
 それを見て、時間が欲しいのはこちら側も同じだと、ガイはふと気付いた。
「ルークは精神的にキツいことがあるとすぐに食欲を失くしちまう。無理にでも食べさせて、眠らせてやってくれ」
「わかった──すまない。なら……そうだな。明日の午後、研究所で落ち合おう」
「研究所……ですか?」
「ああ」
「……? わかりました。でも、知事のところには今日中に挨拶に行ってください。ルークには捜索隊が出されていますから」
「ああ……」アッシュはそんな大げさなことになっていたかと少し後ろめたそうな顔を見せ、いや、と首を振った。「打ち切られていると思う。ファブレ公爵は行方不明の子息が無事でいることをもう知っておいでだ、追ってお前たちのところにも連絡が行くんじゃねえか」
「なるほど……。それでバチカルですか? いいでしょう、では、明日」
「ああ」





 仕方ないとはいえ、どうもナタリアが邪魔者のような可哀想な扱いになります。彼女には確かにもの申したいことが山ほどありますが、基本的に私は更生可能な若い子には甘いのですけど。(2011.11.04)