バニシング・ツイン 18

 手をぐっと握られて、クリムゾンはシュザンヌもまた、目を覚ましていたことに気付いた。シュザンヌはクリムゾンほど、押し殺された気配に対して鋭くはない。元々眠れてなどいなかったのだ。

 ただでさえ脆弱な身体はこのところでますます弱り、今では起き上がることさえ稀になったシュザンヌ。白い肌はより青白く透き通るようで、クリムゾンは妻が息子と同じようにふいに姿を消してしまうのでは、と密かに恐れていた。だがその儚げなシュザンヌが、クリムゾンの手を握る力は、本当に彼女のものかと思わず見直してしまうほど力強い。

「奥方もお目覚めか」
 この暗闇の中にあって夏掛けの下の僅かな動きすら見逃さなかったようで、男はなぜか深く、長い溜め息をついた。
「母ですから、あの子の話を聞く権利がわたくしにもあるはずです」
「シュザンヌ……!」
 咎めるような声に一瞬身を竦ませ、シュザンヌはもうずっと、そんなクリムゾンの声を恐れて、「それでもわたくしは知りたいのだ」という声を飲み込んできたことに、今更のように気付いた。そう、シュザンヌはずっと恐れてきた。クリムゾンにとって、シュザンヌは主君に押し付けられたお飾りの妻。しかも病弱で、大貴族のファブレ家の女主人として果たすべき役割の数々をを何一つこなすことができない、言わばお荷物の妻である。若くして家を継いだクリムゾンは、門閥、容姿に恵まれているだけでなく、武人としても当代一と言われ、頭も切れると評判だった。年頃の娘を持つ貴族たちには願ってもない婿がねであったし、当の娘たち全員にとっても憧れだったけれど、そのすべてを退けてクリムゾンを手に入れたシュザンヌは、兄の一言によって抜け駆けをしたたけで、彼に望まれて降嫁したのではない。
 息子が生まれると、義務は果たしたとばかりに領地に引きこもりがちになったクリムゾンに、わたくしも連れて行って欲しいと願うことは出来なかった。もし、迷惑そうな顔をされたら。なんだかんだと理由をつけて遠回しに断られたら。
 ──倦まれていると、気付かされてしまったら。
 だが、シュザンヌはクリムゾンの妻であると同時に、息子の母でもあった。息子の身に異変が起こっているとき、後者の立場を優先させるべきであることはシュザンヌにとって至極当然のことだった──自分がそういう人間であったことに今更のように気付き、シュザンヌ自身、少々驚いていたのだとしても。

「……あなたはご子息のことをどれほどご存知でいらしたのか。もしも何もご存じなかったならば、あまり耳障りの良い話ではないだろう」
「それでも、わたくしには、あの子のことを知る義務と、権利があります。……それに、あなたは先ほどから旦那様を怒らせようとなさっているけれど、わたくしには、あなたがあの子にとても思いやりを持って下さっているのがわかります。あなたは……あなたが、わたくしたちにとてもお怒りなのだと言うことも」

 弱ったシュザンヌが身を起こそうとするのを戸惑いながら手伝い、クリムゾンも身を起こした。男は止めようとはしなかった。クリムゾンがシュザンヌの背に枕を差し入れたりして起きていやすいよう整えているのを見て、突きつけた剣を僅かに引いてくれさえした。
「お待たせ致しました。さあどうぞ、続きをおっしゃって」
 弱々しくはあるが意外にもしっかりした声で、シュザンヌは侵入者に続きを促した。
「では、お聞かせ願いたい」
「……」
「まずは一つ。あなたがたは、つい先日までこの屋敷にいたご子息が、レプリカであることをご存知でいらしたか」
「いいえ」
 即座に答えたシュザンヌに反して、クリムゾンは少し悩んだが、結局首を横に振った。
「こんなことになるまで、生物レプリカというものを私は知らなかった。──だが、我が妻が命がけで産み落とし、私が名付けた息子とは違うのではないかと思ったことなら、ある」
 これは、ある意味正確ではない。違和感は常につきまとっていたが、例え禁忌とされた生物レプリカのことを聞いたことがあるものがいたとしても、そんな荒唐無稽な話よりも、その原因を誘拐と記憶喪失に求めてしまうのは当然のことだった。男はその答えに関して、なんらかの断罪をする気ではないようで、人の形をした影が小さく頷いたのがわかった。
「次に一つ。可愛いご子息から聞き出したことについての真偽を」
「……聞こう」
「名門ファブレ家の嫡子である彼を家畜のように扱い、牝馬への種付けを強要しておられたことについて。──事実か、否か」
 弾かれたようにシュザンヌがクリムゾンを見つめた。握った手が、ぶるぶると震えているのに、その資格も無いことを知りながらクリムゾンは握り返した。
「……事実だ」
「何故に」
「なにゆえに? 決まっているだろう、このファブレ家、準王族の、武門の名門、筆頭公爵である我がファブレ家の血を絶やさぬためにだ。私の息子は、産まれた時からキムラスカ・ランバルディアのために命を捧げる定めであったからだ!」
「あなた……!」
 何が目的なのかわからない得体の知れない侵入者を前に、冷静さを保とうとしていたクリムゾンが激情に耐えかねたように吐き捨てるのを、シュザンヌは背に腕を回し、宥めるように抱き締める。
「……私がしょうを持つか、息子に子を作らせるか、どちらでもいいと陛下は言われたが、私の妾に子が出来ると言う預言はなかった。……あの子には預言そのものがなかったが……」
「預言がない?」
「……そうだ。運命の年までに、息子に子が出来るかどうか私は知りたかった。だが、招いた預言師は首を傾げたのだ、息子には預言がないと言ってな。だが、おかしいではないか? 息子にはすでに重大な預言が詠まれている。それがわからぬはずはない。私はそのものを預言師を騙る偽物と判断した。息子はまだ十をいくつもすぎていない子どもで、事情が事情だ、教団の預言師を召還することは憚られ、流れ者の預言師を招いたのが失敗だったのだと思った。だが密かに屋敷に呼び寄せた二人目の預言師が同じように首を捻り、不審な目で息子を見ているのに気付いたところで、これ以上は危険だと思わざるを得なかった。そして、預言がないというあの子に、私は賭けることに決めた。だが、十七になっても息子に子は出来ず、結局、私は……」
「……ご子息に預言がないと知った二人の預言師はどうされた」
「……下男に任せた。場所までは知らぬ」
 夫がため息を付いて窓に視線を流した意味がわからず戸惑うシュザンヌを見て、侵入者が口を開いた。
「預言のないものの存在など、外部に知られるわけにはいかないだろう。ましてやファブレ家の子息、後に王位を継ぐものとあっては。──賢明な判断だ」

 シュザンヌは大きく息を吐いて、硬く目を閉じた。
 息子のために、夫が二人も人を殺めていたことなど知りもしなかった。夫がそれをしていなければ、この侵入者が彼らを捜し出して切り捨てたのであろうことは、短い対峙に過ぎなくともシュザンヌにもわかる。シュザンヌは母親でありながら、息子が十八になるまえに死ぬと言う預言がなされていることすら知らされなかったのだ。のほほんとただ息子を可愛がっていたあいだ、彼女の夫は血と罪を被りながら必死で息子を守っていたというのに……。
 何の罪もなく、この世から抹消されてしまった二人の預言師への罪は、自分も負うべきものだと強く決意しながら、シュザンヌは改めて夫の靭さを思った。

 自分が、息子に詠まれた預言のことを知らされていたらどうしただろう? 命も立場もすべてを賭けて、息子を死の運命から逃すことが出来ただろうか?
 シュザンヌとて元王女。王族としての教育を受け、責務は叩き込まれている。国の繁栄をもたらすために捧げると決められた命を、私心で救ってはならない。
 ──だが自分は、国の繁栄の前には愚かと言われる母の情を優先して、なんとか息子を助けようともがいたような気がした。そのような大局の見れない愚かな真似をしでかす人間のように感じた。例えそのことがどんな罪に問われようとも。そして兄王も夫もそのように考えたからこそ、シュザンヌの耳には決して入れられぬと判断したのだろう。……辛い決断は、すべて二人で行う覚悟で。

 だが、侵入者が問い、クリムゾンが認めた事実は、女のシュザンヌにはどうにも嫌悪感を催させる残酷な事実だ。男というものは身体的にも社会的にもその行為で傷つくことがないからか、簡単に考えすぎる。シュザンヌには息子に強要されたその行為に憤りを抱いているらしい侵入者の方がよほど心情的に理解出来たし、最初はどうであれ、今は息子を好いてくれているのだろう男に、好意すら抱いた。

 ──その刹那。

 徐々に近づいて来ていた稲妻が、一瞬暗い室内を照らした。
 真っ直ぐに侵入者を見つめていたシュザンヌと、妻を気遣い、侵入者から視線を離していたクリムゾンとで、目にした光景が違っていたのは仕方のないことだったろう。
 
「…………!」

 侵入者もクリムゾンも止めようのない、まさに稲妻の素早さでシュザンヌの手が閃いた。病弱さゆえに、普段は動きも気怠そうで緩慢に動くシュザンヌの手が──。一瞬だけ目にしたものにあまりに驚いたため、頭が真っ白になったのがシュザンヌにとって良い方に働いたのだろう。
 シュザンヌのあまりに突発的な動きに止める間もなく付けられた、ベッドサイドの音素灯。
 物の陰しかわからない暗闇の中で、その灯りは眩しいほどに広がり、侵入者の姿を煌々と照らす。




「────!!」
「ル……?!」




 少なくとも表面上は動揺の欠片も見せない侵入者の名を、呼びかけたものの言いよどんだのは、瓜二つでありながら、それが数ヶ月前までこの屋敷にいた、息子のレプリカとは別人であることに、二人がすぐに気付いたからだ。
 三人は、三者三様の表情で見つめ合った──寸分違わぬ色の瞳で。

 邪魔にならぬよう、高い位置できつく縛られた髪は、例え濡れそぼって黒く沈んで見えたとしても、キムラスカ王家特有の深い赫であることは見紛いようもなく。
 炯々と鋭く光るフォレストグリーンの瞳も、一目見れば誘拐事件前の息子の姿を彷彿とさせた。

 これほどの違いがあるものを、なぜ気付かなかったのだろう……。

 細身であることには変わりないものの、いなくなったルークよりも荒々しく、獰猛なまでに鍛え抜かれた体が、雨に濡れて張り付いた薄いコートの上からでも見て取れる。霜が降りたように凍てついた瞳は鋭く、少しの油断もなく、キムラスカの盾たる元帥を前に、一歩も怯む様子がない。




 何の説明がなくとも、これがいなくなった息子の被験者──自分たちの本当の息子であることを、疑う余地などなかった。




 大変間が空いてしまって申し訳ありません。お詫びにせめてもの二話更新です>< (2011.10.16)