バニシング・ツイン 16

『また別の人を好きになるから』

 そう言われると、まるでこれまでも好きな人がいたかのように聞こえる。心当たりは全くなく、強いて述べよと言われればナタリアが思い当たるくらいなものだったが、アッシュにとってナタリアとは、こういった生々しさとは無縁に大切に守っていきたい、美しい自慢の『姉』だ。

「何故そう思うのか、聞いてもいいか?」
「……だって、アッシュは絶対、今までいっぱい好きな人がいただろ。お前……すごく上手だもん。おれだってたくさん勉強したけど、あの人たちをそんなに気持ちよくしてあげられなかった。おれ、お前にはもっと気持ち良くなって欲しくて色々してみようって思うけど、あの人たちには全然思わなかったんだ。……だからおれ、全然駄目だったんだ」
 アッシュの口元がひく、と引きつったのにも、俯いたままのルークは気付かない。
「初めはアッシュはやっぱりおれなんかより出来が良くて、教わったことがきちんと実践出来るんだなって思ってた。けど……なんか違うってわかってきたんだ。コレって、教わるだけじゃ駄目で、実践を繰り返さないと上手くなんないよな? おれみたいに適当に繰り返したってやっぱり駄目で。けどおれ、うぜーうぜーばっかで、気持ちがそこになかった。俺と違ってアッシュは……なんで笑うんだ?」

 好きな人が相手なら、気持ち良くしてあげたい。努力するから上手くなる。アッシュは上手い。たくさん努力したはず。好きな人もいたはず。──こんなところか。

 相変わらずルークの話は要領を得ないが、さすがにアッシュも慣れてきている。黒か白しかない彼の短絡的な論法では、なるほど『また別の人を好きになる』の結論になるのも無理はないと瞬時に判断した。子どもを作らないセックスでも、好きな者同士ならいい、と言ったことが仇になったというか、説明が足りなかったというか。

 だがアッシュがどうにも笑いを堪えられずにいるのは、その大前提の部分で、自分とのセックスに十分満足していると、彼が意図せずとはいえ宣言してくれているからだ。

「俺を殺すのはひとまず後にして、一旦剣を置いてくれ」
「なんで?」
「今、すごくお前を抱きしめたい」

 困ったように笑い、両手を広げているアッシュを不思議そうに見つめ、ルークは少しの間どうしようかなというように逡巡していたが、やがて子どもっぽい仕草でこくんと頷くと、ベッドの上に剣を置いて素直にアッシュの腕の中に収まる。力を込めて抱きしめて、アッシュはほっと息を吐いた。
「お前の思い違いを、一体どこから訂正すべきかな……」

 子ども。本来ならまずはそこだった。それを期待されていた。父に渡さなくては。その事実はどこまでもルークを縛る。その裏には、自分を見て欲しい、父を失望させたくない、褒めてもらいたい、そんな渇望があることをアッシュは見抜いている。他ならぬ自分もそうだった。そんな心の動きは、我がことのように手に取れる。
 一言、ただ一言でいい、男は子どもを生めないぞと、一言伝えるだけでいい。なのに、なぜそれが出来ないのだろうと、アッシュは内心で頭を抱える。意識してか、或は無意識にか、腹を庇いながら戦う姿を見てしまったからだろうか。それとも時折楽しそうに腹を撫でている姿が目に入るからだろうか? いつまで待っても男の腹が膨らんでくるはずなどないのに……。

 最初は、それならお前など必要ないと言われるのが恐ろしくて黙っていた。
 今は、お前の子を抱いてみたいと懇願するルークがどれほど悲しむかと思うと、胸が詰まって言葉が出ない。時間が経てば経つほど言い辛くなるのに……。
 逃避だとわかってはいるのだが、結局アッシュはため息を一つついて諦めた。訂正しなければならないことが、まだある。

「……お前、俺の前に好きなやつはいなかったのか?」
「いない」
「その間、アレがしたいと思ったらどうしてた?」
「えっ? そんなの思うわけない。おれ、二週間に一回だけするのも嫌だった。ガイもお使いに出されて、遊べなかったし」
「……」

 散々抱いておいて今更だが、ルークは実年齢ではまだ七歳にすぎないのだった。肉体がそれに準拠していたなら、やっとそれらしいことに興味を持ち始めるころで、まだまだ彼の精神こころは、幼い。
 ここから説明が必要だったのか、とアッシュは苦笑した。
「子どもを作りたくなくても、好きな人がいなくても、アレがしたいというか気持ちよくなりたいときがあるんだよ、お前にもそのうちわかるだろうが。……いや、そんな隙をやるつもりもねえし、お前はわからなくていいか」
 ルークが心底困惑したようにアッシュを覗き込む。「──そうなのか? おれ、多分そんなのない……。そういうときは、どうすんだ?」
「こんな風に自分で抜くか、」
 アッシュは腕の中でくるりとルークを反転させ、ルークの手を掴んで夜着の上から自身を握らせると、手を添えて軽くしごく真似をしてやった。ぎょっとしたように強張る身体を軽く叩いて宥め、腰を抱いたままベッドに腰掛けた。アッシュの腿の間に座らされたルークが、居心地悪げに身じろぎする。
「娼館で女──まあ、男もいるか──を買うかだな」
「娼館……あー……聞いたことある。ガイがジェイドに、女の子たちの目があるんだから、娼館に行くならもっとこっそり行けって注意をしてた。娼館ってなんだって聞いてみたけど、おれには早いって教えてもらえなかったんだ。そっか、ジェイドはそこにアレしに行ってたんだな!」
「……眼鏡」
 アッシュは呆れた、という態で鼻を鳴らした。確かに彼ならば、初な少女たちの非難の眼差しをものともせず「ちょっと娼館に行ってさっぱりしてきますね〜」などと言っていたとしてもあまり意外性がない……。
「ま、確かに、男同士の会話ならともかく、女のいるところで不用意に話すもんじゃねえな」
「どうして」
「大抵の女は自分の欲望を上手くコントロール出来ていて、男、いや、恋人や亭主がいない場合は押し殺すことが出来る。それが出来ねえ馬鹿な男を、女は軽蔑する。口では物わかりの良いことを言っていてもな」
「男は馬鹿なのか」
「ああ」
「アッシュも?」
「俺もだ。散々世話になったクチだからな。ああ、世話になったと言えば、多分、お前もだ」
「えっ? おれっ?」
「『パドマ』、おそらく間違いないと思う。それも俺のような一介の軍人が買える女とは格が違って、王族や貴族しか買えねえ高級娼婦の類いだな」
 ルークは首を傾げた。パドマはそのあと寄越されてきた誰よりも美しく、所作も洗練されて貴族的だったのに。
「パドマは一番、なんていうか、母上みたいに完璧だった。それに……おれにすごく優しかった。おれも、パドマに色々されるのは好きだったよ。違うんじゃないかな?」
「そうでなけりゃ王族のベッドには侍れないだろ。お前は気に入られたんだろう。そのランクの女は、気に入らなければ仕事を断ることが出来るって言うからな」
 ルークはそこで初めて気付いた、というように声を上げた。
「そっか……。おれ、嫌だ嫌だって自分のことばかり考えてたけど、あの人たちだって嫌だと思いながらおれとアレをしてたかも知れないのか」
「まあ、パドマはともかく、後からきたご令嬢どもには跡目を継ぐものを生めばそれなりに旨味があったわけだし、一概に嫌だと思っていたかはわからないぞ。旨味と嫌悪感を天秤にかけて、嫌でもアレをして得られる旨味の方を取るものもいる。娼婦だって本当は好きな人以外とはしたくねえだろうが、貧しいから金を稼がなきゃならねえとか、いろんな理由で金を貰う分、嫌でも我慢してくれるというわけだ。果物屋が客のお前からガルドを貰って林檎を売ってくれるように、ガルドを貰って自分とアレをする権利を売る、そういう商売だ」
「う、うん。わかるよ」
「ここまでの話で、売る者と買う者の間に、愛情が介在しないのはわかったか」
「う、うん……」
「もう一つ。俺とノワールのような件だが、こういう物々交換も実は珍しくねえ。少なくとも神託の盾じゃ日常茶飯事だった。互いに好きだからじゃない、したいときにしたい奴が近くにいれば、手近で適当に済ませちまえって、そういうこともあるんだよ」
「だって……。アッシュはそうでも、相手は違うかも知れねーじゃん」
「そういう面倒な相手は、避けるのがセオリーだ」
 アッシュはふっと息をついて、ルークの白い項の香りを嗅ぐように鼻をすり寄せた。
「俺がこれまでに抱いてきたのは、つまりそういう相手だ。なんとなくアレがしたいときに、娼婦に愛情ではなく金を支払い、手近なやつと身体の貸し借りをしてきた。いちいち惚れてたんじゃねえんだ」
 腹の前で硬く組まれたアッシュの手に、おずおずとルークの手が触れた。
「でも……でも、アッシュは、すごく上手、だぞ? パドマより……」
「お褒めに預かり、光栄の極みにございます」
「──っアッシュ!」
 笑い含みにふざけた物言いをして、後ろからルークの手を取り甲に口付けるアッシュにルークが抗議の声を上げると、「言っただろ」と思いのほか真面目な声がした。
「好きな人が大勢いて、それを全部気持ち良くしてやろうなんて腕を磨いたんじゃねえぞ。お前を気持ち良くしてやりてえから、ずっと反応を見てるんじゃねえか。最初は乳首から攻めると身体の感度が変わるようだとか、これよりさっきのほうが気持ち良さそうだったとか、後ろからより前からの方が声が高くなるとかな」
「──っ?!」
「……窓から落ちそうになりながら犯られんのがイイみたいだ、とか」
「──馬鹿っ!! おれ、すげー怖かったのに……!」
 身体を捻って殴り掛かってくるルークを軽くあしらいながら後ろに倒れ込み、ルークの体勢を入れ替えてまた強く抱きしめた。
「……お前はもしかしたら、父上に子どもをやるために俺のことを我慢しているのかも知れないと思ってた」
 ルークは驚きに目を見張って、まじまじとアッシュを見つめた。
「おれは……アッシュが子ども、作るためにおれを抱いてくれるんだって思ってたから……出来なかったら見捨てられるって、怖かった。全部終わるまで待てって言われて、少なくともそれまでは一緒にいてくれるんだって嬉しかった。……今は……また怖い。おれが消えたって、お前の子ども、生んでくれる人はたくさん来る……おれがそうだったし。でもおれ……今はおれが、お前の子ども、欲しいよ。おれ、途中から父上のこと、忘れてたんだ」
 ルークは罪悪感に耐えかねたように目を伏せた。長く濃い朱の睫毛が、頬に影を落とす。
「アッシュをおれだけのものにしたい。誰とも分けたくない……。だけど俺が消えて、アッシュが残るなら、もうこうするしかないって」

「全く、屑のくせに……。上出来だ」
 アッシュが笑みを浮かべたのを確認して、ルークが戸惑ったように首を傾げる。
「怒らねーの?」
「いや。ちょっと意外で驚きはしたが……。俺はちゃんと愛されていたのかと感動してる。あわや死ぬとこだったのにな……。お前は……死ぬのが俺で良かったとか、お前は生きてくれとか、そんな風に言うかと思っていた」
「えっ? もしも残るのがおれの方だったら、アッシュはおれに生きろって言った……?」
「……そうだな、多分言った」
 その答えを聞いて、ルークはしょんぼりと目を伏せた。
「……アッシュは、酷いことを、いう」
「そのくらいの見栄、張るだろ普通」
「見栄?」
「見栄だな。みっともなく俺と死んでくれなんて言えるわけねえ」
「本当は言いたい?」
「そうだな」
「わかんねー……。おれ、みっともない?」
「てめえはまだガキだろ、みっともないも何もねえよ。こういうことには駄々こねてていい。もう少し大人になれば、わかるようになるだろ、もっと……いろんなことが。それまで生きてねえか? 俺もお前も、まだ死ぬには早すぎる。駄目だった時は、約束する、俺もすぐにお前のところに行ってやる。俺だって、お前のいない世界で一人で生きて行くのは……ちょっともう、しんどい」

 今や死は二人を分つものではなかった。アッシュは、もう二度と一人で生きて行かなくていいのだ。生も死も、二人に等しく与えられる。ならば、何も怖いものはない。
「まだ信じられねえか」
「ううん」ルークは慌てて首を振った。「アッシュは、一生おれといてくれる。おれが先に消えても、他に誰も好きになったりしない。追いかけてきてくれる……んだよな?」
「ああ」
「じゃ、じゃあ……信じる。──殺そうなんてして……ごめん」
「いや。こういうとおかしいかも知れねえが、ちょっと嬉しかった」

(一番の問題点もはっきりしたしな)

 目を閉じて、もう霞がかかったように思い出せない二親の姿を思い起こす。胸の奥深くに、凝るような慕わしさが確かにある。
 だが、それ以上に、一生を連れ添う片羽がどうしても捨てられないでいる『親』というものが、その想いに相応しい存在であるのか、冷徹に見極めなければならないという思いも強く起こる。

「俺は、何が何でも二人で生きて行きたい。最終手段はもうあるんだから、どんなに見苦しくても、それまでは足掻こう、二人で」
「うん……」
 抱きしめているルークの体温が少し高くなったように感じ、アッシュは喉の奥で笑った。
「眠いのか?」
「ちょっとだけ」
「──少し眠れ。話を聞いてからこっち、ずっと緊張してたんだろ」
「……うん。アッシュ、子ども扱いしないで、ちゃんと話してくれて、ありがとな。おれ、すげー嬉しかった……」

 肩口に頭を乗せたまま力を抜くと、ルークはすぐに寝息を立て始めた。スピノザに話を聞いたあと様子がおかしくなったときには、すでにアッシュを殺さなくてはならないと思いつめていたのだろう。その理由が、生き残るためではなく、誰にも奪われないため、幕引きのためであったと言うのが、アッシュにとっては意外なことだったが……。いや、違うところの方が多いとはいえ、所詮己のレプリカ。思考の行き着く先はむしろ良く似ていると言えるのかもしれない。

 疲れきったように頬に長い睫毛の陰を落とすレプリカの、己のものより細い子猫の毛のような感触の髪を撫でてやりながら、絡まる水鳥の羽を払い落とす。窓が開いたままだから、いつまでも部屋中を舞っているのだ。
 深いため息を吐くと、顔に触れようとした羽がまたふわりと舞った。その行方をしばらく視線だけで追い、アッシュは疲れたように目を閉じた。
「追徴金、かなり取られるな……」








 翌朝、ヨークに連れられてきたスピノザと合流して、三人は港に向かった。
「俺はちょっとバチカルに用がある。お前はスピノザを守ってまっすぐにべルケンドへ戻れ。俺は一旦バチカルに寄ってから追う」
 いざチケットを取る段になってアッシュがそう言い出したのは、ルークに取っては青天の霹靂だった。
「な、なんで?! おれ、やだよ! おれも一緒に行く!」
「我が侭言ってんじゃねえ。二人で行くような用でもなし、別行動の方が効率がいい。大爆発の研究は一日でも早く初めてもらわなきゃならねえんだ」
「ア、アッシュはおれと離れても平気なのかよ?!」
 すでに涙声になっているルークを困ったように見つめ、アッシュは目を僅かに逸らして言い聞かせるように言った。
「今後何十年も一緒にいることになるんだ、ほんの数週間別々に行動するくらいなんだってんだ」
「──何、十年、も……?」
「だろ」
「……う、うん? うん……」
 アッシュの言い分に利があるのを認めたのか、ぐ、と唇を噛んで我慢しようとしているルークがいじらしくて、思わず口元が綻ぶ。
 傍から離したくないのはやまやまだが、『彼ら』の対応によって自分が何を知り、何を考え、どう行動するかまだわからない。
「……俺も淋しいが、あまり時間も無駄には出来ない。用が済んだらすぐに俺も戻るから、スピノザを研究所に戻したらお前はあそこで待ってろ。──いいな?」
 アッシュの言うのがファブレの狩猟小屋のことと悟り、ルークはわかった、と頷いた。




 バチカル行きの船が後の出港ということで、アッシュがべルケンド行きの船に乗る二人を見送りにきてくれた。
「わしは先に船室に入っておるよ」
 どこから見ても恋人同士である二人が、被験者とレプリカという関係の少年であることに頓着した様子もなく、どこか吹っ切れたような顔のスピノザはからかうでもなく飄々と船内に消えた。
「お前も早く中に入れ。ここは海風が冷てえし、風邪を引く……」
「マントを着てるから平気だ」
 巡礼の着るマントを羽織り、フードを深く被って髪を隠しているのだから、むしろ暖かいくらいだとルークは言い、もじもじとマントを握ったり外したりしている。
「……どうした?」
 相変わらず促してやらないと言えないことも多いルークだが、その仕草に苛つくどころか可愛らしいとさえ感じる己の変化に今更のように戸惑いながら問うと、ルークは決意したようにぱっと顔を上げ、思いがけないことを言った。
「剣、貸せよ。──剣帯ごと」
「はあ?」
「剣!」
「あ、ああ……」
 勢いに飲まれて剣を引き抜き剣帯を外して渡してやると、ルークは二人旅を始める前に良くアッシュに見せていた向日葵のように明るい笑顔を見せ、「ありがと!」と礼を言うと換わりに自分の剣をぐっとアッシュに突き出した。
「はい!」
「は? はいと言われても」
「隠れ家で返すよ。それまで交換な!」
「……俺は別に逃げやしねえぞ」
 ルークの剣を困惑の視線で見つめたまま、受け取るでもなく突っ立っているアッシュに、意味を捉え損ねたルークが首をかしげる。次いでむうっと口を尖らせた。
「ちげーよ!! お守りにするんだ!」
 ルークの怒鳴り声に飲まれて剣を受け取ると、ルークはアッシュの剣を大事そうに抱え込んで俯いた。そうすると、フードに隠れて表情が見えなくなる。
「……悪かった」
「……おれの代わりに、そいつ、連れてって」
「俺の剣は、お前のより重い。使えんのか」
「馬鹿にすんな」
 絶対返すもんかと言わんばかりに頑なに剣を抱きしめて、アッシュの目から身体で隠そうとでもいうように横を向いてしまったその仕草は、アッシュの目に七歳の子どもそのままに映った。愛しさと、罪悪感と、その他もろもろの説明しがたい感情がこみ上げてきて、思わず人目も気にせずに引き寄せて口づけた。熱い吐息を奪い合い、与え合うような口付けが途中で塩気を帯びてきて、アッシュは吹き出すように唇を離し、ルークの両目の淵を舐めた。
「ほんのちょっと離れるだけだ。すぐに帰る。──泣くな」
「……そういうお前は、なんで笑ってんの」
「俺と離れるのが寂しいと泣いてくれて、嬉しいからだ」

 そんな関係を、アッシュはこれまで誰とも築いてこなかった。その努力もしなかったし、するべきだと思ったこともなかった。アッシュ自身がそんなものだから、最初は近づいてきても心を開こうと努力してくれる人もいるわけがない。
 ルークだけが。
 ぶつける好意にまるで反応がなくとも、いつまでも気持ちが返ってくることを期待し続けてくれたのだ。
 からかわれたと思ったのか、む、と唇を尖らせているのを最後にもう一度啄んで、アッシュは軽くルークを押しやった。
「もう行け。何があるかわからねえ、爺さんからあまり目を離すなよ」
「わかった」
 泣き顔を隠すようにぱたぱたとタラップを駆け上がって行く背中を、淋しさを堪えて見送り、アッシュは踵を返した。
 ルークと二人でベルケンドを出てから一月近く経っただろうか。それ以前はずっと一人で動いていたというのに、妙に背中が寒々しかった。真後ろについてくる体温も、暖めてくれる熱い視線も感じないからか。

 振り向いて、少しずつ桟橋を離れて行く船を見送った。
 今別れたばかりなのに、もう己のレプリカが、恋しい。






 アッシュデレ完了です。自分で書いておきながら、ルークの思い違いは解くのが面倒くさい。難しい。 (2011.09.25)