アッシュは信じられないものを見るような目でルークを見やった。自分が記憶だけ残して死ぬのだと宣告されて、第一声が嫌かも? 恥ずかしすぎる? 不自然なほど落ち着いているように見えるが、やはりルークも動揺しているのだろうか。
──アッシュ自身が、言われたことが上手く咀嚼出来ずに真っ白になっているように。
視線を感じてアッシュを見つめ返したルークが、眉の下がった奇妙な笑顔で首を振った。
「そんな顔、すんなよ」
「……理解出来なかったのか?」
「ちぇっ、いくら俺でもわかったっつーの」
ちょっと口を尖らせて、ルークはとん、とアッシュの胸を突き、そのままマントをぎゅっと握りしめた。その手から血の気が失せて、小刻みに震えているのに思わず安堵してしまったのが、アッシュには不思議だった。
片腕でルークを抱き寄せて、再びスピノザに向かう。
「その進行を止める方法はあるか?」
「実際には誰も確認したことのない現象じゃから……。起こらん可能性もあるし……」
両手両足を縛られたまま、心配そうにルークを見ている老人を、アッシュはほんの少し見直した。
思えば、この老人こそがルークを生み出したものでありながら、ヴァンと違って彼には初めから『造り物』であるルークを少しも見下しているところがなかった。レプリカ、ではなくちゃんとルークと名を呼んでいたし、今ルークを見つめる視線にも実験サンプルを見るような無機質さを感じない。
「お前がヴァンに報告してしまったことに関してのフォローは、俺がしよう。お前はベルケンドに戻って眼鏡、いや、ジェイド・バルフォア博士と協力してその研究にあたれ。そのための協力は惜しむつもりはない。好きなだけ、俺とこいつの身体を調べ尽くすがいい。──お前にとって、これは悪い提案ではないはずだ」
この期に及んで、復讐者であるガイや胡散臭い眼鏡、ナタリアに弱みを知られたくないなどと言ってはいられない。ディストも探し出して捕らえよう、二人より三人、解決策を見つけるのには、少しでも多くの頭脳が必要だ。
「このわしを信用するというのか?」
「さあな。だがお前は、俺のレプリカをそれなりに気遣う気持ちがあるように見える」
「……そうじゃな……。レプリカと言えど、孫のような歳の子が早くに逝ってしまうのは忍びないと思ってはおるんじゃ……わかった。精一杯、努めてみよう……」
老人がルークから目を離さずに頷いたのを見てアッシュは剣を抜き、切っ先でロープを切ってやった。
「明日、べルケンドに発つ。それまでここでゆっくりしていてくれ。食事は後で運ばせる」
「あ、ああ……わかった」
手首をさすっている老人をあとに、アッシュはルークを連れ、静かに部屋を出た。
部屋を出ると、隠し扉の前に立っていたヨークが鍵を持って近づいてくる。アッシュはそれに首を振った。
「いいのか?」
「ああ。もう逃げやしねえ。あとで何か食わせてやってくれ」
「わかった。旦那と坊ちゃんはどうする? ご覧の通り部屋は空いているが」
「そうだな……」アッシュはぴったりと抱き寄せたままの半身の思い詰めたような青白い顔を一瞥して、ふっと周囲を見回した。「俺たちはほかに宿を取ろう。ここじゃ風も入らねえし……」
ここでは余計に気分が塞ぐような気がした。落ち着くまで、せめて空気のいい、楽に呼吸の出来る場所でルークを休ませてやりたい。ここは明かり取りからわずかとはいえ光も入る半地下だが、地下室にろくな思い出のないアッシュにも、あまり長居したい場所ではなかった。
「わかった。九区のアランサバル通りの突き当たりに、海の側で、景色が良くて落ち着ける宿がある。食事も悪くない。ちょっと値は張るが……」
「構わねえ」
「じゃあ、案内しよう」
「不要だ」
「……ここまでの道、憶えたのか。旦那はやっぱり油断ならない人だな」
ヨークはアッシュには肩を竦め、次いでルークの顔の前まで身を屈めて囁いた。
「坊ちゃん、旦那の連れ合いであるあんたを、俺たちは信用する。何か俺たちに力を貸して欲しいことがあれば力になろう。連絡の取り方は旦那が知っている。──ま、報酬はがっちり貰うけどな」
「あ……ありがとう」
ルークがぎくしゃくと笑って礼を言うのにヨークは頷いて見せ、内側から壁を押した。反対側には書物がぎっしり詰まって重いはずだが、どういうからくりか軽い音がする。
「明日の朝、宿に爺さんを連れて行くよ」
「ああ、頼む」
二人を本屋に出したあと、再び閉まった壁の内側で、ヨークは頭を掻いた。
「殴られるの覚悟のカマかけだったんだがねえ……。否定しなかったということは、つまりそういうことなのか? 確かに少し、綺麗になったような気がしないでもない。……でも、ま、男の子に『綺麗』も気の毒か……」
本棚の隠し扉に目を輝かせていた少年が、奈落を覗き込んでいるような冥い瞳で笑んでいるのは痛々しい。何を話したのか、血の気の引いた真っ白な顔が妙に気にかかる。
だが、なぜノワールが『正面から見るんじゃないよ!』と鳩を寄越したのか、ヨークには結局わからなかった。
ヨークの薦めてくれた宿は、純白の瀟洒な七階建てと階層も高く、かなり上質なホテルで、どこで買い物をするにも値切らずにはいられないルークがフロントで尻込みするほどだったが、窓からは整備されていない自然のままの海辺が見えた。グランコクマは緯度が高く、ひんやりと乾いた大気はどこまでも澄んで、遠くまで見渡せる。
アッシュが生まれ育ったバチカルで吹く風は、ここより多くの湿気を含み、高い階層から下界を見渡してももやであまり遠くまで見えない季節もある。それでもそんな景色を眺めるのが好きだったアッシュは、宿でもより上の階を好んだ。だが、宿と言うのは通常、上の階になるほど上質になり、値も張ってくるものだ。普段はベッドさえあれば、という安宿を渡り歩くが、たまには贅沢をして、高いところから見える景色で心を慰めたい時もある。
今がまさにその、贅沢すべきときだ。自分のためではなくルークを安らがせるために、必死に袖を引いて翻意させようとするルークをいなしてアッシュは最上階の部屋を押さえた。
部屋に入り大きく窓を開け放つと、冷たく乾いた風が部屋に入ってくる。
「……ルーク」出窓にもたれ、髪を風になぶらせながら手を伸ばすと、ルークがおずおずとその手に触れた。
「……浜に降りてみるか?」
アッシュの問いに、ルークは首を横に振って答える。
重ねられたルークの手を引いて抱き寄せ、二人は寄り添って空と海の境がわからない美しい風景を見つめた。どちらも無言のままだったが、互いに体温を分け合いながら風の匂いを感じていることが心地いい。風は海に映った白い雲と同様に、心に重く沈んだ暗鬱なものを流していくようだった。
「ケテルブルクで、おれ、お前の音素乖離の……発作? みたいなの。多分一度見てるよな? なんでもないってお前は言ったけど、脂汗とか出てたし、真っ青で。気にはなったけど、お前あのとき、他にも色々ショック受けてたみたいで、そんな大変なことだったんだって、おれ気付かなくて」 ルークはその言葉にじっとアッシュを見つめ、うん、と頷いてアッシュに口づけた。
死ぬのだ、と言われたばかりのルークを──むろんむざむざと死なせる気などさらさらないが──早めに休ませたいと思っていたのだが、ルークから仕掛けてきた口づけは深く、激しさを増していく。間に漏れる吐息の熱さと、アッシュの服をかき寄せるように掴む手の強さに、ルークの欲望と──命の期限が迫っていることを実感した。
死期を予感すると性欲が強くなる、というような話をいつか任務中に聞いたなとふと思い、このところ性欲が強くなっていたのはそのせいなのかと、こんなときなのにそんなどうでも良いことに気付く。ルークも変になっていたのだから、ちょうど良かったと言えるのかも知れないが……。受精のために甘い香りを放って蜜蜂を引き寄せる花のように、雄を引き寄せるための甘い蜜を色濃く纏っていたルーク。ヨークの反応を見るに、『受胎』の必要がなくなったので収まった、ということなのだろうか。今思うに、やはりルークの蜜の香に強く引きずられていた部分も多かったのだろう。
「……おれ、前から試したいことあったんだけど、今日、挑戦してもいい?」
「……俺に受け身になれと言うんじゃなけりゃ、構わねえが」
「違うって、まだ根に持ってんのかよ。別にアッシュが今のままで構わないんなら、交代しなくてもいいよ。……でも、なんでそんなに嫌なんだ? 絶対受け入れ側の方が気持ちいいのに」ルークは心底不思議そうに首を傾げたが、どのような表情になっていたのかアッシュの顔を一瞥してすぐに話を元に戻した。「──じゃなくて、アッシュがイクまで口でやってみていいかなーって。おれ、まだ下手かも知れないけど、最後までやらせてくれねーと上達したのかどうかもわかんねーんだもん」
下手どころか、上手すぎていかされそうになるから中断させてるんだが、とアッシュはまじまじとルークを見つめ、嘆息した。
あんな話を聞いてきたばかりなのに、互いにショックを受けているはずなのに、肝心の話を避けて何を呑気に話しているのだろう。互いに話を理解していても、まだ飲み込んではいないのか、それともただの現実逃避か。
ため息と、それに続く沈黙とで、ルークは勝手に了解を得たと思うことにしたらしく、なんだか妙に真剣な顔をしてアッシュのベルトを外し始めたのだった。
吐息にも似たアッシュの呻き声が耳に入るのとほぼ同時に、口の中にルークが思っていたよりさらりとした苦いものが吐き出された。『彼女』らの誰もがそうしてくれたように、付け根の部分からしごいて根こそぎ搾り取るように抜き、飲み込む。表現のしようのない、不思議な味がした。
「……ちょっとしかない」
「溜まるほど空けてねえだろうが……」
アッシュが労うようにルークの髪を撫でている。普通にするよりアッシュがいくまでかなりの時間がかかり、顎は疲れて強張っていたのだが、見上げたアッシュの顔が、なんだか憮然として見え、ルークはしてやったりという気分になって笑った。
「アッシュをイカせたの、初めてだ」
無邪気に喜んでいるルークを見下ろして、アッシュも湿り気を帯びた前髪をかき上げながら苦笑する。今更口でなんていけるわけがないと思っていたが、こんなに嬉しそうにするならさっさと負けてやっても良かった、と思ってしまうのは惚れた弱みというものなのだろうか?
「気持ち良かった?」
「そうだな……」出窓にもたれたままルークを引き起こし、尻朶を掴んで引き寄せる。「だが、ここほどじゃねえ」
軽く、深く、じゃれ合うようにキスをしながらルークの服をすべて剥ぎ取り、抱き上げて出窓に座らせる。
「今度は俺がしてやるよ」
「アッシュ、見えるよ……?」
「どこから」
「どこからって、外……」
「空と海しかねえよ。暴れると落ちるぜ?」
「だって、浜辺、浜辺から見える……」
「この距離と高さで見えやしねえ」
「見えるって。ガイが、屋敷の外では他人に裸を見せちゃいけねーって」
「──俺は他人じゃねえだろ?」
「アッシュじゃなくて……ん、あっ、ああ……」
口と手で追いつめて行き、ルークがぐちゃぐちゃに泣き出すころになると、出窓に乗り上げるような体勢で、わざと窓枠ギリギリのところで突き上げた。勢いに押されてじりじり後退していき、仰け反る上体はほとんど宙に浮いてしまって、窓枠を掴むルークの指は恐怖で血の気を無くして強張っている。いっそ甘美なほどの死への誘いは強く快楽を伴い、ルークの声はいつもより高く、激しく、その声にアッシュの感じる快感もいや増して行く。
「お前、こういう、のが、好き、なのか? いつも、より、ぐちゃぐちゃ、だ!」
ルークの体内を深く抉り、掻き回すたびに粘膜が絡み付き、また剥がれる卑猥な音が響いた。もう何度も極まったにも関わらず許されないルークは、すでに半分彼岸に旅立ってしまっているようで、開きっぱなしの口からは悲鳴と唾液を絶え間なく漏らし、がくがくと揺さぶられるままになっている。この調子ではいずれ窓枠を掴んだ手からも力が抜けてしまうだろう。
このままだと二人で落下してしまうかも、との想像が過ったとたん、アッシュのペニスが更に硬度を増し、膨れ上がった。
──ああ、もう、二人ともどこかおかしくなっているのかも知れない……。
殺気は全く感じなかった。なのに、なぜ避けることが出来たのかわからない。
覚醒と同時に横に転がると、月光に蒼く煌めく刃が心臓のあった場所を過たず貫いた。
「レプリカ?!」
暗殺者は顔を隠そうともしていない。呼ばれて、ふにゃりと気弱げに笑んだ。
「あれ?」
「あれじゃねえよ! なんの真似だ! 寝ぼけてやがるのか?!」
片手でベッドの側を探ったが、立てかけておいたはずの剣がない。ルークが事前に遠ざけたのだろう、完全に油断していた。だが、何故?
「なんでお前、そんなに眠りが浅いんだ? 怖い思いさせたくなかったのに……」
「質問に答えろ!」
再び振り下ろされる剣に更に横に転がり、ベッドの下に落ちると同時に腹筋だけで跳ね起きてルークのすねを思い切り蹴飛ばし、後退させた。
「痛!! ……もうなんだよ! 思い切り蹴ることないだろ!」
「何の真似だと聞いている、レプリカ。……生き残るためか。──それとも、本当は殺したいほど俺が憎かったのか」
「アッシュが憎い?」
ルークは驚いたように、妙な光を湛える双眸を見開いた。
「そんなこと、あるはずない。おれ、アッシュのこと、好きだ。誰よりも……愛してるよ」
「殺そうとするのにか」
「だって、悪いんだけど、おれ、お前をナタリアにもノワールにも、他の誰にもやれねーもん……。仕方ないだろ」
「何、がっ」
ルークが切り掛かってくる気配を感じ、先を取って羽枕を投げつけ、ルークがひるんだ隙にアッシュは己の剣を見つけて引っ掴む。すぐに剣を抜いて構えたが、ルークが反射的に切ってしまったらしい羽枕の羽が、開け放った窓から入る風に部屋中に舞い上がり、ルークは右手で払いのけながら途方に暮れたように立ち尽くしていた。
「おれ……おれ、お前がおれじゃない誰かに触ったり、キスしたり、アレをして、おれじゃない誰かがお前の子ども生むの、嫌なんだ」
アッシュは目を見張ってルークの顔を見つめた。無表情、というのとは違う。微笑んでいるのに、何も無い表情。アッシュは、人がこんなに空虚な表情をすることが出来ると思ってもいなかった。
「だから、おれが死ぬ前に、お前を先に送っとくんだ。おれが先に死んだら、お前は絶対おれじゃないやつとアレをするもん……」
「なんでだよ」
「だって父上に子どもをあげなくちゃ……」
子ども。
また子どもかと、アッシュはうんざりした気分で唇を噛んだ。全く、よく躾けたものだ。アクゼリュスで『聖なる焔の光』が死んでしまうまでに子どもが出来なければどのみち血の絶える家だったのだ、そのくらいの覚悟はあったはずだ。
──そのくらいの決意を持って、ファブレ家唯一の子どもを死地へ送り込んだはずだ。
(なぜその後のことまで俺たちが心配してやらなきゃならねえ!)
「それで? 俺の代わりにお前が子どもを作ってくれるというわけか?」
「う、うん……。出来損ないのおれの子どもが跡取りなんて嫌かも知れないけど、おれ、お前のレプリカだし、血はおんなじだから許してくれよ。……あんまり頭の良い子にはならないかも知れないけど……」
確かに嫌は嫌だが、ルークの思っているのとは意味が違う。
本当なら、こんなことを話している場合でもないのだろう。だが、自分の生き死によりも、俺が他の誰かのものになるかも知れないと思うことのほうがルークにはずっと恐ろしいことだったのかと思うと、今まさに殺されそうになっているというのに、不思議と胸が熱くなり、愛おしさで溢れた。
「……お前、アレは好きじゃないと言ってなかったか。それに俺以外のやつとはしないと、約束したよな」
それを聞いて、ルークの目にじわりと涙が浮かんだ。
「嫌だよ、お前以外の誰かとアレするの、やだ。約束は守るよ。だからこの子を今は腹ん中にお前の子どもがいるかもしれねーもん……どっちか一人しか生きられないんなら、それはおれじゃなきゃ。チャンスは今しかないんだ、アッシュの音素放出が始まったら、もう、おれが生き残ることは出来ないだろ? もし出来てなかったら……おれ、ちょっとは我慢するから。お前以外のやつ我慢する。大丈夫、全部終わったら、すぐにおれも逝くからさ!」
「駄目だ。俺は、お前が俺じゃない誰かを抱いたり抱かれたりするのは絶対に許さねえ。約束しろ。誰ともやらない、子どもも作らないと。それが約束出来るなら、おとなしく殺されてやるよ」
「そんなの駄目だ。出来たと思ったのがおれの勘違いだったらどうすんだよ。そんな約束したら、アッシュが死ぬ意味なんかないじゃん……」
「ならやめろ。スピノザや眼鏡がなんとかしてくれるかも知れねえんだ、せめて完全に望みが絶たれるまで待たねえか? あいつらが間に合わず、万一俺がお前を喰って大爆発が終わるようなことになったら、俺がお前のところに行ってやるから」
「信用出来ない」
きっぱりと断言するルークに返って興味をそそられ、アッシュは首を捻った。
「理由を言え」
「おれが死んだら、アッシュはまた別の人を好きになるから」
強い断言口調に、アッシュは思わず目を丸くした。