完全に呼吸が整ったあと、足下の覚束ない重い体を動かして、暖炉の中に数本の薪を放り入れた。小さくなっていた炎が再び熾るのを確かめながら、アッシュは痛む頭を軽く振る。激しいセックスに付きものの酸欠だろう。元々醒めたほうではなかったが、このところ少し度を超しているから、事後の頭痛は当たり前のようになっていた。
ふらふらしながら洗面台に向かい、握力の抜けた手で濡らしたタオルを絞り、ルークの体から溢れ出るものの後始末ををする。ただそれだけのことが重労働だった。
ルークは最初の一、二回を除いて射精せずに達し、とろとろ零していただけだったし、どこかに散っていたとしても大して問題じゃない。だがアッシュの放ったものはそうはいかない。
ルークの脚の間を濡らすものを丁寧に拭い取っていると、乱れた前髪、鼻、顎の先から、汗がぱらぱらとしたたり落ちて、ルークの体に降りかかる。
そのたびに別の所を清めていたタオルを当てて吸い取るのだが、汗は後から後から滴り落ちて、ルークの肌を濡らして行く。そのたび機械的に吸い取りながら、いつしかアッシュの喉から嗚咽が漏れた。
攻められ続け、弾ける寸前のように真っ赤に腫れ上がった乳首が、あまりに哀れだった。それなのに、薔薇色に上気した陶磁器人形 のような肌の上でそこだけ生々しく濡れ光っているのが、収まったばかりの体を再び疼かせるほど淫らにアッシュを誘う。
「隠れ家」と聞いて目を輝かせ、無邪気に笑った少年はどこへ消えてしまったのだろう。ルークはこのところ、あの弾けるような笑顔をまったく見せなくなった。
鬱陶しく思っていたはずのあの無垢な笑顔が、今はとても懐かしい。またあんなふうに笑わせられるならなんでもしてやれるように思うのに、それなのになぜ痛めつけるように抱いてしまうんだろう。穢してやりたいと思ってしまうのだろう。
誰に、どのように抱かれていたのだとしても、それを一切感じさせない清潔さを、自分だけが汚せるのだと、そう思いたいからか。
どんなに手酷く抱いてもこいつは俺の後を付いてくるという優越感に浸りたいからか。
──醜い嫉妬心だ。本来抱く資格のない独占欲に駆られて、アッシュはルークから笑顔を奪ってしまったのだ。
情けなさに俯くと、数滴の涙がこぼれてルークの肌を汚した。
このところの荒淫が祟り、アッシュの目の下にはくっきりと隈が浮き、肌も荒れ、一歳も二歳も老け込んだようにさえ見えるのに、ルークの体は逆に、その精をすべて吸収しつくしたかのようにしっとりと艶やかに輝いている。お前などに穢されはしないと、まるでそんな風に言われているように思えて──本当は受け入れられていないのだと思い知らされて、アッシュはますます躍起になってルークを抱いていたような気がする。負の感情でもいい、俺だけはルークに何がしかの影響を与えられるのだと思いたかった。
────アッシュ、愛してる……好き、好き、好き、好き……
「……そんなわけねえだろ……」
あんなもの、快楽に翻弄された末のうわごとみたいなものだ。正気で言ったんじゃない。
本気のはず……ない。
「……ん、ぁ……」
いつまでも体の上を行き来する冷たいタオルに、ルークが微かに喘ぎにも似た呻き声を上げた。その声で我に返り、アッシュはガタガタとあちこちに身体をぶつけながら、よろよろとバスルームへ逃げ込んだ。
ルークの真意を知りたかった。
叩き起こしたいと思うほど、彼が目を覚ますのが待ち遠しかった。
なのに、いざとなると顔を合わせるのが怖くなったのだ。
頭を冷やしたくて、冷たいシャワーを頭から浴びた。
ケテルブルクの氷のように冷たい水を浴びながら赤い乳首と先刻までの痴態を思い返し、熱く、忙しない呼吸を水音で消しながら己の手で熱を放ってやると、ようやく熱が冷める。
冷えきった身体を拭い、乱暴に髪を拭きながら部屋の様子を窺うと、気が付いたらしいルークが起き上がり、裸のままぺったりとベッドに座って腹に手を当てていた。
「腹が痛むのか」全部掻き出したつもりだったが残っていたのかと声をかければ、ルークはゆるゆると首を振る。
「ううん」
「なら、お前もシャワーを浴びて来い」
その間にシーツを換えようとルークを促すと、彼は不思議に穏やかで、だが微かな興奮を秘めた顔をしてアッシュを振り返り、うん、と頷いた。
「あのさアッシュ……。さっきので子ども、出来たかもしれない」
「そうか」
「うん……へへっ」
半分上の空で返事を返し、夜着代わりのズボンに足を通してシャツを手に取ったところで、アッシュは動きを止めた。
──なんだって?
ルークは固まるアッシュに気付いた様子もなく、ぎこちない動きでベッドから降りると、剥ぎ取られてあちこちに放られた服を集め、汗と精液に濡れて冷たくなったシーツを剥がしている。マットレスを撫でて少しばかり困った顔をしたのは、それらの体液が染みてしまっているのに気付いたからだろう。
アッシュは、汚れ物を抱えてバスルームに向かう、ミルクのように真っ白な背中を呆然と見送りかけ、我に返った。
「──レプリカ!」
「え?」
「今……、今、なんだと言った?」
「子ども、出来たかもって」ルークはこともなげに繰り返し、抱え込んだ汚れ物の上に覗く翡翠の瞳を押さえた興奮に煌めかせた。「なんだかいつもと違ったんだ。お前が中で出したのが、飛んだ場所とか。腹ん中いっぱいに広がってく感じとか、いつもわかんねーこと、すげーはっきりわかったんだ。おれとお前のさ、なんて言ったっけ? おたね? そういうのが結びついて子どもになるんだろ? 今までは駄目だったけど、さっきやっと結びついたんだと思う。アッシュとおれが溶けて一つになったみたいな、そんな気したし。おれの勘だけど、多分間違いないんじゃないかな!」
ルークが言っていることの半分も、アッシュには理解出来なかった。
セックスの後にはいつも少し歩き方がおかしくなるルークの、よたよたした頼りない足取りの後ろ姿を呆然と見送り、アッシュは服を着る気もなくしてベッドに座り込んだ。
「間違いないって……間違いに決まってるだろう……が」
言っていることが、あまりにおかしい。
時に積極的なようにも見えたが、ルークは本当は、抱かれるのが苦痛だったのだろうか。──それはそうかも知れない、同じ男なのだし。最初に抵抗しなかったのは、被験者の俺に遠慮があったということか。俺の親を、婚約者を、居場所を盗ってしまった罪滅ぼしをしているつもりだったのか? だとすれば、身体にかかる負担以上に精神が疲弊してしまったのかもしれない。グラスが一杯になっても水を注ぎ続けると堰を切って溢れ出すように、我慢の限界を越えてとうとう気が触れてしまったのか。
それとも……。
何かひやりとしたものが、アッシュの首筋を撫でた。
あの薬。
一瓶が空になるまで、ルークの体のことなど気遣いもせず使い続けた。元々一度の任務でなくなることもある消耗品なのだからそれほどの量ではなかったし、それ以降はどこででも手に入るものに替えたのだから習慣性についてはほとんど心配していなかったが、殊更に弱い体質というものもあるだろう。
何か、禁断症状の兆候のようなものがあっただろうか。ルークはあれがいいと言ったが、駄目だと言えば素直に引いた。禁断症状であればそんなものでは引かない。隠し持っているのではないかと掴み掛かってきたり、こちらをその気にさせれば使う気になるかと見るに耐えないような媚態を見せたりするものだ。
(違う、あいつはそんなんじゃ……)
だがルークはレプリカだ。そもそも被験者とは身体の造りが違う。薬物から受ける影響も違って当然なのかも知れなかった。
なのに、どうして同じだと思い込んでいたのだろう。レプリカのことなど何も知らないのに、どうして大丈夫だなんて思い込んでいたのか。
ぐしゃりと冷たく湿った髪を掴んだ。体だけでなく、心まで冷えて行くようだった。背中を、冷たい汗が流れる。
どのくらいぼんやりしていたのか、暖かいものがふわりと肩に掛けられて我に返った。
「──レプリカ、」
「何か着ないと、風邪引くぜ?」
拒絶を恐れているのか、どこか遠慮がちに気遣いの声がかけられる。
冷えきった裸の肩に、ブランケットをかけてくれた優しい手を掴むと、ルークの目が大きく見開かれた。更に引いて、崩れ落ちた体を抱きとめると、それは激しく瞬いて、困惑に揺らいだ。
「アッシュ……?」
狂っているようには見えない、明るく澄んだ翡翠の瞳を覗き込み、アッシュはいつになく穏やかに問いかけた。
「なんでいきなり子供がどうのと言い出した。……お前、俺の子が欲しかったのか?」
アッシュの膝の上に横抱きで抱えられたルークは、居心地が悪そうに縮こまっていたが、それを聞いてふわりと笑みを見せた。それは隠れ家に付いてくるかと聞いてやったときのように嬉しそうで、だがあの時より大人びて蠱惑的な笑みだった。強ばっていた身体が、膝の上で少し解けたように、微かに重みを増した。
「当たり前じゃん! いつまでも出来ないから、おれほんとはすっげー焦ってた。アッシュも結構焦ってただろ? 少しほっとした? 今、嬉しい?」
「──何、言って」
「アレってすごい疲れるだろ。なのに毎日毎晩何回もさ、おれに子どもが出来ねえから……。おれ、お前の身体とか心配だったけど、止められねえし……。ずっと申し訳ないって思ってたんだ」
ルークに子どもが出来ないから? 申し訳ない? 何を言っているのか、やはりアッシュにはわからない。
大体、「子ども」という単語はどこから出たものなのか。なぜ男同士で、いや──。
「そもそも、なんでお前が子どもを生めるって話になってんだよ」
アッシュの疑問は、同じ局面になれば誰でも抱く疑問のはずだったが、それを聞いたルークは、アッシュが何を言っているのかわからないとばかりに首を傾げた。
「子ども生んで欲しいからおれとアレ、してたんだろ?」
「……何?」
「……違うの? え、あ、じゃあ、なんで……?」
まるで予想外の話を聞いたと言わんばかりに驚きに見張られたアッシュの目を見て、ルークは一瞬ぽかんとアッシュを見上げた。次いでその顔から音を立てるように血の気が引いていく。
「おれ……おれ、遅かっ──た? やっぱり、ナタリアの方がいいって、思った? それともノワールのほうが……」
アッシュは何がなんだかわからないまま、とにかく震えるルークをなんとかしようと胸元に抱え込み、宥めるように叩いてやる。
「ナタリアだノワールだと言われても、わけがわからねえ。とりあえず、どっから子どもなんて発想が出て来たのか話してくれ」
「どっからって……。お、おれたちは早く子どもを作らなくちゃ……」ルークは何かを言いかけ、声を詰まらせた。「やっぱり、おれがお前の子どもを生もうなんていうの、アッシュほんとは不愉快だったんだ……」
「やっぱり? ──っ、何言ってんのかちっともわからねえぞ!? 不愉快って……不愉快も何もお前は、」男だろう、と続ける前に、尋常ではないルークの顔色に気付き、アッシュは慌てて言った。「そういうことじゃなく──ただ、俺は、一度たりともガキが欲しいなんて思ったことねえ。何だって俺がそんなものを欲しがってると思い込んだんだか、それを説明しろと言ってんだ!」
「子ども、欲しくない……?」
「ああ」
「相手がナタリアでも……?」
「欲しくねえ」
「……ノワールなら……?」
「なんでそこにノワールの名前が出てくんだ? ノワールでもだ」
「そんな、だって……。じゃあなんでアッシュはおれとアレをするんだ? アレは子どもを作るためにすることだろ」
「アレ?」
「……さっきの……」
「ああ……。いや、本来はそうかも知れねえが、この場合は違うって普通わかるだろう」
心底わからないと眉を寄せたアッシュの顔を見て、ルークは困惑したようにアッシュを見あげた。
「ち、がう? 何がだ? アッシュはファブレ家の跡取りを作るために、おれとアレ、してたんじゃねえの? 違うなら、何のために……?」
ルークはそう言ったあと、ふと何かに気付いたように顔を曇らせた。
「おれ、なんでお前がナタリアやノワールじゃなくおれに子ども生ませようって思ったのか、ずっと不思議だったんだ。だけど今日お前が……もう貴族じゃないっていうから、もう家には帰るつもりねえのかなって、だからおれを選んだのかって、思った。おれはお前のレプリカだから、一応……ファブレ家の血筋だし、おれかお前じゃねえと義務を果たせねえし。お前がおれに子ども生ませる気なかったなんて……思わなかった。でも、おれ……おれは……」
居たたまれないように目を伏せてしまったルークを、アッシュは胸に押し付けるように抱え直し、あやすようにゆっくり揺らしてやる。そうしながら子猫の毛並みのように柔らかい髪を撫でていると、拒絶されているわけではないとやっと悟ったのか、ずいぶん経ってからルークは安心したように体から力を抜いた。肩口に顔を押し付けているから、アッシュの夜叉のように厳しくなった顔には気付かなかった。
「……なぜそんなものを用意しようなんて思ったんだ。誰かに何か言われたのか?」
それがわからないだけで、お前を拒絶しているわけじゃない。そういう気持ちが伝わるように、アッシュはゆっくり、自分でも驚くほど優しい声音で問いかけた。え、というような小さな疑問の声を洩らして、ルークがアッシュの肩を押すように身を離し、驚いたように顔を覗き込んだ。「……アッシュも『授業』、受けてただろ?」
「『授業』」鸚鵡返しに呟いたあと、アッシュは少しばかり考え込んだ。確かに、屋敷にいたころにはさまざまな科目の教師がやってきて勉強を教えてくれたが、跡取りのことなど話題になったこともない。婚約者は確かに定められていたが、アッシュはまだ十にも満たず、そんなことを考えなければならない歳ではなかった。
「……その『授業』とやらのことを、全部話せ」
「全部?──う、うーん、最初は十一? 十二だったかな……。言葉、とりあえず不自由無く喋れるようになって、ちょっと経ったころだったと思う」
ルークの記憶は曖昧だ。それもそのはずで、今から思えばあの頃はほんの赤ん坊に毛の生えたような自我しかなかったのだ。
──受けてねえ? ん……確かお前、なんかしんどい実験とかされてたんだよな。それ、体力使う? そっか、じゃあだからかもな。その実験に関してはかんこーれーってのが敷かれてたみたいだけど、当事者のおれの前では──実際はお前だったわけだけど──口も緩むらしくてさ。どっからともなく耳に入って来たんだ。体力使うし、悪影響があったら、ってことで一旦中止になってさ、おれに子どもが出来たら、またその実験に協力することになってた。
話が逸れちまったな。
パドマ? パトラ? パルマだったかも……いや、名前を呼んじゃいけねーって、憶えちゃいけねーって言われたんだよ──うんパドマだ、パドマが来て、おれに色々教えてくれた。これから来る……えーと、高貴な女性の扱い方って言ったっけ、おたねを授ける方法を一緒に勉強しましょうねって──。
パドマなる女の言う『おたね』が何であるのかちっともわかっていないようなたどたどしい口調でルークは一生懸命に話すのだが、おそらくは意図的に情報制限が敷かれていたらしく、ルークの話は要領を得ない。あちらこちらで質問を差し挟み、その全容がはっきりと把握できたとき、アッシュは怒りのあまり目が眩みそうになっていた。
十四歳でルークに遅い精通が来るまで、「パドマ」という指南役──ルークの話を聞く限りでは、おそらく王侯貴族専門の高級娼婦の一人であろう──が月に一、二度の割合で屋敷を訪れ、ルークに女性の扱いを教え込んでいた。気持ちいいことだったし、パドマは屋敷で働く誰よりも優しくて、そのときのルークはその時間がそれほど嫌ではなかったが、自分が教わっていることに何の意味があるのか、実は良くわかっていなかったようだ。
やがて彼女が来なくなってから、二週間置きのシルフの日に三人の女が交代でやってきてルークの相手を務め始めた──つまり同じ女には月に一、二度しか会わなかったということだ──時折女の顔ぶれが変わることがあっても、屋敷から飛ばされるまでそれは続けられた。そのうちの一人に、自分に子どもが出来ないのはあなたのせいだと罵られ、初めてその行為がファブレ家の跡取りを作るために行われているとルークは知った。
「子どもが出来たら、その女はそのままうちに入って子どもを生むことになってんだって、聞いた。おれ……ほんとは嫌だったんだ、アレすんの。お前と違っておれのはなかなか大きくなんなくてさ、だんだん相手が苛ついてくんのがわかるんだよな。焦れば焦るほどふにゃふにゃしちまって、ひりひりして来るし、終いには飽きてどうでもよくなってきたりさ。子どもが出来て、もうやらなくていいって言われんの待ってたんだけど、あのときもなかなか出来なくて。父上に、次は何家の誰それが来るからって言われるたんびにああ、まだ出来てねえのかってがっかりしたんだよな」
父が、そんなルークに失望していることなどを、ルークはアッシュの誘導に従ってすべて話した。
『預言』でルークが死んでしまうと詠まれているから。公爵家の跡取りが不在になってしまうから。その前に一人息子に子どもを作らせておこうということか。
もう必要ないと言い張りながら、だが心のどこかでアッシュが渇望し続けていた「居場所」が。
ずっと捨てられなかった父母の面影が、急に得体の知れないものとなって、遠のいていった。