バニシング・ツイン 07

 自己申告によると、親子丼になるはずだったというカピカピの物体を、アッシュは言葉もなく見下ろしていた。正面ではルークが菜箸を持ったまましょんぼりとうなだれている。

 親子丼だって、それで商売が成り立つほどのものを作ろうとすれば意外に難しいものだが、普通に家で食べる分には卵が半熟でなくたって、出汁が全部飛んでいたって、或は逆にしゃびしゃびの状態だって構わないはずだ。それだって十分に食べられるはずだ。なのにアップルパイなどという、親子丼に比べれば格段に手間のかかるものをあれほど上手に作ったのに、なぜこれが食べられないものに成り果てているのか、アッシュにはわけがわからない。
「たまには成功することもあるんだけど……」
 しかも、成功確率の方が低いようだ。
「……こないだのパイは珍しく成功した例ということか」
「えっ、いや、違うよ。おれ、お菓子作るのは得意なんだよ」
 溜め息をついたアッシュに、ルークはそれは誤解だと慌てて訂正を入れた。
「──はあ? なんで菓子は作れて普通の飯が作れねえんだよ」
「お菓子はちゃんと計って作るじゃん。まずくしようがねーもん」
「……」
 落ち込むルークを腕組みしたまま見つめ、アッシュは唖然として口を開いた。
「……これも計って作ればいいだろ」
「? 普通、計んねーだろ?」
「計った方がいいのは菓子作りと同じだろ。毎日のことだから面倒でみんなやらねえだけだ。メモ、見せてみろ」
 ところがルークの料理メモを確認したところ、書いてあるのは材料だけだ。もっと何年も料理をしてきた人間であれば、これで十分なのだろうが、昨日今日料理を始めたばかりのヒヨッコがこれでまともな味に仕上げられるはずもない。
 溜め息をついて軽く頭を振り、アッシュは机に行き、立ったままペンを取ってなにやら書き足した後、メモをルークに渡した。
「菓子を作ってると思ってやり直せ」
「う、うん……」

 アッシュが監督する中で、ルークは意外な手際の良さで材料を揃えて行き、メモに書かれた時間をきっちり守って蓋を開けると、我ながら感嘆の声を上げてしまうほど卵がとろりと半熟の親子丼が出来た。
「ちゃんと出来んじゃねえか」
「飯もちゃんと分量と時間計ってやると、こうなんのかー」
 ルークは感激したように器の中を覗き込んでいる。
「アッシュ、ありがとう!」
 頬を染めてキラキラした目で礼など言われ、アッシュも釣られて目元を赤くする。
「別に、礼なんか言うことじゃねえ。飯の当番は交代でやることになるんだ。……まずいものを食いたくねえだけだ」
 それを聞いて、ルークは嬉しさを噛み締めつつも気を引き締めた。これまでは自分たちで食事を用意する必要があまり無かったが、これからそんな機会が増えるのなら、確かにルークが壊滅的な腕前のままではアッシュ一人に負担がかかる。
「うん、それでもさ、ありがとう。今度は長ネギにするな!」
 アッシュが調味料の量を書いてくれたメモの「玉葱」が横線で消され、右上に「長ネギ!」と書いてあったのをちゃんと見ていたルークが笑って言うのに、アッシュは気まずげに顔を反らした。
「……少し焼き目も入れろ」
「──っ、うん!」

 親子丼は、これまで食べた中で一番の味がした。

 アッシュは親子丼には玉葱よりも、焼き目の入った長ネギの方がお好みらしい。隠れ家に次いで、アッシュの好みまで一つ知ってしまった。それに、アッシュの筆跡も。ルークと同じくあまり上手いとは言えないが、読みやすく書こうと意識された右肩上がりの文字は、逆の手で書かれたルークの右肩下がりの字より、やや硬質なところがアッシュらしいと笑みが浮かぶ。これからも一緒に過ごす時間が長くなれば、こんな様々な他愛もないことを知って行けるのかも知れない。

 こんな時間を失いたくない。
 一体誰に祈れば、ルークの望みが叶うのだろう?

 ──アッシュはいつまでルークを側に置いてくれるんだろう……。

 雪のちらつく中を、いつものように無言で二人は歩いていた。先頭をアッシュ、一歩後ろをルーク、これも変わりない。最初は気後れして横を歩けなかったルークだが、二人旅を初めて早いうちに、この方がいざというときに対処が取りやすいと学んだためずっとアッシュの後ろを歩いている。アッシュは後ろをルークが歩いている限り後方を警戒する必要がなく、ルークもまた、前方に飛び出してくる敵を注意する必要がなかった。

 歩くたびに、踏まれた跡のないまっさらな積雪はきゅっ、きゅっと音を立てる。少し前までは暑さと湿気に辟易していたというのに、今は巡礼の厚いマントがありがたい。極たまに現れる魔物との戦闘も、体を温めてくれるものと歓迎してしまうくらいだった。だがその頻度も、ケテルブルクが近くなるにつれ減って行く。魔物も獣も、街の近くにはあまり出没しないのだ。無言の道中が続き、唇まで凍り付きそうだった。

 ルークはいつしか、アッシュの足跡を踏みながら辿るのを楽しんでいた。
 アッシュは法衣を着ているとき以外で、絶対に軍人とバレるような歩き方をしないが、人目がなく、魔物も出没するような場所では神託の盾で叩き込まれた軍人としての特殊な歩き方を隠そうともしていないせいか、意識して辿らないと足跡を踏み外すのだ。被験者とレプリカ、足の長さは変わらないのに、歩幅も違えば、歩き方も違う。これに気付いたルークはすっかり夢中になってしまった。
 下を向いて歩いているルークは気付かなかったが、背後のルークの動きの不審さに、アッシュがほんの少し視線を後ろに向けた。ややあって、ルークが何をしているか気付いたアッシュは、驚いて目を見張り、慌てて前方に視線を戻す。緩みそうになる口元を手で隠しても、少し赤く染まってしまった顔は隠せなかった。──見るものは誰もいなかったが。

「アッシュの旦那」
 ケテルブルクの街に入ると、すぐの広場にウルシーが立っていた。
「ありゃ」
 ルークを見て、やはりノワールと同じく目を丸くした。ついでに上から下まで視線を上下させ、困惑したようにアッシュを見やる。
 さりげなくウルシーとルークの間に割り込み、ウルシーの視線からルークを庇うように立つと、うっすらと顔を赤くして忙しなく瞬きを繰り返しているウルシーに眉間に壮絶な皺の寄った顔を向けた。
「こいつに構うな。──スピノザは」
「奴はそこのホテルに一泊滞在後、一刻ほど前にケテルブルク港に向けて出発したらしいですぜ。チケットはグランコクマ行きでゲス。フロントに手紙を出すよう指示して行ったってことで慌てて追ったんでゲスが、もう貨物船に乗せられちまってて回収出来ないどころか受取人もわからなかったでゲス」
「くそ、行き違いか。後手後手に回るのが気に入らねえな」
「何年かに一度、って規模の猛吹雪の預言が出てるんで、ホテル側じゃ一応引き止めたみたいですがね。駅馬車もすでに運休してますが、急いで先へ進みてえヤツらと共同で馬車を出したようでゲス」
「猛吹雪か。──ったくツイてねえな」アッシュは腹立たしげに舌打ちし、ウルシーに顎をしゃくった。「分かった。お前はベルケンドでノワールに合流しろ」
「合点で。……」
 ウルシーは何かまだ言いたいことがあるとでも言わんばかりにアッシュとルークを見比べたが、結局睨みつけるようなアッシュの視線に恐れをなしたように、足早に去って行った。ルークがそれを見送ったあと、肩を片方すくめるような仕草で自分の匂いを嗅いでいるのを見て、アッシュは密かに溜め息をついた。

 二人はあまり手頃とはいえない値段の宿を取った。そもそも高級リゾート地であるケテルブルクにはそれほど旅人の懐に優しい宿もない。
 高い階層の窓から目を輝かせて雪の降り積もる白い街を眺め、室内に目を戻すと、疲れたようにベッドに座り込み上げた前髪をぐしゃぐしゃと崩しているアッシュとふと、目があった。
 目が合うと、アッシュの瞳の色が別の色を宿す。欲望、という名の鮮やかな色彩を乗せた彼の瞳を向けられると、ルークの身体は安堵と、喜びと、これから起こることへの期待とで熱く火照ってゆく。心は、少しやつれたようにも見えるアッシュを気にしているのにも関わらず……。

 ダアトからここまでの長い船旅の間、前と同じくそのほとんどを船室から出ることなく過ごした。初めはアッシュが眠っている間に少しだけ夜風に当たったり、特に代わり映えしない海原と、船体が白く立てる波を飽かず眺めたものだったが、少しずつ少しずつ、アッシュ以外のものへの興味が失われていった。夜ごと日ごとただひたすら抱き合っていたのに、アッシュはまるで衰えを知らないように見える。だが、その傷だらけの体は最初に肌を合わせた日よりも確実に薄くなってきているし、顔色も良くないような気がする。しばらくコレはしない方が良いのかも知れない。それによってどれほどアッシュが体力を削られているか、ルークにだってわかるのだし……。

 だが結局、迷いを目の奥に揺らめかせたままルークは座るアッシュの足元に跪き、ベルトに手をかけた。
 アッシュと、クリムゾンの望みの為に。

 ……違う。

 他ならぬルーク本人が、それを望んでいるからだ。


ウルシーのいた場所が思い出せません。八話はもしかしたらR18に相当する可能性があったので、七話でまとめていたのを二話分に分けたものになります。なので短いです。名称ズバリで書いてしまったからで、「わお! 18禁エロキタ」と思うと相当がっくりくると思いますが、一応警告を。
……いっそ思い切りハデにR18にして裏ページを作成し、八話は名称も濁してR15に収めた方がいいと思うんですが、面倒で……。(2011.07.30)