バニシング・ツイン 06

 二人は巡礼に身をやつして隠れ家を発った。街の外にルークを待たせて、アッシュは一人ベルケンドの酒場に入り、漆黒の翼から届いた知らせを受け取ってから再び合流する。
 ただでさえ暑いのにマントなど着せられ、おまけに一人待たされたことでルークは軽くふて腐れていたのだが、悪いと思ったのかアッシュが買い与えてくれたアイスクリームによってすぐに機嫌を直してしまった。

「行き先、わかったのか」
 港までの道すがらアイスクリームを舐めながらルークが問うと、苦虫を噛み潰したような顔をしてアッシュが答えた。
「……ダアトへ向かったようだ」
「ダアト? じゃ、みんなと同じなんだ」

 今後のことを考えればアッシュと一緒にいた方が良いことは確かだったので、そのことに対してルークに否やはない。だがこのところずっと一緒だった仲間たちと別行動というのはやはり淋しく、会えるとなると一瞬胸が弾んだ。──一瞬だけだ。すぐにルークは表情を曇らせた。
「──おれ、ダアトでみんなに合流することになるのかな」
 しばらくアッシュと一緒にいられると思ったのに、役目を果たせるかも知れないと思ったのに、それはやっぱり一夜の夢で終わるのだろうか。

「俺は今教会に近づきたくねえ。──もし会えたら、お前はヤツらと行けばいい」
 そのアッシュの返事に、自分たちが暑苦しく巡礼に変装していることの理由を悟り、ルークは内心で反省してフードを深く被り直した。またアッシュと離ればなれになるのなら、みんなに会わなくてもいいとちょっぴり思ってしまった自分に、ルークは罪悪感を抱かずにはいられない。だがみんなに会ってしまったら、多分アッシュはルークを押し付けて、一人でさっさと行ってしまうだろう。アッシュにとっては望まぬ旅の道連れ、本当は無視してしまいたいお荷物でしかないのだから。

 昨夜もルークと身体を重ねたあと、アッシュの機嫌がまた少し悪くなったようなのがルークは気になっていた。
「おれもちゃんと出来るから、今日はアッシュが受け入れ側になんねえ?」と申し出てみたのも悪かったのだろう。アッシュも受け入れ側のことは教わっていなかったのかも知れない。ゴキブリでも見るような酷く冷たい目で見られてしまって、ルークはおれが習ったのもそっち側なのだという言い訳もできないまま口を噤まざるを得なかった。
 そうなるとルークに出来ることは、「彼女」が自分にしてくれたことを思い出しながらぶっつけ本番で実践してみることくらいだったのだが、そのあまりの拙さもアッシュの機嫌を損ねる原因になったのだろう。

 ──何人も通り過ぎていった女たちの中で、一人だけルークの記憶に今も残る「彼女」は、三年間、ルークの教師だった。
「彼女」はルークに女の躯というものを教え、扱いを教え、気持ちのよくなる様々なことを教えてくれた。いつしか「彼女」がファブレ邸に来なくなり、替わりに着飾って強い香水を纏い、ねっとりと媚を売る女たちが来るようになったが、彼女らのすることは「彼女」のしてくれたことの三分の一もルークを熱くしてはくれなかった。
 だからルークはだいぶ薄れてきていた記憶の中から「彼女」を掘り起こし、真似をしてはみたけれど、やっぱり付け焼き刃では巧く出来たとはとても言えなかった。
(アッシュはすごくおれを気持ちよくしてくれるのに、おれはまだ全然駄目だから……怒られても仕方ねえよな。もっとちゃんと出来るように頑張らないと! 上手く出来るようになったら、アッシュだってきっと機嫌悪くしたりしねえだろうし、もしかしたら褒めてくれるかも……)

 アッシュはダアトにも隠れ家を持っていて、二人は船を降りたあと誰かに見とがめられる前にそこに直行した。そこはベルケンドの隠れ家とは違い、巡礼者が本山の周りに少しずつ建物を作って住み着いた、迷路のように入り組んだ路地の奥にある古いアパートメントの一室だった。広さはベルケンドの隠れ家に遠く及ばないが、唯一、バスルームでお湯が使えるのが利点だろうか。

「アッシュって、隠れ家いくつ持ってんの?!」
 ベルケンドのものとは全く趣きが違うが、ここはここで大いに「隠れ家」の匂いがする。多くもない部屋の全部を猫のように点検してはしゃいでいるルークの姿に、アッシュは呆れたような視線を向けた。
「この二つだけだ」
「そうなのか? 世界中に隠れ家があるのかと思った」
「馬鹿かてめえは」
 一言で切って捨てられたが、ルークは嬉しくてならない。こんなことにならなければ、アッシュは決してルークになど隠れ家の存在を明かしたりはしなかったのだ。
「ここなら、神託の盾に見付からねーの?」
「どうだかな。仮にも膝元だ、この辺りに潜伏してんのがバレて調べられたら、すぐわかっちまうだろう」
 と、言うからには、ここがアッシュの住処の一つということを知っているのはアッシュの他にはルークだけなのだ。それを悟ったルークはますます嬉しくなった。

 長らくここに来てなかったらしく、何処もかしこもうっすらと埃を被っている。澱んだ空気を入れ替えようと窓を開けると、目と鼻の先に隣家の壁があった。面白くて、煉瓦の黄色っぽい繋ぎ目をいくつか指で辿り、窓から顔を突き出して上を見上げると、細長く切り取られた青空が見えた。
 洗濯物をどこに干せばいいんだろうと困ったルークが視線でアッシュを探すと、思いもかけずすぐ背後にアッシュが立っていた。彼はルークの背中越しに開け放たれた窓を閉め、腕を掴んでベッドにいざなった。

 船に乗っている間中、狭い船室から一歩も出ることなく、食事や睡眠意外の時間はひたすら求め合い、さらには移動でも疲れているはずなのに、すぐにルークをベッドに投げ込んでしまうアッシュに、彼の焦りを感じる。屋敷にいたころ何年も我慢して頑張ったのに駄目だったのだから、そう簡単にいくはずないと思っていても、原因がちゃんと出来ない自分にあるのだと思うと、アッシュと顔を合わせるのが少し辛い。
 やっぱり終わった後掻き出してしまうのは良くないと思い、一度アッシュにバレないように含んだままでいたのだが、大半は流れ出して下着を汚した上、言われたとおり酷く腹を壊した。そのせいでその日はアッシュを受け入れることが出来なかったルークは、これでは本末転倒だと気付き二度としていない。
 こういうことになるのなら、受け入れ側のレッスンも受けさせておいてくれたら良かったのに……。いや、ルークがもっと「彼女」のすることを良く観察しておけば良かった。
 こんなことだと、いつかルークが女たちの一人を部屋の外へ追い出したように、ルークが追い出される日が来るのかもしれない。
 アッシュがルークに見切りをつけてしまう前に、なんとかこの腹の中に結果を残すことが出来れば良いのに……。

 もしもアッシュが、いつまでも役目を果たせないルークを、あの時の女のようになじって来たら。
 もしもルークに見切りをつけて、誰かほかの人とコレをする気になってしまったら……。

 確かに、ベルケンドを出るまではそれでも仕方ないと思っていたのに、船の中で昼となく夜となくアッシュを受け入れ、その精を注がれているうちに、何かルークの中で気持ちの変化が起こりでもしたのだろうか?
 多分、今は。そんなことになったら。
 ルークはきっと、辛くて死んでしまいたくなる。
 アッシュの望みを、父の悲願を叶えるのは、だから絶対に自分でなくては駄目なのだ。そのために他に出来ることが、何か……。

 ああ、ああ、ああ、ああ、ああ──。
 どこか遠くで、自分のものとも思えない啼き声が聞こえる。高く、忙しなく、時に消え入るように。背後から伸しかかるアッシュが片耳をほとんど口に含んでしまっているから、他の音はほとんど聞こえない。自分の声と、耳を舌が這い回る水音の他は。達しそうになると、尻に熱が集まって最奥を突くアッシュを食い締めてしまい、この淫乱野郎、と軋む声でアッシュが呻く。意味はよくわからないけれど、きっと罵りの言葉だろう。アッシュはいつも、ルークを馬鹿にしたり罵ったりしながら、身体の奥の奥を抉る。けれど、その切羽詰まった声は、何故かルークの耳にまるで縋られているように届いた。
 なのにアッシュの抱き方は、回数を重ねるごとに激しく、優しくなっていく。ルークの躯は比例して、回数を重ねるごとに繊細に、敏感になっていく。怖いくらいに──。尻朶に爪が立つほどアッシュの指が食い込み、抽送が激しくなると、ルークは何度でも簡単に昇り詰めた。
「いっ、いく、いク、イク……っ!」

 だが、溺れるように喘いでも、縋れるものは何も、無い。

 隠れ家を出て、教会とは反対方向の第四石碑の丘へ向かい、ノワールに会った。

「あらん。お久しぶり、坊や」
 ちょっと目を見張ってノワールが言うのに、ルークも会釈を返しながら、ひどく驚いていた。アッシュの人となりを知っているからこそ、彼に待ち合わせの相手がいたこと、連れがいたことに互いに戸惑ったのだ。
 そんなことには頓着もせず、アッシュがノワールから報告を受けているのを、ルークは複雑な思いで見つめた。
 ノワールはとても美しい。ルークには女性の年齢がよく分からないが、年上なのは確かだろう。だがノワールの活力に溢れた美しさは、アッシュを前にするとその差をあまり感じさせない。服の上からでも、その抜群に優れたスタイルの良さが際立っている。そんなノワールを前に、アッシュが顔色一つ変えないことが救いと言えば救いであったかも知れないが、寄り添って小声でやりとりをしている二人は傍目にも似合いで、ルークを酷く落ち込ませた。

「……そうか。ダアトの偽造旅券を手に入れたんだな。──っち、そのために真っ直ぐにここに来るとは爺さんも意外にやる……」
「どうもケテルブルク行きの船に乗ったようね」
「真っ当な研究者なら知らないような裏の事情にも、精通していると見て追った方が良さそうだな。──よし。お前はベルケンドに戻って爺さんたちの様子を見張っておけ」
「ふふ……。相変わらず人使いが荒いわネ」
 ノワールは目を細めて猫のように笑い、人差し指でアッシュの唇をすうっと辿り、不愉快そうに眉を寄せたアッシュに人の悪い笑みを向けた。「アンタからの呼び出しだっていうから少しは期待してたってのに。当分アタシは必要ないのかしらね? ──坊や」
 ノワールに呼ばれルークがしぶしぶと側に寄ると、ノワールはルークの首筋にいきなり鼻を寄せた。淡く、品の良い花の香りがする。
「──っ、おい!」
「思った通りだわ。──坊やの身体から、アンタの精液の臭いがぷんぷんする」
「……ちっ……」
「えっ? おれ、ちゃんとシャワー浴びたけど、まだにおう??」
 戸惑ってノワールに問うと、ノワールは一瞬きょとんとルークを見つめ、次いで笑いの発作を必死に止めているような奇妙な表情を見せた。
「そんなことない、ハーブの良い香りがするワ? ──アッシュ、もう少し気をつけておやりよ。今のままじゃ、この坊や、よくない男を誘うよ」
「──さっさと行け!」
「はいはいっと。じゃね、坊や!」
 ルークに流し目をくれ、意味ありげなウインクをした上、わざとらしく尻を振りながら去って行くノワールの後ろ姿を忌々しそうに見つめているアッシュの袖が、つん、と引かれた。
「──なんだ!」
 深く俯いているため、長い前髪がルークの表情を隠す。それがまた苛立ちに拍車をかけ、強く腕を振り払うと、ルークの手はアッシュの袖を掴んだ形のまま固まり、力なく下ろされた。
「……お前、」
 その姿がなんとなく淋しげにも思い詰めているようにも見え、思わず声をかけると、ルークがゆるゆると顔を上げた。
「次はケテルブルクだな!」

 それは気のせいであったのかと思うほどルークは明るい笑顔を見せ、ぱっと身を翻す。声をかけたものの、続きの言葉を持たないアッシュは、そのまま口を噤んでルークの後から隠れ家へ引き返す道を辿った。

 だからアッシュは気付かなかったのだ。彼に見せたくないとルークが反らした顔に、どれほど冥い表情が浮かんでいたか、など──。


(2011.07.28)