バニシング・ツイン 02

 自分の色とは似て非なる暖かな焔の色が目に入ったとたん、アッシュは舌打ちをして反射的に踵を返した。
 だが、それよりも相手がこちらに気付く方が先だったようで、歓喜と戸惑いと、ほんのちょっとの気後れが微妙に入り交じったルークの声が追って来た。

「アッシュ……!」

 無視してやっても良かったのだが、人通りの多い町中で目立つのも遠慮したい。いつまでも名を呼ばわりながら後を追って来られては面倒だが、ルークのこれまでの行動を鑑みて、その可能性は高かった。
 ということで、苛立たしさを隠しもせずにアッシュは振り向き、通りの端に寄ってルークが駆け寄ってくるのを待った。周囲の人々は呼びかけの声に一旦は視線を寄越したものの、呼ぶものと呼ばれたものの良く似た容姿を目に入れると、興味を無くしたように再び視線を逸らす。
「まだ、ベルケンドに? もう、行っちまったと思ってた……」
「……何か用か」
 アッシュは行きがかり上そう尋ねたが、すでに身体半分は街の出口へ向いている。ルークはというと、大切そうに抱え込んだ真っ赤な林檎が一杯に詰まった紙袋を、もじもじと揉みながら立ちすくんでいた。
「用……用……」
 知人を見かけて用も無いのにとっさに声をかけてしまったのだろうが、そう呟きながら何か声をかけてしまった理由を探しているのは明白だった。
「用がないなら、」
 俺は行く、と言う前にルークが勢い良く顔を上げた。
「この時間から外に出るのか? 宿、取ってねーの?」
 アッシュならば何ほどのこともないのであろうが、夜は魔物の動きが活発になる。日が落ちかけているこの時間から外に出るのは、普通ならば自殺行為と言えた。
「──隠れ家がある」
「隠れ家っ?!」

 途端にルークの瞳が好奇心と憧れにキラキラ輝き出したのを見て、アッシュは言葉の選び方をしくじったことに気付いた。子どもじみたレプリカに「隠れ家」などと。それは「秘密基地」と同じくらい彼の幼い好奇心を煽る言葉に違いなかった。

 いつも愁いを含んで陰りを帯びた瞳があまりに純粋に輝き、無垢な視線を真っ直ぐに向けて来るのに居たたまれず、思わず目を逸らしてしまったことに、まるでルークに競り負けたような微かな憤りを感じた。
「お前、そんなの持ってんの?! すげーな!!」
「……今はもう使われていない、ファブレ家所有の古い狩猟小屋だ。──興味があるなら付いて来りゃいいだろ。レプリカのお前にも、その権利は──多分、あるんだろう」
「?! ──っ行く!!」

 思いがけない幸運と興奮に頬を染めて即答してから、一瞬、ルークは仲間に行き先を告げてから行くべきかというように、宿のある方向を振り向いた。だが、それをアッシュが待ってはくれないことをルークは知っていたし、「隠れ家」の響きは蜜よりも甘く彼を誘った。
 ちょっとだけ。ちょっと見てみるだけ……。
 そう自分に言い聞かせて、ルークはさっさと歩き出しているアッシュの背中を慌てて追った。

 ベルケンドを出て、森の中を歩く道すがら、ルークは返事のないのを承知の上で何か一生懸命に話しかけてきた。半分は独り言に近かったかも知れない。どうしても耳に入ってくるそれが、アッシュは鬱陶しくて仕方なく、半ば八つ当たりのように弱い魔物を倒しながら、その断末魔に舌打ちを紛れ込ませた。しかし話題が尽きて来たのか、レプリカが諦めたように黙りがちになると、それはそれで苛立たしいのだった。

 軽い上りの道を歩き続けて二時間以上が経ったころ、ようやく開けた場所に出た。仲間たちに何も告げずに街を出て来てしまったのに、とうとう日まで落ちてしまったことに当初のはしゃいだ気分は薄れていたし、無言の道中と山道にルークは辟易してしまってもいた。だが、付いて来なければ良かった、と例えルークが思っていたとしても、ここまでだった。

 大きく枝を伸ばした木々に覆われるように、澄み切った水を湛えた泉がある。風にそよぐ枝葉の隙間から、白い月光が差して泉を照らしていた。そこから水が湧き出しているのか、奥の一点から絶え間なく漣がたっていて、小さく散らばる白い月の光をゆらゆらと揺らめかせた。
 側には二階建ての、赤煉瓦で出来た狩猟小屋が建っている。小屋、とはいえ公爵家の持ち物であるから、広さは一般の民家などより十分にあるようだ。屋根の部分が少し崩れた馬小屋と、犬小屋が隣接している。昔はここに猟犬を繋いだのだろうか。長く突き出た庇の下には、割られた薪がたくさん積まれていた。上の方はアッシュが割ったものか新しく、下の方は黒ずみ、蜘蛛の巣が張っている。

 木々を渡る風は、下界よりも、少し温度が低い気がした。

 鍵を壊されたドアをアッシュが開けると、ルークはおそるおそる中に足を踏み入れた。
 窓からの光に青白く見えた室内に、ぱっと音素灯が灯され、黄みがかった柔らかい光が広がっていく。
 ツヤの失せた、古い板張りの部屋に、埃除けの白いカバーがかけられた応接セット。窓にはカーテンもないが、埃で灰色に濁り、外を見ることも、外から中を覗くことも出来そうにない。少なくとも半年は使われた形跡のない古い暖炉は、且つて滞在する人々の中心になったのであろう、かなり大きい。その上には経年劣化により元は何が描かれていたのかも分からない小さな額縁がかかる。
 ルークはそれに気を取られたまま二、三歩を踏み出し、ふと気付いたようにソファに紙袋を置き、近寄って厚く粘ついたように張り付いた埃をこすり落として、何が描かれていたのか確かめようとした。あまりに古く、手入れもされていなかったため顔立ちまでははっきりとしなかったが、狩猟用の衣服を身に着けた一家の肖像であるようだ。ここを造ったころのファブレ家の一家であるのだろう。黒っぽく沈む髪の色は、描かれた当時はもっと鮮やかな紅であったのだろうか。
 着ている衣装は、現代の狩猟用の流行とは全く異なっていて、ルークは首を傾げた。
「建てられてから、どのくらい経ってるんだろう……?」
「さあな。二百年近かったと思うが……」

 まだアッシュが『ルーク』であったころに、代々の当主に仕えるランド・スチュワードがファブレ家の様々な事柄を書き記していった記録でここの存在を知った。自由に動けるようになると、すぐにここを思い出し、簡単に手を入れて寝泊まりが出来るようにしたのだが、大事なのは使用に耐えるかどうかであって、ルークのようにかつての使用者に興味を抱くようなことはなかった。
 ルークは少ない使用人だけを連れて一家水入らずで狩りを楽しんだのであろう仲の良い一家に何を思っているのか、うっすらと笑んで絵を撫でている。
 同じ人間のはずなのに、何故こう興味の対象が異なるのだろう。実年齢の差なのだろうか?
 アッシュはしばらく己のレプリカの様子を見つめていたが、すぐに興味を無くして自分のことに取りかかった。うだるような暑さにすでに辟易していたアッシュは半ば放り投げるような勢いで着込んでいた法衣を脱いでいく。汗を吸わせるために一番下に着ていた肌着に手をかけたとき、ふと視線を感じて顔を上げると、じっとこちらを見ているルークと目が合った。
「──なんだ」
 絡む視線を迷惑に思う気持ちを隠そうともせずに眉を寄せてアッシュが問うと、ルークは目をまんまるにして驚いたように言った。
「あ、や、涼しそうな顔してるから汗、かかねーのかと思ってたから……」
「……俺をなんだと思ってんだ。昔から顔にはあんまりかかねえだけだ」
 間の抜けたことを言うルークに、アッシュはますます顔を顰めた。そもそも鍛え上げた筋肉は体温をも上げるもの。汗をかかない軍人は、鍛錬の足りない軍人だけだ。

 ぐっしょりと汗を吸った肌着をうんざりしたようにつまみ上げ、他の洗い物をひとまとめにしてランドリーに持って行き、盥の中に突っ込んでおく。乾いたタオルを二枚取り出してリビングに戻ると、所在なげに突っ立っているレプリカに一枚を放り投げた。
「あ、ありがとう……」
 薄着のルークは元よりそれほど汗をかいていないのか、両手でタオルを握りしめたまま相変わらずぼんやりとアッシュを見つめている。
「だから、なんだ。言いたいことがあるなら、はっきり言え」

 ──ほんとにウゼえ、とアッシュは顔を顰めた。レプリカが自分に畏れを抱いていて、いちいちびくつくのが鬱陶しい。何か言いたいことを抱え込んでいるのに、自分からは決して言わない。視線でそれを尋ねてくれと自分に促しているようなのが特に腹立たしい。

「アッシュって、いつもきっちり着てるから、もっと色、白いと思ってたからさ……」
「着込んで鍛錬なんかしねえよ」
「そ、そうだよな……」
 えへ、というようにルークは眉尻を下げて笑った。その顔がまた苛立ちをそそる。そんな締まりのない緩んだ顔をして笑っているのは、己の顔でもあった。

 ああ、鬱陶しい。
 苛々する。
 レプリカのせいか、暑さのせいか……。

「ここ、見せてくれてありがとうアッシュ。おれ、もう行くな? 皆心配してるだろうし……。これ、ありがとう」
 ルークは投げてくれたタオルを畳んでソファの上に置いた。

(アッシュは、やっぱり優しいんだな。おれをどんなに憎んでいても、おれにもタオル、貸してくれた……)

 そんなささやかなことにすら嬉しさを感じながら、ルークは二度と来ることがないだろう室内を最後にぐるりと見渡した。
 ここはアッシュが隠れ家にしているファブレ家の狩猟小屋。彼はレプリカのお前も権利があるだろうと言ってくれたが、その言葉だけで、ここに入れてくれたことだけで、ルークはもう胸が一杯になっていた。
 アッシュが行きがかり上とはいえ誘ってくれたのは、あの場に長く留まっていたくなかったからだとルークは知っている。
 だが、二人でそこに行けば、もしかしたら何かが変わるかも……。そんな期待が僅かでも自分にあったことを、そしてアッシュには必要以上に自分に歩み寄る気はないのだと思い知らされたことだけを自覚して、それでも、なにも得るものが無かったわけじゃないと、ルークは林檎の入った紙袋を持ち上げた。

 ──何故、ここに連れてきてしまったのだろう……。
 来たいなら付いてくれば良いと言ったときに、そんなつもりはなかった……はずだ。

 紙袋を持ち上げようとルークが身を屈めたとき、銀朱の髪との対比で青白くさえ見えるうなじと、そこから背骨に続くラインが、襟元から覗いた。ほんの一瞬、ほんの少し覗いただけだったが、左右の肩甲骨に布を持ち上げられて出来た真ん中のくぼみが、何故かぞくりとするほど艶かしく見えた。

 レプリカを憎んでいた。
 だが自分のレプリカならば、もしかしたら少しぐらいは役に立つかも知れないと思った。自分のために働かせるのも悪くはないと思っていた。おそらく、実際に会うまでは、殺してやりたいとまでは思っていなかったように思う。
 だが実際に会ってみたレプリカは。ヴァンの評価に寸分違わず、無知で、愚かで傲慢で、そのくせ性根は脆弱で、どうしようもないおぼっちゃまの悪しき典型とも言えるものに成り下がっていた。

 これが『自分』?
 これが『俺』と同じものなのか? 

 自分にも、こんな情けない生き物になる素地があるのかと、そう思うと、どうしようもない嫌悪感が突き上げた。
 殺したいのとは違う。「殺したい」と思うのは相手の存在をそれなりに認めているからだ。アッシュはこのレプリカを認められない。
 無かったことにしたいのだ。この存在を、無に戻したい。自分から分たれたものを、引き剥がされたものを、取り返したい。

 ──元通り、一つに。


(2011.07.19)