【6】
「……いや、いいよ。十分だ。なんとなく、言わんとするところはわかった」
焦れば焦るほど真っ白になっていくルークを救ったのは、意外にも男の方だった。「同族愛以上恋愛感情未満、ってとこかな。良かったじゃん鮮血。少し押せば案外イケるかもよ?」
ルークがこわごわ窺う先で、アッシュの眉間がぐっと狭くなったが、男は馬鹿にした様子は見せず、ただからかっただけのようだった。
この男は一体何者なんだろう? 『旧友』と言っていたし実際親しげなそぶりを見せているが、そのくせ注意深く間合いを取っているし、アッシュのほうは不愉快さを隠そうともしていない。彼女に危険はないのか、せめて正体だけでも教えて欲しかったが、二人の間にピリピリと漲った緊張感が、余計な口を差し挟む余地を与えなかった。
「俺が思ってたより複雑な感情を持ってるみたいだな。君が本当にレプリカならってことだけど。いやー、俺がこれまで見てきたレプリカはみんなコレのようなお人形さんなのよ。君は──十歳、いや三年死んでたんだから七歳? 長く存在してるぶん人間に近いのか? でもこの無表情ちゃんたちとあんまりにも違うんだよなあ」
ねえ? と同意を求めるように男は掴んだままの少女の黒髪を更に下に引き、苦痛に歪めた顔を真上から覗き込んで微笑みかけた。
「乱暴な真似すんな! 女の子なんだぞ!」
まるでモノのような扱いに憤るルークに、少女は痛みに顰めていながらもどこか無機質な視線を向けた。「彼もレプリカだ。そこにいるのが被験者で間違いない」
「わかるの?」
「ああ」
男はまじまじと少女を見つめ、呆れたように首を振った。「ほらコレ、人形みたいに表情がないだろ。人間でも表情を変えないやつはいるけどさ、レプリカと人間ってあからさまに違うんだよね。少なくとも俺にはさ、表情の読めない人間なんていないのよ。レプリカってこんな風に薄気味悪いのばっかだと思ってたから、君みたいに感情駄々漏れのレプリカって……やっぱレプリカって感じしないよね」
「芝居、観たんだろ、あんた。そりゃそんなに詳しくやってなかったけど! おれは自分がレプリカだって知らなかったし、普通の人間だと思って育てられたんだ。レプリカだって被験者と同じように接して行けば表情も豊かになってくる。刷り込みがあったのに被験者と見分けがつかないレプリカの女性だっているんだぜ? その子はこれから被験者に混じって生きて行くんだし、いずれはそうなる!」
「……ふうん」男は少女の首筋に刃をぴたぴたと当てながらルークとアッシュを見比べてから、ふと少女に視線を落とした。「この無表情ちゃんも笑ったり怒ったりするようになるわけ?」
「当たり前だろ!」
男にはどう見えるのか知れないが、ルークには少女が今だって無表情には見えなかった。怒りや悲しみ、喜びといったわかりやすい表情ではないにしろ。彼女はルークの正体を知ってかすかに驚きを見せたのだ。
「レプリカは赤ん坊と同じなんだ! 抱き上げてもらったり、笑いかけられたり、話しかけてもらったり、そういうこと全然してもらってないのに、知識だけ与えられたって情緒が育つわけないじゃん! 大体っ、さっきからその子が痛そうにしてんのわかってるのか? レプリカだって感情も感覚もあるんだぞ!?」
「……被験者とレプリカ二人でやってる店ってので今朝食ってきたけど、どっちがそうなのか全然わかんなかった。双子だって噂も聞いたけど、あれ、ほんとにどっちかがレプリカなの? 君が言った見分けがつかないってのは彼女らのこと?」
男は相変わらず人の話をするりと聞き流して、自分の知りたいことだけ問いかけてくる。
答えることで二人に迷惑がかかるかもしれないとルークは口ごもったが、ダガーの刃先がちくりと少女の皮膚に食い込むさまを見て、アッシュが頷いた。
「え、マジで? 男取り合って刃傷沙汰ってのも?」
「……日常茶飯事だ」
心底忌々しそうに吐き捨てるアッシュを見て、男が目を丸くした。
「えー?! この無表情ちゃんがあんなふうに怒鳴って男取り合ったりとかするようになるわけ? それはちょっと信じらんないな」
「馬鹿か。そんなことは本人の性格による」
憮然としたアッシュに、男は楽しげな笑い声を向けた。「うん、彼女らの武勇伝なら色々聞いた。神託の盾の皆さんは苦労してるみたいだね」
「なぜそうもレプリカを気にする。きさまのことだ、もう十分に遊んだんだろう」
「まあね。だからこそこの程度の出血じゃ死にもしないし乖離もしないことを知ってる。心配しなくても、簡単に乖離させたりしないよ。今ここでコレを乖離させたら、しばらくは死体と証拠が残っちまうからね。ここには第七音素がいっぱいあるけど、まだ塊のままだし、簡単に引き寄せられたりしないからさ」そういうと男はつまらぬげに肩を竦めた。「……残念、あのふわあって広がって行く音素の光だけは、俺も綺麗だって思うんだよ」
レプリカを第七音素の塊と言い切った男に、噛み締めたルークの奥歯がギリ、と音を立てた。アッシュの腕に、ルークが無謀に飛び出したりしないよう強い力がこもる。
「アッシュ──」
「それならもういいだろう。ここにはきさまの知りたいことなど何もない。その子を放してさっさと逃げるがいい」
「ねえ、じゃあさあ、レプリカと被験者って、結局なにがどれだけ違うわけ?」
「この世に生まれ出た過程だろ。それ以外はなにも変わらん」アッシュは傍らにルークをきつく抱き寄せ、きっぱりと断言した。「……普通に学び、自分に合った仕事を見つけて働いたり、惚れたやつと家庭を作ったり、子どもを育てたり……。被験者と同じように老い、同じように死に、いずれは同じように棺に入る。なにも変わらねえ」
「ふうん。恋愛したり、子どもねえ……。作れんだ」
「そういう報告もある」
子ども。
おれも子ども、持てるのか。
ルークは自分の子どものことなどまだ深く考えたこともなかったが、爵位を継いで欲しいと言われたとき、このことが頭を過らなかったとは言えない。自分などよりベルケンドにいるという兄のほうがふさわしいのでは、という思いには、結果失われたアッシュの居場所の後釜に座ることの罪悪感や遠慮などのほか、なんとなくだが自分は一代限りの存在であるような、そんな気がしていたせいもある。
譜業の中で造られた命である自分たちが、被験者たちと同じように血を残すことが出来るのか。父はそれを知っていてルークに後を継ぐよう勧めたのだろうか。レプリカであるルーク本人も知らず、ディストの本にも書かれていなかったが……。
そこまでつらつらと思いめぐらせていたルークは、ふと少女に目を移し、眉を寄せた。
刷り込みがあったとしても、レプリカたちは実質三歳。好意ならばともかく、恋愛感情などが育つには、オフェリアのような例外があるにしても一般的には早すぎるように思える。十年、いや、七年被験者と過ごしたルークでさえ、人に恋をし、愛するということがまだよくわからずにいるのだ。アッシュに好きだと言われて初めてルークはその手の話に敏感になったくらいで、これまで素通りしていた色々な知識をようやく意識して耳に入れるようになったところだった。
ルークがその手のことにうとかったのは、外見年齢に添っていればとっくに興味を持っていただろう性のあれこれが実年齢のせいで耳に止まらず、具体的に想像したりも理解することも出来ないまま通り過ぎて行ったというのも一因だろうが、最も身近にいた同性のガイが、件の心的外傷によって聞きかじり以上の知識を持たず、身体の接触を生々しく思い起こさせるその手の話を意識的に避けていたようなのも原因の一つなのかも知れない。男は友達同士の会話などからもそっち方面の知識を増やしていくようだが、ルークに実体験を話してくれたり、浮気している船乗りの女房のような話をしてくれるような友達は他にいなかった。だからもしかしたら、歳は上でもルークが他のレプリカたちと比べて特別子どもっぽいのかも知れない。
他のレプリカたちは、なんと言っても刷り込みがあったのだし、ルークよりしっかりした恋愛観を持ってすでに恋人や人生のパートナーとなる相手と幸せに過ごしているのかも……。
そう己に言い聞かせてみたものの、やはり自分自身、そして助け出されたレプリカたちと少しだが話してみて得た感触では、やはりレプリカはまだまだ情緒面の発達が遅れているような気がする。ならばなぜ「そういう報告もある」のだろう。
その答えとして、気分良くつじつまが合わせられるものは思い浮かばなかった。それはもしかしたら、レプリカには何が起こっているのかわからないまま行われたかも知れない。合意の上ではなかった結果なのかもしれない──。
そういった場合、被害者になりやすいのは。
「ああ、コレは犯られてないよ。無表情だけど造形は整ってるもんな、第七音素に戻す前に味見するかもしれない客に処女が高く売れると扱いも慎重だった。ま、捕まる前のことは知らないから、ホントに処女かはわかんないけどね。本名はマティアスだったっけ? あんたんとこの細作も、さりげなさを装いつつ目を光らせてたようだしな」
ルークはぎょっとして──というか本当に飛び上がるほど驚いて、思わずアッシュの袖をぎゅっと握ってしまった。ルークのほんのちょっとの表情の変化で、男はなぜ考えていることまでわかったのだろう。アッシュにしがみつかんばかりに怖々自分を見ているルークに気付き、男がにぃっと人の悪い笑みを浮かべた。
「……? なに?」
自分のことを話しているようなのに、わけがわからないと少女が首を傾げると、男は長身を折り畳むようにして少女の耳元に何かを囁いた。少女が表情のないまま瞬きし、首を振る。
「……それは愛する人と結婚してからすることのはずだ。それを知らないらしい被験者の男に船の中でするように言われたが、断っていたら別の被験者が来て、殴ってどこかに連れて行った」
ルークと違い、レプリカへの刷り込み教育には子孫を増やすためにきちんとそういう知識も織り込まれていたようだ。ヴァンたちはレプリカだけの世界を造り上げる計画をしていたのだし、レプリカにも生物としての本能が備わっているとはいえ子孫を早急に増やすためには当然の措置だったかもしれない。
ルークのみならず、アッシュまでもがほっと身体から力を抜くのがわかった。
並外れた美貌を持って生まれたものは、それが徒となり不幸を招き寄せることもままあるが、彼女の場合は良い方に作用したらしい。
「『愛する人』ねえ。まだなんのことやらわかってないだろ、無表情ちゃん」
馬鹿にしたように鼻を鳴らす男に、少女は呼びかけ通りに表情のない顔を向けた。「確かに、わからない。けれどアッシュとルークの話を聞いていたら、いつかは私にもわかる日がくるようだ。私は、その日が早くくるといいと思う」
「ふうん」男は何かを考えるように、少女の首元でくるくるとダガーを回した。
色々と良くないものもたくさん見て来たはずなのに、絶望したり憎悪することなく、彼女はまだ未来に期待を抱いている。ルークたちが一生懸命守った世界で、生きたいと思ってくれている。それがとても嬉しかった。もっともっと広い世界で、知らないことをたくさん知って、様々な人々と知り合い、いつか輝くように笑って欲しい。彼女が笑ったら、どれだけ可愛いだろう。きっと多くの人が魅了されるに違いなかった。
それだけに、首筋に触れたダガーの存在がどうにも禍々しく映った。鍔がなく、幅広の刃は分厚く。まるで人の肉を切り裂くのに特化したようなその形状と、それを自分の身体の一部のように扱い慣れている男が。
「アッシュ師団長! ご無事ですか?!」
アッシュと男がドアを見たのは、呼びかけより一瞬早かった。
「無事だ!」
「扉の前に瓦礫が積もっていて、取り除くのにもう少し時間がかかりそうなんです! もう少しだけお待ち下さい!」
アッシュが素早く室内に視線を巡らせ、未だ人質になったままの少女を見つめた。「時間切れだ、ランツ。本当にそろそろ逃げたらどうだ? 別に牢に泊まって行ってもらっても構わんが」
「俺はふかふかのベッドでなけりゃ眠れないのよ、あんたと違って育ちが良いもんでね」アッシュの出自を知ってか知らずか、男は皮肉な笑みを閃かせた。「──今の声、マティアスか。あいつしつこそうだから、無表情ちゃんはこのまま人質に貰って行くよ」
「ちょ! その子は置いて行け! 一人で逃げりゃいいだろ!」
「んー、でも足止めにも使えるしね」叫ぶルークに、男は飄々と笑ってみせた。
「足手まといの女一人抱えて、俺から逃げられると思うのか」
焦るルークとは裏腹に、アッシュは相変わらずルークを脇に抱え、剣を抜くでも無く嗤った。初めて見る、アッシュの総毛立つような酷薄で獰猛な笑みに、思わず身体が強ばる。
「思うよ、合意してもらうから」男は肩を竦め、再び少女の耳元にかがみ込んだ。「無表情ちゃん。俺は爆薬の専門家なのよ。多分、俺以上の使い手はこの世にいないと思う。例えば──この部屋の中で、俺とあんた以外の全員を綺麗に爆死させたりとかできるくらい。神託の盾の皆さんもこっちの救助活動に手を取られるから、その間悠々と逃げることができるし、俺は実のところそうしたい。でもあんたが俺の盾になってくれるって言うなら、このまま生かしておいてやってもいい」
「……」
「早く決めて。俺はどっちでもいいんだ、レプリカは嫌いだしね」
「逃げ切れたら、私は殺されるのか?」
「死ぬのが嫌ならその場に捨ててってもいいけど。──逃げ切ったらね」
こんな男がそんな約束守るわけないとルークは思ったし、むろん少女もそう感じただろう。ぐるりと同じ船から救出されたレプリカたちを見、ルークを見た。変わらない表情の向こうに、深い諦観が見える。
「馬鹿な話に乗るんじゃねえぞ、すぐそこに兵もいる」
「彼らに手を出さないと約束してくれ」
アッシュが男の提案に乗らないよう鋭く制止の声を飛ばしたが、少女は静かに首を振った。表情がまるで変わらないことが、ルークの目にどこか寂しく映る。
「レムの塔で逝ってしまった仲間たちに、私も命を繋いでもらったのだ」
──今度は私の番だろう?
「……誓いましょう」
呟くような少女の声に、男は意外に真摯な表情で返答を返した。ふざけているとしか思えない返答だったが、少女はじっとその顔を見つめ、ややあってから静かに頷いた。
「……わかった。行こう」
「なにが合意だよ! そんなの……っ、脅迫じゃん!!」
なんとか助けられないのかとアッシュに拘束されたまま泣きそうになってもがいているルークに、男はにこやかに手を振って、ダガーを胸のホルダーに収め、ひょいと少女を横抱きに抱え上げ、アッシュから目を離さないように二、三歩後じさってから囁いた。「ちょっとさあ、肩か首にでも掴まってくれる。『通りすがりの美青年、爆発から美少女を救う!』風に逃げるんだから」
「わかった。……これでいいか」
「……ああ」
「待てって!」
ルークの叫びは、再び起こった爆発音と粉塵の霧の中に、空しく消えて行った。