【5】
「アッシュ!」
「罪を被るべきは剣ではなく使い手だ。だからこそ、キムラスカ国王、マルクト皇帝、ユリアシティ市長の三人はあえてお前に『頼む』と言った。放っておいても俺たちが勝手にやるだろうことをわかっていても、だ」
驚いて振り返るルークに、アッシュは淡々と言った。
その通り、頼まれずともやるつもりだったのに──おそらく彼らもそれをわかっていただろうに、わざわざ三人がルークを呼び止めてそう告げたのには、本当にそういう意図があったのだろうか。あのときルークは虚勢を張りつつも内心ひどく怯えていて、そう告げられたことによって逆にもう逃げられないと感じたものだが、本当はルークのために責任の所在をはっきりさせてくれたということだったのか。
──だが、ルークはそんなふうには割り切れそうにない。アッシュが、誰にどの程度の責任があるかを極めて事務的に考えることが出来るのは、きっと彼が長年指揮系統のはっきりした軍隊様の組織の中で生きてきたせいだ。ルークはたとえあれが命令に従ってやったことだったとしても、この罪悪感からは決して逃れられないだろう。それが普通のことだという感覚があるからこそ、レプリカの売買組織に潜入し、一味に成りすましてレプリカを害していたという人に不快感を感じるのかも知れなかった。
もっとも、本人がそのことをどう感じ、なにを思っているかなど、その人を知らないルークにはわかりようもないのだけれど。
「芝居の話を聞いたときには、被験者たちの都合の良い作り話ではないかと思っていたが、お前を見る限り嘘ではないようだな」
少年が言うと、黒髪の少女も深く頷いた。
「多くの人間と同じように、我々も自分の命が一番可愛い身勝手な生き物だ。あのとき間に合わず、自分が犠牲にならずに済んだことにほっともしている。だからこそ、障気を晴らすため犠牲になったレプリカたちには感謝している。もちろんお前にも。結果的に命長らえたとしても、多くの生命のため命を賭けてくれたことに変わりはない」
四十がらみ風の男も、表情のないまま淡々と頷いた。「呼びかけは知っていたが、私は命を惜しみ、レムの塔に行かなかった」
ルークが驚いて男を見直すと、彼は不躾なほどまっすぐに見つめ返した。「今回、犠牲になったレプリカの中に親しくしていたものがいたとして、それでもお前たちに当たらずにいられるかどうかはわからない。だが、私はそれが理不尽な言いがかりであることを理解している。今回のことも、お前の被験者は出来るだけのことをしてくれたのだと思う」
アッシュがレプリカを助けよう、自然に共存して行こうと尽くしてくれていることはルークも聞いているし、それなりに実感もしてきていると思っていた。
なんだか自分一人だけが子どもであるように感じて、ルークは鬱々とした気分で俯いた。
「ルーク」
かけられた声にアッシュを見やると、少しだけ気遣わしそうにアッシュがルークの様子を窺っていた。
「おれは、」
アッシュとて万能ではないのだ。アッシュは限られた権限の中で今できる精一杯のことをしてくれている。そのアッシュに、努力が足りないと思われているのでは、などという誤解をちらりとでもさせてはいけない。
大丈夫。そう言おうとなんとか笑みを作った瞬間、ズズ……となにか大きな物がずり落ちるような音がし、なにが起こったのかと皆が顔を上げる間もなく大きな爆発音が聞こえた。
「ルークっ!!」
造られてから間もない身体は、ルークの意思より反応速度が遅かった。生きるために取るべき行動がいくつも脳裏をよぎったが、その瞬間には指先一つ動かなかった。唐突に視界が暗く遮られたと思うと、レプリカたちと同じようにぴくりとも動けない身体が突き飛ばされ、床に押し倒される。間髪入れずに何かがのしかかってきて口元を強く覆われたが、崩れた日干しレンガの粉塵を少し吸い込んでしまい、ひどく咳き込んだ。黄色い砂煙は辺りにたれ込め、なにも見えない。
「……まだじっとしてろ」
状況を知ろうと身をよじっていると、頭上から咳の混じった少し掠れた囁き声が聞こえた。鞣した革の匂いがふわっと鼻孔をくすぐり、ルークはアッシュに全身を抱え込まれ、庇われていたのに気付いた。
「アッシュ、怪我は……っ?!」
「大丈夫だ。──お前はねえな?」
自分が守ったのだから、かすり傷一つ与えてはいないはずだという確信に満ちた声が聞こえ、ルークは苦笑しながらもぞもぞと頷いた。床に押し倒されたとき、したたかに腰を打ったのだけれども、むろんそれが怪我のうちに入るわけがない。
「みんな無事か?」
ルークを床に押し付けたまま、アッシュが身を起こす。咳の合間に次々と応えが返ったが、その中にあの少女の声がなかった。
そういえば、ルークはまだ彼女の名を知らないのだった。アッシュからの抵抗が弱まっていたのを幸い、腕を押しのけて起き上がる。あの子は無事だろうか? 恐ろしい目に遭ってもなんとかここまで生き延びて来たのに、こんなところで怪我をしたり命を落としたりすることがあって良いはずがない。
急速に落ち着いて行く砂煙の向こうを透かすように、アッシュの厳しい横顔が一点を見据えている。その額から一筋、赤い液体が流れ落ちているのを見て、ルークは顔色を変えた。「アッシュ……! 怪我したのか?!」
ルークの声に気付いたアッシュが、ルークを見もせずに腹に腕を回し、身体を斜め後ろへ押しやった。「かすり傷だ。騒ぐな」
確かに頭に傷を負ってこれくらいの出血なら、アッシュの言う通りかすり傷なのだろうが、かすり傷なら心配しないでいられるというわけでもない。それが自分を庇って負った傷ならなおさらだ。
だがルークはそれ以上言及せず、険しいアッシュの表情に導かれるように、その視線の先を見た。
「久しぶりだねえ〜、鮮血の」
「……きさまの仕業か。とっくに逐電したものと思っていたがな。なぜまだこんなところをうろうろしてやがる、逃げ足の速さだけが身上のくせに」
状況を思えば奇妙なほど明るく、馴れ馴れしい声が聞こえたと思うと、アッシュがうんざりしたようにため息をつき、刺々しい返事を返した。
「あんたがここにいるって聞いたから、わざわざ挨拶に来たんだろ。旧友にそんな言い方するなんて、相変わらず感じ悪くて嬉しいね」
粉塵がようやく収まってきて、ルークにもその声の主が見えた。
あちこち跳ねまくった短い赤毛──アッシュやルークと違い、赤毛と聞いて誰もが思い浮かべる赤みを帯びた茶色だ──不健康なほど色が白く、手足の長いひょろりとした体つき。濃紺の瞳は常に悪戯を考えている子どものように無邪気に煌めいて見える。
だが、もがく女一人を片腕で抱え込んで微動だにしない。半袖の服から突き出た腕は細く骨張ってはいたが、しっかりと筋肉の筋が浮いていて、隙間もないほどびっしりと藍の刺青で覆われていた。身体にも入っているのかも知れない。長い首筋は元より、顎や両頬にも少しかかるくらいまでそれはびっしりと肌を覆い隠していた。手の甲まで藍に染まった腕はぎらりと不吉な輝きを放つダガーを握り、少女の首筋に押し当てられている。この混乱の最中、砂埃は多少被っているものの、少女に怪我はさせていないようだ。
「きさまのような友人を持った憶えはねえ」
「なあ、あんたには兄弟いなかったはずだよな? それ、誰?」男はアッシュの言葉を聞かぬふりで、好奇心丸出しにルークを見つめた。答えるものはなく、男は人好きする笑顔を浮かべたまま更にダガーを少女に押し付けた。
「……っ! おれは、アッシュのレプリカだ!」
慌ててルークが叫ぶと、男は真顔で目を丸くした。「えっ、ほんと? 君が英雄ルーク・フォン・ファブレってこと? 死んだはずが現れたって話は聞いてたけど、君、歳違うし。鮮血と似たところなんてちょっとしかないじゃん」
「お、おれ、英雄とかそんなんじゃない。でも本当なんだ。これはオールドラントに戻ってくるとき新しく造られた身体で……。年齢は、多分あのとき……一度乖離したときのまんまで造られたから──なあ、もういいだろ? その子、放してくれよ」
アッシュのレプリカには見えない。
誰もに言われることだが、今はそれがとてももどかしかった。この男に信じてもらえないと、なにか恐ろしいことが起こるような気がして、身体が小刻みに震えた。少女の白い首筋に当てられた分厚い刃のダガーは、きっとか細く儚い命など簡単に乖離させてしまう。
「そもそもレプリカにも見えないな、君? 鮮血に似てないってだけじゃなくてさ。だって君、すごく子どもっぽいもん、そんなレプリカいないだろ。あー、でも君が本物のルーク・フォン・ファブレなら、刷り込み受けてないってことか。その違い? 鮮血のレプリカちゃんはローレライとも完全同位体だから? なあ? 君、やっぱり特別なレプリカなの?」
「単に人と接触してきた時間の密度が違うだけだ。刷り込みを受けていても、こいつより感情表現が激しい奴もいる」興味津々といった態でルークを見つめる男を嫌がるように、アッシュがさり気なく身体の角度を変えてその視線を遮る。「──動くなよ。今のお前が敵う相手じゃねえ」
男から一瞬たりとも目を離さないアッシュの緊張感を感じ取り、ルークは素直に頷いた。アッシュがこれだけ気を張る相手なら、前の自分だって敵うかどうかわからないのだ。
「……残念ながら、その子が本当にレプリカなのかどうか俺にはわからないな。本当だとしたら、なんで鮮血、あんたがそうも庇うわけ? 言うなれば自分の影、もう一人の自分みたいなものじゃん。実体──自分の存在を脅かすものだとは思わないのかな?」男は本当にわからないというように首を振ったあと、ふと何かに気付いたように目を見開き、ルークに視線をやった。「ああ、『シンダーとルクス』か。あの記事、爆笑させてもらったんだけど、案外マジだった?」
表情こそ微動だにしなかったが、ぴったりと背に寄り添っているルークにはアッシュがかすかに動揺したのがわかった。羞恥を覚えたのか、弱みを握られることを恐れたのかはわからなかったが……。自分などがアッシュの弱みになりうるかどうかは別として。
「ふうん……。あんた、ナルシストって感じじゃなかったけどなあ? うーん、でもこれだけ違えばナルシシズムとも言えないのかな? なんて言うか、ぴよぴよした雰囲気で可愛いよね、あんたと違って。──で? 本当のとこどうなの? あの記事の考察合ってんの?」
無言で答えるアッシュを男は嗤い、紺青の瞳を酷薄に光らせ、少女の髪を乱暴に引いてのけぞらせた首筋に刃を当てた。真っ白な肌に一筋赤い線が走る。
「やめろってば!!」
「……こいつはレプリカだが、ファブレの戸籍に入っている。まあ、弟のようなものだ。こいつになにかあれば、バチカルの父母が悲しむんでな」
思わず飛び出しかけたルークを片腕で制し、アッシュがしぶしぶ答える。男は笑いを収め、しばらくのあいだ探るようにアッシュを見つめていたが、ふいにニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「……へえ。あんたがねえ……。よりにもよってそれが自分のレプリカで、同じ男ってのが超ウケるんだけど!」
その気になりさえすれば完璧に表情を殺すことができるアッシュのどこで真実を見抜いたのか、男はゲラゲラと癇に障る笑い声を立てた。バレるとわかった上での悪あがきだったのか、アッシュも小さく舌打ちしたものの勢い込んで否定したりはしなかった。
「君はどうなの、鮮血レプリカちゃん。君も鮮血に惚れてんの? 言っておくけど、正義感の塊みたいな顔に似合わず案外冷酷で悪い奴だよ? 口も汚いしね」
ルークは焦って男を見つめた。
早く答えないと、また人質に取られた女の子に痛い思いをさせる。
「好き──」視線がどうしても細い首筋とダガーに向かってしまい、とにかく答える意思だけでも示そうと、ルークは答えがまとまらないままに口を開いた。「お、おれ、アッシュが好きとか嫌いとか、そんなふうに考えたことなかった。そんな余裕、全然なかった……ただ……ただ、おれのこと見てくれたらって、認めてくれたらって、そう思ってた。アッシュに追いつきたくて」
「ルーク」
「でも頑張っても全然駄目で、きっとみんなおれとアッシュを比べてがっかりしてるって思ってた。どっちか一人残すなら被験者だって言われて──言ったジェイドも傷ついた顔してたけど、おれだって傷ついた、やっぱそうだよなって。命の重さには優劣があって、どんなに頑張ってもレプリカのおれは被験者のアッシュに劣るんだって──」
「ルーク!」
「少しだけ、ほんの少しだけ、あのとき、おれ、捨て鉢になってるとこ、あった。だ、だってアッシュが──アッシュだけ、が。おれのこと諦めずに走り回ってたなんて、おれ、知らなかったんだよ!」
男の前で一時も気を抜くことのなかったアッシュが、ほとんど男に背を向けるようにしてルークを抱きしめた。あのときのぐちゃぐちゃだった気持ちを思い出して、興奮と混乱とでもがくルークを包み込むように、強く。
「ア、アッシュ、あいつに、バレる」
「もうバレたろ。こいつの真意がわかんねえから、一応否定はしてみたんだが」
アッシュはルークを宥めるように軽く背中を叩きながら、急に男のことも、少女のことも、何もかもがどうでも良くなったようにルークの髪に鼻先を埋めた。 「……アッシュ、震えてんの?」
「俺、今度は間違えなかったか……?」
「……え? なにを?」
「……いや、いいんだ」
アッシュが何を間違えなかったというのか、ルークにはわからなかった。ただ、もうあのときのように一人ではないということ、守られているということ──そして、うまく話すことができなくても、ルークの気持ちを理解し、寄り添おうとしてくれる人が傍にいてくれることの幸福感が、肌に染み入るように感じられた。
「おれ、アッシュのこと、今は好きだってはっきり言えるよ。なんにも知らなかったから、今はいっぱいアッシュのことを知りたい、わかりたいって思う。でも、あんたの聞きたい『好き』はそういう『好き』じゃねえんだよな?」ルークはアッシュの腕の中で身じろぎ、なんとか目だけを男に向けた。「家族とか、友達に対する『好き』とは違うんだ。それはやっぱり特別な『好き』なんだ。けど……」
今の時点での気持ちをうまく話すことができず、ルークは唇を噛んだ。ほら、早くまとめなくちゃ、あの子が。