……お前の亭主のお帰りだぜ そんなに驚くなよ
話はあとだ まずはラムを半パイント
窓に張り付いてないで 俺の膝の上に来いよ
それとも窓の外になんかあるのかい
そこで待ってろよ 窓際がいいなら
お前の顔を窓に押し付けて スカートを脱がせてやろう
濡れてるかどうかみてやるよ 俺のはすげえぜ 見せてやる
背中からキスしてやろう 尻を伝って太ももまで
お前が叫び声をあげるまで 舌を押し込んでやるよ
窓の外の男に聞かせてやりゃあいい 一晩中
歪んだ顔と 尖った乳首を見せてやれよ
ほらやっぱり俺の方がいいだろう……
大きなジョッキを振り回して大合唱している船乗りたちを、ルークは仰天して声もなく見つめていた。
酒やけしただみ声で、おまけにひどく酔っているため、音程は外れまくっていたが、歌詞はそれなりに聞き取れる。
アッシュは彼らが大合唱を始めた瞬間こそぎょっとした顔をしたものの、一瞬ちらっとルークの表情に視線を走らせたあとは、特に気にしないことにしたらしく、メニュー選びに集中している様子だった。
行方を晦まして仕事を溜め込んだツケで、アッシュがルークを迎えに行けたのは随分遅い時間になってからだった。ルークは眠っていたが、起こした時には腹を空かしていたし、熱も落ちていたので、しっかり厚着をさせて連れ出すことにした。砂漠の街は、夜になるとひどく冷える。
この時間でも開いていて、美味いというと真っ先にこの店が浮かんだためここに連れて来たが、たまたま長い航海から戻って来たらしい船乗りたちと一緒になるとは、ちょっとタイミングが悪かったかも知れない。
いや、彼らは悪い人間ではないし、むしろおおらかで陽気なヤツらなのだが、ルークのような箱入りには、少々品がなさすぎるのだ。だが、おそらく、パーティーに女子供も抱えたルークの仲間たちでは、決して踏み込むことのない界隈の、決して入らないタイプの店でルークには珍しいだろうし、気取らないが足すところも引くところも見当たらない、気の利いた料理と酒は、昔からアッシュの気に入りだった。
──もしかしたら、自分の縄張りに、求愛中の雌を誘い込むような、そんな動物じみた本能からの行動であったかも知れないが……。
最初にメニューを見て、大海老が食べたい! と言ったあとはすっかり船乗りたちに気を取られて気もそぞろになっているルークの為に、アッシュは食べたくないものだけを尋ね、適当にあれこれ注文を出してやる。
いくらルークが奥手のネンネとはいえ、こうまで直接的な歌で、歌詞の意味がわからないほど子どものわけはないし、こういう細かい情報を繰り返し見聞きすることで、少しはまっさらなままで止め置かれたルークの性知識も進むと言うものだろう。つまり、放っておくに限る。
ルークをじっと見ているアッシュと目が合うと、ルークは真っ赤になって俯いた。「これって……」
「船乗りは航海の間中女っ気がねえからな。いつでもこの手の歌を酔っぱらって歌ってんだ。これも、昔から船乗りの間で歌われてる歌だそうだ。家に帰る前に、酒場で管を巻いて、留守中に女房が浮気でもしてんじゃねえかっていう恐怖を少しでも和らげるために陽気に歌って飲んで騒いで、気を大きくしてから帰る。……と思うと、あんなひげ面の親父でも可愛いと思うだろ。──だが、お前には刺激が強すぎるか?」
「べ、別にっ! こんなのなんてことねー。……平気だ」
「まあ、表面だけ聞きゃとんでもねえ歌なんだが、真面目に聞いてみりゃ一体誰が一番可哀相なやつなのか分からなくなる、ちょっと切ない歌なんだ」
「そうなのか?」ルークはぱちぱちと瞬きを繰り返して不思議そうにアッシュを見、音程の外れた歌に、耳を澄ます。
長い航海を終えて、男は家に帰って来た。今日、帰ってくるとは思わなかった彼の妻は、家に恋人を招いている。だが夫が帰ってきて、恋人は窓の外に隠された。
夫はそれに気付いているが、知らないふりをしている。窓の外を気にする妻を窓に押し付け、スカートをまくり上げ、執拗に愛撫を繰り返し、窓の外にも聞こえるように悲鳴をあげさせる。
やがて男は妻の間に押し入ると、自信たっぷりに宣言した通り、一晩中窓枠を「ガタガタいわせる」のである。裸の胸と、快楽に歪んだ顔を、吐息で曇った窓ガラスに押しつけた妻は、窓の外の恋人のことを次第に忘れていく。
男は、窓の外で息をひそめる妻の恋人に、どうだ俺はすごいだろう、お前にこんな真似が出来るのかとアピールしながらも、こんな淫乱でどうしようもない女の手綱を取れるのは俺くらいなんだと、もっと上等でマシな女を探せとたしなめてもいる。
「な?」
「……ウン」
アッシュのいうことを素直に聞いて、歌詞を最後まで聞き取ったらしいルークが、真っ赤な顔をしてこくんと頷くのを、どうしようもなく可愛いと思いながらアッシュは眺める。前はこれほどじゃなかったはずなのだが、こうも庇護欲をそそられるのは、あちこちが三年前とは変わってしまったオールドラントを肌で感じるルークが、頼るものがアッシュしかいない寄る辺ない子どものような顔をしているからなのだろうか。
いや、今目の前で、赤い顔で俯いているルークは、三年前とも、今朝までともまた違った、憂いを含んだ顔をしている。子どもっぽさを多分に残した顔立ちにはアンバランスな表情だった。
だが、そんな顔は、料理が運ばれて来た途端に別の表情に取って変わられた。
香草の上に軽くグリルされた巨大な大海老が乗せられ、ルークの目の前で、沸騰した油がかけ回される。じゅうっという音と、食欲をそそる香ばしい香りが辺りに漂った。
子どものように目を輝かせてカトラリーを取ったルークだったが、トマトや紫玉葱、キュウリとチーズなどのサラダやレンズ豆のスープ、子羊の串焼き、にんにくや豆やごま、パプリカなどのパテに種無しのパンなどのほか、アッシュの注文品、マッシュポテトがたっぷり添えられたレモンソースのチキンソテーが運ばれてくると、一瞬迷うように目を泳がせた。
なんとも分かりやすいヤツだ、と苦笑する。
「半分づつ食うか。こっちも気になるんだろ」
「えっ、いいのか?!」
「俺もそっち気になる。半分寄越せ」
取り立てて海老が好きなわけではないのだが、そう言ってやると、アッシュが驚くほどルークは嬉しそうな顔をした。そんなにこれも食いたいのか……と苦笑した途端、
「やっぱり、アッシュとおれ、完全同位体なんだな」
と何が嬉しいのか、明るい翡翠の瞳をキラキラさせてアッシュを見上げた。
違いが見付かると嬉しい自分と、同じ部分を見つけて喜ぶルークでは互いに対する気持ちが違うのだろうか。アッシュは少し複雑な気分になる。
「街はどうだった? 結構変わってて、驚いたろ」
「国境が無くなっててびっくりした! マルクト側にマルクトっぽい建物、キムラスカ側にキムラスカっぽい建物、真ん中にケセドニアっぽい日干しレンガの建物ってはっきり別れてる感じだったのに、少しずつ混じってきてるんだな」
「ケセドニアはいま、アスターを初代元首として独立する動きを見せているからな」
「そうなんだ。いいな、それ。もっともっとたくさん国があったらいいのに」
「なんでだ」
「だって、どっか二つの国が戦争したって、世界が滅びるかってほど大げさなことにならなそうだしさ。止められる力を持った国もたくさん出来たらなー」
そんな単純な、とアッシュは思いつつ、突き詰めて考えていけば意外に真理を突いているかもとも思う。子供の発想は時に侮れないものなのだ。
「国境が増えると、旅が面倒になるぜ?」
「あー……」
それは嫌らしい。アッシュは思わず苦笑した。
街の感想を楽しそうに話しているルークにいちいち相槌を打ちながら、アッシュは 音も立てずにナイフとフォークを使うルークを見ていた。彼は海老を殻から少しずつ切り取って、上品に口に入れている。エルドラントでも思ったことだが、こうして改めて「正しいマナー」を目の当たりにすると、自分は随分崩れてしまっているな、と気付く。ルークは市井に紛れ込んでいても、何か品の良い、おっとりした雰囲気を纏っていて、見る人が見れば、貴族の坊ちゃんのお忍びだと思うのではないだろうか。
対して自分はというと、どこからどう見ても血と死臭がコロン代わりの軍の犬そのもの。ローレライ教団の騎士団ということで、キムラスカやマルクトの国軍よりも一般人に対しては聞えが良いが、やってることは変わりゃしない。その上彼の所属は教団の暗部そのものといっていい特務師団。預言が無くなったあとは少しずつ役割を変えていってはいるが……。顔が似ていなければ、これはどういう二人組だと、さぞかし好奇心を煽ったことだろう。
しばらくルークの食べるのを眺めてから、アッシュはおもむろに腕を伸ばし、彼の食べかけの海老を掴んだ。驚くルークの視線の前で、手を油まみれにしながらバキバキと分厚く、固い殻を外していく。適当な大きさに海老を千切ると、その身で直接ソースを拭ってルークの口元に差し出した。
「──えっ?」
ルークは仰天してアッシュと手づかみの海老を見比べた。これを、一体──?
「食え」
焦れたように身が振られ、アッシュの掌から手首の方へゆっくりと油が伝うのに気付いて、ルークは頬を染めながら慌てて口を寄せた。身とソースと一緒にアッシュの指まで舐めてしまったことに気付いてちらりと上目遣いにアッシュを見ると、アッシュが少し驚いたような顔でこちらをみていた。ルークと目が合った途端、気まずそうに目を逸らしたのだが、目元が少し赤くなっていて、ドキリとしたのはお互い様なのだと少しほっとする。
「美味い!」
ルークは思わず目を丸くした。何故? さっきまで食べていたものと同じもののはずなのにどうして味が変わっているんだろう?
「多分、金属の味が付いちまうんだろう。郷に入りては何とやらというし、この方が美味い」
「うん」
マナーの教師が見張っているわけでもないのに、ルークは非常にドキドキした気分でそっと周囲を窺い、おもむろにカトラリーを置いた。手づかみになると、途端に不器用な食べ方になってしまったルークに、アッシュがそっと苦笑したのに気付き、ルークはむう、とアッシュを睨みつけた。ルークと比べ、チキンの骨を関節のところで折っては引きちぎるような野蛮な真似をしながらも、アッシュにはどこか貴族的な匂いがある。アッシュは十年以上前までしかバチカルにはいなかったけれども、その身に流れるバチカル貴族の血に染み付いたものまでは、おそらく消せやしないのだ。ルークがアッシュにどうしても敵わないことは多く、悔しさを感じることも多いが、同じ男としてカッコいいと思うところ、憧れるところは、実はこういう部分なのだと、ルークはふと、思った。
アッシュがワインではなくビールを頼んだこと、酔った船乗りたちが美味そうにジョッキを傾けていることから、なんとなくルークもワインではなくビールにすることにしたが、これは大正解で、きりきりと冷やされて微かに発泡するビールが口の中をさっぱりさせてくれる。
「どれもすげー美味いな。全然知らなかった、こんな店。前からあった?」
「ああ。だが女連れでは近寄ることもなかったろうな」
「……そうかも。おれの知ってるケセドニアって、まだまだほんの一部なんだな。知ってるとこも、随分変わってたけどさ。店が新しく出来てたり、路地が消えてたり」
「新しい店というと、白薔薇と紅薔薇の庭に行ったって?」
「あー……うん。庭でめし食ってるような、面白いカフェだな。同じ顔の人が二人ずついて、びっくりした」
「被験者とレプリカが一緒に働いてるってんで有名な店だが、実は雇われてるのは双子の姉妹の方が多い。被験者とレプリカもいるにはいるが……この両者が互いに互いの存在を知っていることは、まだそんなに多くねえからな」
「そっか。そうだよな……」
ほとんどのレプリカは被験者にそれと知られず秘密裏に、しかも無作為に造られたのだから、自然に両者が出会う確率は限りなく低い。何も知らないレプリカから、被験者の身元が分かった場合は、一応被験者に──生きていれば──或は家族に連絡が行くようにはなっているということなのだが……。
「オーナーは被験者とレプリカ、二人だ。経理は被験者、メニュー開発はレプリカ、調理は二人でやる。その他のこともおおむね二人でやってるようだな──仲良くとはいかねえが」
「……なんで街のカフェの中のこと、アッシュが詳しく知ってんだ?」
さすがにスープは手づかみで食べるわけにいかず、程よい塩気とにんにくが効いた具沢山のスープを専用のスプーンですくいながらルークが尋ねる。ほのかなビネガーの酸味に、目を丸くした。
「今のところ、特務師団の監視下にあるからだ」はちみつをたっぷり塗った子羊の串焼きを食いちぎりながら、アッシュは実に苦々しい表情を受かべた。「駆け落ちして、ケセドニアまで逃げて来たレプリカを被験者が追いかけてきて、男を取ったの取られたので往来で刃傷沙汰まで起こしやがった。女二人の大喧嘩に一分隊が割かれて仲裁に入ったんだが、それが呼び水になって、街のあちこちで被験者とレプリカが殴り合いを初めて、とうとう第六師団から二個中隊が出動するはめになったんだ」
「……そ、そ、それでどうして一緒に店やったりしてんだよ?」
「俺が知るか。斬り合いして分かり合ったんじゃねえのか」
「……レプリカと駆け落ちしたってヤツは……」
「逃げた」
「はあ?」
「顔は同程度の美人で──というより、全く同じ顔で……肌の色が少し違うかも知れねえ──気の強い女王様である被験者、おとなしくて清楚……に見えるレプリカ、男は女王様に疲れ果ててそっちに乗り換えたわけだが、蓋を開けりゃなんてこたねえ、両方とも同程度の悍馬だったってこった。しかも揃って男の趣味がわりい」
「……」
「仲がいいのか悪いのか、相変わらず掴み合いの喧嘩ばかりしてやがるが、どっか気の合うところがあるんだろ」
「……おれたちに少し似てるのかな」
ごとん、とアッシュが食べかけの串を落とし、ルークが慌ててごめんと謝った。
「まあ、被験者とレプリカ、互いに溜め込んだうっぷんが少し晴れたのか、そのあとこの街に限っては両者の間のトラブルが少し減ったから、結果としてはそう悪くもなかったんだが……」
この間まで──とはいってもルークの「この間」は三年も前だ──ひどい差別を受けていたレプリカの扱われ方が、そう劇的に良くなっているとはルークも思っていなかった。むしろ、思っていたほど悪くないことに驚いたくらいだったが、この街ではそんな理由もあったのかと思うと少し笑える。そのカフェで、ルークは公演開始までの時間つぶしも兼ねて朝昼ご飯を食べたのだが、大きなトレーにあれこれ盛られた料理はどれも美味しかったし、食後に出たお茶は茶葉も良く、丁寧に淹れられていた。サービスに付いて来たコロンとした焼き菓子もこれだけで売ってくれればいいのに、と思うくらい美味しかったのに、値段はそれほどでもない。二つずつある同じ顔の従業員は、もの馴れないルークに気さくにあれこれ話しかけてくれた。厨房から聞こえて来た凄まじい罵り合いには少し引いたものの──あれが斬り合いをしたというオーナー二人なのか、従業員も客もみんな笑っていたから、きっともう慣れた光景なのだろう──居心地は悪くなかった。常連が多くたむろする店で、ここは重要なところだ。
この街は、昔から両国の民を平等に迎え入れ、独自の発展を遂げた分、排他的なところが元々少ないおおらかな街だ。良いものも、悪いものも、不思議なものもまるごと受け入れてしまう──。
「あっ、そういえば! ありじこくにんのいた路地、無くなってたな!」
「ありじごくにん?」
アッシュが笑っていいいのかどうなのかというような曖昧な表情をしたので、ルークはむっとして言い募った。
「おれ、会ったんだよ、ここに最初に来た時に! おれだけじゃねー、皆で会ったんだぜ?!」
「だが、あれは……。お前の仲間はなんて言ってんだ?」
「……っ」
唇を噛んでそっぽを向くルークを見るに、仲間は皆だまされなかったと見える。ありじごくにんに扮した何ものかを、おそらくルークだけが純粋に信じてしまったのだろう。
全く、この可愛い、珍妙な生き物と、一時でも自分が「同じもの」だと思っていたとは……。
微妙な顔をしたままのアッシュの前で、ルークがふてくされてそっぽを向いた。