Close your eyes if you feel it 02

「……どこだって?」
「『白薔薇と紅薔薇の庭』と劇場です」
「よりにもよって、なんでそんな濃い場所にばかり……」
「レプリカのことを知りたいとおっしゃったそうで。この街で、今そんなことを聞かれたら、誰だって真っ先にその二つを思い浮かべます。支部で聞かれれば保護施設へご案内することも出来ましたが……。ふらっと朝食に出られて、思いつきでお尋ねになったんでしょう。おまけに倒れられた時には、目の前でレプリカごっこの子供たちがチャンバラをやらかしてましてね。閣下に言うのもなんですが、昨今流行りの、シンダーとルクス、世直し道中の」
「……」
「ま、男のガキがやることなんで、たかが知れてますがね。こないだ目撃してしまったような、ませた少女たちのレプリカごっこに比べれば、随分とマシといいますか」
「慰めになンのか、それ……」
 それを目撃してしまった時の、まさに血も凍るような恐怖を思い出したらしく、アッシュはどんよりと顔を曇らせ、一度ぶるりと身を震わせた。
「閣下」
「なんだ」
「ルークさんは……いえ、この方は本当に、閣下のレプリカ、ルーク・フォン・ファブレ様でいらっしゃるのですか?」
「どうした、急に」
「……いえ。この服、三年前、閣下が良く着ていらしたものですよね」
「……そうだったか?」
「この服を着ているルークさんを見ると、まるで……」




 遠く近くにぼんやり聞こえていた声とともに、額に冷えたタオルが当てられ、ルークは目を覚ました。
「……ッシュ」
「起きたか」
「……ここ」
「まだ横になってろ。熱があるんだ。──宿舎のお前の部屋だから、安心していい」

 ルークはぼんやりと周囲を見回し、部屋の中にアッシュ以外の人影を見つけた。肌の色が濃く、シャルトルブルーの瞳が澄み切った笑みをたたえている。目が合うと、真っ白な歯がこぼれた。昨日、特務師団の控え室で見覚えがあった気がして、横になったまま軽く会釈をすると、ますます笑みを深くして、会釈を返してくれる。感じの良い笑顔に、思わずルークの顔も綻んだ。
「ドゥイリオ・サラザーレ響手であります。劇場の横で倒れられたんですよ。発熱していらっしゃるようでしたので、医務室にお連れして、師団長をお呼びしたんです」
「あ、ありがとうございます」
「いえ。では無事に目も覚まされたし、俺はこれで。皆心配しているようなので、無事だと知らせてやりますよ」
「ああ。すまない」
「いえ」

 ドゥイリオが退室すると、大きな溜め息をついて、アッシュがベッドの縁に腰掛けた。ぎしりとマットが沈むのに、思わずルークが身体を固くする。
 アッシュが手を伸ばし、安心しろというように、頭を撫でた。
「疲れが溜まっていたんだろう。薬を打ってもらっておいたから、そのうち下がると思う。多分、その身体には、お前が思うほど体力がねえんだ。……すまねえ、 白薔薇紅薔薇はともかく、劇場には近寄るなと言っておくべきだったな。──暗闇の夢のチケットはなかなか取れねえから、油断していた」
「……ノワールに会って」
「──ち。そういうことか」
 アッシュは痛む頭を抑えるように額に手を当て、深い溜め息を吐いた。
「アッシュが部屋まで連れて来てくれたのか?」
「医務室からはな。お前を保護して、支部まで抱いて来たのはサラザーレだ」
 ルークは今更のように、ドアの方に視線を向けて、嘆息した。「おれ、重いのにな。もっとちゃんとお礼を言えば良かった」
「それほどでもなかったぜ。筋肉ねえしな。あいつは馬鹿力が売りのやつだから、気にしなくていい。──水は」
「あ、うん」
 軽く上体を起こしたルークの背に腕を回して支えてやり、冷えた水が入ったグラスが渡された。額に張り付いたタオルがひょいと摘まれる。
「二年前に公演が始まったときには、お前の仲間たちは招待客のくせに途中でノワールのところに押し掛けて、裏口から出してくれと号泣したそうだぞ。……と考えるとショック熱の類いでもあるのかもな」
「……わかるよ」ルークは疲れたように笑い、アッシュを見上げた。「お前も観たのか?」
「……まあ。ヤツら、犠牲者を増やしたかったのか、俺に何の情報も与えず劇場に放り込んでくれやがったからな」
「そか。……あのさ、ガイとマリィさんのところはともかく、お前とおれ、なんだっけ、シンダーとルクス? あれはひどくね?」
「ガイは逆のことを言っていたがな」
 ルークが水を飲み終わると、アッシュがひょいとグラスを取り上げ、ゆっくりとルークをベッドの上に横たえる。額の熱さを確かめながら、氷水を張った琺瑯の洗面器でタオルを濯ぎ、固く搾ってルークの額に乗せた。
 ひんやりしたタオルの心地よさに、思わず目を閉じて、ふう、と息をつく。

 元六神将「鮮血のアッシュ」が甲斐甲斐しくレプリカの世話をしているなどと、到底信じられるようなことではないのだけれど、なぜ自分はやっとあるべきところに納まったように安らいでいるのだろう。ここは本当に、アッシュとルークが命を懸けてローレライを解放したのと同じ世界なのだろうか。一番不思議なのは、そんなふうにアッシュが世話を焼いてくれることを、当たり前のように甘受している自分自身だ。

「アレでも、人とレプリカの関係改善のために一役買ってんだ。そう、毛嫌いしてやるな」
「……ああ、ノワールもそう言ってたな……。だけどお前、あんな人物のモデルにされて、腹立たねーの? 嫌じゃねーの? おれと……。だって……だってさ、あれじゃあ、まるで」
 額のタオルを掴んで赤い顔を目元まで隠し、絞り出すように声を出すと、宥めるようにぽんぽん、と頬を軽く叩かれる。
「二組の『恋愛模様』と評した新聞もあったらしいな。『恋か友情か』二派に分かれてかなり論争もあったとか。当事者が二人とも行方不明だったから、好き勝手なもんだ。俺の帰ってくる前の話で、俺は読んでねえんだが」
「……」
 アッシュの話に、余計ショックを受けたような顔をしているルークをちらりと見て、アッシュは大きく息を吐いた。
「……お前は嫌だろうが……すまねえ」
「え? なんでアッシュが謝るんだよ?」
 驚いてアッシュを見やると、深いフォレストグリーンの瞳が、奇妙な光をたたえてルークを見つめていた。だが、視線が合うと、それは痛みを堪えるように伏せられた。
「……あの芝居の登場人物の中で、俺に限っては、事実無根じゃねえんだ。台詞回しはどうしようもねえが、シンダーの行動と台詞は、あの時の俺の心情、そのまんまなんだ」
「──アッシュ?」
「ノワールに、見抜かれちまってたらしい。──すまん」
アッシュはルークの顔を見ることすら出来ないというように、徐々に暮れてゆく窓の外に視線を転じた。




 初めて劇場に放り込まれた時の衝撃を、どう語ればばいいのか。
 ルークの仲間たちは、ガイ同様におもしろおかしく性格を弄られた可哀相なアッシュ、ぐらいに思っていたようだったが、アッシュは彼らやルークとは逆に、最後まで席を立つことが出来なかった。そのぐらい衝撃をうけたのだ。
 台詞自体は大仰で、おかしな抑揚がつき、聞けたもんじゃなかったが、障気を晴らす方法を知った後のシンダーの行動、台詞は、あのときのアッシュの心情をまるきり辿ったもの。──いや、最初からシンダーが己のレプリカを憎んでなどいないことを鑑みれば、モデルのアッシュよりはるかに出来たキャラクターだと言えるかも知れない。彼の行動や言動は、アッシュ自身がそうしたかったと、そうすれば良かったと後悔しているそれそのものだ──。
 一緒に行動することも多かったのだから、行動自体はむろん知られているのは分かっているが、なぜ気持ちまで正確に再現されているのか。そんなに自分は分かりやすかったのだろうか。

しかし、後に会ったギンジやノエルは、笑いを堪えているのがあからさまながら、同情と労りに満ちた慰めの言葉をかけてくれたし、ウルシーとヨークはアッシュの顔色を見るなり飛び上がって土下座をし、自分たちがいかに、これはやりすぎだとノワールを止めようとしたか、必死で言い訳していた。皆、被験者とレプリカが歩み寄るために、脚本が「ほんのちょっぴり」事実を歪めたものと思っているようだった。

観客が残らず出て行ってもアッシュは席を立てず、やがて「気に入ってくれたかい」と声がかけられのろのろと振り返ると、壁際に面白そうな顔をして、腕組みしたノワールが立っていた。その顔を見て、脚本がたまたま事実を当てたのではなく、やはり確信の元に書かれたことを、アッシュは悟った。
「……やってくれたな」
「あらん。……お礼のつもりだったんだけどねえ? 世界を救ってくれた」
「……それは、俺じゃねえ」
「だから、あの坊やへのさ」
「……?」
 相変わらず、この女のことは良く分からない。
 だがこれ以上文句を言ったとしても、のらくら逃げられるだけなのだろうと思うと、肩から力が抜けた。
「……台詞回しは気に入らねえが、それなりに興味深かった」
「おや? アッシュ、あんたのことだから、てっきりもの凄く怒り出すと思ってたんだけど……。恋は偉大というか……ふうん」
「……」




「……アッシュ?」
 心配そうに掛けられた声に、アッシュははっとしてルークの方に視線を戻した。
「すまん。……お前の仲間たちは、誰も信じちゃいねえから心配はいらねえ。一般の客のことは、なるべく気にしないでもらえるとありがてえんだが」
 アッシュは本当に申し訳なさそうな表情をしていて、ルークはエルドラントで目を覚ましてから、アッシュらしくない表情を何度見ただろうかと思いつつ、素直に頷いた。あれほど嫌だと思ったのに、アッシュが気にしないのであれば、別にいいと思えた……元より自分にぐずぐず文句を言う資格があるのかどうかも分からないし。

あまりにも素直に引き下がったルークを、アッシュは一瞬目を細めて、探るように見つめたが、結局苦笑して、くしゃりとルークの髪をかき回した。
「お前には、俺のせいで嫌な思いばかりさせてんな。だが、ありがとう。──俺は仕事に戻らなきゃならねえが、お前一人で大丈夫か」
「……? 当たり前じゃん」
「そうか。……何か欲しいものはあるか? 食いたいものは?」
「今はいらねえ。仕事終わったら、めし、行こう? 昨日、一緒に食うって言ったのに、おれ、寝ちまったから」
「熱は」
「こんなん、大したことねー」
「……わかった」

 ……本当は、具合を悪くしたときや怪我をしたときなどに、ルークは一人になったことがない。知らない場所で、全く心細くないと言えば嘘だ。だが、一人にさせるのは不安だと言わんばかりのアッシュへの極僅かな反発心と、仕事中に駆けつけて来てくれた彼に、これ以上の迷惑をかけたくないという強い気持ちが、ルークに虚勢を張らせた。






 2011.04.19