「久しぶりだな、ディスト!」
 声をかけて向かいに座ると、ディストが頷いてまじまじとルークを見つめた。見つめる、というより観察に近い視線に思わずたじろいだが、ディストはややあって大きくため息をつき、「すみません」と呟いた。
「……もうわかったと自分に言い聞かせ本まで書いておきながら、私はまだどこかでネビリム先生のことをあきらめられていなかったんですかね。あなたに実際に会うと、どうしてもアッシュとの類似点を探してしまいます。──お恥ずかしながら、私はあなたに正面から向かい合った記憶があまりなく、今初めてじっくり顔を見せていただきましたが、こうしてみると、あなたは三年前のあなたには見えるけれども、三年前のアッシュにはあまり似ていなかったのですね」
「ケセドニアでもアッシュの仕事仲間全員から言われたよ。三年前はお互いに鏡像みたいだって言われたのにな。……ジェイドから聞いてるかも知んねーけど、これ、三年前の身体と違うんだ。そのせいじゃね?」
 ルークがそう言うと、ディストはきっぱりと首を振った。
「三年前のあなたには見えると言いましたよ」笑みさえ浮かべたその顔は、彼をずっと駆り立ててきたネビリムの名に、口で言うほどの執着心はすでにないように見えた。「来てくれてありがとうございます。わかってはいましたが、私にはなんらかの区切りが必要でした」
「……うん。わかるような気がする」

 なにかをあきらめるとき、決断するとき、最後の一押しが欲しいことがある。それがなんだったのかはわからないが、ルークに会うことでディストが前を向いて歩き出すなにかのきっかけを得ることができたのなら、それだけでここに会いにきて良かったと思える。

「……ベルケンドで検査を受けたと聞きましたが、大爆発はどうなっています? レプリカ情報の欠損が完璧に修復されていたとアッシュは言っていましたが」
 問いは、研究者の興味と言うよりルークを気づかうようになされ、本当にジェイド以外のものに目が行くようになったんだなとルークは笑った。
 アッシュから抜かれたはずのレプリカ情報が欠けることなく戻っているとわかり、全員がその意味を考えて青ざめた話を、シュウやアニスたちからルークは何度も聞かされた。今となっては喜ばしい話なのですが、と。
「うん、おれのほうも問題なし。まったくの健康体だってさ。完全同位体ってことは変わらなかったけど、今のところアッシュに大爆発を起こす要因はないって。けど、完全同位体のことって完全にわかってるわけじゃないから、これからもずっと定期的に検査は受けなくちゃいけないみたいだ」
 ルークの返答に、ディストは鼻を鳴らした。「結局、一生管理されることからは逃れられないというわけですか」
「その他のことはおれの好きにしていいって言われてるんだから、別に自由がないってわけじゃないぜ? 健康管理も出来て、一石二鳥なんじゃないかな」
 負け惜しみではなく、それは本音だったので、ルークはディストをなだめるように笑って見せた。
「そういう考え方は嫌いではありませんね!」ディストは何度も大きく頷いた。「ピオニーから聞きましたが、私の本を読んでくれたんですって? わからないところはありませんでしたか」
「うん。おれ、頭わりいし、時間はかかったけどな!」ルークは首を振って、ここに来るまえに荷物から出してきたディストの著書をテーブルに乗せた。あちこちに付箋がのぞいているのを見て、ディストも努力家の生徒を見つめるように目を細める。
「バチカルに戻る前に、ケセドニアの街を見たんだ。なんか不思議なかたちで被験者とレプリカが一緒に住んでて……驚いた。ほんのちょっと前まで、レプリカはすごい差別されていたし」
「今でも差別は多いですよ。むしろケセドニアが特殊な例です。あそこの住人は昔からマルクトとキムラスカ、両国の人間を柔軟に受け入れてきましたから、異質なものにも寛容なところがあるんです。それでも差別は依然としてあります。特に刷り込みを受けたレプリカは表情に乏しく、人の苛立ちを誘いやすい」
「刷り込みを受けたレプリカでも、ものすごい表情豊かな人を知ってるんだけど……」
 ルークはすぐにオフェリアを思い浮かべた。彼女は表情どころでなく、喧嘩の際のののしり言葉も語彙が豊富そうだった。被験者とレプリカ二人で経営しているというのがもう有名になってしまっているし、多くの人が白薔薇──オフェリアの方がレプリカであると知っているが、まったく知らない人が見ればどちらがそうなのかどころか、レプリカであることも見抜けないはずだ。
「感情がないわけではありませんからね。被験者と多く接するレプリカは、それだけ表情が出やすくなる傾向にあります。そう言う意味でもレプリカの街の建設を早い段階で中止したのは良かったんでしょう。住み分けは真の融和を阻む、その通りですが、まさか言い出しっぺがアッシュとはねえ」
「あー、うん。そうなんだってな」とルークは頷いた。それをティアから聞いたとき、ルークはなにかの衝撃に貫かれたように震えた。問題点も多いとアッシュが言っていたが、数多くの問題点がきちんと把握されつつあるということこそが、レプリカに対する理解が進んでいる証拠なのだと思う。

「──それより、なんか私に言いたいことや聞きたいことがあるんじゃないですか?」
「えっ、なんで」
 ディストはテーブルに置かれた己の著書を顎で示した。「付箋の場所で、あなたの興味がどこにあるかわかりますよ」
 わかる人にはあからさまらしいその付箋の挟まった天や小口を隠すように慌ててひっくり返し、ルークは顔を赤らめた。
「ネビリム先生のレプリカに対面して、そして多くの被験者とレプリカに会い、レプリカというものが当初私やジェイドが思ったようなものではないことがようやくわかったんです。人は無機物とは違う。生命というものは、結局人の手に負えるものではないとね。そうして改めて両者の関係を考えてみると、そのように捉えるのが一番無理がないように思えました。同位体だ、完全同位体だと言ったところで、人をかたち作るのは結局のところ遺伝子なのですし」
 ディストは自分の本を軽く示して言った。
「──屋敷で簡易版を読んだって子も、本の内容にすごく納得がいくって言ってた。レプリカって被験者そっくりにできるって思ってたのになんか違くね? ってみんな思ってたんだって。おれとアッシュ両方見てるから」
「ああ……あれは確かにわかりやすくなっていましたね。このように書けば良かったのかと良い勉強になりました」少し悔しげにディストが言うのに、ルークもははっと笑った。負けず嫌いは相変わらずのようだ。
「おれは……やっぱり最初はちょっとやだなあって思ったよ──それはわかるだろ?」正確にいうと、新たに示されたその関係性がいやなのではなく、それによって自分とアッシュの関係性も変えて行かざるを得ないのではないかと思うのがいやなのだ。
 ──もしかしたら、アッシュの気持ちを真っ向から切って捨てざるを得ないから。
 結局応えられなかったとしても、それはあくまでルーク自身の意思であるべきだ。あの芝居を観た今、それがせめてもの誠意ではないかとルークは思う。

 ルークは膝の上で手を揉みしだきながら部屋の隅に立つ兵士をちらりとうかがった。彼はルークたちの方を見てもいず、まったくの無表情で虚空を見つめて立っている。背景の一部に空気のごとく溶け込んだその姿を見て、ルークは息を吐いてディストに向き直った。
「なんですか? 遠慮なくおっしゃい」
 ディストは最後に至るまで敵であり、親しくはなかった。だからこそ誰にも相談出来ないことをしてみようと思ったのだが、いざとなると言葉が出ない。ルークはしばらく口ごもり、時間稼ぎのように口を開いた。
「あのさ。ディストは『暗闇の夢』のお芝居、見た?」

 ルークはケセドニア滞在の最後の日、『暗闇の夢』の公演を最後まで観た。アッシュが「当時の自分の心情そのまま」だと言った被験者シンダーの行動、言動を、アッシュの告白通り素直に自分に向けられたものとして。そうして自分の辿った道のりを思い出してみると、アッシュの見返りをまったく期待していなかった好意と愛情には今更のようにおののくばかりだった。
『大爆発』を誤解したままのシンダーのその深い気持ちに、彼のレプリカ、ルクスが何一つ気付かないまま、舞台の奈落に消えて幕が下りたとき、ルークは初めてこれを観たとき立ち上がれなかったと言ったアッシュと同じように、他の大勢の観客と一緒に静かに泣いた。芝居ではシンダーの、アッシュの『愛情』は兄弟やたった一人の同胞に向けたもののように描かれている。だが、脚本家自らがそこに違う『愛情』を絡めて描いているのを、深読みするものならば当然読み取ったであろうし、だからこそ「恋か友情か」などという話題にもなったのだろう。そこに描かれているもの、アッシュのルークへ向ける愛情は、実年齢が七つにしかならない自分が受け取るものとしては本当に重い。応えるにしろ、断るにしろ、生半な覚悟ではならないと思う。
 だが、少しずつ明るくなってゆく客席に、止まる気配のない涙をこぼしながら留まったまま、それでもアッシュの気持ちが嬉しいと思う気持ちがびくともしないことに、ルークは逆にほっとする思いだった。一体他の誰が、自分のために──レプリカのルークのために、命を落とす覚悟をしてくれるというのだろう。そこまでの心を捧げてくれるというのだろう。
 気付くとノワールが隣の席に座り、頬杖をついて優しい横顔を見せていた。
「ありがとう、ノワール」頬を伝う涙もそのままに、ルークはノワールに微笑みかけた。
「……途中で逃げ出すほど、酷い芝居じゃないだろう?」舞台の方へ視線を向けたままノワールが囁く。
「うん、ごめん」ルークは素直に頷いて、涙を拭い、くすっと笑った。「このお芝居、被験者とレプリカの融和に一役買ってるって言ってたけど……。なんかちょっと自意識過剰かな、おれ。なんだかおれに見せるためのお芝居みたいに思えたよ」
「坊やはやっぱり、アッシュ坊やよりは敏いね」
「じゃ、やっぱりノワールは、アッシュの気持ちをおれにわからせたかったんだな?」
「まあね。坊やはなんだかアッシュ坊やを敬遠してるように見えたし……。少しくらい、アッシュ坊やの献身を知っとくべきだって思っても仕方ないだろう?」
「ずっとアッシュと行動してたノワールたちが、おれよりアッシュに肩入れするのは当然のことだもんな」ルークは満足そうに薄らと笑んだノワールの横顔を見つめて、真摯に言った。「おれ、こないだまではアッシュに好かれていないって思ってたから。なんだか信じられない思いもある。本当に別の世界へ来ちまったみたいだなって思う。けど、アッシュの気持ちはすごく嬉しい。……嬉しいけど、ここまでの気持ちを向けてもらうのに、おれはふさわしくないような気がする」
「関係ないさ。人は自分の愛したいように相手を愛する。アッシュ坊やも同じさ。その気持ちを返すも返さないも坊やの自由」
 ふう、と息をついて、ルークは座席に深く身を沈め、天井を見上げた。「おれ、まだわからないんだ。まだ……ちゃんと自分の気持ちが整理出来てない」
「待たせときゃいいのさ。いい女はいつだって男を待たせるものだよ。──ま、坊やは女じゃないけど」
 話は終わったとひらひら手を振って立ち上がったノワールに、ルークは慌てて声をかけた。「おれが戻ってくるって信じていてくれてありがとな、ノワール」

 芝居が上演され始めたのは、アッシュの帰還前のことだというから二年以上前の話だ。そのころから、ルークに真実を教えてくれるためのお芝居はゆっくりと被験者とレプリカを混じり合わせながら、たった一人の観客を待っていたのだ。
 アッシュのためにも還って来て欲しい、せめてその心を知って欲しい、そんな祈りを込めて。


というわけで、大爆発はもう大丈夫設定でw ご都合主義万歳( ̄∇ ̄) (2012.07.24)