【02】
おれがいた未来の暦と、遡って放り出されたここの暦とじゃ日付に少々のズレがあった。だっておれが死んだのはルナリデーカンだったけど、ここに来たときにはシルフリデーカンの半ば過ぎだったもん。それでもここで三ヶ月近く過ごせば、おれはどっちの暦でも十八(正確には八つだけど)になったってことになる。
迎えられないはずだった歳になったんだ。
こっちの暦で誕生日を迎えた朝、おれは鏡に映る顔を見つめて呆然とした。どんなに似てたって、鏡の顔はおれの顔でしかない。正確な誕生日がわからないおれに、「俺の誕生日をお前の誕生日にすればいい」と言ってくれた本人が、この日を迎えないまま逝ってしまった事実が、胸に重くどんよりと沈積していく。中途半端に面影の残る自分の顔が、ひどく忌まわしかった。
すぐに追っかけるつもりだったのに、今すぐには出来ない。また一人ぼっちになっちまったんだなって、寂しくて少しだけ涙が出た。
毎朝ちびに剣を教えて、昼食やおやつを作ってやり、あとは家庭教師について勉強するちびの後ろにずっと控えてるだけの平和な日々でも、時間が経つのはとても早く感じる。十年、いや、五年。そのくらいあれば、成長期のための下地ぐらい出来るよな。そのくらいすぐに経つはず。きっとあっという間だよ……。
きっとちびも気に入るだろうハンバーグ(おれが好きだから!)の話を料理長にしたところ、ぜひ作ってみて欲しいということで、今日厨房に肉屋でしか使わないような巨大なひき肉機が届いた。お安い合い挽きミンチをちょっとだけ買ってもらえれば良かったんだけど、屋敷にはいつも食材がまとめて届けられてるから無理だったんだ。せめて無駄金使ったと言われないよう、ひき肉使った料理をもっと考えよっと。
牛肉と豚肉の少し脂身の多いとこを七対三で合い挽きにしてもらったんだけど、牛肉は普段ステーキで食ってるような最高級の牛肉だったし、豚肉も特別な飼料で育てられた特級品。こんなハンバーグはきっとここでしか食えねえよな。アニスが聞いたらなんていうだろうと思ったら、ちょっと笑えた。
おれのレシピはひき肉百グラムに対して玉ねぎ大半個分。
大量の玉ねぎはもちろん、食費を少しでも浮かせるためだ。
とりあえずちびとおれの昼食と、厨房を快く貸してくれるみんな──ハンバーグなんか食ったことない連中が多い──にも味見のためのお裾分けをしようと、材料は大量に用意した。大玉十個分の玉葱みじん切りは切るのも炒めるのも大変だったけど、なんとか冷めた玉葱をひき肉やナツメグ、塩胡椒、卵やミルクでふやかした柔らかいパンと一緒に練って練って練りまくる。ここで手を抜くと美味くないので、とにかく肉が糸引いてふんわりしてくるまで練る。
いざ丸める段になって、思いつきで中にチーズも入れた。熱が加わるととろ〜っと溶け出すやつ。すっげうまいんだ! それにちょっとでも太らせなきゃならねーし、カロリーアップだ。
もっともこのところ剣の稽古に身体が慣れて来て、ちびが一度に食べる量も少しずつ増えてきている。最初は終了と同時に倒れ込んだりゲロったり、熱を出して食欲を失ったりと大変だったんだけど、逞しくなったもんだ、うん。
ちびは父上タイプのマッチョにすげえ憧れを持ってるらしくて、暇を見つけるとすぐ筋トレに走りたがった。……ムキムキアッシュか。うーん……。一体どうしたアッシュ、お前貴公子系じゃん。いや、もちろん剣を使うんだし、鍛えられた筋肉はおれなんかよりずっとしっかり乗ってたけどさあ。
……いや、ちびはアッシュとは違うんだから、不思議はないのか。でもほどほどにさせねえと、筋肉はあんまり付きすぎると女の子にモテない。──らしい。アニスやティアがそう言ってた。ま、あんまりモテなくてもおれはもっと盛りたいけどな。
ゆっくりでいいのに、なんだってあんなに焦ってんだか。モテるモテないは冗談としても、ちっせー頃からあんまり筋肉を付けると背が伸びないっていうし、おれが適当に手綱引いてやらなきゃな。
一度、真っ直ぐに伸ばした腕の先に重たい本を何冊も乗せて、ぷるぷるしながら自分の部屋に運んでいるのを見た。……本人は真剣なんだろうから、おれは即座に物陰に隠れてやりすごしたんだけど、爆笑を堪えるのに結構苦労した。
──うん、まあ、あんな風に日常生活に使う筋肉を少し意識して鍛えるくらいなら問題ねーだろ。けど、不思議ちゃんというか、どっか天然っぽいのはどっちのアッシュもおんなじなんだな。
身長に関してまだ望みが持てると思うのは、一つには、父上がかなり大柄な方だってこと。骨太だし、筋肉の付き方もおれとは違う。アッシュがそういうとこだけ母上似だった、って可能性もないことはないけど、顔とか性格とか見てると父上の遺伝子の方が濃そうなんだもん。公爵子息でありながら、アッシュがほとんど栄養失調気味の子ども時代を送ったってことは、聞いた話からも、ちびの体格から見ても間違いねーから、今のうちから色々気を遣っていれば、前より伸びる可能性は絶対低くない。
もう一つには、アッシュもちびもミルク嫌いじゃないってとこだ。ちびはむしろ意識しているのか、お茶よりも良く飲んでいる気がする。おれはオエって思うけど。よく飲めるよなー、マジで。ちびはおれの低身長を哀れんでかおれにも飲め飲め薦めてくるけど、この年(ってのも変か。十八の年の身体、ってことだ)になっちまったら、おれはこっから先あんまり希望持てねーもん、必要ナシだ。
焼き上がったハンバーグはそれぞれ皿に盛り、フライパンを洗わずにソースを作る。ソースはケチャップベースが一番おれ受けするからちびも同じはず! ハンバークを焼いた後のフライパンにバターやらワインやらあれこれ足して、少し煮込んだら出来上がりの簡単なソースだ。デミグラスソースとかおろしポン酢、照り焼きもいいけど、おれはこれが一番好き。玉葱だらけだから冷めても硬くなんねーし、弁当にもいいんだよな。
ハンバーグは元の肉の違いがあからさまに現れてて、めちゃくちゃ美味かった。
厨房のみんなもちょっとびっくりしていて、このタネをトマトやピーマンに詰めてもいいし、キャベツで巻いても、レンコンやかぼちゃに挟んでも良いと言うと、ああしてみたいこうしてみたいと盛り上がった。
ひき肉機導入による、厨房を上げての大騒ぎのあと、ちびの昼ご飯(父上がいたら、多分一緒に食べたがったと思うんだけど、今はベルケンドに戻っておられて留守なんだ。基本母上は昼食を食べない。っていうか、基本この家で昼を食うのはちびとおれだけだからなー……。ちびはおれが来るまで食ってなかったみたいだけど)にそれを出したら、ちびは目をパチパチさせて皿の上を凝視した。
完璧に形成も出来てるんだけど、もしや、見た目でアウト(馬○ぽいとか)? いやいやおれじゃあるまいし食わず嫌いはねーだろ……と思ったころ、ようやくちびが口を開いた。
「これはハンバーグ、だったか……?」
「えっ? そうだけど。……お前、食ったことあったのか?」
「あるわけない。……はずなんだが」
見守るおれの前で、ちびはなにか引っかかっている……といったようすで静かにナイフを入れた。
玉葱の方が多いようなハンバークは、やっぱり肉汁じゅわっとはいかない。でもふわっと柔らかくて、おれは大好きなんだ。
「……おいしい」
唸るようにちびの喉から漏れた声に、当然だとおれは一人頷いた。だってクッキンガーなんだぜ、おれ。そしてお前とおれの好みはほとんど一緒だ。
「おやつも作ってあるから、あとで……ルーク?」
おれはおやつのことを話そうとしていた口を閉じて、急に固まってしまったちびの顔を覗き込んだ。
ちびは困惑混じりの、泣き出す一歩前みたいな顔をして、不思議なものを見るような目でまじまじとハンバーグを見ている。
「──と、なんかまずかった、か?」
「うまいと言ったろう」
恐る恐るの問いかけには、子どもらしくない、嗜めるような返事が返された。ならその顔はなんだよ?
が、ちびはそんなおれの戸惑いを気にした様子もなく、マナーの教本に出てくるような完璧なカトラリーさばきで更に一口分を切り取り、目を見張った。「チーズが入ってる」
「うん……ちょっと思いついてさ。熱いから、口ん中火傷しねーようにな」
「チーズ入りは初めてだ」
吐息のような呟きに、え、とおれはちびの顔を見直した。
ちびは思わずこぼれ出た、という感じの感想に、自分で首を捻っている。「懐かしい味だ。こんな庶民の料理、見たことも食べたこともないと思ったが……。そうか、俺は食ったことがあったのか……」
──アッシュ、いや、ルークが?
キムラスカ随一の公爵家の子息が、ハンバーグ? 料理長さえ名前しか知らない料理だったのにどこで食ったんだろう。
あー、でも、父上は視察ついでに気さくに下町の食堂や居酒屋に忍んでいるようだから、もっとアッシュが小さかったころ息子に食べさせようと連れていった可能性もあるか。絶対子どもが好きなメニューだもん。おれたちが初めて出会ったあの襲撃の時だって、父上は下町で評判のアイスクリームを食の細いちびに食べさせたくて、目立たない馬車でこっそり出掛けていたところを、父上を恨んでるやつらに襲撃されたものらしい。
だけど、いくら下町だって、こんなに玉葱だらけのハンバーグなんて出す食堂があるのかな? これって、懐事情の厳しいパーティの旅暮らしの中で、節約しつつも肉を食った気にさせるために試行錯誤を繰り返したギリギリのレシピなんだぜ? アッシュだってこんな貧乏たらしいハンバーグはさすがに食ったことがなかったはずだ。
──作ったこともねーし……。
仲間たちに気付かれることなく逢える機会はそう多くなかったし、だから極たまに二人で過ごせる夜があっても、互いに料理なんてしやしなかった。そんなことより、他にしたいことがあった──離ればなれになってた時間と距離を埋めるので、おれたちは精一杯だったから。
……アッシュ……。
おれは機嫌良く昼食を続けるちびを見下ろした。
今のおれはファブレ家の使用人で、当然一緒にテーブルに付いたりはしない。今もちびの斜め後ろに控えて立ってるだけだから、髪の隙間から見える、か細いうなじが見えた。アッシュは細身だったけど、実戦の繰り返しとたゆまぬ鍛錬で鍛えられて、腕も足もおれよりは太かったし、肩や首もしっかりしてて、たまにかっちり着込んだ服の首周りが苦しそうに見えたものだ。こんな風に、上まで釦の止められた襟の中で、首筋が頼りなく泳いでいることなんて……。
これは、アッシュ──オリジナルルークだけど、おれの半身とは違う。
ぎゅっと拳を握って深く俯く。
未来のアッシュと、この可愛いちびを同一視することは、双方にとても失礼なことだと思うから、おれはそうしたくないと思ってる。でも、ちょっとした切っ掛けで、ついこのちびの中にアッシュを探してしまうんだ──やばい。鼻がつんとしてきた……。
「なぜ、泣く」
ふいに掛けられた声に、どきりと顔を上げると、食事中のちびの動きが止まっていた。
「……ルーク……?」
「泣くな」
恐る恐る声をかけると、魔法が解けたように再び食事を続ける。後ろを振り返った訳じゃないのに、なんでおれが泣きそうだって分かったんだろう。
「……泣いてねーよ……」
「泣きそうになってただろう。お前が泣くと胸がざわざわするから分かるんだ」
おれは言葉に詰まって唇を噛んだ。
アッシュには確かにそんなところがあったけど、おれはこのちびのレプリカじゃないのに……。結局、完全同位体同士ってことは変わらないってことなのかな。
おれは込み上げてくるものを無理矢理飲み下して、ちびに見えないところで、頑張って笑顔を作った。
「おお、ノエル」
「ち……閣下、お帰りなさいませ!」
一月の間に二回ほど貰える数日間の休暇を利用して、おれは自分の鍛錬のために魔物退治をやってた。時々近くの村で賞金を掛けてることもあって、小金が稼げたりもするから一石二鳥なんだ。ファブレ家からは破格の給料を貰ってるし困ってるわけじゃねーんだけどさ、「一石三鳥を狙え」「転んでもただでは起きるな」はアニスに骨の髄まで叩き込まれた哲学だ。
今回はちょうど退治した大物に懸賞金が掛かってて、懐も暖かく、上機嫌で昇降機から降りたところで、ちょうど領地からバチカル入りされた父上にばったりと会った。父上は埃っぽいおれの姿をやっているな、といった感じで片眉を上げて一瞥し、笑った。
「今帰って来たなら、食事はまだであろう。どうだ、少し付き合わぬか?」
「は、はい」
「では着替えてくるから、少し待っておれ」
「は、はい──え?」
気付いたらバチカルの下町で、父上が通っているらしい居酒屋で、ビールで乾杯し、次から次へ運ばれてくる料理をつついていた。
かなり薄暗く、そして古い、まるで穴蔵みたいな店。蒸気と油で燻されたちょっとベタつくテーブルに、平民のような服の父上が当たり前みたいに座っているのがすげー違和感。あー、でもアッシュがこんな、隠れ家みたいな店を好んでいたことを考えれば不思議はないのかも。血は争えないもんだ──うん、おれも結構好き。少なくとも、アニスやティアが好みそうな小洒落たレストランよりは……。(不思議なことに、ナタリアもこういう店が好きなんだ)
いくら偏食の激しいおれとはいえ、父上にあれもこれもダメというわけにはいかず、得体の知れない内臓をこってりと煮込んだのやら、チーズや魚介類をたっぷり乗せてこんがり焼いたライスとか、死ぬ気で口に入れた。本気で覚悟を決めたにも関わらず、めちゃくちゃうまかった。
父上は健啖家だった。だから、普通は大人は食べない昼食を、機会があれば食べたがるのかも知れない。うん、でないとあの身体は維持出来ねーはずだ。
「──貴公に頼みがある」
ひとしきり飲んで、食べてから、父上がぼそりと言った。
「二日後に、ルークがベルケンドに向かう」
──ベルケンド。
おれは目を見開いて、父上を見た。
食事をまともに取ることも出来ないほど弱り切ってがりがりだったちび。
父上は大柄なのに、越せないどころか同じほどにも届かなかったおれたちの身長。
時折、悪夢に魘されて飛び起きていたアッシュ──。
おれは、ベルケンドで何が行われていたのか、正確には知らない。おれは絶対に尋ねなかったし、アッシュも言わなかった。だけどアッシュが、この時点ではこの世でただ一人のローレライの完全同位体であり、唯一単独で超振動を起こせる人間であることを知ってる。そして、死ぬまでずっと苦しんでいたことを知ってた。思わずぎゅっと拳を握り、唇を噛む。
父上の顔が、自嘲に歪んだ。「やはり、貴公は知っているのだな」
「……」
「何故かは、貴公の髪の色が関係しているのだろうか」
「……頼みとは、何ですか」
質問に質問を返す無礼なおれを、父上は咎めなかった。ふっと息をついて、手を上げ、給仕に何か合図する。ややあって、新しいジョッキが運ばれて来て、一つがおれの前にすべらされた。
「それを言う前に、聞いておきたいことが一つある」
「……」
「私はずっと、なぜ貴公が我が妻に似ているのかと思っていた。普通なら妻の不貞を疑うのだろうが、貴公が十八というのが本当なら、妻が十四で生んだ子ということになる。妻は身体が弱く、初産は文字通り命がけだった。その妻がルーク以前にもう一人とは少し無理があろうし、私はその頃の妻の腹が膨れてなどいなかったことを知っている」
「……」
「だがどうにも腑に落ちなくてな。妻の前で口を滑らせたところ、妻は逆に、私に似ていると思っていたと驚いた」
「……」
「驚いてラムダスを初め、屋敷のものにあれこれ聞いてみたところ、およそ六対四の割合で我が妻に似ていると思うもの、私に似ていると思うものに分かれた。我がファブレ家は代々王家と婚姻関係を結んで来た。妻と私、先祖の血は繋がっているのだから、そのようなこともあるのやも知れぬが」
……父上がそんな探りを入れていること、おれは全然気付かなかった。
考えてみれば、突然どこからともなく主人が連れてきた男が当の主人に似ているのでは、勘ぐるなというほうに無理がある。おれはアッシュのレプリカだっていう自負心が強すぎて、当然父上や母上にも似ているという事実が頭からすっぽ抜けてた。小さなアッシュとの相似より、父上や母上との相似のほうが普通最初に目につくだろうに。
「貴公が生まれた十八年前には、私は二十一だった。遡って二十歳のころ……と考えると、困ったことに心当たりがないでもない」
──あるんだ。
確かに、父上は母上とファブレ家を大切にしてはいたけど、適当に遊んでもいたよな、セシル将軍とか……。
表情を変えないよう無心になろうとしたけど、無理だったみてえ。父上は少し眉尻を下げ、おれの直視を避けるように、僅かに視線を下げて苦笑し、「そんな顔をするな。まだ婚儀までに二年もあったのだ」と言い訳がましく呟いた。
だけど、次に顔を上げた時には、苦笑のような表情の奥に、殺気にも似た剣呑な光を潜ませて、おれを射抜くようにまっすぐ見つめた。
「さて、聞かせてもらおうか。──貴公、一体何者だ」