【01】
父上は剣も盾も全くの自然体で構えている。
対して、ノエルは腰の後ろに真一文字に佩帯した剣の柄に手を掛けたまま。やや前傾姿勢ではいるが、決して力んでいるわけではないようだ。
怖いくらい真剣に、二人は睨み合っている。
少し肌寒い日だったので、わたしは大いに着膨れさせられて椅子に据えられており、身動きも出来ずに二人を見守っていた。隣では母上が今にも倒れそうな青い顔で両手を揉み搾っておられ、わたしはどちらにより注意を払うべきか定まらずはらはらと視線を振っていた。
切っ掛けは、食の細いわたしのために、ノエルが昼食に出してくれたバターチキンというものだ。薄いが大きな種なしパンが添えてあった。香辛料がたくさん入っているのに甘く、色んなものに漬け込んで焼いたという鶏肉も香ばしくて、とてもおいしかった。ノエルは野菜の酸っぱいサラダも山盛り添えていたが、全部残さず頑張った。香辛料には食欲増進の効果があるらしい。ノエルは「大成功だ」と大喜びしていた。──かなり無理をしたことは、黙っていよう。
ケセドニア料理など見たことも食べたこともないと母上がおっしゃり、それならご一緒にどうぞとノエルが誘うと、父上も「好物だ」と昼食を一緒にされた。父上、母上と昼食をご一緒するのは初めてだから少し緊張したが、必死に固辞するノエルまで引きずり込まれ、緊張どころではなくなった。
わたしは言葉遣いや所作ががさつなノエルが父上や母上を不快にさせやしないかと気を揉んだが、不思議なことにマナーは美しく完璧だった。これなら夕食も一緒に摂って構わないのではないか。だが、ノエルは「けじめ」と言って、普段わたしと同じテーブルに決して着こうとしない。父上はほとんどノエルを客分のように扱っておられるのに、ノエルは使用人の立場を逸脱しないよう、注意深く振る舞っていた。
父上はケセドニアに何度も滞在されたことがあり、ノエルにいろいろと尋ねておられた。ノエルは知っていて当たり前のことを知らなかったりしてたまに呆れるが、世界中を旅して回っていたらしく変なことは良く知っている。今日もキムラスカ、マルクト間の緊張、物価の変動など、次々繰り出される父上の質問に答えていたはずが、いつの間にか伝説のドラゴンキラーの話になり、ドラゴンは実在するのか、どれくらいの戦闘力で倒せるのか、そんな風に変わっていった。なぜ物価の話からドラゴンキラーを連想したのか、わたしにはまるでわからなかったが、それはそれで面白かった。母上が「殿方は皆、ドラゴン退治がお好きだこと」と笑われて、父上とノエルが顔を見合わせて照れ笑いし、わたしはなんだか仲間外れにされたようで面白くなかった。
そのとき、ふと思い出したようにノエルが、ドラゴンは無理でもいつか閣下と手合わせしてみたい、というようなことを言ったのだ。
ノエルがわたしの従者となってはや一月が経ったが、知れば知るほどノエルはわたしより子供っぽいやつだ。それを指摘すると、ものすごくムキになって自分の方が年上だと主張する。真っ赤になって必死で言うのがさらに子供っぽい。あまり頭も良くないように思う。
……時々、そんなところがかわいいと思ってしまうこともあるけれど……。
これが世に言う、「馬鹿な子ほどかわいい」というやつなのだろうか?
そんなやつが「キムラスカの盾」たる父上と手合わせしたいなどと言うのだから、こいつは本物の馬鹿かと心底驚いた。だが、「そういう面白そうな話ならば、いつかと言わず今やろう」と随分気さくに父上が席をお立ちになったので、わたしはさらに驚いた。
そんなわけで、二人は今、中庭でぴくりとも動かず対峙しているのだ。
通りすがりのメイドまで何事かと足を止める中、二人はほぼ同時に動き出した。
一合、二合と打ち合うたび、微かな火花が散り、甲高い音を立てる。わたしの側に立っているメイドが、喉の奥で悲鳴みたいな声を立てた。
だが数合打ち合い、二人は左右に別れて飛び退いた。父上はまだ剣を下げたまま、ノエルは再び剣を背中の鞘に収めている。
ややあって、父上の口元が綻んだ。続いてノエルのも。
張り詰めた空気の中、対峙する二人を中心として、地面の塵が放射状に吹き飛ばされるのが見えたような気がした。
次の瞬間、二人は裂帛の気合いを発して、目にも留まらぬ早さで激突した。一瞬にして、互いに保っていた間合いが消失する。
メイドたちが鋭く悲鳴を上げた。白光騎士たちも思わずと言った感じで二人の方へ一歩踏み出す。
突き、躱して左袈裟切り、躱す、軽く飛んで蹴りが飛び、盾が弾く。
戦いは凄まじく、わたしは二人の動きを追うので精一杯だった。追いきれず、何が起こったのかわからないときもある。
直前まで感じていた不安など、一瞬で吹き飛んでいた。
銀閃は一瞬前まで互いが立っていた場所を狙い違わず切り裂いて、父上もノエルも、相手に怪我を負わせる心配など微塵もしていないと知れた。本気で互いを倒すつもりで、思い切り容赦もなく、剣を振り抜き、突き出している。
ノエルと出会ったあの襲撃の時、父上はノエルの実力を高く買っていらっしゃったが、わたしは全く見ていなかったので、ノエルがこんなに強かったなんて全然知らなかった。
母上はもう、気絶寸前という感じで両脇をメイドに支えられていて、わたしは着膨れで動くのも不自由な体で椅子からにじり降り、母上におすすめした。母上は目を限界まで開かれて、二人を凝視されており、砕けるのではと不安になるほどの力で私の手を握っているのに気付かれていない。
わたしはといえば、最初こそ掌にじっとりと汗をかいた手を、ぐっと握ってはらはら見守っていたが、しばらく見ていると段々落ち着いてきた。わかったのだ。
父上とノエルは、最初のあの数合で互いの力量を量ったのだろう。このくらいで相手は倒れやしないというギリギリのところを見切り、互いに互いの実力を信用しているからこそ思い切りよく攻撃を繰り出せるのだと思う。
父上の紅い髪が、ノエルの白い燕尾が宙に舞う。それはあまりに早い主の動きに付いて行くことが出来ず、常に何拍か遅れて纏い付いている。勢いで触れ合ったり、互いに一瞬だけ絡まったりしているのがまるで──仲の良い二人がじゃれ合ったり寄り添ったりしているようにも見えて、なんだかもやもやしたものが胸に込み上げてきた。
あんな風にノエルと剣を交わしているのがわたしだったらどんなに良かっただろう。
ノエルの白い顔や、腕に、さらさらと触れる赤い髪がわたしのものだったら。
──悔しい。ノエルはわたしの従者なのに、なんで父上が独り占めしておられるのだ。
中庭にはいつの間にか、どんどん見物人が増えてきた。
屋敷中の使用人が一同に会しているのではないかと思うくらいの人数がいる。咎める立場のラムダスまでが見学にきているのだから、誰もが何事と思うのは当然だ。状況を見て取ったものが、この見せ物を見逃してはならじとばかりに同僚や友人を呼びに走る姿も見られた。
激しい剣戟が止み、二人は再び左右に分かれた。すると父上がなにかノエルに合図を送られた。ノエルが頷くと、なんと並みいる使用人の前で父上が服を脱ぎ始めたのだ。上着だけではなく、完全に上半身を晒されている。あの、誇り高い父上が! ノエルも白い上着を脱いで、腹が剥き出しになっている黒いシャツだけになった。ノエルのボトムスはかなりゆったりしたものだから、薄い腹は頼りないくらいほっそりして見えたが、それでもうっすらと割れて敏捷そうだった。
二人の脱いだものをすかさずメイドが駆け寄って受け取っているあいだ、あろうことかノエルは、父上の胸やら腹やらをものすごく熱心に見つめていた。気付いた父上がちらっと面白そうな顔をされたのにも気付かず、少し腕を上げるようにして自分の胸を見下ろし、今度は曲げて二の腕の力こぶを確認し、世にも悲しそうな顔をしてため息をつく。大人のくせに、何を考えているのか丸分かりなやつだ。そういうところが子供っぽいというんだ。
……ノエルは鍛えられてしっかりと筋肉の盛り上がった男らしい身体になりたがっているようだ。それに気付くと、痩せこけて関節が丸く突き出た自分の体が急に恥ずかしく、疎ましく感じた。皆が、しっかり食べないと体が出来ない、無理してでも食べろと何度も言ってくれていたのに、わたしはその忠告を煩わしいと無視してきた。結果が、この貧相な体だった。
ノエルだってわたしにもっと食え、もっと太れというのだから、この小さくて痩せた身体は好みではないのだ。
二人は再び剣を構えた。こんなに寒い日なのに、肩から、背中から、ゆらりと立ち上る白い湯気が、二人の熱気を目で知らしめた。
まるで筋肉の鎧を纏ったような父上の体を、俺も直接見るのは初めてだ。重たそうにごてごて付いた筋肉じゃない。父上は衣服を着けていらっしゃるとむしろ細身に見える方なんだ。父上が白光騎士たちと稽古をされているとき、俺は良く見学させていただいていたけれど、全然知らなかったから、正直すごく驚いた。
比べるとノエルの方は、ひどく薄っぺらく、小さく見える。だがまるで猟犬のように引き締まって、均整の取れた体をしていた。見栄えという点では父上に劣る。彫刻家は好まないかもしれない。だがわたしは、目が離せないくらい綺麗だと思った。だいたい、ノエルはいつもヘラヘラと締まりなく笑っているからそれと気付き難いが、顔立ちもかなり整っているのだ。
皆が固唾を飲んで見守る中、再び両者の剣が火花を散らした。
父上の剣はキムラスカ・ランバルディアに古くから伝わる正式な剣だが、ノエルのはちょっと変わっていて、かなり頻繁に拳や蹴りも飛んでくる。技と技の連携が美しく滑らかに行われているから、おそらく最初からそれらが組み込まれた剣技なのだろう。盾は使わないと言っていたし。
そのうち父上も左手の盾を武器代わりに使用されはじめ、白光騎士達が興奮しきって身を乗り出し始めた。ランバルディアの剣技に、そんな盾の使い方はない。だがあの分厚い鋼鉄の塊で殴れば、敵の盾すら弾き飛ばせるかもしれない。刃をただ阻むより有効な使い方だが、父上と同じくらいの膂力あってこその手で、並の兵では使えないだろう。
その頃には、使用人の躾にはうるさい我がファブレ家に仕える者たちが、とうとう二手に分かれて声援を送り始めていた。
わたしは、どちらを応援してももう一人に対する裏切りのような気がして一言も発することができず、ただ内なる衝動を持て余してじりじりしていた。隣では興奮でお顔を赤くされた母上が、いつのまにかメイドと一緒に声援を送っておられる。さっきまでぶるぶる震えておられたのに……。
戦いはいつ終わるとも果ての見えないものに思えたが、とうとう父上の剣がノエルのそれによって弾かれ、宙を舞った。剣はくるくると回転しながら、見物人のいない植え込みの陰に突き刺さった。父上もノエルも、剣の行方を追ってなどいない。二人は荒く息をつきながらただ見つめあい、笑い合っていた。
中庭中からああ、という落胆の声が漏れた。
父上が負けたからじゃない。こんな凄いものがもう終わってしまったのか、もっと見ていたかったのに、という寂しい気持ちがあったからだ。少なくともわたしはそうだ。
「貴公、やはりかなりの腕をしておられる。私が最後に剣を弾かれたのはまだ私が師に付いていたころのことだ。──ここまで追い込まれたのもな。その若さで……大したものだ」
驚嘆して賛辞を贈る父上を見上げて、ノエルは少し悲しげに笑った。
「一年間、おれは師を倒すため──他にも色々あったんですけど──オールドラント中を放浪せざるを得ない生活をしていました。切る必要のないもの、切りたくないもの、たくさんの命を失わせた。……そのせいかも知れません」
「そうか……師を、な」
父上はふいに胸を突かれたような表情をされて、ノエルを見下ろした。
わたしも突かれた。まさか、わたしより子供っぽいノエルがそんな壮絶な過去を送っていたなんて。
父上が、ノエルの頭をくしゃくしゃと撫でられた。
ノエルがびっくりしたような顔をして──次いでへにゃりと顔を崩した。喜びやら悲しみやら、慕わしさやら。なんだか見ていてムカムカしてくる色んな複雑な感情の混じった、不愉快な顔だった。
母上がメイドにタオルを持ってくるよう言いつけておられる間、わたしは二人の様子が気になって、やきもきと会話に耳をそばだてていた。頬を紅潮させて雲雀のように笑い合うメイドたち、二人組になって見よう見まねで父上とノエルの動きをなぞっている白光騎士たち。
誰も、何とも思わないのか?
父上とノエルの間に漂う妙に親密な空気を、なんで誰も不審に思わない。
変だと感じるのはわたしだけなのか?
メイドが母上にタオルを渡し、母上が一枚を俺に渡して微笑まれた。……なぜわたしに渡されるんだ?
母上は小走りに父上に駆け寄っていかれた。
礼を言ってタオルを受け取り、父上らしからぬ粗野な仕草で汗を拭っておられるのが、妙に格好良く、似合っていた。戦場での父上はいつもこんな風なのかもしれない、とわたしは何故だか悔しいような誇らしいような、ひどく奇妙な気分になった。
……っち、だからなんだってそんなに嬉しそうに父上を見てるんだ、ノエル!
「ルーク。動きが追えたか?」父上がこちらを向いて言われた。
「だいたいのところは。ですが、何度か見えないところがありました」
正直に言うと、そうか、と父上は大きく頷かれた。
「良い目をしている。見取り稽古というが、白光騎士たちの訓練を見学していたのが力になったのかもしれん。そろそろお前も剣術の稽古を始める時のようだな。ノエル殿も、お疲れだろう。今日はもう、夜までゆるりと休まれよ」
「あ、は、はい」
寄り添う父上と母上の姿を、ノエルは妙に嬉しげに見つめていたのだが、父上に声をかけられて素直に首肯すると、わたしの方にくるっと視線を向けた。
やっと。
今頃になって、思い出したように、だ。
それでも父上と母上が何か話しながら屋敷へ入って行かれると、ノエルはずっと視線で追っていた。
わたしはそれが気に入らなくて、握っていたタオルをむっとノエルに突き出した。
「使え」
ノエルがただでさえ大きな目を、顔からこぼれ落ちそうなほど大きく見はり、次いで口元を綻ばせた。
「ありがとう。なあ……ルーク。父、お前の父上は、お強いな」
ノエルは、わたしの名を呼ぶとき、いつもちょっとだけ痛そうな顔をする。理由を聞きたいのだが……わたしは未だに、口に出せていなかった。
だけどその時、がしがしとタオルで汗の滴る髪を乱暴に拭きながら、思わず、といった風に呟かれた独り言を、わたしは一番近くにいたから、聞いてしまったんだ。
「……あの時、知ってたら。一緒に行っていたら、アッシュを一人で逝かせずに済んだのかな……」
反射的にノエルを見上げてしまってから、そのことに彼が気付かなかったのを幸い、慌てて顔を逸らした。そしてドキドキしている心臓の音が、ノエルに聞こえませんようにと祈った。
ノエルは誰か、知っている子供を亡くしたのかも知れない。
時折、ノエルがわたしと他の誰かを重ねて見ているのは、すぐに気付いた。ノエルは、わたしのことになると母上以上に過剰に心配しすぎるところがあって、それはわたしがノエルに対してたった一つ、煩わしさを感じる部分だった。
……煩わしいなんて、思っちゃいけなかったのかも知れない。
わたしは着膨れで自由に動かない腕をぎぎっと動かしてノエルを抱きしめた──気持ちだけは。腕はまともに上がらず、背中に回らなかったので、まるでノエルの両脇に手を添えてるだけの格好になってしまったのにちょっと屈辱感を感じたけど、ノエルがわたしの意図を分かってくれて、笑って抱き上げてくれたから、いいんだ。
軽々とわたしを持ち上げて、ノエルは「おれ汗臭くねえ?」と聞いた。ノエルはちっとも汗臭くなんかねえ。むしろとても甘くて、清々しい匂いだと思う。
「ノエルは、いつも良い匂いがする」
俺がノエルの首筋に顔をくっつけてぎゅっとすると、ノエルはわわわ、というような変な声を立てた。「くすぐってーよ、お前!」
ノエルの匂いはなんだかいつも、胸のどこかをざわざわむずむずさせる。落ち着かない気分になる。……でもずっと嗅いでいたい、不思議な匂いだ。
「お前は明日からわたしの剣の師匠になれ」
「えっ?!」何故か真っ赤になってたノエルがびっくりして裏返った声を出した。「俺が、お前のっ?!」
ノエルは信じられないことを聞いたような顔でわたしを見ている。
「俺でいいの? 父、閣下の方がいいんじゃね?」
「父上はお忙しい方だ。それに、わたしも蹴ったり殴ったりがしたい。あれが、カッコ良かった」
「ははは……。なんだかお前らしい言い草というか」
「……いやなのか?」
「んなことねーよ……いや、むしろ、その方が良いのかもしれない。よし、閣下にお願いしてみるか」
やった!
「そのかわり、これからは食欲なくても飯はちゃんと食うんだ。スタミナもつかねーし、剣術は体が資本なんだからな。いいか?」
「分かっている。ちゃんと食う」
わたしは力強く頷いた。
父上のようになるんだ。父上のように筋肉を付けて身体を作り、ノエルを羨ましがらせて。
いつか、わたしに見蕩れさせてやる。必ず──。