【Appetizer】
ふっと気付いたときには、凄まじい光の奔流の中できりもみ状態になっていた。
「ちょ、わけわかんねー?! なんだよこれえぇぇぇぇ!!!!」
ほんと何が起こったのかまるでわかんなくて、おれはひたすら悲鳴をあげていた。左右に上下に、あんまりにももみくちゃになってるので、悲鳴にドップラー効果がかかって聞こえる。
「あ、あり、あり、あり、ありえヌェぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
なんだってローレライを解放してこんな目に遭わなくちゃならないんだ!
とマジ泣きしても、涙がほっぺたに垂れてこないんだぜ。全部横やら上やらに飛ばされていくのです。そうしたら、最後の「ヌェぇぇぇぇぇぇぇぇ」のところで唐突に光から放り出された。
文字通り摘んでぽいっって感じで、おれは正座するみたいな格好で見憶えがあるようなないような道ばたに座り込んでいた。
「え?」
目のまえには飾り気のない黒い馬車。
真っ白な石畳に赤い花びら……いや、血痕が散っていて、御者らしき人物が血だまりの中に倒れている。馬車の向こうでは剣戟の音も響いていて、誰かが戦っている様子だ。
そんな物騒極まりない雰囲気のところ、空気を読まずに登場したおれに、五人くらいの黒衣の男たちの視線が突き刺さってきた。
「へ?」
「なんだ貴様!! 邪魔立てする気か!」と、男の一人が抜き身の剣を振りかぶって飛びかかってくる。
「わ!! な、な、な、なに、なに、なんなんだよ一体!」
わけわかんないまんま素早く抜剣して受け止めたけど、そしたら余計に殺気立っちゃって……もう、ほんとになんなんだっつーの!
とりあえず黙って切られる趣味はねーし、襲ってくるなら仕方ねーってことで応戦を始めてみたんだけど、すぐにおれの方が腕が確かなことに気付いたらしく、切り結んでたやつが仲間に、「こっちはいい、とりあえず息子を先に殺っちまえ!」と叫んだ。
一体何者なのか。こいつらもそこそこ使うが、今の今、おれはヴァン師匠と戦ってたんだぜ、悪いが余裕だ。腕がここまで違うと、殺さなくても再起不能に出来るってことを初めて知ったよ。いつもぎりぎりで戦ってたから、こういうことに気付く機会がなかったんだな。
そのとき、馬車に向かって走ってったやつが、中から黒いフードで顔を隠した人影を引きずり出すのが見えた。その大きさはどう見ても子どもだったので、おれは即座にこいつらに悪人判定を下した。どんな理由があろうと、子どもに暴力ふるうヤツに正義なんかあるはずがない。
おれは馬車の外に投げ出され、身を守るようにうずくまっている子どもを、今にも斬り殺さんとしているやつに魔神拳を当て、それが男を横から吹き飛ばし、馬車の側面に激突するのを確認するより前に突進し、くずおれる男の手の腱を切っ先で切った。返す刀で追いついて来た一人を切り上げ、子どもの襟首を引っ掴んで馬車に放り込む。次に追いついて来た奴を一旦烈破掌で吹き飛ばしておいてから、馬車のドアを叩き付けるようにして閉めた。
……これで一息つける。
「逃げたい奴は逃げてもいい。かかってくるなら容赦しないぜ。──特に子どもの命を狙うようなやつにはな!」
──ま、かくいうおれも実年齢では子どもなわけだけど。
結局、おれの忠告を聞いて逃げてくれるやつなんかいやしなかったので、全員を倒すはめになった。馬車の裏側ではまだ剣戟の音が続いているので、おれは息を入れずにそっちにまわった。
「助太刀するぜ!」と叫んで二人を相手取っている黒フードの男に声をかけ、同時に賊の一人に切りかかったんだけど。
「感謝する!」と叫んで振り返った人物の真紅の髪に……なんか、見憶えがありますよ?
「ちっ……?!」
父上じゃん!! あ、あれ、父上じゃね?!
混乱しながら一人を倒すと、同時に父上がもう一人を沈めたところだった。おれ、父上が戦ってるとこなんか初めて見たけど、結構強かったんだなー。──って、元帥に失礼か。いや、だっておれ、身分だけでなれるものと思い込んでた……あ、あはー。一度くらい手合わせしてもらえば良かった……。三人死体になってるから、合計10人で襲って来たってことか。何が何でも父上を倒したかったってことかな? 白光騎士はどうしたんだろ。
「……いや、助かった。その若さでたいした腕をお持ちだ。さぞや名のある人物とお見受けするが」
剣を納めながら近づいてきたおれの顔を見て父上がふといぶかしげな顔をする。
……多分、おれも同じような表情をしてるんだろうと思う。いや、父上が見てるのはおれの髪と目だと思うけどさ。
……父上、若くねえか?
若い父上? それとも老けたアッシュ?? ……なわけねーか、だって、アッシュは……。
つーか、まじでここは何処なんだろう?
「私はクリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレという。貴公の名をお聞かせ願えぬか」
おおっと、やっぱ父上か?!
やっぱ父上? ……若い父上? ってことはここは過去なのか? おれはあのきりきりで過去へ飛ばされちまったわけなのか?
名前、と言われても「どーも、あなたのご子息ルーク・フォン・ファブレのレプリカ、ルーク・フォン・ファブレでっす」などと答えられるわけがない。
困惑した顔して見つめ合っていると、父上の頭の遥か向こうで大きな赤い鳥が滑空しているのが見え、ふとアルビオールを思い出した。
ギンジ、無事だったかな。かなり酷い怪我してたけど……。ノエルが付いてたから大丈夫だよな……。
「そうか、ノエルと言うのか。息子共々世話になった。もし時間が」
「ムスコ?!」
軽く現実逃避をしてたおれは、父上の台詞をぶった切って叫んだ。もしもここが過去だっていうなら、さっきの子ども、アッシュってことじゃん!!
「大丈夫だったかっ?!」
もう父上に構ってる場合じゃない。おれは慌てて馬車に飛びついて中に飛び込み、仰天している子どもの顔から足まで、両手で揉むようにして確かめる。「痛い……っ」という弱々しい声を無視して、おれは衝動のままに思い切り子どもを抱きしめた。
「良かった……!」
生きてる。まだ生きている。温かい……。
広間から落ちて来た、氷よりも冷たいアッシュの体を抱きとめたのはついさっきのことなのに。今は温かな血の通う、生きた体が腕の中にあった。
「おまえ、どうして泣いている?」
ひんやりとしたか細い指がおれの頬を辿って、再び涙があふれているのに気付いた。
アッシュ、アッシュ。
お前が死んだってわかっても、おれは実のところそれほどショックは受けなかった。多分、ナタリアの方が衝撃も悲しみも大きかったんじゃねえかな。
だけどそれは、おれもすぐにお前と同じところに行くってわかってたからだ。おれの体はもうどうしようもないほど透けて脆くなってて、生きてみんなのところへ帰れることはないって、おれはずっと前から知ってた。お前がいない世界で、たった一人、とり残されて生きていかなきゃならないわけじゃないって、知ってたんだ。
──なのに、なんでおれだけ生きてんの?
涙が止まらなくなって、ついにしゃくり上げてしまうと、そっと腕が伸びて来ておれの頭を何度も撫でた。
「泣くな」
その少し困ったような言い方が、声は違うけどあんまりにもあいつに似ていて、おれはびっくりして涙と鼻水をぽたぽた垂らしながらまじまじと子供の顔を覗き込んだ。
黒いフードの奥から、乾いて艶のないピジョンブラッドの髪がのぞく。青白く頬の痩けた小さな顔のなかで、強く輝く瞳の強さだけが、おれの知るアッシュを思わせる。
「……小せーな、お前。ちゃんとメシ食ってんのかよ? 今、いくつだ?」
すると小さいアッシュは悔しげに眉をしかめて、「……八つになったばかりだ。メ、メシ? ……食事のことならちゃんと食べている」と答え、「食べられるときには」と小さく付け加えた。
するとここは九年前の世界ということになるんだろうか。八歳という割に小さく見えるアッシュに、ふと腑に落ちることがあった。
べルケンドで実験の始まったころなのだ。その苦痛に耐えかねて、ヴァン師匠の手を取らせるきっかけを作った。
昔のことを、あいつはあんまりおれに話してくれなかったけど、実験を受けたあとはしばらく食事が出来なかったと、何かのときにぽつんとアッシュが言ったことがある。
その青白い、子供のくせに痩けた頬、かさ付いた唇に枯れ枝のような腕を見て、あまりの痛々しさにまた泣けてくる。これじゃ逃げ出したくなって当然だ……。いや、むしろ十歳になるまでガマンしたって、お前どんだけだよ。ヴァン師匠が誘拐しなければ、こいついつまでそれに耐えなきゃならなかったんだろう。
そう思うと、倒したばかりの師匠に改めて頭が下がる思いがした。
……身長が低いまんまで止まっちまったのは、絶対幼少期の栄養不足だ。間違いない! その情報でおれが作られたから、おれの背も低いんだ。
抱き寄せると、思いのほか素直に首に手を回してきてくれたので、そのまま抱き上げて馬車から出た。そんなつもりはなかったけど、責められているように感じたのかな、父上が唇を噛んでほんの少し視線をずらしたのが分かった。
国の意思、陛下の命だったんだもんな、父上も同じように苦しんだってこと、おれは知っているんだ。だから父上、おれは責めたりなんかしない。そんな顔しないでくれよ……。
「父上。この者をわたしの従者に下さいませんか」
って、待てぇぇぇい!
人の意思も確認せずナニ勝手ほざいてんだ!! 俺様はこの頃からなのか?! そうなのか?!
「ノエルどの?」
ふむ、と問いかけるように父上がおれを見るのに、誰がノエルだくらあっと反射的に返しそうになって慌ててぐっと堪える。今のおれには、身分なんか……ねーよな? 公爵閣下にそんな口の聞き方はマズイだろ。
「ノエル? 女のような名だ」
……このちび!! 今鼻で笑ったろ?!
何故父上がおれの名をノエルと思い込むに至ったのか、経緯を憶えていないのでおれは賢く口を噤んでいた。……せめてギンジならまだましだったのに……。
「あ、おれも仕事を探してここへ来たので、そうしていただけると助かります」
「傭兵か」
「いや、厨房で雇ってくれるところを探していました!」
……せっかくファブレ家で雇われるなら、何かこのちびアッシュの為に作らせて欲しい。そういえばおれは、結局アッシュに手料理を振る舞う機会が一度もないままだった。ナタリアが「今やアニスと双璧を成しますのよ」って褒めてくれたのを聞いて、「すごいな」って笑ってくれたのにな……。
おれの答えがよっぽど予想外だったのか、父上の目が軽く見張られた。
「厨……房は手が足りている。息子の従者でいかがか? 料理が好きなら、使いたい時に使えるよう、厨房の者に言っておくが」
「それでいいです、ありがとうございます!」
旅の途中で料理に目覚めたおれは「前衛的」で「壊滅的」な味だと仲間に罵られつつも着々と腕を上げ、今では子供の口に合う(つまり、おれのだ。ってことはこのちびの口にもだ)公爵家の食卓にはちょっと載らないレシピを山ほど持ってる。
お菓子のレシピはアニス直伝のに加え、仲間達に好評を博したおれオリジナルのレシピもあるからな!
アッシュ、おれ、すぐにお前のとこに行くんだって思ってた。
けど、さっぱり状況がわかんないけど、おれはなぜか生きてて、なぜかちっこいお前に会っちまった。この出会いがなかったら、多分おれ、大急ぎでお前のところに行くことにしたよ。ああ、命を粗末にしやがってとかぎゃいぎゃい怒ってる姿が目に浮かぶ。
でもごめん、アッシュ。だっておれ、お前がいない世界で生きて行くのは、ほんのちょっとだって辛いんだ……。
たけど、この小さなお前をおれが放っとけるわけもねーんだよな。
おれたち二人とも身長のことではちょっと侘しい思いしたしさあ。金も持ってて(公爵子息だし)、地位もあって(特務師団長だもんな)顔も良い(これはおれも同じ顔だから、自画自賛するようであまり言いたくはないけど)、お前だけど、身長にだけはとうとう恵まれなかった……。(いや、生きてりゃもうちょっとくらいはいったかもよ?)
だからおれ、小さなお前のために、頑張って未来のお前の身長を少しでも伸ばしてやろうと思うんだ。背の高い女の子も臆せず誘えるようになって、未来の公爵夫人の選択肢も広がるだろ? そしたら出来るだけ早くそっちに行くからさ。
──だから、寂しいだろうけど。もうちょっとだけ待っててくれよな……。