禍つ日の恐れは、君の光に雲と散りて 05

「二ヶ月ちょっとってとこかな〜」




 友人が急に産気づいたとき駆け込んだことのある産院に、今度は自分が当事者となって駆け込むことになろうとは。

 色白で、丸々と太った福々しい顔の優しげな医者は、外見に背かないおっとり間延びした声でルークにそう告げた。「あなたの場合は〜、規則正しい生理が来ているわけではないからまだはっきり言えないですけどね〜」
 ルークは実感もないまま、困惑しきって首を傾げた。
「あの……私、初めてなんですけど。ちゃんと生めるんでしょうか?」
「ははは、ああ、いや〜。皆さん最初は初めてですから。大丈夫ですよう〜」
 珍しくもない質問なのかも知れない。だが、ルークは必死だった。
「あの、あの……。私、レプリカなんです。それでも生めますか……」
「あれえ、そうなんですか? 全然分からないものですねえ〜……。身体のつくりは全く変わらないので大丈夫と思いますが、僕もレプリカのお産は初めてですし〜……前例はあるのかな? 調べてみますね〜。ご心配なら、そちらの主治医……おられます? ああ、それなら主治医の先生にも一度診ていただいて〜出産時には立ち会いをお願いしたほうがいいかも知れませんね〜」

 別にいてもいなくても大丈夫だけど、あなたが心配なら……といった感じで付け加えられた言葉に、ルークは幾分、強ばった身体から力を抜いたが、まだまだ不安で、手放しで喜ぶことが出来なかった。
 自分がレプリカだということは、ルークにとってそれほどの不安要因ではなかった。それよりもなによりも、ルークは元々男なのである。屋敷で初潮を迎える前にメイドたちから聞いた、「男だったら悶絶するらしい」と聞いた生理痛にはなんとか耐えられているが、自分は果たして出産に耐えられるのだろうか。ローレライの「心も身体も」というのを信じてもいいのだろうか。

 ──それに、アッシュだってまだ一年しか甘やかしてあげられてないのに……。

 憂い顔の晴れないルークを、医師は困惑したように見つめたが、きっとそれは自分がレプリカだという不安のせいなのだろうと判断したらしかった。
「しばらく、一週間ごとに診ましょうか〜。安定期に入るまでは、激しい運動や性行為は控えめに〜。いろいろ検査しなくちゃいけないので、少し血を抜きますよ〜」
 だが、どうにもへろ〜っと力の抜ける声で医師が言うのに、ルークはやっと少し笑みを見せる余裕ができた。
「そうそう、笑ったほうがいいですよ〜。あまりお母さんが不安に思ったり、悩んだり、怖い思いをしたりしたら、あんまり赤ちゃんにいいことないんですよう。どっしり構えていらっしゃい〜」




「どどっ、どうだった?!」
 待合室に戻って会計を済ませる間、やきもきと手をもみ搾っていたアルヤが、外に出るなり勢い込んでルークの手を取った。
「う、うん。二ヶ月ちょっとだって……」
「わあお! 思った通りだ、やったねっ!!」
 取った手を上下左右に勢い良く振られ、わわっとルークはたたらを踏んだ。
「……良かったね」
「……うん」
 自分よりも嬉しそうにはしゃいでいるアルヤを見つめていると、ようやくじんわりした喜びが込み上げて来た。

 アッシュは喜ぶだろうかと考えて、以前アッシュが子どもがどうのと言っていたのを、ふと思い出す。自分は、まさか子どもを産むことになるかも知れないなんて、考えもしなかったけれど、アッシュは思慮深くて先の先までものを考えるひとだから、きっとこのことも視野に入っていたのだろう。「あの」アッシュが、一体どんな父上になるのだろう? そう考えて思い出すのは、不思議なことに出会ったばかりの頃の、抜き身の剣のように鋭く、他人を拒絶してばかりいたアッシュだった。これがガイなら、容易く想像もつくのに……いや。
「……アシュレイは喜ぶのかな? なんか、子どもに焼き餅を焼く旦那さん、ってのがいたよね」
「……トーヴァだね。……あー、あんたんとこも信者って言ってたっけ。……ちょっと、信じられないんだけどなあ? だってさー、あの人、なんていうか……かっこいいだけじゃなくて、上手く言えないんだけど、張り詰めた凛とした雰囲気があると言うか……傭兵だからかも知れないけど、ちょっとそれもイメージが違うんだよね。傭兵、という割には品が良いというか……。騎士様? 汗臭い男どもとごとごと荷馬車で移動、っていうんじゃなくて、白馬とかにまたがって颯爽と移動してそうな? そうだね……王子様っぽいかも、ちょっと」
 アルヤはんーと眉をしかめ、うなじの辺りを揉むようにしながら首をかしげた。鋭い、とルークは苦笑する。王子様ではなかったが、彼は高い王位継承権を持った王族だ──今は勘当中だけれど──ルークを好きになったりしなかったら、国王の地位が約束されていた人なのだ。
「とにかく、あんたが言うように、胸にしがみついてむふむふしてるタイプにはとっても見えないよ。むしろ淡白そうに見えるのに」

 タンパク?!
 たんぱく?!!
 それはフォニック語?!

 淡白どころかむしろしつこい質のアッシュしか知らないルークは、思わず目を剥いた。彼は一体、外でどんな自分を演じているのだろう……!!
「うちに帰ってきているのは、本当に本物のアシュレイなの……?!」
「……そういう反応ってことは、やっぱ家では違うのね」
「アルヤの言うようなひと、うちにはいないよ……っ!」
 うちにいるのは、隙あらばあらゆる意味でルークを抱きたがる子どものような男が一人だけだ。
 アルヤは溜め息をつき、次いで呆れた、というように両手を広げた。
「焼き餅、焼くかもねー。オッパイ争奪戦なんかやっちゃうかもよ。──うわあっ、ヤダ! あんたの旦那で想像したくない! 消えて消えて!」
 アルヤが頭上で両腕を振り回して、何やら想像してしまったものを打ち消そうと必死になっているのを見て、さすがにルークも苦笑する。
「いやいやいやいや。それはないよ、さすがに」
 苦笑するルークに、
「なんで分かるのよ」
 分かるよ、元、完全同位体だもの。──と教えることは出来ないので、仕方なく「だって、付き合いそれなりにあるもん」
「わたしは預言する。汝は、これまで知らなかった夫の新たなる一面を知るであろう」
「絶対ないってば! 賭けてもいいよ!」
「よしっ! あたし、「オッパイ飲ませろ」に、一年間毎日好きな果物一個、うちの実家から持っていっていい権利を賭ける!」
「ほんとに?! やった!!」
 アルヤの住まいの隣にある果物屋は、アルヤの実家なのである。フルーツは大好きだし、栄養価も高いから、本当は毎日でもアッシュに食べさせたい。生のフルーツをたっぷり使ったタルトなんかも焼いてみたい。けれど、家計を厳しくやりくりするためには、果物を買う予算などは他に回されてしまうことが多いのだ。
 これに関しては最早勝ったも同然、「じゃ、私は旦那さんとのデート用の洋服一着賭けるよ。オリジナルデザインで」
「ま・じ・で?!」
 目を剥くアルヤに、ルークは鷹揚に微笑む。「もちろん。しかも、同じデザインの服は、二度と作らないと誓う!」
 勝ちが決まっているから、どこまでもルークは大きく出られる。
 すると、アルヤは自信をなくしたようにこめかみを押さえた。
「妻がそうまで言うなら、あたしの見込み違いかなあ……。ま、あの旦那さんに限ってはその方がいいけどさ……。あたしの懐が痛むわけじゃないんだし、ま、いっかあ……」
 親不孝にも、とんでもないことを呟いていた。



 産院から出た二人はのんびりと雑談をしながら歩き出した。道すがら、アルヤがこれまでの手伝いを介して得た、「妊婦心得」をルークに教えてくれた。お茶やコーヒーは一日一杯くらいにしておいた方が、出来れば飲まない方がいいということ、塩分や甘い物は控えた方がいいこと、動かなすぎるのもよくないことなどである。
 一つ一つに神妙に頷いていると、じわじわと実感が沸いて来た。

 私は、生命から生まれたものじゃないのに。
 今、お腹の中に別の命がいる。
 人工的に造られた私が、一つの生命を生み出そうとしてるんだ。
 なんか、不思議だなあ……。ジェイドが聞いたらどう思うだろう。ジェイドはいつだって、私に対する罪悪感を捨てきれないようだもん、きっと、喜ぶような気がする。

 ──すごく、喜ぶような気がする。

 そう思うと、アッシュだけではなく、これを早く報告したい人が山ほどいることに、ルークは気付いた。報告したい人とは、喜びを分かち合って欲しい人という意味でもあって、その人数が多いことの幸福感を改めて噛み締める。
 安定期に入るまでは何があるか分からないと聞いているのもあって、さしあたってはアッシュにしか報告することが出来ないのだが。
「早く言いたいなあ……。なんでこんなときに限って、一週間もいないんだろ」
「……傭兵や船乗りの旦那を持つと、昔は数ヶ月戻らないってこともザラだったらしいけど、今は戦争もないし、一週間は長い方かも。ちょっとタイミング良くなかったね。──あれ?」
「あれっ? ヤーノ?」

 中心市街地を抜け、人気のない住宅地に入る道を曲がったところで、ヤーノがあまり見かけない幌付きの馬車の隣で、若い男となにやら話しているのが見えた。手振り身振りで一生懸命に話しているところを見ると、道でも聞かれたようだ。
「新しく越してきたひとかな」
 ルークが首を傾げるのに、
「そういやうちの通り二本向こうの空き家に誰か越してくるって聞いたけど、今日だったかな……?」
「──いや、そうじゃないよ……! 待って待ってアルヤ!」
 
 様子がおかしいことに気付いて、ルークがヤーノへ向けて一歩足を踏み出したアルヤを物陰に押し込んだ瞬間、少年の小さな身体があっという間に頽れ、側の馬車の中から伸びた腕がそれを素早く引きずりこんだ。
 出かけるまえに、アッシュがルークに念押ししていったことを今更のように思い出し、ルークは舌打ちして飛び出した。
「アルヤっ! 馬車がいなくなったら、神託の盾の駐屯所に知らせて! それまで動くんじゃないぞ!」
「ちょっ、ルキア……っ! 駄目よあんた……!」

 走り出したばかりの馬車に並走するように肉薄し、幌の帳を払って中にいた男たちが完全に立ち上がるまえに飛び乗ると、気を失ったヤーノを見つけて抱え込むのでギリギリ、そこで息が切れた。
「なんだ、お前は?!」
「お前らは、最近大都市周辺で誘拐を繰り返しているっていう……!」
 ルークは、ヤーノを抱きしめ、炯々と光る翠の双眸で果敢にも男たちを睨み据えた。どいつもこいつも柄が悪く、真っ当な人間のにおいがしない男ばかりが三人、焦りを浮かべた顔でルークを見下ろしている。
「──っち、やべえぞ。こんな女連れて帰ったら、狩りをしくじったのがバレちまう!」
「だからボスがケセドニアは寄るだけで狩りはすんなっていったろうが!」
「──だからってこんな上玉のガキが一人で歩いてんのを見逃せっていうのかよ!」
「まあ、待てよ」
 男の一人がルークの華奢な顎を掴み、右に左に向けさせてにやりと笑った。
「俺たちゃ子ども専門でね。大人はなにかと知恵が回り過ぎて面倒だからよ。とっととバラしてやりてえとこだが、姉さんはかなりの上玉だな。これを土産にすりゃ、ボスの機嫌もそう悪くはならねえかも知れねえ」
 仲間の言葉に、残りの二人がルークの顔を覗き込み、ごくりと唾を飲む音が聞こえた。「旨そうだな……」
「よしとけ、これ以上ボスを怒らせるな。味見はボスの後でだ──もっとも手をつけずに売る方が良さそうだが」
「──儲けさせてくれそうだな。……嗅がせとけ」

 剣さえあれば。
 或はこんな時期でさえなければ……!
 そう思ったが、無理矢理押さえつけられては女の力では抗いようもない。甘ったるい臭いのする湿った布を口と鼻に当てられて、急速に意識が遠くなっていった。
(ヤーノ……! ガヴィ、絶対連れて帰るからな…………ッシュ……)





 そんなに長くはならなそうですが、このまま長編扱いでいいかも。(2011.05.20)