晴れた日には、笑って。 07

 アッシュがしつこいお偉方を、目が全く笑っていない笑顔で振り切って、ルークの元へ戻ると、ルークを取り囲んでいた若者達があからさまに気落ちした顔をした。さすがに、この長い真紅の髪の持ち主がファブレ家の総領で、ルシファのパートナーだということを知らぬ者はいない。
「アッシュ」
 当分戻ってくることはないとでも思っていたのか、ルークが意外そうな顔をした。不機嫌に見返すと、そのままの表情で首を傾げる。

「私のパートナーを退屈させないで下さって、ありがとう。でももう結構です。ご自分のパートナーのところにお戻り下さい」
 ──一度だけダンスのパートナーを務めることくらいは笑顔で許可してやったが、そのあといつまでもルークに張り付いていることを許可した憶えはねえよ。しかもいつの間にかダンスの許可をやった憶えのない者までがなんで側にいやがる。

 元神託の盾騎士団特務師団師団長『鮮血のアッシュ』、当時そのままの眼光で殺気を押さえることもなくつけつけとアッシュがいうと、若者達は恐れをなしてルークから離れていった。だがその際、空気を全く読まずにルークが可愛らしく手を振って、
「面白いお話をたくさん聞かせて下さって、ありがとうございます。わたくし、こんなに笑ったのほんとに久しぶりでした。また是非、皆さんのお話を聞かせて下さい」
 などというものだから、若者たちはそれぞれ相好を崩し、我れ先に晩餐に、パーティーに、或は狩りにに招待したいと訴え始めた。ルークがいちいち嬉しそうに頷き「皆さんからの招待状なら、絶対にお断りなんかしないわ!」と断言したので、若者たちはおとなしく、だが名残惜しそうにそれぞれ会場のどこかへまぎれていった。

 にこにこしながら最後の一人の姿が消えるまで見送っていたルークを、アッシュは荒れ狂う胸の内をなんとか押し隠して、苦々しく見下ろした。
「てめえ……」
 アッシュが不機嫌極まりない形相で壮絶に眉を寄せているのを、ルークはきょとんと見上げたが、見る見るうちに不安げに表情を曇らせていった。
 そういう顔をすると、本来の年齢の幼さがのぞき、今の今まで楽しそうに笑っていた顔を自分が崩してしまったという罪悪感と寂しさが沸き上がってくる。憤りが行き場を見失って収まっていき、多分自分は今、ひどく情けない顔をしているのだろうと思った。
「アッシュ? どうしてそんな悲しい顔するの? ……私、何かヘマやっちまった?」
「ヘマじゃねえが、あんまり他所の男どもに良い顔してんじゃねえよ」
「良い顔って……。お父さまはいつも通りのお前の笑顔で、良いのを釣ってこいって言ったよ?」
「……くそ親父め……」
「えっ? 今の聞き取れなかった。なんて言った?」
「いいんだ」
 アッシュは溜め息をついた。
「お前にこう言っても分からねえかもしれねえが……ヤツらをあまり、その気にさせるな。期待を抱かせるんじゃねえ」
「……? それは、あの人たちがファブレ家に入るのに相応しくないということ? それともおれの方がふさわしくないから?」
「──っ」
 それをきちんと念頭に置いた上でのあの対応だったのか、と、アッシュは唇を噛んだ。
(くそ、どっちがガキだってんだ……!)
「……すまん。そうじゃない。お前がヤツらに相応しくないなんてこと、絶対にねえ」
「えっ?」

 お前が俺には絶対に向けない笑顔を、ヤツらに向けているのに腹が立っただけだ。醜い嫉妬を……しただけだ。

「それより、長いこと放ったらかしにして、済まなかった」
「ううん。皆がいて、退屈はしなかった。……それに、仕方ないよ」
 ふっとルークはフロア全体をぐるりと見回し、グラスを交わす人々、食べ物を摘みながら会話を楽しむ人々の幾人かが、こちらをちらちらと気にしている様子を収めた。
「何がだ」
「アッシュに今婚約者がいないから、娘を……と考えてしまうことが。お仕事の話みたいに連れて行かれたけど、本当はそんな話じゃなかった?」
「──!」
 図星を突かれて、思わずアッシュは瞠目した。「ルーク」の替わりにナタリア王女の婚約者になるかも知れないと目されてはいるが、未だその打診はない。つまりアッシュは、得れば様々に旨味のあるフリーの獲物、というわけだ。
「おれが被験者なら、これだけの時間パートナーから引き離しておくような無礼もしなかったとは思うけど。レプリカなんだから構わねえとでも思ったんじゃねえかな。ファブレ公爵夫妻が実の娘のように溺愛している、という噂が例え真実でも、あの人たちには大した問題じゃねえはずだ。……アッシュ? どうした?」

 まるで得体の知れないものを見るような目つきで自分を見ているアッシュに気付き、しばらく見つめ合ったあと、ルークはその顔に微かな憐れみの色を浮かべた。
「……おれだって、いつまでも無知なままじゃない。それに……女が受ける授業ってそんなんばっかなんだぜ。──男の耳には絶対に入れないだけで」
「そんなん、とは……」
「ふふ。それは女の秘密ってやつ。男には教えてやれねーの」

 貴族の娘と王族の娘とでは、受ける教育が違うのだそうだ。漠然と、上流階級の娘は皆同じ、と思い込んでいたルークは仰天して、最初は吐き気すら感じたものだ。
 政治、経済、歴史、地理という基本の教育の他、「殿方」の心、考え方を見極める方法、籠絡の手順、閨房での悦ばせ方まで──まるで娼婦が受けるのと変わらないのではないかと思われる授業。これは国王さえも知らないことだ。通常、母親が娘のために教師を手配する。諸外国に嫁ぐこともある王族の娘に、女たちが何を望んでいたのか、学べば学ぶほど思い知らされる。ナタリアには母親がいないが、万事を心得た女官長が密かに手配をしたはずだとシュザンヌが言っていた。当然、同じ教育を昔から受けていたことになる。その上であの、ちょっと世間知らずで、天然で、無垢な「ナタリア」を無邪気に演じていたのだと気付いたとき、自分が「真実のナタリア」をまるで知らなかったことに気付き、恐怖に震えもした。それを知れば、アッシュは絶対に、これまでと同じ目でナタリアを見ることが出来なくなるだろう。アッシュだけではない、それは男と言う性が、女と言う得体の知れない性に感じる、根源的な恐怖だ。
 授業に対する興味が、女性に対する恐怖心を凌駕し始めたころ、ルークのナタリアへの恐怖心は、少しずつ尊敬に変わって行ったけれど。
 ルークはひょっとして自分は、マルクトの王宮へ何らかの形で入り込むことを期待されているのかな、と考えていた。最も、クリムゾンがそれを強制してくるとは思えないが、ルークはそれでもいいと思っている。少しでも役に立てるなら、必要とされるなら……。

「ルー……、ルシファ?」
 アッシュらしくもない、伺うような声が聞こえ、ルークははっと我に返った。
「ごめんなさい、少しぼうっとしてた」ぼんやりとフロアを見つめ、呟く。「……曲が変わったね」
「出るか? 動きたそうな顔してるが、俺でよけりゃあ付き合うぞ」
「ほんと?」ルークはぱっと顔を輝かせた。もともと体を動かす事が好きな質なのだ、いい気分転換になるかも知れない。
「最初の一曲で終わりかと思ってたのに、いいの?」
「……ルシファ姫。この私と一曲踊って下さいますか?」
 アッシュが女性をダンスに誘う正式な仕草で腰を折り、手を差し出すと、ルークは驚いたように目を見張り、次いで頬を濃い紅色に染めた。
「ばぁか……」

 アッシュとルークがフロアに出て踊り始めると、そのあまりに呼吸の合った見事なダンスに、人々は感嘆のため息をついた。
 少し前から広まっていた噂を思い出す。そして職人たちの熱弁が決して大げさでなかったことを思い知らされるのだった。

 背の高い、貴族の若者の割に逞しい体付きのファブレ家の総領に、ほっそりとしなやかな、若竹のような姫が寄り添う。二人の髪色は色合いは違えど共に赤。キムラスカの王族の色だ。

 二人はまるで譜業で動く人形のようにぴたりと息があっていたが、姫のほんのり紅色に上気した頬、くるくると動くろうかん翡翠の瞳に、楽しげな表情が、見下ろす男の愛おしい者を見つめる優しい瞳が、二人が確かに生きた人間であると訴えかけていた。
 踊り終えた人々が三々五々フロアを離れると、二人の完璧な踊り手の前に尻込みしたように、新たにフロアへ出るものもそうはなく、気が付けばフロアの中央で踊っているのはごく僅かなペアになっている。何を話しているのか、二人はそんな周囲の状況に気付いていないようで、時折なにか言葉を交わしていた。その度に姫が笑ったり、驚いたり、膨れたりくるくると表情を変えるのが本当に愛らしく、外見に反して生まれてまだ二年だというレプリカの姫の無垢さ素直さを人々に訴えると同時に、レプリカだという侮りを失わせていった。

「やっぱり、アッシュが一番踊りやすい。こう動きたいな、ってところでぴたっとリードしてくれるもん。……ね、回線ってほんとに使えなくなってんのかな? お前、今使ってねえ?」
 片手をアッシュの肩に置き、片手を握られてくるくると踊りながらルークが首を傾げると、
「使ってねえよ。……頭痛でもすんのか」
「しねーけど……。じゃ、なんで」
「完全同位体だった名残、じゃねえのか? ──お前は感じねえか? 俺は時々それを感じることがある」
 ルークは驚いて、アッシュを見上げた。「そうなの? どんなとき?」
「お前がオールドラントに戻って来るまえに、ローレライがじきにお前を帰す、と通信を寄越して来た。場所までは言わなかったが、俺には分かった、そんなとこだ」
「! 私がどこにいるのか分かるってこと?」
「なんとなくな」
「こわっ!」
「なんだと?!」
「うそうそ! そんな恐い顔しないでよ。──元々一方通行だったんだもんね」

 クリムゾンはアッシュに良く似た渋面をなんとか保ってどっしりと構えていたが、内心もう、得意で仕方がなかった。
 ルークが、レプリカであるということも隠さず公表して欲しいといったときには難しい顔をした公爵だったが、我が息子、いや娘の、天性の麗質と、素直で、無垢な、誰からも愛される性格の前では、レプリカであるということなどなんの障害にもならないのだ。

「お前、もうルシファ様と話したか?」
「いや? だって、所詮レプリカだろう」
「レプリカだって、あの人は最高の女性だよ、な?」
「ああ。亡くなったっていう被験者がどんな女性だったか知らないが、あの人より素晴らしい人だったとはとても思えないな」
「だって、あの人の被験者は2000年の生まれだろ。とっくに社交界入りしているはずなのに、噂の一つも聞いたことがないぜ」
「お前も変な偏見捨てて、一度話してみれば……いや、いい。話さなくて」
「これ以上ライバルを増やしたくないな。……さっきの取り巻きの中にはリトレ伯爵もいたし」
「公爵子息なら、家格はぴったりだけど……。ライバルの公爵子息っていえば、ファブレには」
「アッシュ卿か。遠戚だし、強敵といえば強敵なんだが……だけどあの方には、ナタリア殿下がおいでだろ?」

 そこここで交わされるそんな会話に耳を傾けながら、首を傾げて我が子達を見つめていたシュザンヌだったが、やがて笑みをこぼして一つ頷いた。
「やっぱり、わたくしの思った通り」
「何がだ?」
 不思議そうに公爵が妻を見ると、シュザンヌは言った。
「貴方はお気づきでないかしら? アッシュは、ルシファを愛しているのですわ」
「なに?!」
 クリムゾンは目を剥いた。


(2011.03.24)