晴れた日には、笑って。 03

 大きな応接室に溢れでた色の洪水を一目見て、アッシュは絶句した。色も柄もとりどりの布が飛び交い、クリムゾン、シュザンヌ、ルーク、メイド達、仕立て屋、靴屋、宝石屋、大勢の人物で溢れ帰っている。

「何事ですか」
 唖然としながら両親の側に寄って行くと、クリムゾンが楽しそうに「おお、アッシュ。新年のパーティーで、ルシファのお披露目が決まったのだよ。今、新しいドレスを選んでいるところだ」といった。クリムゾンは妻の衣装にすら意見を述べたことがないくせに、ルークの衣装や宝石類には目の色を変えて熱心にあれこれと口を出している。「行儀見習いの遠縁の娘」が出来てから、シュザンヌもいつも活き活きと楽しそうで元気だ。あまり構うことの出来なかったかわいげのない息子と違い、母と娘ならばこういう共同作業の楽しみもあるのか、とアッシュは少し感心しながらルークに目を移し、軽く瞠目した。

 先が金色に変じた髪は一部を残して高く緩めに結い上げられ、ふわふわと長く残された髪にはくるくると綺麗に小手が当てられて巻き毛を作り、白い小さな生花が散らしてある。
 眉は細く弓形に整えられ、くっきりと引かれたアイラインに、ただでさえ大きな瞳がより強調され、頬はバラ色に染められていた。小さな唇も濡れたように輝いている。
 白を基調としたドレスは、ルークの体に緩やかに添っている。胸が大きく張り出しているせいか、ウエストはまるで折れそうなほど細く見えた。丈の低いスツールに腰掛け、華奢で小さな足を若い靴職人に差し出して試着をさせてもらっている。
 その、ルークの恥ずかしそうな顔、緊張しきってうっすら汗を浮かべ、ルークのかかとを捧げ持つ紅く染まった職人の顔をみて、アッシュはカッと込み上げた怒りに目の前が真っ赤になった。
「ルー、ルシファ!」
 声を掛けると、初めて気付いたというような顔でルークがこちらを見た。恐ろしく機嫌の悪いアッシュの顔を、気にした様子もみせずに見つめ返してにこりと笑い、履かせてもらった恐ろしくかかとの高い靴の履き心地を確かめるように立ち上がり、二、三度軽い足踏みをして、再びアッシュに視線を移した。
「どお?」
 アッシュは毒気を抜かれた顔で立ち止まった。
「……どう、と言われても、俺には」
 女性の靴の善し悪しなど分かるはずもない。するとルークが微かに苦笑して、こちらに近寄ろうとした。だがまだ履き慣れない高く華奢なかかとが、毛足の長い絨毯に絡み、ぐらりと前のめりにバランスをくずす。
「危ねえ……!」
 五、六歩はあった距離を一気に詰めてアッシュが頽れたルークの身体を受け止める。途端に感じた微かな違和感に、一瞬息を詰めた。
「……?」

 ルークにアッシュが触れたのは、タタル渓谷に迎えに行った時が最初で最後になるが、その時に比べて腕の中の身体が頼りなさを増しているように思えたからだった。
 ルークは、アッシュの胸を支えに体勢を整えたのだが、その時全体重をアッシュにかけたにも関わらず、アッシュがびくともせずに自分の腕を掴んだまま引き起こしたことに、ルークが俯いて唇を噛んだことなど、誰一人気付かなかった。
「大丈夫か」
「ええ、ありがとうアッシュ兄様」
 ぎょっと仰け反るアッシュに、ルークが憐れむような視線を向けた。彼──彼女は演技している。名門ファブレ公爵家の遠縁の娘、王都に行儀見習いにやってきたレプリカの娘、それを演じている。この場には仕立て屋、靴屋、宝石屋、あらゆる部外者がいるからだ。
 それに気付いて慌てて距離を取ろうと体を離すと、ルークの手がすっと差し出された。

「踊って下さる?」
「なに?」
「あら」
「まあ」
「おお!」

 こんなところで突然何を言い出すのかと眉を顰めると、周囲からは期待に満ちた声が上がった。
「俺は、」
「ダンスは苦手でいらっしゃる?」
 ルークが光る目をむけてくるのを挑発だと感じながらも、期待に満ちた眼差しでわくわくとこちらを見ているシュザンヌたちの前で突っぱねる事も出来ず、アッシュは仕方なしにルークの手を取った。

 音楽があるわけではないのに。
 二人で示し合わせたわけでもないのに、彼らは同時に、同じダンスのステップを踏み始めた。ルークは女性パートではあったが……。
 二人は同時に驚き、そして同時に苦笑した。
「……アッシュ、ダンスの師匠より踊りやすい」
「……何故こんな馬鹿な真似を」
 至近距離で密着しているため、二人は声を潜めて会話を続けた。
「こんな靴で踊れんのか知りたいんだよ。私のパートナー、今回だけはお前になるみたいだから」
「お披露目だからな。婚約者がいない娘のパートナーは、普通は身内が務めるものだ」
「そうなんだ。ナタリアはどうするの」
「皆事情を知ってんだ。今回ばかりは俺がパートナーでなくたって、誰も気にしやしねえよ」
「ふうん」
 それきりルークは黙ってダンスに専念する。ルークのいう通り、これまでに踊った事のある、どの女性よりも、ルークは踊りやすいパートナーだった。これも元・完全同位体であった名残なのだろうか。
(やっぱり少し、痩せた……な)
 確かめるように見下ろすと、化粧で上手くごまかしてはいるが、この至近距離では肌荒れと目の下の隈がはっきりと分かる。タタル渓谷で掴んだとき、あまりの細さに驚いて離してしまった手首も、一段とか細くなっているような気がする。ほんの少し前までは特に変わりがないように思ったのに……。
「少し疲れてんじゃねえのか」
「えっ? そんなことねえよ? パーティーはじきだし、疲れてる暇なんてないもの。まだまだ憶えることが山ほどあるんだ。もっと頑張らなくちゃ」

 丸々一曲ぶんのダンスを終えると、部屋中に歓声と拍手が鳴り響いた。取ったままの手にキスを落として名残惜しく手を離すと、ルークの方はあっさりと、アッシュを振り返る事もなくシュザンヌに近寄っていき、「おばさま、これ、すごく踊りやすい。この靴にします」などと報告している。
「一足ではつまらんだろう、他のももっと選びなさい。そして今度は私と踊っておくれ」
「……おじさま。そうね、宜しくってよ」
 いかにも楽しげな様子だが、アッシュは少し疲労の溜まった感じの顔色や荒れた肌が気になって仕方がなかった。

 しばらくは、クリムゾンとルシファが今いちタイミングがずれたままの、おかしなダンスを踊るのを見つめていた。
 ルークは自覚がないかもしれないが、新しい身体や環境、人生を馴染ませるためにかなりの無理をしている。もしかしたら、夜もあまり良く眠れていないかもしれない。でなければ、大丈夫、と笑う顔に、こんなにも不安になるはずがないような気がする。

シュザンヌやメイドたち、職人たちのみならず、踊っている本人たちもあまりの滑稽さに笑い転げているというのに、アッシュの耳にはそれが狂った歯車のきしみのように聞こえた。

 苦痛を堪えるよう、ぎゅっと目を閉じた後、アッシュは無言で踵を返した。

 ……クリムゾンの肩越しに、ルークが仄冥い瞳で彼をじっと見つめていたことにも気付かず。


 リアルの中世とか、参考にしたりはしていません。全部捏造でーすv (2011.03.20)