晴れた日には、笑って。 21

 ぐったりとうつぶせでベッドに沈み込み、うつらうつらと半分意識を飛ばしかけていたアッシュの後頭部を、ルークは思い切り、ぴしゃんと叩いた。
「──……ってーな」
「アッシュのばかっ! 待ってって言ったのにばか……! ばか、ばか、ばかあ!」
「……なんだ」

 ほとんど一晩中強い酒を呷っていた上に、聖堂からこっち身体を酷使し続けたため、油断するとすぐに意識を持って行かれそうになる。ルーク側から見える片目だけを面倒くさそうにうっすらと開けるアッシュに、眉を下げ気味にしたルークが嘆いた。
「ドレスの内側に、血の痕が付いちゃったじゃないか、血ってとにかく落ちないのに……!」
 アッシュの片目が問うように瞬く。
「気をつけたつもりだったが、汚したか? ……いいじゃねえか、二度も着るもんじゃねえし」
「そういう問題じゃないっての!! ペチコートはどろどろの台無しだし、ほんとあり得ない!」

 自分だって最後は流されたくせに、全部をアッシュのせいにして、さめざめと泣いているルークが握りしめている、絹地らしい固まりを引き寄せてみると、ルークの言うようにこすったような血のあとや、何やら謎の液体──おそらく自分の放ったものであろうが──によって固くごわついた箇所がいくつもある。……言われて思い返してみれば、気をつけていたのも最初の一回くらいだったかも知れない。
「すまん」
「私、アッシュとは式、挙げなくていいの?」
「……ちゃんとした方がいいか?」
「うーん……いや、まあ、どっちでもいいかな……」
 アッシュが腕を伸ばして来い、という仕草をすると、ルークは一瞬迷ったようだったがすぐに苦笑して、婚礼衣装のままこてんとアッシュの胸元に横になった。
「……どうせもう皺だらけだし」
「……加減も気遣いも出来なくて、済まない」
「もういいよ。……ほんとはそんなに気にしてない」
 アッシュの胸に顔を押し付けて目を閉じ、大きく息を吸うと、ケセドニアで暮らしている間にすっかり馴染んだアッシュの匂いがして、幸福感に頭の芯がくらくらとする。すぐに大きな手が髪に差し込まれ、より強く引き寄せられると、髪に優しい口づけが振ってきた。
「ずっと、俺だけのものにしたいと思っていた」
「うん……」

 ここまで辿り着くのに、一体どれだけの無駄な時間をかけたのだろう。
 あの子どものことを、何故もっと早く思い出さなかったのか。キムラスカ王家独特の、特徴あるピジョンブラッドの髪は、高い確率で優性的に現れる形質だが、朱色の髪のルークから、あの髪色の子どもが生まれる確率はかなり低いはずだ──相手が自分でもない限り。

『おおきいおにいさま』
 あの子は俺をそう呼んだ。その呼び名の裏には、『おおきいおにいさま』と良く似た『ちいさいおにいさま』の存在があることも、娘の前で全く頓着なく俺にキスしてきたことも、旦那様がいれば、俺が未来に来たことを納得させることが出来るだろうという未来のルークの台詞も、注意深く思い返してみればそれなりに事実を示唆してくれていたというのに……。

 はっきり言っといてくれりゃ良かったものをと、恨めしく思う気持ちがないではないが、あのころの自分の心情を思い出せば、そんなことを言われたって信じられはしなかったはず。当時あれこれと「ルークの夫」について想像を巡らせたが、アッシュはただの一度も自分を当てはめて考えたことがなかった。当時の自分にとっては絶対にあり得ないことだったから、ごく自然に除外したのだ。もしかしたら嫌悪感すら抱いた可能性だってあると思えば、あのルークのその判断は、おそらく間違ってはいなかったのだろう。

「廃工場でお前が、俺は女になったのがお前の方で良かったと思っているくせにと言ったとき、だから図星を突かれて、否定出来なかったんだ」
「うん……えっ?」
 ルークは驚いてアッシュを見上げた。いつになく穏やかな、ほんの少し笑みすらたたえた顔がルークを静かに見つめ返していた。
「……三年前、まだお前が男だった頃から、俺はお前が好きだった」
「……ほんと? いつから?」
「グランコクマで薬をやったの憶えてるか。……あのころから少しずつかな……」
 あの不思議な出来事があってから一月もの間、己のレプリカのことが全く頭から離れず、寝ても覚めても思うのはルークのことばかりだった。誰が彼の将来の伴侶なのかと考え、時に嫉妬までして。グランコクマで薬を渡した夜、自分の前で、鮮やかに表情を変えてみせたルークに、初めて自分のその感情に、どういう名がついているのか気付いたのを思いだす。ひどく懐かしそうに自分を見つめているアッシュに、ルークは泣きそうな顔で笑いかけた。
「全然、気付かなかったよ。……言ってくれれば、良かったのに。私、多分すごく嬉しかったと思うよ……」
「お前、ヴァンの妹に惚れてたろ」
「……なんで知ってんの」
「ずっとお前を見てたからな。……お前の視線がいつもどこに向いているか、すぐに分かった」
「アッシュ……」
「こんなことにでもならなきゃ、お前が俺の手の中に落ちてくる事なんかなかったろう」
「……」
 そうだろうか? おそらくはそうなのだろうが、やはり最後にはアッシュを好きになったはずだと反発したい気持ちも沸き上がって、口を噤む。
「私、じゃあ……やっぱり女になって良かった、かな」
「そうか?」
「うん。……あのね、アッシュほど早くからじゃないけど、私もずっとアッシュが好きだったんだよ」
「……そうなのか?」
 アッシュの目が軽く見張られた。
「あっ、ひで。私が好きでもない人と流されてこんなことするような人間だって、今の今まで思ってたわけ? ──自覚したのは、アッシュが泊まり込みの仕事入れるようになってちょっと経ったころからかな……。でももしかしたら、もっとずっと前からそうだったかも知れない。ひょっとしたら、バチカルを出る前から。……その時もそんな風に思ったから、きっとそうなんだと思う。……刺繍、楽しくなって来たのは、多分、アッシュが褒めてくれてからだと思うんだ。才能あるんじゃないかって言ってくれて、すっかりその気になっちゃったんだ。そんなこと、私一度も言われたことなかったから……嬉しくて」
「……お前こそ、なんで言わなかった」
「アッシュが私を好きだって分かったから。──三年も前からとは知らなかったけど」
 意味が分からないという顔をするアッシュに、ルークは笑った。
「私を好きなのに、それを知られないようにしてたし、一緒に寝てるのに、手も出して来ない。何があっても後悔するなって、自分で言ったくせに……。出してこないかな、と思って遠回しに誘ってもみたけど、落ちてくれなかったからさ。だからアッシュは、ナタリアと結婚してキムラスカの王位につくってもう決めちゃってるんだと思ったんだ。──絶対に私の方を選んでなんかくれないって……思ったんだよ」
「このやろう」アッシュはルークの髪の中に差し込んだ手で、愛おしそうにそれをぐしゃぐしゃかき回した。「あんまり警戒心なくべたべたくっ付きやがるから、俺は全く男として見られてねえなと思ってた。手を出してもいいんだと分かっていたら、もっと早くに決心できていたんだがな……ナタリアのことも、考えなかった訳じゃねえが、俺には他に、お前を自分のものにできねえと思う理由があったんだ」
「? ……どんな?」
「いや。──くだらねえ思い込みだ。そのうち話してやる。……そうだな、子供が二人、生まれたら」
「ええ?」ルークは思わず吹き出した。「それって、話す気がないってこと?」
「そうじゃねえ。──いや、今はいいんだ、わからなくて」

 額を撫でるように髪をかきあげ、額に、両頬に、唇にキスを落とすと、花が綻ぶようにルークが笑う。

「晴れた日には一緒に笑って喜び合って」
 ──キス。

「雨の日には二人で寄り添って悲しみを乗り越えて」
 ──キス、キス、キス。

「そうやって生きて行こう、二人で」
「……ああ」
「……大好き」
「俺もだ」

 深く、浅くキスを繰り返し、額をくっつけ合って笑い、鼻をこすり合わせては笑い、頬をすり寄せては互いに互いを抱き寄せて。二人は飽きることなくじゃれ合っていた。どこもかしこも柔らかく変わってしまった身体で、ルークはアッシュの分厚く、固い身体の重みを受け止める。この重みが幸せの重みだと感じる自分の頭は、どこかもうおかしくなり始めているんだろうか。
「ね、私が男だったころからって言ったけど、あのころの私の一体どこを好きになってくれたの」




「……………………胸?」

「………………………………はあ?」






 2011.04.06