「兄ちゃんたち、何処へ逃げるんだ」
「逃げるんじゃねえ、帰るんだ、ケセドニアへ」
「なら、急がねえと。船がもう出ちまうぞ」
「なあに、思い切り走りゃ、まだ間に合うさ。若けえしな」
「あの……。皆ありがとう」
アッシュの背中越しに必死で首を回しながら、ルークが乗り合わせた人々にお礼を言うと、人々は照れたように笑った。
「なあに、無理な強奪なら、俺達だって黙っちゃいねえ。でもあんたは、この兄ちゃんがいいようだ」
と船乗りらしき壮年の男が、日に焼けた顔にからかうような笑顔を浮かべる。
「……うん」
「なら、逃げ切って、うんと幸せにならなくちゃ!」と若い女が言うと、
「特に、あんたみたいは別嬪さんはな!」と老人が笑った。
天空滑車が止まると、人々は真っ先に二人が降りられるよう避けてくれ、二人を次々に叩いて激励してくれた。
アッシュがルークを抱えたまま、再び走り出す。
港に辿り着くと、並走して走っていた壮年の船乗りが、「駆け落ちだ! 追っ手が来てる、逃がすぞ!」と叫んで船に飛び込んだ。一瞬で状況を見て取ったらしい船乗りたちが「船を出せーっ!」と次々に呼応し、タラップを船に引き入れるのと同時に、アッシュとルークの身体を掴むようにして船に引きずり込んだ。船が岸を離れるのと同時に、一歩間に合わなかった白光騎士たち、バチカル市民たちが港になだれ込み、大歓声を上げている。
「アッシュ、降ろして」といいながら身をよじるルークを肩から降ろし、アッシュは折れんばかりにルークの身体を抱きしめた。
「間に合って、良かった……!」
「アッシュ」
「お前は俺のレプリカだ。俺が生きるために生まれてきたものなんだ。……だから、絶対に、誰にもやらねえ」
唸るように絞り出すと、アッシュはそっとルークのヴェールを後ろに回し、そっと腰を抱き寄せた。
ルークはじっとアッシュの顔を見上げた。決して自分のものにはならないはずだった、諦めるつもりだった男の顔を。良く見ると、頬に一筋、うっすらと白く、且つてルークの長い爪で掻かれた傷痕が残っているのが見え、ルークはおずおずと白い手袋の指でそれを辿った。じわりと涙が込み上げてくる。
「……そうだよ、私はアッシュを生かすために生み出され、アッシュのために死ぬように言われたんだよ。……それなのに、アッシュが私を手放そうとしちゃ、ダメだったんだよ」
噛み付くような口づけが襲った。長い間押し殺して来た激情が、一気に爆発したような、それはいつ終わるともしれぬ、激しい口づけだった。ルークは必死で応えようとしたのだが、受け止め損ねて息も絶え絶えになり、喘ぎながらぐったりとアッシュに寄りかかると、ふと、視界にぼんやりと港が映った。
「?!」
言葉もなく、自分の身体を支えるアッシュの腕にすがりながら、港の方へ視線を向ければ、剣と盾を打ち鳴らしている白光騎士たち、両腕を振り回して冷やかしの言葉を叫ぶバチカル市民の間に、クリムゾン、シュザンヌが立って、離れて行く船を見送っているのが見えた。シュザンヌはにこやかに、大きく手を振っている。
──そして。
その奥で、ジェイド、ガイ、アニス、ティア、ナタリア、フローリアンなどの懐かしい人々が、こそこそと身を縮め、人の波に隠れようとしているのが見えた。
「……みんな、」
先ほどまでの形相はどこへやら、滂沱の涙を流しているクリムゾンがこれまた大音声で叫んだ──「二人とも! 勘当だ────っ!!!」
「アッシュ?!」
「ふん。望む所だ──ちっ、どいつもこいつもおせっかいなヤツらだ……」
どうやら全員で何かを図っていたらしいという事に気付いたアッシュが、舌打ちをして頭をがりがりと掻いた。が、不安そうな顔で自分を見上げているルークに気付いてにやりと笑うと、港にいる人々に再度見せつけるように、ルークを抱き上げて、自分よりも高い位置にある唇に羽が触れるようなキスをした。
すると船側でもひゅーという冷やかしの声や指笛がひびき、「やるな、兄ちゃん!」「お前、男だぜ」という声が、荒くれた船乗りや、乗客たちに次々にかけられ、肩や腕を叩かれもみくちゃにされる。
「チケットはお持ちですかな?」
と、船長らしき人物がいたずらめいた視線を二人に向けて問いかけるのに、
「悪い、見た通りチケットを取ってる状況じゃなかったんでな、無断乗船だ。……部屋は残ってるか?」
「お二人に相応しいお部屋が空いておりますとも」
「ありがてえ」
「では、こちらへ」
アッシュがルークの肩をぎゅっと抱いて、船長の後を付いて行くよう促す。
歩き出す前に一度港の方角を振り返ったが、もう、あの懐かしい人々の姿は全く見る事が叶わなかった。
乗り合わせた人々の暖かい励ましや冷やかしを一身に受け、もうこれ以上はないというほど紅に染まった顔をアッシュの肩口に押し付けるようにして隠すと、それがまた新たな冷やかしに変わる。恥ずかしさに死にそうになりながら案内された船室に入ると、料金を払ったりチケットを受け取ったり、食事の時間を聞いたりしているアッシュを尻目に、ルークは船室を見回した。
これまでに乗った事のある独り部屋、二人部屋と比べて、特別広いわけでもなく、調度品が豪華なわけでもない。ただ、二人部屋には一人用のベッドが二つあるのに比べ、大きめのベッドが一つあるだけだ。
──つまりこれが「二人にふさわしい」ということなのかと理解した途端、ルークは船長の顔が見られなくなってしまった。
「どうした」
話が終わったらしいアッシュが船室に鍵をかけてからルークの前に立った。恥ずかしさに顔も上げられないでいると、「……いやだったか?」とアッシュらしくもない、自信のなさそうな声が聞こえたので、ルークは慌ててアッシュのシャツをぎゅっと掴み、首を振った。
顔が見たいと思うのに、ルークはシャツを掴んだままますます深く俯いていく。だが、ヴェールに半分隠れた耳が、付け根まで紅く染まっていて、ルークの気持ちを何より如実に表していた。
「……えっ?!」
あ、と思った時には、すでにルークはベッドの上に放り投げられていた。
「ちょ、アッシュ、待っ」
抗議の声はすぐにアッシュの唇と舌とで塞がれ、背中をまさぐるように手が回される。どこかでビッと何かが裂けるようなような音がして、ルークは一瞬で正気に返った。
「止めて止めて、ドレスの背中は縫ってあるんだ、乱暴にしたら生地が破れちゃうよ! それに、あっ、ちょ、っと、待って待ってヴェール……!」
必死で背けた顔を再び捕まえられ、またもキスの嵐が襲う。アッシュは実に器用に片手で髪のピンを抜き、存外丁寧な手つきでヴェールを抜き取るとサイドテーブルに放り投げた。続いてティアラが外され、ヴェールの上に投げられる。意外に重たい音が聞こえ、頭の隅の妙に冷静な部分が、純金のティアラが凹んだりしないかな、などと考えていた。
髪に長い指を差し入れて、頭を愛撫するように髪をほぐされると、香油で磨かれた艶のある紅緋の髪がさらさらと白いシーツの上に広がった。ドレスを脱がせるのは諦めたらしいアッシュの手が、ドレスの裾を割り、腿を辿って這い上がってくる。
「えっ、やだ、やだ、待って待ってアッ……あ、ああ、待って……!」
性別が変わり、身体の大きさも重さも、力も、アッシュとルークには違いが出来てしまった。今、ルークの身体の上にのしかかり、抗議を聞き流して自分の気持ちを「身体に直接叩き込もう」としているアッシュの身体は、押しても叩いてもびくともしない。掴んだ腕にも背中にも筋肉が張り詰めて、ルークの力ごときでどうにかできようとは到底思えなかった。
口づけの合間にもれ出る熱い吐息が少しずつ浅く、忙しなくなってきて、手足からどんどん力が抜けていく。一瞬だけ脳裏をイレイン教師の講義がかすめたけれど、すぐにアッシュの手が触れたところから広がって行く熱く激しい欲望の波に押し流されていった。
頭が真っ白になる。
もう、アッシュにしがみついていることしか、出来ない。