「あ、そのクッキー取って下さいな」
「これ? こっちの焼きたてスコーンもヤバウマだよ〜」
「ああ、僕、この濃ゆ濃ゆのクリーム大好きなんだよね〜」
「……ルーク、すっごく可愛かったわね……。あっ、そのケーキ下さい」
「ジェイドさん、お豆腐がお好きとお聞きしましたので、こちら作らせてみましたの。どうぞ」
「ありがとうございますファブレ夫人。──ふむ、豆腐を焼き菓子に使うとは斬新なアイデアですねえ……ああ、これは私好みです」
「うーん、このファブレ家オリジナルブレンドティー、懐かしい……。ルークもこれが好きだったな」
大騒ぎの果てにアッシュとルークを送り出した翌日、明かりが消えたように静かで陰鬱なはずのファブレ邸中庭では、持ち出された大きなテーブルの上に食べきれないほどの菓子や軽食が並べられ、わいわいとにぎやかなティーパーティーが催されていた。
「本当に皆さん、あの子たちのために色々と骨を折って下さって……。どうお礼を申し上げれば良いのやら分かりません。皆さんが揃って訪ねて来て下さった時には驚いたものですけど、これほどあの子のことを想って下さってたあなた方が、真実に気付かないだろうなんて、今思えばなんと失礼なことを」
「そんなこと、いいんですのよ叔母さま。わたくしたちは、ただルークに、わたくしたちが出来ることをしたかったんですの。──償いのためではなく」
「ルークの幸せのために」
お茶菓子を摘みながらさらりと返される暖かい言葉に、シュザンヌは頭が下がるばかりだ。この場にいる者たちが、様々な葛藤の果てにこの場にいてくれることを、聡い彼女は薄々気付いている。
「ルークの駆け落ち、手伝わせてもらえて、僕嬉しかったな。あんまり綺麗になっちゃってて、でもルークで、懐かしくて飛びつきそうになったのをガマンしてたら、恐い顔になっちゃった」
「フローリアンは、かっこ良かったぞ!」
照れくさそうに俯くフローリアンの頭を、ガイが片腕で抱え込み、わしゃわしゃとなで回す。
「そうね。微力だけど、ルークのために何かすることが出来て、私は嬉しかった」
「バチカル市民って、ノリ良すぎ! ティアと二人でちょっと駆け落ちだーって叫ぶだけで、ものすごい集団になっちゃって、アニスちゃんは押しつぶされてあわや圧死するとこだったもん」
「本当はこんな騒ぎになる前にアッシュが動いて下されば良かったんですのに……」
ナタリアの溜め息まじりの嘆きに、全員が頷く。時折ジェイドやアニスがこっそりとケセドニアの彼らの生活ぶりを覗き見て、この調子ならば遠からずまとまるものだろうと思っていたのに、一体、互いに何が引っかかっているのか、まとまる前にバチカルへ撤収しようという有様だ。その後、どうもヴェールが切っ掛けを作ってしまったらしいと気付いて、ティアは頭を抱えた。どうしても直接本人に会いたかったティアは、その理由として、刺繍や裁縫がすっかり特技になったルークに、自分自身の婚礼衣装を作ってもらえば、後でどんなに喜ぶだろうと日頃の乙女思考全開で考えたのだが、どうやら浅知恵に過ぎなかったようだった。ドレスまで注文すると、さすがにバストサイズが疑いを招くだろうと、急遽ヴェールのみにしたのも悪かったのかもしれない。これを予定通り注文しておけば、少なくともナタリアの衣装と勘違いすることだけはなかっただろうに。
「旦那。最後にアッシュに会って、何を言ったんだ?」
「特には。預言に踊らされるなと言っただけですよ?」
「預言?! ルークに預言が詠まれていたの? それともアッシュに?」
「どうでしょうか? ほとんどカマかけのようなものでしたが……。そのようなものに捕われていたようですね。彼もあまり多くを語るタイプではないので、確かとは言えませんが」
全員が食べる手を止めて、ジェイドを凝視した。彼はつまらなそうに肩をすくめて、視線の集中砲火の中、気にした様子もなくカップに口を付けた。
どういう理由かは結局分からないが、彼には確信があったようにジェイドは思う。『彼女の夫は自分ではない』『ピオニー陛下でもない』『ジェイド・カーティスの可能性はある』『ユリアン・ライムント・バルツァーなる人物の可能性も』少なくとも、昨日の朝まで、少なくともこの四つはアッシュの頭にあったはずだった。
「ま、どういう理由であれ脱却出来たのならめでたしめでたしです」
「一人めでたくない方もいらっしゃいますけど」シュザンヌが口元を隠して品良く笑い、ちらりとクリムゾンの執務室に視線を流した。「娘を盗って行ったと大騒ぎでしたのよ。ご自分の息子ですのに」
「号泣なさってましたものね」
笑っているのか心配しているのか分からない声でティアが言うと、
「めちゃくちゃ本気で、白光騎士団の指揮を取っておられましたしね」とガイ。
「だけど騎士の皆さん、弾んでいるというか楽しそうというか……おかしかったんですのよ足取りが! わたくしいつ気付かれるかとハラハラしましたわ!」
ナタリアが嘆かわしいといいたげに頬を押さえると、
「大丈夫だよぅ〜。あんな状況でそこまで見てる余裕なかったとアニスちゃんは思いまぁ〜す!」
「まあ、私たちの関与さえ気付かれてなければいいわ」
「そうですねえ、人も多かったし、おそらく見分けのつく状況ではなかったと思いますよ。──ところで勘当するとおっしゃっていたのは」
「ええ、一応、アッシュは殿下の次の婚約者と目されておりましたから。殿下にその気がおありでなくとも、他の貴族の方々を納得させるためにも、勝手に出奔した息子を勘当するのは当然です。……まあ、二年も経てば旦那様の方が辛抱出来なくなるんでしょうけど」
全員がシュザンヌの呆れ声に笑い声を立てたとき、興奮に顔を赤くしたメイドが中庭に駆け込んで来た。
「奥様! ユリアン・ローター様がお見えになりました!」
「すぐにこちらにお通ししてちょうだい!」
「ユリアン様がいらっしゃるんですの?!」
「きゃあん!! もう二度と近くでお会いすることなんかないと思ってたのに!」
慌てたようにバタバタと服装のチェックを始めるシュザンヌ、ナタリア、アニスに、真っ赤に染まった頬を隠すように手をあて、呆然と口を開けているティアを、ガイは憮然と、ジェイドは面白そうに見つめた。
「ユリアン様、こちらのサンドイッチもいかが? アニスさんの手作りで、ルシファの大好物でしたのよ」
「いただきます。……ああ、これは美味いな!」
「きゃわ〜ん! 当代一の超絶イケメン俳優との、これは恋の兆し……?! お料理上手の女の子はどうですか?!」
「アニスアニス、ちょっと落ち着きなよ」
「本当に素敵でしたわ……聖堂でユリアン様とルシファが並んで見つめ合ったところなど、あまりの美しさに物語の世界に迷い込んでしまったかと思うほどでした。わたくし、溜め息が出ましたもの……」
「あー……。アニスちゃん、アッシュが乱入してきたとき、目的忘れて『お前に異議有り!』って叫びそうになっちゃったよぅ〜」
「……確かに私も『無粋な』って思ったわ……。あっ、いえ! ごめんなさいごめんなさい、ルー……シファ。だってあんまり素敵だったんですもの……っ!」
「お可哀相に、アッシュ……。──でもわたくしもほんの少し……。ちょっぴり……。一瞬だけ……」
「アッシュ……む、惨い……」
「女性は怖いですねえ」
あの緊迫した空気の中で、女性陣が考えていたことを知って、ガイは顔を歪めた。その言われように関しては、同じ男として同情を禁じ得ない。
(ルーク、お前……。なるべくアッシュに優しい奥さんになってやってくれよな……)
「そうね、わたくしも、ユリアン・ローター様を息子と呼べたら……と、一瞬も考えなかったかというと、少し自信がありませんわ。ルシファが俳優さんみたいだと言い出した時にはかなりどきっとしたのですけど」
「名優ユリアン・ローター様をご存知ないなんて、アッシュとルシファくらいですわよ!」
「一人花婿役を雇って欲しいって言って、ユリアン・ローター様を担ぎ出すとはさすがファブレ家! 二人のため、って言いながら、随分楽しんじゃったよぅ! プライベートで歌を歌ってもらえたし、サインも貰えたし! あたし絶対家宝にするんだ!」
「「えっ?! アニスが売らないで家宝に?!」」
「ゴルァ! この無礼ものども! そこに直れ〜ぃ!」
ガイ、フローリアン、アニスの掛け合いに、全員から笑いが漏れた。
「まあ、ほほ。わたくし、以前から大ファンだったんですの。せっかくの機会なのだからと、ダメもとで打診してみたのだけれど、良いお返事をいただけてどれほど嬉しかったことか! ただお忙しくていらっしゃるので、あまり長く来ていただけないのが残念で……」
「恐縮です。でも、僕の方こそ、レプリカへの偏見を捨て去れる良い機会を与えていただき、感謝しているんです」
「えっ、元々は偏見をお持ちでしたの?」
「ええ。──いえ、その頃は直接レプリカに会ったことがなかったので、聞いた噂で漠然と。けれど子爵として参加した新年のパーティーで、友人たちに見る目が変わるから、一度話してみろと言われましてね。機会を窺っているうちにアッシュ卿が戻ってこられて側から離されなかったので、それきりになりましたが。ファブレ家からお話を頂いた時には、僕のほうにもルシファ姫への興味があったんです」
「そうだったんだ〜」
「ええ。お会いして本当に良かった。友人の言う通り、あの方は優しく、思いやりに溢れ、教養がある本物の貴婦人ですよ。それに人に自信を持たせるのが上手い。話を引き出すのも。話をしているうち、ぽろっと襤褸が出るのではと、時折ひやりとさせられました。」
ユリアンの真っ直ぐな賛辞に、何故か全員が照れて下を向く。
「そっか、ユリアン様は元々貴族の出自ってプロフィールなんだよね。ユリアン・ライムント・バルツァー子爵が本名でしょ? すっごくルークとお似合いだったし、ちょっとがっかり〜とか思ってない?」
からかうように問いかけるアニスに、
「そうですね。ファブレの女性を射止めたとあっては、父が狂喜乱舞しそうですが。でも私は勘当されている身ですので……。それよりは、むしろ我が劇団にスカウトしたかったな。ルシファ姫は、家庭に収まってしまうには勿体ないほどの優れた歌い手ですから」
「プロにそう言われるとは、すごいな、ルシファ!」
「わたくしは存じてましたわよ」
「私も知ってたわ。……たまに一人で私の譜歌の真似をしていたのを知っているの。理解が出来たら、術の発動も出来たと思うわ。──仲良くなれたら、特訓してみようかな」
「それは良い考えですわ! もともと第七音譜術師の素養はあるのですし」
「僕だけル、シファの歌、聞いたことないんだね。いつか聞かせてくれるかな?」
「もちろんさ。これからゆっくり仲良くなればいいんだし。アッシュを通せば、そう不審でもないだろう。なにせ、時間はたっぷりあるんだからな!」
「そうね……。ルシファ、今頃、どうしているかしら?」
「歌でも歌わされているんじゃないですか?」
「…………」
「?!」
「…………!」
「…………少将」
「おや?」
ファブレ家の系図では、クリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレ、その夫人シュザンヌの間に、第一子「アッシュ・フォン・ファブレ」第二子「ルーク・フォン・ファブレ」と記載される。アッシュ・フォン・ファブレ卿、その夫人ルシファ・フォン・ファブレの下には男女二名の名があり、そのうち男児のナイル・フォン・ファブレから、枝葉は大きく広がっていく。
救世の英雄と呼ばれる「ルーク・フォン・ファブレ」の名に没年は記されず、オールドラント帰還の記述もまた、ない。