晴れた日には、笑って。 19

 婚姻が成立する前は親族が、成立してからは新郎のみが花嫁を連れて歩くのを許されたウェディングアイルを、帯剣し、着替えの最中に飛び出してきたままの乱れた平服で、青年が一人、真紅の髪をなびかせながら大股に主祭壇へ向かって行く。参列客の咎めるような視線をものともしない、それは全く迷いのない足取りだった。

 新婦を庇うように立つ新郎の姿を、アッシュは初めて正面から捉えた。翠と、蒼の双眸が交錯する。

「……?」

 アッシュは微かに感じる違和感に目を細め、新郎をじっと見つめた。同じように新郎も、何かを見定めるようにアッシュを見つめ返している。
「……!」
 そのことにやっと思い当たり、アッシュは驚きに目を見開いて新郎を見つめ、次いで微かな自嘲の笑みを浮かべた。

 なるほど、確かに女性が好きそうな容姿ではある。
 色の白い、優しげな甘い顔立ち。淡いブルーの瞳に銀色の髪の、品の良い貴族の若者。年はアッシュよりもほんの少し上だろうか。

 ──その、銀の髪。

 くっ、と喉の奥から笑いが込み上げた。
 こいつがルークの夫のはずがない!

 未来のルークはなんと呼んでいたか──ウィン? いや、ウィス、ウィスだ。
 ウィスタリア、そんな名だった。何故今まで気付かなかったのか。何故疑っても見なかったのか。髪の色は俺と同じだと思ったはずだ。
 
 真紅だと、キムラスカ王族の色だと確かに思ったはずだ!
 
「アッシュ?!」
「行くぞ、屑!」
「は、えっ?!」

 ユリアンがすっと身を引いて、アッシュの前にルークを晒した。
「ユリアン?!」軽く押し出されたような気すらして、驚いて花婿を振り返るルークの手首を、有無も言わせずアッシュは掴み、まるでそうするのが当たり前のような顔をして悠然と歩き出した。参列客は、突然現れた花嫁泥棒の、あまりに堂々たる態度に、あっけに取られたまま身動きすら出来ずに見守るばかりだ。重い扉が開き、閉じる瞬間、何をしている、追え、追わんかと叫ぶクリムゾンの声が聞こえた。
 
 
 二人が聖堂を飛び出した瞬間、外では街の人々が二人を見て仰天し、飛び退くようにして道を開け、次いでわあっと歓声をあげた。婚礼衣装の美しい花嫁、飾り気のない、実用性一点張りの無骨な剣を下げた平服の青年が大聖堂から飛び出して来たのでは、どんなに物語に疎い人間でも何が起こったのかは一目瞭然だった。
「お嫁さんだ!」という興奮した小さな女の子の声が聞こえて、思わずルークは小さく手など振ってしまう。

 走り出したアッシュに、高いヒールを履いたままの足で付いて行く。片手を握られたまま、残る片手でドレスをたくし上げ。
 まるで夢の中にいるようなふわふわした気分で、目の前に揺れる紅い髪をみていた。
 髪の間から見え隠れする太い首筋や、自分の倍もありそうな広い肩幅、手首を折れそうな力で握りしめている指の長い、大きく無骨な手も、何故こんなに力強く、頼もしく見えるんだろう。
 一年近く前には、同じものを見ても全く違う思いを抱いていたはずなのに……。
 且つては寸分違わなかった身長も大きく変わり、歩幅も変わり、ルークを気遣い、全力にはほど遠いスピードで駆けているアッシュにすら、置いて行かれないようにするのが精一杯。
「戻らなきゃ……!」
 ルークは叫んだ。ユリアンを、新郎を置いて来てしまった。聖堂に戻らなければ、彼に恥をかかせてしまう。
「……だ!」
「えっ?!」
 前を走るアッシュがなんと答えたのか聞き取れず、ルークは叫ぶように問い返した。
 周囲からは「頑張れ!」だの「しっかり!」だのと興奮した街の人々が無責任な励ましを口々に叫び、その間に冷やかしの指笛やおかしな奇声がひっきりなしに聞こえて来ているし、後ろからは鎧や剣の音をがちゃがちゃ鳴らしながら、クリムゾンに下知を受けた白光騎士が追って来ている。走る事に集中していないと、長いドレスの裾を捌ききれない。
「何か言った?!」

「好きだ!!」

 あんなにうるさかった周囲から、ふっと音が消えた。
 呆然と、ルークはアッシュの逞しい背中を見つめた。薄いシャツ一枚の背中に、筋肉の束が浮いてみえる。アッシュの動きに、それがシャツの下でゆるやかに動くのが、その上で生き物のように躍動する真紅の髪が、まるでスローモーションのように現実感なく映った。

 自分は今何処を走っているのだろう?
 まるで雲の上を走っているかのように、足下がふわりふわりと、心許ない。
 
 今。
 アッシュは今、なんて。

「──っ、聞こえない!」
「────お前が好きだ!」

 嘘だ。嘘、嘘、嘘。
 だって、アッシュにはナタリアが、キムラスカが。
 アッシュが。アッシュに、それが捨てられるはずがない…………!

「聞こえねえ!」
「お前が好きだ!!」
「聞こえねーったら、聞こえねー!!」
「この、屑!!!」
 アッシュが顔だけで振り返り、横顔に獰猛な笑みを閃かせた。「待ってろ、逃げ切ったら身体に直接叩き込んでやる!!」
「アッシュ……っ!」

 裾を引きずるようにデザインされた純白のドレスは足にまとわりつき、高く華奢なかかとの靴は走り難い。
 アッシュの言葉に心臓が大きく跳ねた瞬間、ルークはとうとう体勢を崩した。
が、「転ぶ」と思った瞬間にはアッシュが振り返り、前のめりになったルークを支え、そのまま麻袋を担ぐようにルークの体を担ぎ上げる。
「この方が早え。このまま港にいくぞ!」
「そんな。今、私重いよ?!」
 ドレスの重さもさることながら、コルセットから宝飾品までの重さも体重に加算すると、結構な重量になっているはずだった。
「──っ、の、ようだな。ち、こんなに重てえもん着込んでよく走れたな!」
走りながら引きずっている裾をたくし上げて身体とともに抱え直す。
「アッシュ、自分で走れるってば!」

 顔がアッシュの背中側に回っているため、声は伝わりにくい。天空滑車の乗り場まで辿り着くと、市民達がなんと見張りの兵を羽交い締めにして二人を押すように通し、追っ手には大勢で詰めかけて人の壁を作ってくれる。
「ありがてえ、みんなすまねえ!」
 思わず素直にアッシュが叫ぶのに、あちこちから「頑張りな!」という声が飛んでくる。バチカルっ子はこういう面白い事件には目がないのであり、参加したがるのであり、今日は追っ手になってしまっている白光騎士たちから、あの日ルークとナタリアを逃がしたのと同じように、手を貸してくれる。
「駆け落ちだ!」「逃がしてやりな!」「通せ通せ」という声が次々に伝播し、あの時と違って煽動するものなどいないはずなのに、次々に協力者が現れるのである。

 天空滑車に二人が乗り込むと、それは発車時刻でもないのに扉が閉まる前に発車した。間一髪で追いついた騎士達に、次々とバチカルっ子達がタックルをかけているのが見えた。

「……?」
 バチカル市街が視界から消える寸前に、ルークは見覚えのある栗色の長い髪を、確かに見たような気がした。






2011.04.05