晴れた日には、笑って。 18

 良い香りの香油を良く擦り込んで、丁寧に梳いた髪を高く結い上げ、およそ人の業とも思えない、繊細で細かな造りの金のティアラを止める。
 一度だけ身体に合わせた純白のドレスの背中を細かく縫い合わせ、耳には大粒の真珠、品を失わない程度に開いた胸元にも、大粒真珠がこれでもかというほど使用された豪奢なネックレスが付けられた。
 本職の化粧師が、丁寧に時間を掛けて、ルークの顔立ちを一番美しく、華やかに見せる肌色を作り、丁寧に色を乗せていくと、近くで忙しく立ち働いていたファブレ家のメイドやローレライ教団員、シュザンヌが一斉に溜め息をついた。
 ルーク本人でさえ、思わず身を乗り出して鏡に見入り、本当に自分なのかというように鏡に向かって手を伸ばしたほどの出来映えだった。

「こんなに美しい花嫁さんを、見た事がありません」と若い教団員が言えば、「わたくしの最高傑作ですわ」と化粧師が満足の笑みを浮かべて額の汗を拭う。
「ああ、ルシファ。とても美しいわ。……これは、お父様がまたぐずぐずおっしゃるわね。面倒だこと」
 あははっとルークは笑い、
「でも、自分でもびっくり。私じゃないみたい。ありがとう」と化粧師をねぎらう。
「ユリアンは見にくるかな?」
「花婿は式が始まるまでは、花嫁には会えないきまりです」
 綺麗に出来た姿を夫になる人に早く見せたいらしい花嫁を、教団員は微笑ましく思いながら花嫁支度に使ったあれこれをまとめて慌ただしく出て行ってしまう。メイドたちも参列を許されているので、次々に退出の挨拶をすると控え室には母と娘二人になった。
「アッシュは、まだ来てない?」
「そうね」
「綺麗だって思ってくれるかな」
「こんなあなたを見たら、手放すのが惜しいと思うんじゃないかしら」
「そう、かな。そうだといいな」
 ルークは笑んで、目を閉じた。
 ナタリアよりも、綺麗な花嫁として記憶に残してくれたらいい。
 惜しい事をしたと悔しがってくれたら、すごく嬉しいのに……。


 ノックの音が響き、シュザンヌの衣擦れの音、「お届けものです」という声が聞こえて、ルークは驚いて顔を上げた。
「ああ、ヴェールが届いたのね」
「……ヴェール?」
「ドレスとは別にお願いしてあったの」
 衝立ての陰で扉が開き、聞き取れない声でのわずかな問答があったあと、大きな箱を抱えてシュザンヌがルークの元へと回り込んでくる。
「母上?」
「アッシュはまだ来ていないみたいですよ。……あの子ったら、本当にどこまでも旦那様そっくり」
 シュザンヌは嘆かわしいと言いたげに軽く首を振り、気を取り直すようにルークに明るい、慈愛に満ちた笑顔を向けた。
「前にも言いましたが、わたくしはずっと娘も欲しいと思っていたのです。アッシュを生んだあとは残念ながらそんな機会には恵まれなかったけれど、思いがけずあなたを授かって、どれほど嬉しかったことか。母親にとって、娘の婚礼の準備をすることは夢の一つであり、大いなる喜びなのですよ」
「……母上」
 
 シュザンヌの手によって開けられた箱を見て、ルークは絶句した。
 それは、予想だにしなかったもの。
 今、ここにあるはずのないものだ。
「これ……っ」
「まあっ、なんて見事な!」
シュザンヌが感極まったような声を上げて、羽のようなヴェールを光に翳すのを、ルークは呆然と見つめた。

 最高級のシルク。チュールボビンネット。淵に入れられた刺繍は、ヴェールに合わせてあまり重たく見えないよう、どこまでも繊細に透けるように、施されている。

 そのモチーフになる花は。

 ふわりと頭からヴェールが被せられ、高く結い上げられた部分に目立たないピンで止める。二の腕の半ばまでを覆う、ドレスと同じ純白の手袋を着けた両手で、目の前を覆うヴェールを持ち上げた。思った通り、これはルーク本人が一月かけて刺繍を刺したもの。見覚えのある花のモチーフは、セレニア。

「娘に最後の仕上げを、ヴェールを付けてやれる日がくるなんて」
 シュザンヌがはしゃいだ声を上げていたが、ほとんどルークの耳に入ってはこなかった。

 これって、どういうこと?
 なんであのヴェールが私のとこに。
 これは、これは……ナタリアのじゃなかったの……?

 混乱しきりのルークに、
「これで完成ですよ、ルシファ。ではわたくしも聖堂でお待ちしていますからね」
とシュザンヌは言い、うきうきと部屋を出て行ってしまった。
「ちょ、待っ……!」
 我に返って慌ててシュザンヌを呼び止めるのと、扉が閉まるのはほとんど同時だった。

 一人残され、セレニアをじっと見つめていると、ルークの心の内に、なんだかパーティー会場を間違えたデビュタントのような、心細く不安な気持ちが広がってくる。誰かに声をかけて、自分が行くべきは本当はどの会場かと聞きたいのだが、誰に聞くべきか分からないまま、音楽の演奏が始まり、ダンスが始まる中で、パートナーを見失った自分だけが、呆然と一人で立ち尽くす……。
 
 セレニアは、いつも自分の旅立ちの象徴だった。
 一度目は、ティアと一緒にタタル渓谷に飛ばされたとき。
 二度目は、ユリアシティで変わる事を決意して髪を切った。
 この刺繍は、三度目の旅立ちを表すのか──なにを象徴しているのだろうか。

 どこかで、ひどく警鐘が鳴っている。何か、とんでもない勘違いをしているような気がする。
 このまま結婚してもいいのだろうかという、漠然とした不安が、この結婚を決めてから初めて胸に広がった。
 この不安は一体なんなんだろう? 話が纏まってから式までが早すぎやしないかと思ったのは、やはり何かの警告ではなかったのか。
 そんな風に思った時、控え室の外から、お時間ですよ、という声がかかった。




 ルークを一目見て、でれでれと表情を崩したクリムゾンは、世にも嬉しげに己の腕にルークを掴まらせたのだが、親族の席に息子の姿がないことに気付くと、これ以上なく不機嫌そうな顔になった。そのクリムゾンの腕をとり、大勢の人々が列席する薄暗い聖堂の身廊を、正面の主祭壇へ向けてゆっくりと歩いて行く。ちらりと見た所、知らない人ばかりだが、多分ファブレ家と色々つながりがある人々なのだろう。美しい花嫁に息を飲む人、口をぽかんと開けたままの参列客もいるようで、ルークはそういった無言の賛辞を、それなりに心地よく受け取りながらも、むしろあまりに不機嫌なクリムゾンの表情が他人の目にどう映るのか気になって仕方がなかった。それに、どうしてアッシュの姿がないのだろう? シュザンヌの隣は、右も左も空席のままだ。

 これでいいのかという不安は、胸の内で大きく膨らんで行くばかりだった。嫌なのではない。ただ、いてはならない場所にさ迷い込んだような、そんな心細さが消えてはくれないのだ。

 内陣はあまりに薄暗かったので、クロッシングまで来て初めて、主祭壇の上部にあるステンドグラスから入るほのかな明かりで、そこに立つ人の姿をぼんやりと見る事が出来た。薄く、胸のすくような香の香りが辺りを漂っている。
 驚きのあまりの叫び声を上げなかったのは、いっそ上出来と言えよう。

(な。なんでフローリアンがここに?!)

 視線が合ったが、フローリアンは記憶にある無邪気な表情ではなく、厳しく締まった表情をしている。男子三日会わざれば刮目して見よとの言葉通り、この二年の間に指導者らしい貫禄が備わり、少女めいていた顔も、見違えるほど少年らしくなっていた。

(え、えっ? いくらファブレ家がキムラスカ屈指の名家とはいえ、たかが一貴族の婚礼に導師は出ないでしょう? なんでフローリアンが??)

 胸の内で激しく鳴り響く警鐘──心臓の鼓動は、今や割れんばかりに激しくなり、ルークになにかの異変を告げている。大混乱まっただ中のルークを、不機嫌を通り越して鬼の形相になったクリムゾンが花婿に引き渡した。ユリアンがちょっと目を見張ってにこりと笑うのに、ルークも反射的に笑みを閃かせた。

「本日、皆様にお集りいただいたのは、ユリアン・ライムント・バルツァー子爵、並びにルシファ・フォン・ファブレ嬢両名の結婚の儀の、誓約を見届けていただくためである」
 懐かしいイオンの声より低くなった、通りの良い声が朗々と聖堂中に広がっていく。それを確かめるように間をあけてから、フローリアンが再び口を開いた。
「この両名の結婚に異議あるものは、今速やかに申し出よ。さもなくば、永久に口を閉ざすべし」

 しん、と場が静まり返る。ここでしわぶき一つしようものなら、それを異議の申し立てと捉えられるのではないかと、恐れるように。
 誰も異議を唱える者がいないのを確かめるだけの間を開けて、フローリアンが次の文言に移ろうと息を吸って口を開けた。


「異議有り!!」


 戦場で激を飛ばすのに慣れた大音声が、聖堂中に響き渡った。薄暗い聖堂内に一条、外の陽光が差し込んで、消える。






 ご想像通りです、すみません、ベタすぎてすみません>< (2011.04.05)