晴れた日には、笑って。 17

 式の準備はあれよあれよという間に進んで行った。貴族の結婚とはこういうものなのか、それともルークが、もう身体年齢で二十歳を越してしまったからなのか、なぜ話がまとまったばかりでこれほど急がれるのかとルークは不思議でならなかったが、シュザンヌやメイドたちの張り切りようを見ていると、なんとなく早く彼を迎え入れたいという魂胆も読めるような気もして、結局は苦笑一つで彼女たちの好きにさせているルークだった。
 ただ、漏れ聞くところによると、貴族の結婚とはもったいを付ける事が多いとのことなので、やはりこれは異例のことなのかも知れなかった。
 
 時折、ルークはアッシュのもの問いたげな視線を感じた。多分、この家のために、両親を安心させるために、といった犠牲的な気持ちで結婚を決めたのではないかと、心配してくれているんだろう。また馬鹿なことをしでかすのではと、ハラハラする気持ちもあるかも知れない。

 あの頃の狂乱の一番の被害者がアッシュだったのだから、それは無理ないかも知れない。バチカルを出たばかりの、食事がまともに食べられなかったころ、無理に食べさせようとするアッシュとの攻防の末に、彼の顔に青あざや引っ掻き傷を、手には噛み傷を、たくさん作ってしまったルークだ。あまりに深く引っ掻いたために、血とともに膿までが流れ出したのを見てまた号泣して。アッシュは血まみれの顔のまま、ルークが泣き疲れて眠るまで、ずっと抱きしめていてくれた。
(あの頃は、アッシュを見るたび嫌な気持ちになったし、無理矢理食べ物を口に押し込んできやがってうざい奴、なんて思ってたんだけどなあ……)
 そのくせ今考えれば、どんな我が儘を言っても、殴っても引っ掻いても、噛み付いたって、絶対に許してくれる、抱きしめて甘やかしてくれると、心のどこかで確信を持って甘えていたような気がするのも確かなのだった。
(あの傷痕は、もう全部綺麗に消えたのかな)
 いつも見ていたのに気付かなかったのだから、消えたのかもしれないけれど、どんなに薄くでもいいから、一つくらい残っていてくれればいいと思うのは、ちょっと自分勝手すぎるだろうか。

 考えてみれば、アッシュの感情を読み取るために、いつも見ていたのはルークのものより濃い、フォレストグリーンの瞳ばかりだった。口下手で、感情を押し隠す傾向にあるアッシュだけど、あの瞳だけは何も隠さず、何も余さず、何より雄弁に彼の想いをルークに教えてくれた。
(多分……嫉妬、もしてくれてるんだよね、アッシュ……)
 
「これを合わせてみてご覧なさい。あなたのために予てから用意させておいたものなの」
 シュザンヌがルークに差し出した箱には、純白のドレス。いつのまにと思いながら合わせてみると、それは驚くほどにルークの身体にピタリと合っていた。正面から見るとゆるゆると身体に添い、ふくらみのないデザインなのだが、横から見ると、裾は後ろに長く流されている。袖は肩のところで断ち切られ、純白のドレスに少しも見劣りしない、白く滑らかな二の腕が剥き出しになっている。染料を丁寧に落とされ、ゆるくコテを当てられて、結われないまま柔らかく肩に、背に波打つ紅緋の髪が、白いドレスに驚くほど映えていた。
「まあ」
 シュザンヌやメイド達が一斉に溜め息をついた。
「あなたには、本当に白が良く似合う。──直す所が全然ないわ」
「採寸された憶えないんだけど……」
「見ただけでサイズが分かる仕立て屋さんなの」
「すげ。アニスみたいだな……でも一体、いつ……」
 試しに歩いてみる。長い裳裾は重く、ヒールは細く、しかも高く、歩きづらいが、それは身体に合わないせいではない。
「転びそう。気を抜くと前屈みになる……。いくら父上やユリアンに掴まって歩くんだって言っても、少しは練習した方がいいみたい」
「そうねえ……。でもとても素敵。わたくしの若い頃とは、ドレスのデザインもどんどん変わっていくものなのね。いくつになっても、こういうものを見ると胸が高鳴るし、気分が華やぐわ」
 シュザンヌはあちこちをチェックして、ほんの少しも気になるところがないことを確かめ、ほうっと息を吐いた。
「お父様やアッシュが見たら、なんとおっしゃるかしら。誰か二人を「母上! いいよ!!」」
 クリムゾンとアッシュを呼びに行かせようとしたシュザンヌを、ルークは一言、だが激しい声で止めた。
「──いいんだ」
 今、アッシュに会いたいとは思わない。こんな中途半端な姿を見せたくはない。見せるのは、式の当日、完璧に仕上げられた姿だけでいい。





 屋敷中の至る所で、ルークの夫と、ルークの結婚が話題にされていた。こんな明るく、華やかなニュースは久しぶりだから、屋敷全体が何か浮ついた空気に包まれている。それをたまらなく不快に感じるアッシュは、準備が進められているこの一月というもの、ほとんど屋敷により付かなかった。城の執務室で仮眠を取り、屋敷には風呂と着替えに戻って来るだけ、それも毎日ではなく。

  ルークの結婚式前夜、昨夜遅くに戻り、シャワーを浴びて着替えたあと、強い酒を浴びるように飲んだが、その酒は酔いや眠りといったささやかな恩恵すら彼に与えてはくれず、酷い頭痛だけをもたらしたまま朝になった。
 何故これほど結婚を急ぐ必要があったのか。
 グズグズと文句ばかりのクリムゾンも、それを積極的に止めようとはしないし、シュザンヌはむろん、病弱というのはなんの冗談だったのかと思うほど、娘のために全力で飛び回っている有様だ。
 ルークを捕まえて、本気で結婚するつもりなのかと問いつめたかったけれど、そんな面倒な気配を察したかのように、のらくらと避けられているうち、アッシュは嫌でもルークの気持ちを悟らされ、結局何を問うでもなく、口を噤まざるを得なかった。
 ──ルークは嫌がってなどいないのだ。
 むしろ楽しそうですらあった。一度など二人が合わせている歌声が、離れの部屋まで聞こえて来て、窓を閉じて耳を塞いだ事もあった。
 ぴたりと寄り添う、伸びやかで晴れやかな歌声は、屋敷中のものに感動の涙を流させたけれど、押さえた耳の奥でいつまでも流れるそれは、アッシュの心を軋ませるばかりだった。


「アッシュ様、お着替えはお済みですか?」
「──すぐにする」
 先ほどから何度も繰り返されている問答に、メイドが焦って来ているのがわかる。遠縁、しかもレプリカの結婚式といえど、ファブレ家の総領としてアッシュが出ないわけにはいかない。
 酒精を落とすために取り敢えずシャワーだけは浴びたが、出なければならない時間になっても、着替えるために指を動かすことすらおっくうで、ソファにだらしなく寄りかかって天井を見上げている有様だ。

「──アッシュ様」
「うるせえな!!」

 何度目かの問いかけに、とうとう切れてドアに向かって酒瓶を投げつけた。重たい物がドアに激突する音、ガラスの割れる音がアッシュの憤りの大きさを表すように響き、ドアの向こうで小さな悲鳴と、駆け出して行く足跡が聞こえた。まだ中身が残っていたと見えて、強い酒の芳香が部屋中に漂う。
 大きく舌打ちをして、がりがりと髪を掻きむしる。このままここにいてぐずぐずしていたところで式が中止になるわけではない。むしろメイドにあたるばかりだと諦めて、片手で胸元の釦を外しながら、綺麗に畳まれて用意されたドレスシャツに手を伸ばしたところで、控えめなノックが聞こえた。と同時に、返事を待たずにドアが開けられる。

「入りますよ?」
「……入室の許可をやった憶えはねえ。出て行け、死霊使い」
 入り口に散らばるガラス瓶を避けるようにジェイドが入って来て、目を細めてベッドサイドのテーブルに置かれた空の酒瓶や、そこから転がり落ちて床に転がる酒瓶の数々を一瞥した。
「荒れていますねえ。はやく着替えないと、式が始まってしまいますよ?」
「出て行けと言っているのが、聞こえねえのか」
「……あなたを見ていると、ネフリーが──私の妹ですが──結婚した時のピオニー陛下の姿を思い出します」
「……何が言いてえ」
「互いに愛し合っていたのに、預言で結婚すると詠まれた男のところに、ネフリーは嫁いで行きました。ピオニー陛下はともかく、ネフリーは今じゃそれなりに幸せにやっているようですが、預言を無視して陛下と一緒になっていたら、果たして今より不幸になっていたのか、幸せになっていたのか」
「下らねえな」
 これ以上はないほど眉を寄せた不機嫌なアッシュに頓着せず、ジェイドは光の反射で、内心を窺わせない眼鏡を押し上げた。
「やれやれ。あなたは女性一人、自分の力で幸せにする自信がないんですか?」
「なんだと……」
「あなたがルシファ嬢を好きなことは、屋敷中のものが知っていますよ。あなたは隠しているつもりでしょうが、それほど強い想いは秘めておくことも難しい。なのにあなたは彼女を他人の手にゆだねておきながら、なおも諦めきれずにあがいている。あの時、預言に負けてしまったピオニー陛下のようにね」
「──てめえに何が分かるってんだ! 預言なんかじゃねえんだよ……っ!!」
 激情にかられてサイドテーブルの酒瓶を凪ぎ払い、アッシュはどさりとベッドに腰を下ろし、顔を覆った。「何も知らねえくせに、勝手なことを……」
「ええ、もちろん、知りませんよ? 預言はもうない。もしも預言があったなら、あなたと一緒になればルシファ嬢が不幸になると詠まれていたとしても、私がそんな預言を、知るわけがない。あなたもね。それとも何か? 預言ではないのなら未来を知っているとでも?」
「な……に……」
 愕然と顔を上げて、アッシュはジェイドを見上げた。
「馬鹿馬鹿しい話ですが、例えそうだとしても、それがなんだというのです? 未来が決まっていれば、その通りに行動しなければならないのですか? 私が彼女の夫と定められていたら、私を引きずって彼女のところへ連れて行きますか? ──おやおや? なんだかどこかで聞いたような話ですねえ? そういう考えを修正させ、自由な未来を選べるように、命を燃やし尽くして消えていった可哀相なレプリカの少年がいましたが……。確か、あなたのレプリカではありませんでしたか?」

 いつもの胡散臭い笑みを浮かべた顔ではなく、全く表情のない顔、いや、むしろ微かな憤りすら感じさせる顔で、ジェイドは嫌味に満ち満ちた台詞を吐いた。

 ──だがあれは、預言なんかじゃない。もっと確かな……。
 ──もしも未来を知らなければ、愛おしいというこの衝動のままにルークを手に入れることが出来たのか……。

 預言が、詠まれなければ。
 ──未来を、知らなければ……。

「くそっ!」儀礼式典用の剣帯に、使い慣れた無骨な剣を下げながらアッシュはジェイドにぎらりと鋭い視線を向けた。「礼は言わねえぞ」
「要りませんよ。貸しとして、ツケておきます」
「けっ。言いやがる」

 ジェイドを私室に残したまま、アッシュは部屋を飛び出した。
「アッシュ様?!」
 ラムダスの呼び止める声が聞こえたが、構ってはいられない。式はもう始まっているはずだ。

 俺としたことが、眼鏡に言われるまで気が付きもしねえとは! 
 レプリカのあいつが、何もかもを投げ打って、自由な未来を選べる世界をもたらしたってのに、被験者の俺が、まるで預言を盲信する狂信者どものような真似をしていたとはな!
 あいつの亭主が本当は誰だって、関係ねえ。俺と一緒になったって、あいつが不幸になるなんて、絶対にありえねえ。
 俺じゃない男の隣でどんなにあいつが幸せそうに笑っていたって、俺はそれ以上にあいつを幸せにしてやる。笑わせてやる。この俺以上に、あいつを幸せにしてやることの出来る男なんかいる筈がねえんだ。
 どっかの誰かがどれほどあいつを愛したとしても、俺以上ではないはずだ。この俺以上に、あいつを愛する男など、いるはずがねえんだ。

 ──絶対に、だ!






2011.04.04