「うわあ……ほんとにすっごいいい男だね。……でも、これ、画家が手心加えてない?」
ルークは目を見開いて、しげしげと絵姿を覗き込んだ。
「やっぱりルシファもそう思うのね」
シュザンヌも年甲斐もなく薄紅に染まった頬を押さえて反対側から同じように覗き込む。「それが、画家の腕の方が負けているくらいなの。それにお顔だけでなく、お声も素晴らしくていらっしゃるのです!」
「すごいな! 俳優さんみたいだね? でもまさか母上。……顔で選んだんじゃないよね?」
「まあルシファ」シュザンヌはコロコロと笑った。「でも俳優さんみたいだという貴方の感想はもっともだと思いますよ。旦那様は顔のいい男にろくな奴はいないとおっしゃって、かなりカリカリされておられるけど、本当は屋敷中の女性や私が、皆子爵様に夢中になっているのが気に入らないのです」
「父上ったら……。そんなこと言ったら父上だってアッシュだって、『ろくな奴』じゃないってことになっちゃうじゃないか」
「ま。……でもそうですね、お父様はあんまりろくな殿方じゃないかも知れなくってよ? 若い女性にはあまり自制心の働かない方のようだし?」
「わあお」とルークは大げさに驚き、苦笑した。セシル将軍のことを当てこすったのは明らかだった──もしかしたら、自分の知らない女性なども父にはいて、母はそれを把握しているのかもしれないけれど。それにしても、自分が息子だったころ、そんなことちらりとも匂わせなかったのに、娘になると随分あからさまなことを言われるんだなあ、とルークは母と娘の特殊な絆を少し意識してしまう。
「でもさ。……アッシュは違うと思うよ。アッシュはこの人とは全然系統が違うけど、すごい頼りになって、かっこいい奴だ。 でも、多分……ううん、絶対、アッシュは一人をずーっと大切にするタイプだと思うな」
「それはどうでしょうか? アッシュはお父様の息子ですよ」
「アッシュは違うよ」ルークは頑なに首を振った。アッシュへの気持ちを自覚して、そしてアッシュの自分への気持ちを悟って以来は、同じベッドで眠る事はまるで嫌がらせに近かったように思う。彼がルークを欲しいと思っている事も、ルークが眠っているか確かめて、こっそりとベッドを抜け出し、息を顰めて処理をしていることも気付いたのに、無邪気なフリをして寄り添い、抱きつき、時には胸を押し付けてみたりして、アッシュが堕ちてくるのを待っていた。
──残念ながら、アッシュはその卓越した自制心で、この女郎蜘蛛の張った巣には引っかかってくれなかったけれども。
(ま、単に私に、女の魅力ってものが足りなかっただけかもしれないけどさ……)
「アッシュはナタリアをすっごい大事に思ってるもん。……絶対、絶対、違うよ」
「ルシファ」
シュザンヌはほんのりと笑んで、娘の両頬をそっと包み込んだ。
「──アッシュを愛してるのね?」
どんなにルークがそれを隠したいと思っても、びくりと跳ねた身体がそれを肯定してしまった。見開かれた大きな瞳から涙が溢れ出して、シュザンヌの指を濡らしていく。
「──っ、アッシュ、アッシュには、言わないで」
「ルーク……」
「アッシュに、……知られたくない。もう……知られたく、ない」
シュザンヌは優しい慈母の笑みを浮かべ、娘を抱き寄せると、チョコレート色の見慣れない、でも優しい色合いの髪にそっと頬を押し当てた。
「言いませんよ、わたくしのルーク。わたくしの小さなルーク。わたくしたちは、あなたの気持ちを一番大事にしたいの。このお話は全部、お断りしても構わないのよ」
「……」
ルークは泣きじゃくりながら首を振った。誰にも知られたくない想いだったのに、知られてしまった。でも、自分の想いを、母は否定しなかった。それだけで救われる。
「アッシュに、想いを打ち明けてみる気はないの?」
「……初めは、そうしようと思った。でも、もうないよ。困らせたく、ないんだ。もう決めたんだ。それにアッシュの替わりに誰かと適当に結婚してもいいって思ったわけじゃないよ? その人はその人、愛する人がまた一人増えるだけだ。……そうでしょ?」
「……そうね」
「……ね。母上は父上を愛していたから結婚したの?」
「いいえ。……そうね、でも今は愛しているわ。女性にだらしのない困った人でもね」
シュザンヌは肌触りのいいハンカチを取り出して、娘の涙を吸い取りながら言った。確かに結婚当時は愛などなかった。
くすり、とルークは笑った。「この人は、どうかな? ──私、心が狭いもん。浮気とかしたら、多分ぶっ飛ばすよ?」
「まあ、ルシファ」シュザンヌは声を上げて笑った。
「……お父様には、わたくしも何度そうしたいと思ったことか。でも、晴れた日には一緒に笑って喜びを分かち合い、雨の日には寄り添って悲しみに立ち向かえる、そんな風に生きて行ける人は、やっぱりお父様しかいないとわたくしには思えるの。……まあ、他の殿方をあまり知らないから、そう思うのかも知れないけれど」
「母上ったら!」
ルークは母の心情の吐露をこそばゆい気持ちで聞いていたが、やがてこてん、とシュザンヌにもたれて微笑んだ。「いいね、それ。晴れた日にも、雨の日にも……か。私もきっと、そういう人を好きになるよ……」
ラムダスに呼ばれて応接室に入ったアッシュは、そこに座って優雅にお茶を飲んでいる胡散臭い男を一目見て顔をしかめた。
「何故お前がここにいる、死霊使い」
「もちろん、用があって来たのですよ。あなたは定期検査を一度すっぽかしていますしね」
「ああ……」
「ルーク」が未帰還のままでいるため、大爆発のことはあまり心配されていない。心配は強大すぎる超振動という力が人体にもたらす影響のほうで、アッシュは半年に一度の精密検査を義務づけられていた。
「悪い。近いうちに必ず向かう。……それを言いに、わざわざ来たのか。──ああ、コーヒーを」
アッシュが溜め息を付きながらジェイドの向かいに腰を下ろすと、すかさずメイドがアッシュの前でコーヒーを落とし、カップに注ぐと退室していく。
「そんなわけありませんよ。そんな用事、鳩を飛ばせばこと足りる。マルクトの総意として、ルシファ・フォン・ファブレ嬢に、マルクト皇帝からの申し込みに来たのですよ」
「妾妃にか?」
「いえ。皇妃陛下としてお迎えしたいのです」
カップに口を付けたアッシュが、口の端で笑うのを、ジェイドは素早く視界に納めた。
「レプリカをか? お前の国の皇帝は、相変わらず目出てえオツムをしていらっしゃる。──まあ、せいぜい頑張って交渉するんだな」
「……まるで、そんなことにはならないと、確信を持っておられるように聞こえますね」
「そうか? そんな風に聞こえたなら悪かったな」
形ばかり口を付けたカップを置いて、アッシュは立ち上がった。「用がそれだけならば失礼する。適当にゆっくりしていってくれ」
「──ルシファ嬢を遠目にお見かけしましたが、恐ろしく美しい方ですねえ。私も年甲斐もなくどきどきしてしまいましたよ。ピオニー陛下が振られたら、私も申し込んでみましょうか。あの方は年上の男は」
「お、前かっ……!!」
ジェイドは最後まで言い終えることが出来ず、彼らしくもなくあっけにとられて、目の前にある血走って赤い目を見つめ返した。胸ぐらを掴んで締め上げながら、怒りと、困惑と、嫉妬がぐちゃぐちゃに入り交じった冥い瞳で、どこか縋るようにジェイドを見つめ、食いしばった歯の隙間から、軋るような声が絞り出された。
「お前が、あいつを……?!」
「──冗談ですよ?」
「……冗、談だと……?」
胸元を締め上げる手を外そうとすると、力一杯締め上げていたにもかかわらず、その手は案外簡単に外された。「いやですねえ、いくらなんでも年が違い過ぎますし。それにこの年になると今更結婚は面倒事でしかない。まあ、我らが皇帝陛下に、同じことを言われては困るのですが、ね」
「お前じゃ、ねえのか……?」
「アッシュ?」
宥めるようにかけられた声に、アッシュははっとしたように身体を強ばらせ、苦痛をやり過ごそうというように目を閉じて、きちんと上げられていた髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。「わりい。……俺は失礼する……」
打ち拉がれたようによろばい出ていくアッシュを、感情のすべてを隠す眼鏡越しにジェイドは見つめ、溜め息をついた。
「やれやれ。仕掛けるまえに、何かまずいものを踏んでしまったようですが……。陛下では鼻で笑っていたのに私ではあの反応……ふむ? いやあ、ますます分からなくなりましたねえ〜」
初めて会ったユリアン・ライムント・バルツァー子爵は、思わずルークが頬を染めて俯いてしまうほどの色男だった。熱の集まる頬を冷たい指先で冷やしながら、内心で「わあ、私本当に女の子みたいだよ?」という突拍子もないことを思ってしまったくらいだ。どちらかと言えば、アッシュよりもガイの系統に近い、色の白い、甘い顔立ちをしている。シュザンヌの言う通り、思わずぞくぞくと鳥肌が立つほどの深いバリトンに、ルークが水を向けてみると、歌も好きだという。
「私も歌は大好き! 今度是非合わせて見ませんか?」
「それは嬉しいな。ここの皆さんが、あなたの歌声をあんまり褒めるので、僕の方こそいつか聞いてみたいと思っていました。──あなたはダンスも得意でしょう?」
「どうしてご存知なの」
「新年のパーティで、あなたが踊るのをずっと見ていました。アッシュ卿と踊っておられたのが、特に素晴らしかった。あなたと踊っているのが僕だったら……と思ったものです」
「誘って下されば良かったのに」
「あなたは常に大勢のご子息方に囲まれていたから。僕、特に地位もない八男坊ですし……」
「私も、ファブレのおじさまもおばさまも、そんなこと気にしやしないわ」
「どうかな? 僕、ファブレ公にもアッシュ卿にもなんだか嫌われているような気がしてるんですけど……」
「それは、あなたのお顔がちょっと宜しすぎるから!」ルークは吹き出した。「おばさまが、あなたをとても気に入っているのに、焼きもちを焼いていらっしゃるの。アッシュ兄さまがあなたを殊更無視なさるのも、同じ。妹を取られるような気になって、あなたの顔を見たくなくて逃げ回っているの。だから、気になさらないで」
勘としか言えないものが、この男はアッシュのように一本気なタイプではないぞと告げている。だからといって移り気なタイプにも見えない。どうも性格が読みづらい感じだ。
そういったレッスンをルークは確かに受けたけれど、長い年月培って来たナタリアなどと違って、ルークのは半年やそこらの付け焼き刃にしかすぎない。ただ、悪い人ではないと思う。名ばかりの子爵だと言いつつも、ルークを前に気後れしている様子もない。
これまでに話したどの子息たちより見聞が広く、話術も巧みだ。話をしていると、元々あまりものを知らないルークなどは面白くてつい聞き入ってしまう。
(アッシュはあんまり口数の多い奴じゃないから、あのうちはいつも静かで穏やかな感じだったけど、この人と一緒に暮らしたら、なんだか笑いの絶えないうちになりそうな。にぎやかでおしゃべり、って感じでもないのに、人をくつろがせて、楽しい気分にさせるのがすごく上手だ……)
これは、シュザンヌやメイドたちが夢中になるのも良く分かる。この屋敷に婿養子に入るのに、ルーク自身の好感度も高く、シュザンヌや、使用人たちにも好かれているこの男ほど、自分の夫に相応しい人物はいないのではないだろうか。
公平を期して他の候補者たちとも一度ずつお見合いをして、ユリアンとは数度会い、話したり、歌を合わせたりして過ごしたあと、ルークは結婚相手をユリアン・ライムント・バルツァー子爵に決めて欲しいと、クリムゾンとシュザンヌに告げた。