自分で指定した時間に仕立て屋の事務所に待機して、お茶を用意していたルークは、約束の時間に入って来た女性二人を見て、思わずポットを取り落としそうになるほど仰天した。
(アニス……ティア!!)
「こんにちは〜」
おっかなびっくりサンプルの布地を眺めつつ入って来た二人は、ルークと同じくびっくりした目でルークを見つめた。
これは、バレたかと目を伏せた時、懐かしいアニスの声が問いかけてきた。
「あの……もしかしてルキアさん?」
「……そうですが……」
ここに来てから適当に名乗っている偽名に返事を返すと、二年前より大人びて、髪型もツインテールではないアニスが、これまた懐かしいきゃわ〜んという謎の悲鳴をあげた。
「ちょーベテランの主婦の方、一押し〜って聞いてたから、私たちもっとおばさ、もっと年上の人かと思ってました!」
「そ、そ、そう、私たちとそんなに年が変わらないように見えるのに……私、昔からお裁縫って苦手で……」
頬を染めて俯いた……と見せかけて、しげしげとルークの胸を凝視しているティアに、ルークは安堵したような泣きたいような不思議な気分になる。どうやら気付かれてないらしいと、ほっと安堵の息ももれた。考えて見れば、アッシュの顔をそのまま女にした、と言ったような単純な変貌ではないのだ。隣に並べて見比べて見れば、血縁関係にあることくらいは分かる、そのくらい元は同じでも男女の顔では違っていた。その上、声も身体も、髪の色も違うのだし、控えめにではあるがルークは毎日きちんと化粧もしている。
化粧というのは不思議なもので、本人を良く知る者には、していない顔としている顔がどれほどの違いもないように思えるものだが、どちらか片方の顔しか知らない者には、案外別人のように見えるものだ。屋敷で化粧のやり方、様々な筆の使い方を教わり始めた頃には、せっかく綺麗に洗顔した顔にべたべたと息の詰まりそうなものを塗るとは、女という生き物は本当に理解し難いと思っていたけれど、これに気付いたあとは、化粧はルークにとっては、本来の顔を隠す帳の一種でもあったし、それに最近では、鏡の中で少しずつ変貌していく自分の顔を見るのも、案外楽しいものだとも感じていた。
対してこの二人はあのころと同じまま、まるで化粧っけがなかった。二人ともそんな事をせずとも整った顔をしているのだが、だからこそもっと綺麗になるのに、と惜しい気持ちにもなる。ファブレ家で、それは女性の身だしなみの一つと教えられたルークは、それでいいのかと首を傾げたくなるのだが……いや、二人とも軍人なのだし、これでいいのだろう……?
思考が少し外れたせいで、落ち着きが戻って来た。それも、もしかしたらアッシュのお陰かも知れない。彼を好きになって、心が身体に添って来て。昔好きだった女の子に会って、ひどく慕わしく思っても──ちょっとは動揺しているかもしれないが、それは正体がバレるかもしれないからだ──化粧がどうのと随分落ち着いたことを考えている。
「や、私は、お針しか得意な事がないので……。刺繍のご希望だったんですよね?」
「えっと、そうそう。婚礼用のヴェールの刺繍なんだけど……お願い出来ますかぁ?」
「婚礼用?!」
ルークはびっくりして目を見開いた。
「アッ……すみません大声だして。えっと……どちらの?」
「私たちのじゃなくて、友人のなの。これなんですけど」
ルークは箱に丁寧に修められたヴェールを一目見て、ほうっと息を吐いた。
素材は最高級の絹、チュールボビンネット。すべて手作業で織られた、これ以上に高品質なヴェールなどそうはあるまい。ナタリアのだ、と直感が告げた。
「これ……ちょっと触るのが怖いくらいの品なんだけど……。本当に私なんかでいいんですか? これの刺繍なら、もっと……王室付きの職人とか、貴族御用達のお店とか相応しいところがもっとあると思いますけど」
「いえ、私たちは色々回って人を紹介していただいて、作品を見たの。もちろん、あなたのも。その上であなたに引き受けていただけたら、と思ったんだけど、駄目かしら」
「……」
「図案の候補はこれ。もちろんあなたの良いと思うように、図案は変えてもらっても構わないの。でもモチーフはこれで」
「……セレニア」
モチーフの花はセレニアだった。ルークの最初の旅立ち、二度目の、変わろうと決意した新たな旅立ちと、二つの時をその清廉な花は彩ってくれた。
うっすらと微笑み、細く華奢な指先で図案をなぞっているルークをみて、
「引き受けてくれます? ……よね」
とアニスが言った。
年は同じくらいなのにすでに主婦を務めるルークを、ティアとアニスがうらやましがってあれこれ聞いてくるので、お茶がてらに少し雑談をし、図案の簡単な修正を二人に確認してもらって許可を得てから、納期は一月後くらいということで引き受けた。
二人が帰ってから、仕立て屋の女主人に軽い報告をして、ルークはヴェールの入った箱を大切に抱えた。
ナタリアの結婚式に、自分は「ルーク・フォン・ファブレ」としては出席出来ない。大切な従姉妹、愛する幼なじみとして祝う事は無理なのだ。それなら、せめて婚礼衣装の刺繍くらいは一刺し一刺し心を込めて祝いたいと思う。……このヴェールは、アッシュに寄り添うものでもあるのだし。
今なら、何故あのとき、アッシュやシュザンヌが自分をバチカルから連れ出したのか良く分かる。アッシュは自分の事を「病気」と称したが、それは正しかった。男にも女にもなりきれず、且つ自分の中に潜む両方の性が、対となる性を否定し続けていた。
でも今は違う。もしかしたら、まだ奥の方には「男」のルークのままの部分が残っていたりするのかも。でもその部分は、ルークが女として生きて行こうとするのを、もう阻害したりはしない。
そろそろ潮時なのかも知れない。アッシュをバチカルへ、ナタリアの所に返してあげなくてはならない時期がきたのかもしれない。
ナタリアが婚礼衣装の準備を始めた、その事実は、彼女の婚約者がいよいよ未帰還の「ルーク・フォン・ファブレ」から本来の婚約者である「アッシュ・フォン・ファブレ」に変更される日が近いと、その事実をルークに突きつけた。
「……もう、泣いても良いと思うよ」
唇を噛み締めて涙をこらえているティアに、もうすでに涙声のアニスがそっぽを向いたまま声をかけた。途端、隣でうずくまったティアから、堪えきれない嗚咽が漏れ出した。
「ルーク、ルーク、ルーク……っ!」
「──っ、ほんっとアイツ、馬鹿なんだからぁ! ちょっと性別変わったくらいで、顔が変わったくらいで、このあたしが分かんないって、気付かないなんて、本気で……思……」
ケセドニアの巨大な街を囲む土壁の、外に二人は並んでうずくまっていた。砂漠側の出入り口から少し外れていて、ここなら誰にも気付かれずにすむ。砂漠を渡るびょうびょうという風の音しかしない中、二人は顔中を砂だらけにして、自棄を起こしたように大声で泣き続けた。
泣き声はどうせ、風が攫ってくれる。
「大佐、いえ少将の調査通りね……。刺繍っていえばルークの名が出てくるって。彼、いや彼女、きっとナタリアのだって思ったのね……。でなけりゃ、いくら物が最高級のものだからって『王室付き』なんて普通出てくるわけないもの……」
「……そういやそだね……プッ、フツーにボロ出してたんだぁ……ルークのばーかばーか」
泣き疲れて、腫れぼったい目をして、アニスは笑った。
「でも、でもっ、ルーク約束、守ってくれてた!」
「ええ、ちゃんと帰ってきてくれてた」
「でも……ナタリアの言う通り、あたしたちの前に、ルークとして立つ気はもうないんだね……」
「バレなかったって思って、ほっとしたのが分かったでしょう……」
「うん……」
「これからお友達になることは出来るわ。そうでしょう? 器がどうなったって、ルークはルーク、何にも変わらないんですもの」
「そうだね。……や、やっぱ駄目、女の子になったんだもん、変わんなきゃ。あのまま女の子になってたらゾッとするほどがさつな女の子の出来上がりだよぅ!」
「大丈夫よ、きっと。ルークの刺繍見本、見たでしょう? あんなのがさつな人に出来る訳ない。──元々ルークはとても繊細なひとよ。そういう自分を彼は恥じて、わざと高圧的に振る舞ってただけ。小さな男の子ってみんなそう。……今なら分かるのに……アクゼリュス崩落前のルークのことが、こんなに。私たちは皆子供で、愚かで、なかなかそれに気付けなかっただけ……」
「そう……そうかも知れない。……イオン様だけは気付いていたけど……」
二人はしばらく沈黙し、それぞれの中に残る、且つてのルークの面影を追いかけた。
「「胸が、」」
二人は同時に声を発し、同時に吹き出した。
「ティアったら、ヤバイくらいガン見してたよね? 自分がされたらすっごい怒るくせに!」
「わ、分かったわよ、もう言わないわ!」
「や〜元々顔はかなり良い方、って思ってたけど、女の子になるとあんな美人になるなんて! 負けた!って感じ! メイクも自分の顔知り尽くしてますって感じでチョー決まってたし、髪留め一本で無造作に上げた髪型だって、崩し方が絶妙! もう女のプロフェッショナルって感じ! あいつが憎い! くやし〜い!!」
「スタイルもかなり良かったわよね……」
短い時間でどこまで観察していたのかこの二人、うっとりと頬を染めるティアに、突然アニスがくわっと食いついた。
「そのスタイル! あの崩れのちらっともないスタイルは大問題だよぅ!!」
「えっ、何が」
「分かる人には多分バレると思うけど、あの二人、まだやっちゃってないよっ?!」
「ええっ?!」
顔を真っ赤にして、思わずティアは誰か聞いてやしないかと辺りを見回した。「……どうしてわかるの?」
「どうしてったって、分かるものはわかるとしか言えないよぅ。寸刻みでサイズを見抜けるこのアニスちゃんだよ? ルークはまだバージンで間違いなし! 」
「でも……でも、もう二人暮らしも七? 八ヶ月は経ってるのよ?」
「その上、アニスちゃん調べではあの家には寝室が一部屋しかな〜い!」
「結婚まではと思ってるんじゃないかしら? それが普通でしょ……?」
「あっま〜い! あの直情男がそんな忍耐の出来るタイプかっての! 大体、ルークがまだ男だった頃から、暑苦しい目つきでルークを見てた男なんだよ?」
「あつ……」
さすがに少しアッシュが気の毒になってきたティアだったが、表現は違うがナタリアやジェイドも同じ事を言っていたのだから、きっとそうなのだろう。アニス、ジェイド、直感力に優れた二人はともかく、どちらかと言えば鈍いナタリアが何故気付いたのかと考えると、胸が詰まるような気がするが。
「……でも、ルークにその気がないものを、無理にどうこうするようなタイプにも見えないわ」
「無理矢理系はあの男のプライドに抵触するだろうから、それは絶対ない。けど、ルークにもその気がないわけじゃない、とアニスちゃんは見たね」
「そ、それこそどうして分かるの?!」
「最後に少し雑談したじゃん。その時ルークが『うちの人』ってアッシュのこと言ったんだよね。その表情で」
ほとんど尊敬の眼差しでアニスを見つめるティアに、アニスは顔を引き締めて言った。
「アッシュがルークを好きなのは──そういった意味でね──間違いないんだよぅ。ナタリアがパーティーで確信持ったって言ってたし、この数ヶ月で心変わりしてるんじゃなけりゃね。そしてルークもアッシュを憎からず想っている。同棲してて、寝室も一緒、なのに男女の関係にはない。──これって、どゆこと? 二人とも生涯清らかに生きる、なんて誓いでも立ててんの?」
「──もしかして、お互いに相手の気持ちを知らないんじゃないかしら?」
アニスは何かを思い出すように、右に左に眼球を動かしてから溜め息をついた。
「パーティーの時の様子を聞く限りじゃ、アッシュはともかくルークがアッシュの気持ちに気付いてないなんてこと、ないっぽい。だけど逆、ルークが気持ちを隠していたら、アッシュって鈍そうだもん、きっと気付かないよ。ううっ、本当はもっと探りたい。少将にもう少し調査入れてもらおう。どうにもなんないようなら、二人のお母さんが言うように荒療治しかないかも」
「でも……それでアッシュが動かなかったらどうするの?」
「動かすんだよぅ!!!」