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赤を通り越してどす黒くさえ見える顔色で、ぱくぱくと口を開閉するものの声一つ出せないアッシュに、全員の容赦のない好奇の視線が突き刺さった。
「おっぱい信者……! へえ~アッシュって! へえ~!!」
アニスがニヤ付きながら三日月型に両目をたわめる横で、ちょっと見たこともないほど良い顔でジェイドが眼鏡を押し上げる。
「だからみんなそうなんだって。胸じゃなくてもお尻とか、なんか男の人たちっておかしなこだわりがあるんだよね。私、三人ともからうちの夫はなんかヘン! って何度も聞いたよ」
しん、とアニスが俯いた。ティア、ナタリアも将来の自分の夫というのが一体どういう人物なのか、ひょっとしてものすごい「ハズレ」を引いたのではないかというような顔をして青ざめている。
「ガイだって女性が大好きだってよく叫んでるじゃないの。アッシュはムッツ……あんまり表に出さないだけだよ。ジェイドもアッシュと同じタイプだよね?」
「さて、どうでしょうね~?」
ちょっと嘘くさいほど綺麗に表情を消したジェイドを見て、ルシファはどこか面白そうな笑みを浮かべたが、ややあって肩をすくめた。
「……小さなころからアッシュは特別な子どもで、一挙手一投足が人の目を引いてきたから、本当の自分をずっと押し隠してカッコつけなくちゃならなかったところもたくさんあったんだと思うよ。だけどアッシュは、今のお前となーんにも違わない極々普通の男の子だ。色々思うとこあるだろうけど、そのように接してやってよ。多分アッシュはその方が嬉しいんじゃないかな」
「ふざけんな! 俺は……!」
「あれっ、特別扱いされたかった? あっと……ルークにはされたいかな?」
ルシファがにっこりと笑顔を向けると、さしものアッシュが口を噤み、顔を逸らした。壮絶な舌打ちのあとではあったが。
「……」ルークが信じられない、というようにアッシュを見やる。その首や耳の先まで赤く染めた顔は、確かにこれまで完璧だと思ってきたアッシュがルークに見せる顔ではなかった。
「アッシュ。私、今日ここで、未来の自分に会った、なんて記憶がないんだ。アッシュからも聞いたことがない。もしかしたら、本当はこんな風に会うはずじゃなかったのかも知れない。私が生きている世界とは、どこか違う──駆けお、バチカルでの騒ぎもないことになるし、そうだね、時間軸が二つに分かれちゃったりとか。そうだとしたら、この先二人共生き残ることができるか、お前がルークを手に入れることができるか、確実なことじゃない。お前の性格はわかってるつもりだけど、意地を張らないで。私は……」
「なるほど~。それならば私が立候補しても良いわけですね」ジェイドが眼鏡を押し上げながらにこやかに言った。「恋愛も結婚も面倒なものだと思って来ましたが、あなたとなら、上手くやっていけそうな気がしますし」
何かを言いかけて口ごもっていたルシファは、にこにこと満面の笑顔が嘘くさいジェイドの顔を見上げ、またたきした。
「うーん……。私は、仕事人間は理解してあげられないよ? アッシュのいいところの一つには、ものごとの優先順位がすごくはっきりしてるっていうのがある。仕事はとても大事だけど、それは家族の生活を守るためであって、一番は私と子ども。アッシュはいちいち口に出さないけど、そう思ってくれてるのがすごくわかるの。大切なことなんだよ、これ」
「おや、速攻で振られてしまいましたね。確かに私は、自分の好奇心を満たすことがもっとも大切な人間かもしれません。──というか、素直で可愛らしかったルークが随分したたかになったものだ」
ルシファが肩をすくめた。「残念だけど、まだ褒められるほどじゃないよ」
「待ってくれ」ガイが、舌打ちして口を開いたアッシュが何か言う前に、それを制してルークを見つめた。「そういうことなら、相手は俺でもいいよな、ルーク。俺は、家族を一番大切にする自信があるぜ!」
「はあ?」
お前まで何を言い出すのかという顔をしてルークが顔を歪めるのに、ちらりと何かを確認するようにルシファにも視線を投げると、ガイは爽やかな笑顔をルークに向けた。
「お前が女性になるのなら、俺でも触れる自信がある! やったぞ、俺はもう結婚も子どもも無理かと思っていたが、ルークとなら! ガルディオス家を真実再興させることが出来る!!」
「てめえ、何勝手なこと、」
怒鳴りかけたところで、アッシュがが不自然に言葉を切った。彼の視線を辿った先に、困り果てたようにウィスタリアの手を引いてこちらへ戻って来るナイルの姿がある。
「ナイルどうしたの? 子どもだけでお部屋の外へ出ては駄目よ。ウィス、我が侭言わないでお兄さまの言うことを聞かなくちゃ。それにもうおねんねの時間でしょう」
唖然とするほどの変わり身の早さだった。即座に崩れた言葉遣いと態度を改め、どこから見ても貴族の母親然とルシファが優しく微笑みかけた。
「お父さまは?」
少女は少しふて腐れた顔を兄の背中で隠すようにしてアッシュを窺う。
「えっ、お父さま……? えーと……困ったな……」ルシファは絶句したあと、ちらりとアッシュを横目で見やった。「アッシュ、寝かしつけお願い出来る?」
「俺?!」
余程驚いたのか、アッシュが文字通り飛び上がるように叫ぶのに、ルシファも困ったように首を傾げた。
「子どもたちの寝かしつけはアッシュの仕事だったの。ウィスも最近は一人で寝付くようになってたんだけど……」
その仕草は聞いている年齢よりも幼く、可愛らしく見える。これで「お願い」と言われたら、誰だって無条件で降伏してしまうだろうと思われた。
「無茶言うな。俺にできるはずが」
アッシュは思わず赤くなりそうな顔を背け、断り文句を言いかけたのだが、ごきげんななめのウィスタリアが兄の手を振り払ってアッシュの膝の上によじ上り、胸元にしがみついてきたので口を閉じた。口元はむすっと引き締まっているが、大きな目には涙が溜まっている。知らないところで幼い兄妹二人きり、不安だったのかも知れない。どんなに似ていたとしても、アッシュは本当の父親とは倍近く年が違う。姿が異なっているはずの男を父親だと言われることに、幼いながらも不審感を抱いているはずなのに、それでもこんな風にしがみついてくる少女がいじらしく、結局落ち着かせるように背中を軽く叩いてやり、天井を仰いで息を吐いた。「……わかった。やってみよう」
両腕で抱え上げた少女の体温は熱いほど高く、胸がむずむずするような不思議な匂いがする。拒否されないことがわかったのか、少女は身体から力を抜いて若すぎる父親に全身を預けた。
「おじさまも行こう?」
ウィスタリアが通りすがりにルークの袖を掴んだ。戸惑ってはいるが二度目のご指名であるからか、「お前の娘」と言われたからか、先ほどよりは柔らかい顔をしてルークが立ち上がるのを、複雑そうな顔をしてアッシュが見つめる。
「寝付くまででいいから……。そんなわけで、少し待ってね」
話途中のため申し訳なさそうに一同を見回したルシファだったが、当たり障りのない雑談を始めて十分も経たないうちにアッシュとルークが連れ立って戻ってきたのには目を見張った。
「──もう寝たの?」
「あの……ナイルって子の方はもう少し起きて本を読んでるって」
ルシファはルークとアッシュを見比べた。「……どうやって? ウィスは……小さいころはナイルもだけど、私がなにをやっても寝ないのに、アッシュだとすぐに寝付くんだ」
「女の子がアッシュに「黙れ」」
話そうとしたルークを、アッシュの鋭い声が遮った。客室でなにを見たのか、ルークはどこか放心しているような顔でアッシュを見やり、ルシファに視線を戻した。
「……アッシュは昔から子ども、お風呂に入れるのと寝かしつけるのが天才的に上手いんだよね。コツを聞いても絶対に教えてくれないの。盗み聞きしようとしてもすぐバレちゃうし」
「別に何も特別なことなんかしちゃいねえ」
アッシュが憮然として顔をそらした。そこはかとなく赤みを帯びたアッシュの顔を、ルシファはほんの少し悔しげに見つめ、あきらめたように息を吐いた。
「何日かルークと交替で寝かしつけに行ってみたらわかるよ。多分、ルークじゃ寝てくれないから。──って、私たち無事帰れるのかな……一晩うちを空けることになったし、アッシュが心配する。……つーか怒られる……っ」
「俺のときと同じように、来た道を逆に辿ってみたらどうだ? また路地裏に行ってみればいいだろう。……わかっていれば、真っ直ぐに連れて行ったんだが」
急に思い出したようにどんよりと肩を落とすルシファを見、アッシュが複雑そうな顔で慰めた。こんな事情があるのだし、なにも怒ることはないと思うのだが、ルシファのどんよりとした顔を見るに、未来のアッシュは今以上に怒りっぽい人物なのだろうか。
「そうだけど、私もパニックでそんなこと思いもよらなかったし、いいんだ。皆と話せたもん。ナタリアはバチカルで会えるし、ティアやアニスには一年に最低でも一回は会えるんだけど……ジェイドやガイにはなかなか会えないしね。この全員で会えたことなんて、ここ十年では一度も無い。残念だなー、過去へ飛ばされたのが私一人だったら、初めてのガールズトークが出来たのに! ……そういう年でもないんだけどさ」
残念そうに首を振るルークに、ナタリアが身を乗り出すようにして言った。
「あら、大人が寝るにはまだ早いのではなくて? 良かったら、私たちのお部屋で少しお話しませんこと?」
「そ、そうね! そうしたらどうかしら……色々聞きたいこともあるし……」
「あっ、あたし! メイクの仕方教わりたいでーす! なんだか凄く決まってるし!」
「あはっ、あっちでもこっちでも、アニスは同じこと言うんだ。アニスの年じゃまだ早いような気もするけど、いいよ」
「十五年も経てば、美容法の流行なども変わっています?」
「変わった変わった! 美顔用の音機関なんかもあってね……」
俄に盛り上がり始めた女性陣に、ルークが少し狼狽えたように言った。
「えっと……ルシファ、さん? なんて呼べばいいのかわかんねー、あの。アッシュとじゃなくていいの?」
宿に入るときにはルシファや子どもたちが何者かわからなかったため、部屋割りは「ルシファと子どもたち」、「ティア、アニス、ナタリア」「ガイ、ジェイド」「アッシュとルーク」となっている。気を使ったのか、将来の夫と呼ばれるアッシュに怯えたのか、ルークが期待を込めた目で言うのに、ルシファは少し考えて首を振った。
「もし未来から三十三歳のアッシュが来て、ルークをベッドに引き込んでもアッシュが気にしないなら、私は別にアッシュと同じベッドでも気にしないけど。どっちもアッシュなんだし」
途端にアッシュが顔色を変えるのを見て、ルシファは面白そうに笑った。「やっぱりね。どっちも『ルーク』なんだけどなあ……。未来を知らない過去のアッシュが好きなのは、やっぱりルークなんだね。切っ掛けを作ったのは私なのかもしれないけど、それは憧れの域を越えないっていうことなのかな。聞いてはいたけど、こう目の当たりにすると少し照れくさいような、腹立たしいような」
意味がわからない、と首を振るルークに、ルシファはただ微笑みを返す。誰もがルシファの言葉に気を取られている中、アッシュは一人、睨むようにルシファを凝視し、やがて諦めたような吐息を付いて目を伏せた。
「お前の代わりに、俺があの子たちを見ていよう。お前が俺の分のベッドを使え」
アッシュが椅子を引き、立ち上がりながらルシファに声をかけると、ルシファは驚いたように目を見張り、ちらりとルークを見やった。
「仲良くなる絶好のチャンスなのに、いいの?」
「……怖がらせたいわけじゃねえ」
「……そ、か。そうだね」
ルークが男だから誰もが流してしまいがちだったが、もしもルークが女の子なら、自分を好きだと言う、こちらはなんとも思っていない男と同じ部屋で眠れるわけがない。
「わかった。頼むね」
一つ頷くとアッシュは、いつの間にかちゃっかりルシファの膝の上に乗っているミュウを一瞥した。「お前も来るか」
ぴぴっと耳を震わせて見上げるミュウにルシファが微笑むと、ミュウは機嫌良くアッシュの肩に飛び乗った。
退席の挨拶をするでもなし、立ち去るアッシュの後ろ姿を呆然と見送っていたルークが、慌てたようにルシファを振り返る。
「アッシュは……」
「部屋を交替したから、安心していいよ。私とならいいでしょう? 女だけど、言うなればレプリカよりも自分自身みたいなものと言えるんだしさ」