【14】
アクゼリュスへの旅は、序盤から波乱続きの不安な道行きとなった。
まず、ジェイド・カーティスの提案により、ルークの護衛を務めるはずのヴァンが、大詠師派の妨害工作に対するおとりとして一行を外れ、海路を行くことになった。ヴァンは次期キムラスカ国王であるルークの護衛として、残りの面々の力量が心もとないことを挙げて反対の意を示したが、現在キムラスカからルーク誘拐の疑いをかけられているヴァンと、一応マルクトの使節であるジェイドの意見では、後者が優先されたのだ。
ヴァンが外れることは確かに不安ではあったが、彼の大望の障壁になるかも知れないティアもいるし、アッシュへの反感からか少しばかりルークを気遣うようになったガイもいる。ヴァンと共に旅出来ないことは、それを楽しみにしていたルークを少なからず失望させたが、余計な面倒を起こさぬためにも、ヴァンにはジェイドの提案に乗るよう勧めた。ジェイドの提案が、半分は煙たいヴァンを遠ざけたいがためのものであることを、薄々勘付いていたのだけれども。
次に、イオンが姿を消したと、導師守護役のアニスが駆け込んで来た。街の外に六神将のシンクが待機しているということ、タルタロスの出来事を思えば、当然それにはヴァンが噛んでいるとルークはすぐに気付き、いらぬ疑いが師に向かないよう、非常に消極的なフリをしながらも──何せルークはキムラスカ・ランバルディア王国の正式な親善大使として出立するのだ──その要請に乗ってやり、撹乱を試みることにした。ヴァンは最後までルークの護衛を外れたがらなかったから、今のところ一行は大詠師を疑いはしてもヴァンを疑ってはいない。だからこそ、この一行の思考の行方を把握しておきたいのだ。
最大の波乱は、王位継承権第一位のナタリアが、城を出奔して一行に加わったことだ。正直、これが一番頭の痛い問題だが、その頃になるとルークも半ばどうにでもなれという心境になっており、終始強く出られないまま押し切られることとなった。
誰とも深く関わらないようにするため、野営地が決まり、天幕が張られると、すぐに一人引き込んでしまうルークに、ガイ以外の一行の視線は次第に温度を無くしていった。だがルークは慌ただしい出立の折り屋敷からかろうじて持ち出した本のページを繰って、オールドラントに時折発生する障気の知識を少しでも入れられないかと一人密かに努力していた。何のために自分が行くのか。そこで何をすることを期待されているのか、国からの説明はまるでない。預言に詠まれているのだから、『何』かをするとは思われているのだろうが、その『何か』が何であるのか、事によると国としても詳細までは知らないのかも知れなかった。
だが、自分がその障気溢れる街へ行き、預言に合致した何かが起きるまでぼんやりしているわけにもいかないだろう。少しでも知識があれば、その分何か役に立てることも増えるかも知れない。
幸いにも、ガイ以外の者たちは、時折ナタリアが苦言を呈してくるほかルークと積極的に関わりたいとは思わないようだったので、大したことの書かれていない資料の中から少しでも役立つことを見つけようとする努力をする時間はたっぷりとあった。
砂漠のオアシスに到着した夜、ひっそりテントを抜け出して、ルークは水辺に佇んだ。
タタル渓谷でも思ったことだが、人の営む灯りの少ない場所では、本当に星が綺麗だ。澄んで漣一つ立てない泉は鏡面のように夜空を映し、星を瞬かせている。覗き込んでいると、大地と空の境が曖昧になってきて微かな恐怖心すら覚え、ルークは一度軽く足踏みして己の立ち位置を確かめた。
屋敷に閉じ込められていたころ、時折本を片手に星座を探したりもしたが、ルークは特別天文に興味がある質ではなく、誰でも知っているであろう代表的な星座の他にはそう明るくない。それに、こういう場所では返って星座が探し難いとルークは思う。星座を象る著名な星の周囲を、大小様々な星が無数に瞬いており、ルークにはこの季節に見られるはずの星座の一つも見つけることが出来そうになかった。
風は薙いでいるが、空気はキンと静謐に澄み切って、昼とは全く違う寒さにルークはぶるりと肩を震わせた。その肩に、ふわりと暖かいマントがかけられる。
「どうぞ。お風邪を召されます」
「……なんで?」
「砂漠の夜は日中暑ければ暑いほど冷え込みが」
「……ちーがーうーって!」こんなところで聞くはずの無い声にルークは仰天して振り返り、間の抜けた返答をしている白い仮面に噛み付いた。「なんでいるのかって聞いてんだ!」
「用が済みましたので、導師をお連れしました。こちらに導師守護役が同行していると聞きましたので」
そういえば、イオンの捜索も旅の目的の一つになったのだと一拍遅れで思い出し、ああと頷いて軽く背後に顔を向けるアッシュに釣られて彼の背後を覗き込めば、しっかりと着膨れさせられたイオンがそれでも寒さに身を縮こめたままぺこりと頭を下げた。
用って? とあわや口から零れそうになったのを慌てて閉じて軽く頷くに止める。
「アニスに早く報告してやりてえけど、おれはこんな時間にあの女どものテントに突撃する勇気はねーな。明日の朝でいいか? イオン」
「はい。アニスには申し訳ないですが、僕もその方がいいと思います」
「じゃ、とりあえずおれのテントに来な。おれしかいねえから、誰にも迷惑かけずに済むぜ」ルークはいくつか設置された簡易テントの群れの半ば辺りを示し、イオンを誘ったあと、アッシュにも声をかけた。「アッシュ、茶ぐらい淹れてやるからお前も来いよ。特に急いで戻らないといけねえんじゃなかったらさ」
「残念ですが、人を待たせておりますので」
「……そっか。お前も忙しいな。じゃあ時間出来たらまた訪ねてくれよな」
「はい」
茶の一杯も飲む時間がないとは思えなかったが、アッシュはいわば誘拐犯の一味である。用が済んだと言う今、イオンの前に長く身を晒したくなかったのかも知れない。この街にルークたちが滞在していることを知っているのなら、オアシスに到着したところで解放すれば良かったものを、わざわざルークに引き渡しに来てくれただけでも、少しはルークの顔を見たかったのだと自惚れても良いだろう。
久しぶりに会ったものだったから少し残念だったが、言うなればアッシュはまだ仕事中なので我が儘は言えなかった。
アッシュはルークの顔を見られただけでも満足だったのか、過保護にもさっと全身に視線を走らせ、特に異変のないことを確認すると小さく頷き、特に未練も見せずに姿を消した。
「……お知り合いだったのですね」イオンを促してさっさとテントに足を向けると、どこか戸惑ったように、イオンが声を顰めて問う。「もしやお身内ですか?」
「え? あー……身内っちゃ身内? アッシュは兄弟子だからさ」
「兄弟弟子? ……そうなのですか?」
イオンは気付かれないように──ルークは気付いたしおそらくアッシュも気付いたと思うが──二人を見比べているような気配があった。
「ヴァン師匠も忙しい方だしさ。うちに来られない日が長くなると稽古にも支障が出るかもって、兄弟子のアッシュを寄越してくれたんだよ。二人でおさらいしたり稽古したり試合したり。なんだ? おれたち似て見えんの?」
「姿形というと語弊があるのですが……アッシュの顔は僕も知りませんし……。なんだか、纏う雰囲気が同じように感じて」イオンは頷いた後で不思議そうに首を捻った。「うーん……? 個別に見ると全然そんなふうに感じませんね。どうしてそう思ったのかな?」
「おれたち身長も体重もほぼ同じだし、同じ師を持つもの同士どうしたって雰囲気も似てくるだろうよ」
「……そう、いうものですか」
「って、よく聞くけどな」
ルークの返答にへえ、と感心したようにイオンは頷いた。昔から夫婦や子弟は似てくると言われているが、どうやら納得した様子なのを見ると本当の話なのだろうか。客観的に自分たちを見たことのないルークは全く思いも寄らないことだったが、いずれは師匠であるヴァンにも似ていると言われるようになるのかも知れないという思いは、少しだけルークの志を高くした。
ルーク用に張られた、ほんの少しだけ作りのしっかりしたテントの入り口を、小さく身をかがめたイオンがくぐり、もの珍しげに見回す。大きな隊商の使う大きな天幕とは違い、おとりをヴァンに任せてこそこそと旅しているルークらのテントは本当に眠るためだけのものだ。横になると考えると三、四人が雑魚寝でせいぜいといったところだが、もちろん二人がお茶を飲む空間ならば十分にある。
イオンが入りやすいようまくり上げていた入り口の布を元のように下ろした後、ルークは中腰でてきぱきとお茶の準備を始めた。「体、冷えてるだろ。寝るのに触らないお茶淹れてやるよ」
「ありがとうございます」
エンゲーブで出会い、一度はタルタロスにも一緒に乗った仲であるイオンは、王位継承権を持った公爵子息が手ずからお茶を淹れることにももういちいち驚きはしない。興味津々で手元を覗き込んでいる。
「アニスは誘拐だって騒いでたけど、アッシュが送って来たってことは教団の用事だったんだろ? タルタロスの時もちょっと思ったけど、なんでそんなことになんだよ。アニスが同行してるってことは、教団公認の旅なんだろ? なのにアニスはモースのこと蛇蝎のごとく嫌ってるようだし……お前らモースとなんか揉めてんのか? 教団の最高指導者である導師にしか出来ねえ用なら、最初に話があって、お前の予定の調節やら旅の日程組んだりとかしそうなもんだけど」
「……アッシュは六神将ですから、ヴァンの直属の部下です。二人から何も聞いておられないのですか?」
少しだけ探るように低められた声に、ルークは疑われるのは仕方ないがと前置きして頷いた。
「そのヴァン師匠は、モースの指示で動いてるわけだろ。おれはそもそも教団とは無関係なんだし、彼らの行動や情報を知る立場じゃない。確かに剣術の師匠だし、兄弟弟子だけど、私用ならともかく……師匠もアッシュもその辺は弁えてるぜ」
そもそも、ルークは名ばかりとはいえキムラスカ・ランバルディア王国の要人。そのような立場の部外者にふらふら情報を漏らすような人間に要職は務まるまい。
ヴァンがルークに超振動を使って何かをやらせたいというなら、いずれ話してくれるのかも知れないが、現時点ではヴァンがただモースの命をこなしているだけなのか、自分の大望のためにイオンを連れ去っているのかすらルークにはわからないのだった。
「……そうですか」
イオンは渡された温かいマグカップを両手で包み、今度こそほっと弛緩したような顔をした。
「……僕が連れて行かれたのはセフィロトなのです」
「セフィロト……って、星のツボのことか? 確か、記憶粒子《セルパーティクル》が集中してて音素《フォニム》が集まりやすいっていう。大地のフォンスロットの中でもかなり強力な所? だっけか」
「さすがに良くご存知ですね」イオンは頷いた。「そう、セフィロトは最も強力な十カ所のことです。そこを護るため、教団ではダアト式封咒という封印を施しています。これは歴代導師にしか解咒出来ないのですが、彼らは僕に、その封印を解くように、と」
「解咒してどうすんの?」
それが大事かどうかはともかく、「封印」「解咒」などという言葉になんとなく好奇心をそそられ、ルークは思わず身を乗り出したが、イオンは苦笑して首を振った。
「わかりません。大体、封印を解いた所で何も出来ないはずなんです。……僕は先ほど、あなたがそれをご存知ないかと思ったのですが……」
「あー……すまねえな」ルークはがしがし頭を掻いた。今度はルークが苦笑する番だった。「予想もつかねえの? なんで教団は、導師しか使えねえような封印まで使ってセフィロトを守ってんだ?」
「……すみません、それは教団の重要機密で……」
「あーそっか、いい、いい、気にすんな。そういうの面倒だから知りたくもねえし」心底からの本音というわけではなかったが、ちょっぴりは気になるといっても単なる好奇心である。ルークはそう言ってイオンを慰めたあと、甘みと微かな酸味のあるお茶を啜って、躊躇いがちに口を開いた。
「……でもよ、ヴァン師匠は利己心からのヤバい命令に従うような人じゃねえ。モースが何を命じても、ヴァン師匠がすべきじゃないと判断したことは絶対にしねえとおれは思う。……お前にも信じろと言う気はねえけどな」
「……」
むろん、イオンが導師守護役から引き離されてさせられていることが、ヴァン自身の考えによるものの可能性もある。
この世界始まって以来の大罪──己の進む道、ルークへの要求を、ヴァンはそう称した。それは、ヴァンが成そうということが、万人に受け入れられることではないということ、ある人々に取っては苦しみや怒りを生むだけかもしれないということを示している。イオンにとって──或いはルークに取っても、それは理不尽にしか感じられないことかもしれない。
それでも、ルークはヴァンを信じると決めたのだが、将来、この眩しいほどに真っすぐで美しい目をした少年導師に、怒りと嫌悪の視線を向けられるのは辛いと思う。
「……そろそろ休もうぜ。明日はせめて早起きでもしねえと。なぜ無事をすぐに知らせないって女どもがうるさく騒ぐだろうからな、きっと」
「ふふふ」
ほら、と薄手だが温かい毛布の端を広げてやると、イオンは一瞬だけ目を見張り、すぐに嬉しそうに入って来た。砂漠の夜には隣に人の熱を感じてちょうど良いくらいだ。
二人はしばらくごそごそと程よい位置を探り、すぐに眠りについた。